10/20。
よんどころない事情までまだ時間があり、大宮からの帰途、さてどこに行こうか……としばらく迷っていましたが。
思い出しました、目黒です目黒。
というわけで、目黒駅まで向かい、そこからは徒歩。
雅叙園などを見ながら、大雨で激烈に重くなっている上にサイズが今ひとつ合わないブーツで来たことを後悔しつつ。
都内だというのにひどく入り組んだ路地を歩かされまして。
たどり着きました、「泰叡山瀧泉寺」。
◯こちら===>>>
http://park6.wakwak.com/~megurofudou/top.htm
いわゆる、「目黒不動尊」です。
境内に入ると、「甘藷まつり」の文字が。
どうやら、青木昆陽のお墓があるようです。
しかし「甘藷まつり」、大雨で中止みたいでした。
結構急な石段を登りまして。
到着〜。
ずぶ濡れです。
何分にも、堂宇内の撮影ができませんのですが。
HPによれば、
「当山の開基は、今から一千百余年前の平安時代(808)にさかのぼります。十五歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。
その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。
(ご尊像は秘仏として十二年に一度、酉年にご開帳されます)
その後、大師は唐(今の中国)の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立します。棟札に『大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久』と認め、この「瀧泉」をもって寺号と成し、山号は清和の御代に「泰叡」の勅額を賜り、泰叡山と称しました。」
とのことです。
「五色不動」の一つとしても有名です。
◯こちら参照===>>>
ぜひとも全て回ってみたいものです……。
さて、堂宇内は写真に撮れませんので、外側を。
ぜっんぜん見えませんけれども、「大日如来」です。
本堂の後方に祀られておりました。
案内板も、金属製なので、写真に撮ったら全然読めません……。
もともと、「不動明王」は「大日如来」の教令輪身(如来に変わって、仏法を聞かない強情な衆生を、忿怒の顔でもって折伏する、という、豪腕なお方達=明王)ですので、同時に祀られていても不思議ではないです。
こちらの「不動明王」は秘仏で、その背後に「大日如来」がある、という構図が、ちょっと面白いかな、と。
背後より威徳を発するのはまさに太陽のようですね。
で、それより背後には、「地主神」をお祀りしています。
ちゃんとしていますねぇ。
ぐるっと回って本堂。
本堂回りにも、様々な仏像等があるのですが、とにかく雨がひどいので、あんまり写真が撮れません。
仕方なく階段(男坂、という急な方の階段だったようです)を下りまして、さらに境内をうろうろ。
でかい水たまりが行く手を遮ります。
「独鈷の滝」。
慈覚大師が「独鈷」(という、密教での加持祈祷等で使われる法具です)を投げたら、そこから水が湧き出た、という伝説があります。
この手の伝説は、日本中にあります。
「独鈷」あるいは「三鈷」を投げると、そこから水が湧いたり、松が生えたり。
「杖立伝説」と同じですね(杖を突き立てたところから水が湧いたりします)。
密教、あるいは山岳宗教を信奉していた人々は、水脈や冶金の知識を豊富に持っていると考えられていました(だから、山に籠る)。
彼らのその能力への畏敬から生まれた伝説……かもしれません。
「独鈷の滝」の脇にある、「瀧泉寺前不動堂」。
中には「不動明王」三尊立像が安置されているそうです。
……なんで、本堂手前にこんなお堂が?
理由がよくわかりません。
よくわかりませんが、「前不動堂」の狛犬(?)が、何故かしょんぼり加減の犬だったので、思わずぱしゃり。
他にも境内には、北一輝を顕彰した、大川周明による碑があったりします。
こちらは「勢至堂」。
「勢至菩薩」をお祀りしています。
案内板がぶれまくって見えませんが、本居長世の碑です。
この近所に住んでいたそうです。
案内板には、「十五夜お月さん」の作曲について書かれています。
他の作曲については、検索してください。
妙に風情のある「腰立不動」。
立身出世にご加護があるらしいです。
ご自身のお堂は今ひとつ出世していないところが、奥ゆかしいといいますか。
そして、我ながら集中して撮影しました「神変大菩薩」すなわち「役行者」。
1796年の、銅製の像です。
それだけで何だか珍しい。
すすに汚れているのか、黒い石に朱文字がまた映えますなぁ。
「倶利迦羅剣」もあります。
年配の方に「倶利迦羅紋紋」といえば、どんな彫り物かすぐに想起されるのではないかと思います。
本来は「倶利迦羅龍王」という龍で、「不動明王」の持つ剣(慧剣、智火の剣)に絡み付いている姿で描かれます。
「仁王門」を、何故か内側から。
狛犬がいます。
寺の楼門、外敵から護るのは金剛力士で、内側には狛犬が安置されていることが多いです。
何ででしょうねぇ……土地の神様を外に出さないためなのか……。
そもそも、金剛力士で護っている以上は悪いものはそうそう入れないんです。
にも関わらず、内側にも門番である狛犬を置くのは、どういうメンタリティなのでしょうか。
他にも境内には、
「恵比寿様」、「大黒様」、「弁天様」を祀った「三福神」を祀ったお社や、
「お稲荷さん」、
「豊川稲荷」、とあります。
江戸最古の「七福神」は、目黒にあるそうで、こちらはその中の「恵比寿」をお祀りしています。
ちなみに、東京渋谷区の「恵比寿」は、「ヱビスビール」が由来です。
境内を少し出ると、「比翼塚」があります。
かなり有名らしいのですが、全く知りませんでした。
「比翼連理」が「長恨歌」に由来していることくらいは、何とか記憶していますけれども。
この権八さんと小紫さんのお話は、お芝居にもなって(芝居にしたのは、鶴屋南北らしいですが)、『浮世柄比翼稲妻』というらしいです。
全く知りませんでした。
その中の一幕、「鈴が森」のシーンが有名らしいです。
全く知りませんでした。
「雉も啼かずば討たれまい」
という名ゼリフが出てくるそうですよ。
あ、それは知ってるな……。
近松門左衛門は何作か読んだけど、そういえば浄瑠璃や歌舞伎は見たことがありません。
修行が足りませんなぁ……。
◯こちらを参考にしました===>>>
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17
さて、江戸の「五色不動」が、全然方角と一致していない、というお話です。
「五色不動」というと……『虚無への供物』を思い出しますね。
……あれ、『匣の中の失楽』だっけ。
ええと……。
詳しく考え始めると頭が痛いので、とりあえずここまで!!
あ、そうそう、「独鈷」や「三鈷」といった金剛杵は、こういうものです。
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