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iPhoneで、
「中区史跡散策路(名古屋市:中区:史跡散策路(中区))」
を検索して、次の目的地を決定。
「桜天神社」。
◯こちら===>>>
オフィス街のど真ん中。
周りはビルですので、うっかりすると見過ごしそうになります。
境内も広くなく、何となく肩をすぼめたくなる感じです。
筆塚。
天満宮にはよくあります。
菅原道真公が達筆だったから、なんでしょうねきっと(真筆って残っていましたっけ……まぁ、あの時代の達筆具合が私にわかるはずもなく)。
梅。
↑の建物(神楽殿でしょうか……でもお神楽なんてやるのかな……神輿殿にしては造りが……)で右を向くと拝殿。
右手奥のビルの壁にも梅。
境内地の形がおおよそ「L」を上下反転させた感じで、
『テトリス』
で無理矢理はめ込んだようにも思えたり。
御由緒書とかいただけなかったな……。
境内摂社。
「白太夫」というのは、「コトバンク」によれば、
「 浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』の登場人物で、松王丸,梅王丸,桜丸の父」
のことだそうです。
「菅丞相につかえ、死後もその霊を守護した」
ということから、忠義に厚い人だったのでしょう。また、
「別に白太夫は伊勢神宮の神職度会春彦のことで、道真の死をみとったという伝承もある」
らしく。
◯こちら===>>>
一方、よく似た神様に「百太夫(ひゃくだゆう)」という方がいらっしゃいます。
こちらは傀儡師(人形遣い)や遊女の守護神らしく、恋愛成就の神でもあるそうです。
『日本の神様読み解き事典』によると、この神様は
「朝鮮の万神」
であり、「覡(げき/男のシャーマン)」が日本に渡来して変化したお方だそうです。
それが何故傀儡師の守護神になったのかは不明ですが、人形自体が半島から入ってきたのではないか、それと関係があるのではないか、ということです。
あんまり重要視されていないからなのか、知られていませんよね。
他に祀られているのは、日本の各地で見られる、オーソドックスな神様を集めてみましたという感じです。
「織田信秀(信長の父)は菅原道真公を深く信仰し、京都の北野天満宮より、公の神像を勧進して那古野城中に祠を祀った。これを天文七年(1538)現在の地に移した。愛知県下で最も由緒ある天神社で、元治、宝暦年間や昭和二十年三月の大空襲など三度の戦火にも御神体は氏子により守られ現在祀られている。(後略)」
「神社敬称の由来
(略)
この境内には桜の大樹あり「桜天満宮」といい多くの人々に親しまれてきたが明治維新(1871)神仏分離令の折り「菅原神社」と敬称し明治三十五年菅公千年祭を祈念して「菅原神社」の社碑を建立した。(後略)」
「時分鐘
万治四年(1661)三月 藩命によりここに鐘楼を造り昼夜十二時に鐘をついて時をしらせた 鐘は鍋屋町水野太郎左衛門藤原則重の作であった。然し宝暦十三年(1763)の火災で焼失した 翌明和元年 藤原孝政 鐘を新調し時を知らせた この鐘は特に音色がよく名古屋城下に鳴りひびいたが 明治六年(1875)廃止された」
というわけで、この鐘楼はレプリカですが、
ちょっと見づらいですが、「尾張名所図会」の一枚「櫻天満宮」。
絵の中央やや左に、大きな鐘楼が見えます。
『尾張名所図絵 絵解き散歩』という本にも掲載されています。
そこを見ると、境内社に、
「白太夫 大こく ゑびす 秋葉 庚申」
が祀られていると書かれています。
『尾張名所図会』の、「櫻天満宮」掲載部分の出版は、天保十五年(1844)ですので、決して古くない資料ですが。
「猿田彦」を「庚申」と考えると、加わっているのは「金刀比羅」様と「少彦名」です。
「恵比寿、大黒、猿田彦」と入っているので、二つつけ足して「七柱」にしたかったんでしょうかね(だったら、七福神そのものを勧請すればよろしかろうに……)。
ま、よくわかりません。
平日昼間のオフィス街なんて静かに決まっておりまして、そんな中、時折受験生らしき親子連れが参拝にやってきているのを見ますと、天神様の御神威未だ衰えず、というのを実感します。
さて、名古屋三大天神も、残すところあと一つ。
◯こちら===>>>
http://heartland.geocities.jp/yuchan1025/nagoya3tenjin.htm
こういうことを続けているうちに、
いつか「百観音」制覇とかしたくなっちゃう
んだろうなぁ……ああ、「さざえ堂」よ、名古屋にも……。