べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「鎧神社」

12/28。

「筑土八幡」の次に向かったのは。

「鎧神社」

 

◯こちら===>>>

鎧神社(よろいじんじゃ)公式サイト --平将門の鎧が眠ると伝えられる北新宿の神社--

 

鎮座地は、北新宿。

というわけで、JRで大久保まで行きまして、ぶらぶらと歩く……んですが。

スマホで地図を見ていても、どうにも神社がありそうにもない入り組んだ住宅街に導かれて行きます。

 

火事があったら消防車入れるのかなぁ……。

 

というところが、大東京にはいくつも存在します。

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ありました(よかった)。

神社の大部分は、南面しています。

冬であることを考えると、そろそろ陽が落ち始めていることが分かる写真です。

テントの存在が、

 

師走の忙しさ

 

を物語っています。

本当にすみません……。

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祭神

日本武命 大己貴命 少彦名命 平将門

 

当社は江戸時代迄、鎧大明神と称して此の辺りの古社として人々の尊崇を受けて来たが、鎧の社名は日本武命東征のおり、甲冑六具の内此の地に蔵めた事より社名起こると伝えている。天慶三年(940)関東に威を称えていた平将門公、下総猿島に亡びし時、土俗の公を追慕して天暦(947)の始め、将門公の鎧も亦此所に埋めたという。別記によれば将門軍残党を追って此地に来た藤原秀郷、重病を得て悩み苦しんだ時、是れ皆将門公の神霊の怒り也と怖れ、薬師如来を本尊とする円照寺々内に公の鎧を埋め、一祠を建てて厚くその霊を弔った所、病い悉く癒えたという。これを聞いた里人達その神威のあらたかなるを畏み、柏木淀橋にかけての産土神・鎮守の社として深く信仰して来たものである。明治初年将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する。(略)」

 

神社でいただけるパンフレットには、

 

「創建は醍醐天皇の時代(898〜929)、貞崇僧都により、行基作薬師如来像が祀られて円照寺が創建され、その寺の鬼門鎮護のために当社が創建された」

「江戸名所図会には『相伝ふ、藤原秀郷将門を誅戮し凱旋の後、将門の鎧をこの地に埋蔵し、上に禿倉を建てて鎧明神と称すというふ。社前に兜松と称する古松あり。これも兜を埋めたる印と云ふ」と記されている」

 

とのことです。

本来、平将門公をお祀りした神社ではなかったんですね。

なお、東国には、「日本武尊」をお祀りした神社が多いと聞きます。

蝦夷征伐に力を注いでいた時代、というのがありまして。

どうもその頃に、かつて東国遠征を行なった「日本武尊」をお祀りし戦勝祈願することが流行したのでは、と言われています。

ということは、少なくともその時代、既に「日本武尊」は、伝説の人になっていたんですね……。

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拝殿は平入で廂もない、というのが案外新鮮かもしれませんな。

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向かって左側奥に進むと、本殿がかいま見れます。

千木は「外削ぎ」、鰹木は「五本(陽数)」、ということで男神をお祀りしているのだろう、と想像できます。

あまり大きくない本殿、むしろ可愛いくらい。

鎧は「埋められた」はずですので、本殿の中にあるはずはないのですが、何となく「蔵」っぽいので……あるかも、と思わせます。

 

ちょうど、そのくらいの大きさだし。

 

まぁ、本殿がいつ建てられたのかは調べてないのでわかりませんが、鎧が入っているはずはありません。

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西側の鳥居。

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狛犬がかわいかったので……。

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「陸軍大将男爵奈良武次謹書」と読めます。

Wikipediaに項目があったので、各自ご参照を。

「日本武命」、「平将門公」、と日本が誇る武人二人がお祀りされておりますので、さぞ軍(特に、陸軍かな)の崇敬篤かったことでしょう。

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末社として「稲荷神社」「三峯神社」「子の権現」があります。

それぞれ、「宇迦御魂命」「伊弉諾命、伊弉冉命」「大国主命」、だそうです。

「子の権現」は、「ねのごんげん」です。

大国主命」の神使は「ネズミ」ですから(「根の国」で命を助けたので)、

それにしても、一匹目の狐が踏んでいるのはなんでしょうな……うーん、浅学浅学(誰か教えてください……自分で調べるか)。

 

 

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そして、境内から一度出て、すぐ西隣に「天神社」があります。

菅原道真公」をお祀りしています。

神社のパンフレットによれば、「元々は北柏木公園に鎮座していた」そうです(その後に、成子に移されて「成子天神」になったそうです)。

このお社の両脇に、

 

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と、一対の狛犬が置かれております。

これがどうやら、

 

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狛犬庚申塔らしく、非常に珍しいと。

元々「庚申信仰」は、ええと、体の中にいる虫が庚申の日の夜に、人が眠っているうちに体から抜け出して天に昇って、その人の悪行を神様に告げ口するので、それを防ぐために、

 

徹夜

 

で行をしよう、というものです(生活を改めるのではない、ところが人間素敵)。

それが猿と結びついたのは、もちろん「庚申」の「申」が「さる」だからなんでしょうけれど。

確かに、「犬」を「庚申塔」にする、というのはあまり聞いたことがありませんな。

意味がある……というよりは、

 

かっこいいんじゃね?

珍しんじゃね?

粋じゃね?

 

みたいなノリだったんじゃないかと思ったりします。

いや、知りませんけど。

 

歴史があって、しかも地域に密着している、という様子がうかがえて、何となくほっとした感じです。

お忙しい中に御朱印をいただいて、神職他のみなさんにはさぞ迷惑だったことでしょう……。

 

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ところで、

 

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こんなチラシがありましたが……一瞬だけ、

 

「どうした、東京都神社庁?!」

 

と、いろんな人の正気を疑いました。

が、『ぎんぎつね』というアニメとのコラボなんですねぇ……。

 

にしたって、大丈夫か、本当に?