べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「袋町お聖天」

3/11。

「桜天神社」を後にしまして、「中区史跡散策路(名古屋市:中区:史跡散策路(中区))に従って歩きますと。

「袋町お聖天(福生院)」に。

 

◯こちら===>>>

袋町お聖天 福生院

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「ふくろまちおしょうでん」と読みます。

「桜天神社」と違ってこちらは、ビルの間というよりは、店の間という感じです。

正式名称は「如意山福生院」と号するようです。

真言宗智山派 準別格本山」だそうです。

狭隘は狭隘な土地なので、いろいろなものがみっしりつまった感じがします。

楼門……という規模ではないですが、かなり低い門なので、くぐって境内に入ると、ちょっとした別世界です。

 

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台座に袋と大根と。

「袋町」の由来は、

 

◯こちら===>>>

旧町名の概要と由来

 

が参考になるかと。

こちらのページの「袋町」の部分を引用すると、

 

「袋町筋の長島町通から本町通に至る二丁が袋町である。慶長十五年(1610)清須本町の小塚田所の袋の内から移ってきた。旧号をとって袋町と名付けた」

 

とのことです。

慶長十五年といえば、名古屋城の築城が始まった年。

そして、清洲越し」が始まる頃のことです。

清洲越し」というのは、尾張の中心地を「清洲」から「名古屋」に移した(引っ越した)事業ですな。

九男義直のために徳川家康が、天下普請で名古屋城を作ってやった、と。

 

 

親馬鹿?

 

 

いやいや、三河松平家発祥の地ですし、美濃、尾張三河駿河といった国々は家康縁の地です。

また、東海道が、西と東の大動脈であったことは今も昔も変わりなく。

その要衝として、清洲よりも名古屋の地がふさわしい、と徳川家康は考えたのでしょう……か?

大根の方はなんでしょう……どうやら名古屋では、御器所辺りの大根が有名だったようですけれども。

 

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お寺はなんとなく写真が撮りづらいなぁ……こちらが本堂。

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大師堂。

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六角宝塔。

十二支の守り本尊と薬師如来がお祀りされています。

右手奥に少し見えますが、「百観音」と「四国八十八ヶ所」をまとめたものがあります。

 

またぐっとまとめたものです。

 

 

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秋葉大権現」と「出世天神」。

秋葉大権現」の屋根に、天狗の羽団扇があったのが、ちょっと珍しいかなと。

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ぼけ封じ観音。

反射でよく見えませんが、右手の建物には「七福神」がお祀りされています。

なごや七福神」の一つでもあったりします。

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不動堂。

 

公式HPによると、

 

「(前略)至徳三年(1386)に衆庶の帰依厚かった開山順誉上人が大聖歓喜天を奉安して愛知郡中村の里に堂宇を建立し、日夜尊天に奉仕され清洲城主をはじめ一般信者日々に増大して興隆しておりました。

その後約二百年を経て徳川氏の慶長遷府令により清洲城下の名古屋移転にともない、元和三年(1917)当時の住僧宥伝上人は伽藍を現在の地に遷され、それより袋町のお聖天様として四囲にひろく知れわたり善男善女の参拝きびすを接するの盛況を呈しました。(後略)」

 

とのことです。

大聖歓喜天は、インド神話シヴァ神とその后との間の子で、象の頭を持っていることで知られています。

インド神話をご存知の方なら、何で象の頭なのかは説明しなくてもいいと思いますが、簡単に言えば、

 

親父(シヴァ)に首を切られ捨てられちゃった。

 

親父、首を探しにいくが見つからず。

 

代わりに、象の首をくっつけた。

 

というなかなか激しい由来があります(異説あり)。

象の神、というのが何ともインド亜大陸、という感じがします。

仏教的に、「何故、象の頭なのか?」ということを説明されてもいるようですが(象が御者によく従うように、仏法によく帰依することを意味している)、古代インドのトーテムであり、象への畏怖の表れが起源だと思います。

また、「大聖歓喜天」といえば、男女の姿で抱き合った「双身歓喜天が有名です。

図像を見ると、象の頭の男女が、何やら意味ありげな笑みを浮かべて抱き合っています。

夫婦相愛、子授けの御利益がある、と考えられています。

男女の神が抱き合った姿、というのは、インドの秘仏でもよく見られます(ヘールカ仏)。

あちらのはかなり直接的にセックスを連想させますが、「双身歓喜天」はソフトな印象。

しかし、その笑みなんかから、何を意味しているかは、

 

お察し

 

ということです。

今も昔も、人間はそれで悩んでいるわけです。

 

そして、「大聖歓喜天」、多くの像が「大根」を手にしており、お供えにも使われるそうです。

これで、先ほどの狛犬の大根が何だったのかわかりました。

でも、なんで大根なんでしょうねぇ……大根……はっ、まさか「シヴァ神」の息子だし、ひょっとすると、

 

 

リンガ信仰

 

 

なのか?

 

 

 

 

いや、わかりませんが。

ともかく、大きな町には、一つくらい「歓喜天」をお祀りするお寺があって、賑わったのかもしれません。

そのくらい、強い力をお持ちだったようです。

特に日本では、なかなかないですからねぇ、夫婦和合の神様って……。

 

 

今回、愛知県立図書館のHPで面白いものを発見。

◯こちら===>>>

愛知県図書館絵図検索

 

江戸時代の古地図と、現代の地図を重ね合わせてみられる、というものです。

「桜天神社」なんかも載っていますので、一度お試しあれ〜(スマホで見られるかは知りません)。

 

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密教辞典

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