7/11。
いいお天気に恵まれましたので、ちょっと遠出を。
行き先は、「関善光寺」。
○こちら===>>>
「六善光寺巡り」の四番目です。
駐車場近くにある石柱・石碑。
名所に選ばれているようです。
こんな感じで、立派な石垣の上にあります。
登り口。
案内板。
寛政十年(1798)四月信州善光寺大勧進等順大和尚が当山に出開帳されたのが縁で、本山善光寺堂を模して、約十ケ年を費し建立せられ、東京上野輪王寺門跡公澄親王の御念持仏、一光三尊善光寺如来像を御分身としてお迎えし、七年目毎に秘仏御本尊の厨子の扉を開き大開帳を執行しております。」
結構新しいのですね。
パンフレットによりますと、「関善光寺」の起源は、
「1753年宝暦年間、関の新屋広瀬家新太郎が、祖父母供養のため一建立で建てられたのが大仏殿(旧本堂)。祖父母の戒名より山号を妙祐山、寺号を宗休寺と称します。その約50年後の寛政年間に長野善光寺大勧進等順大和尚が出開帳の際に立ち寄り、たくさんの方のお参りがあったのがご縁となり、10年余りの歳月をかけて落慶したのが今の本堂。この本堂、長野善光寺とそっくり、約3分の1の大きさで、ミニ善光寺として親しまれております。」
とのことです。
「ミニ善光寺」……っていうのはどうなんでしょう。
もちろん、内部の写真はありません。
日本で唯一の「卍戒壇」にも挑戦(?)してきました。
「関善光寺」では、手の甲に寺紋を蓄光インクで描いたシールを貼っていただきます。
もちろん、そんなものはまったく役に立たないピッチブラックなんですが。
再びパンフレットより、
「卍型戒壇巡りとして日本唯一のもので、長さ四十九メートルに及び、古くは律僧の内観行の場といわれ此の暗所の道をたどることによって人間の心身を清め弥陀に導かれて必ず極楽へ往かして戴けるという信仰から、特に内にある仏性の鍵にさわると幸運に恵まれ、信心に依り一切の罪が消滅する現当二世(あの世もこの世も)の御利益を得ると信じられ多くの善男善女の戒壇巡りが後を絶ちません。」
「善光寺」をはじめ、各地にある戒壇巡りは、基本的には一直線ですが、こちらは「卍」です。
うまく図にして説明はできないんですが、
○こちら===>>>
↑の記事を参考にしていただければと。
壁や手すりを手掛かりに進んでいくので、曲がるタイミングはわかるのですが、暗闇の中で自分の方向を転換するのはなかなか勇気がいります。
暗いのに、視界がちかちかしてめまいを起こしそうでした。
天井が低いので、無駄にでかい私は屈まなければならないし。
面白い……という言い方はおかしいかな、とにかくなかなかない体験でした。
戒壇巡りは全国に50カ所以上あるらしいですね(そんなにも……)。
多分、世の中には「戒壇巡りマスター」がいらっしゃるのでしょう。
その方はもはや悟りを開いているかもしれません。
煩悩まみれの凡俗には程遠い境地です。
この渡り廊下みたいなところに、境内社である「龍頭稲荷」の鳥居がくっついている、というよくわからないおもしろ構造。
はい、実は「十王堂」なのでした。
好きなんですよね、「十王堂」。
いや、
↑こんな漫画が大好きなもので(てへっ)。
近くで見たかった……(ひょっとして、登れたのか……?)。
横から如来堂。
「龍頭稲荷大明神」。
……うーん、なんだかなぁ、な作りです。
まぁ致し方ないか……。
「明和五年五月新屋新太郎創建」とあります。
明和は宝暦のあとのようなので、「宗休寺」建立のあとに勧請されたようです。
その隣にも小さなおいなりさんが。
境内で見かけた海老反り狛犬。
旧本堂大仏殿「摂取殿」。
活字の案内板から、
「比叡山智堂大和尚を開基として宝暦三年(1753)一品親王の命により大垣市青墓竹本院の古跡を安桜山麓の当所に移し、名主新屋広瀬新太郎利忠が祖父母の供養の為に建立せられました。御本尊の丈六阿弥陀如来は木像仏として県下最大、約五百年前の作で、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩と共に岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置され、その御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行基菩薩御作といわれ、「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。」
故郷は平泉ですか〜。
なんとなく、それだけでありがたい気がします。
その他、境内を巡りますと、
岸壁の中の「如意輪観音」、
行者堂。
我国修験道の始祖、西暦634〜701舒明〜大宝年間の人。大和葛城に生る、幼少より三宝に帰依し、葛城山の岩窟に隠棲、草衣木食して心身の垢離をとり、秘法を修すること三十年、孔雀明王の像を拝し、遂に呪術を以って鬼神を駆使するに至る。富士、金峯箕面の各山等々を登攀跋渉す、今日本各地の霊山に役行者の祀らざるはないとさえ謂れる。
美濃篁講 関善光寺」
わりとしっかり「神変大菩薩」の解説があったので驚きました。
「美濃篁講」の篁は「小野篁」でしょうか?
「役行者」と「小野篁」って、当時の超能力スーパースターって感じですよね。
共通点すら感じます。
……どうやら藤川桂介のせいだったようです……。
鐘楼を見上げてみました。
「宝冠大日如来
仏教文化華かなりし唐の玄宗時代(約1200年前)に鋳造された仏像中で名作といわれ、我が国では極めて珍しい高さ約五メートル、千十三体の仏像を浮刻した大蓮台の上の慈眼温容の金銅坐像で、平成八年四月に落慶した八角の堂内に御本尊として安置され、結ばれた印形も非常に珍しく金胎両界に通じる霊験あらたかな仏像です。」
通常、「金剛界大日如来」は智拳印を、「胎蔵界大日如来」は法界定印を結ぶ、とされています。
パンフレットの写真では、独鈷印(九字の「臨」)に近い印契ですが、正確にはなんと呼ぶのか私は知りません。
この左端、元々の台座っぽいです。
太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製(1540)の浮刻あり、明の十二世、世宗の時代の鋳造で重さ三トン県下最大の大梵鐘で国内で数少ない名鐘の一つ、鳴り響く鐘声は、世界平和、国家安泰、仏法興隆を祈願しております。」
実際に鳴らすことができます。
大陸製っぽいのは、鐘の下の方に八卦のレリーフがあるところ、でしょうか。
鐘楼からの風景。
手前の階段っぽいところを進んでいくと、四国八十八ケ所分身巡りができます。
弘法堂から鐘楼。
全景。
駐車場からの眺め。
寺というより、ほぼお城です。
駐車場近くにある、安桜山遊歩道の案内図。
お寺がいくつか集まっているようです。
巡ってみると面白そう。
それより面白かったのは、この案内図の解説。
「……とりわけ本堂の下には卍戒壇(まんじかいだん)があることは有名です。入場料を払って中に入ると、1メートルもしないうちに真っ暗闇の中です。いわゆる迷路なのですが、中程にある「鍵」を触って帰って来ると厄払いができるそうです(確か記憶ではそうだったと思う)。……」
「いわゆる迷路なのですが、中程にある「鍵」を触って帰って来ると厄払いができるそうです(確か記憶ではそうだったと思う)。」
いや、そこに実物があって、住職さんがいらっしゃるんだから、聞いてこればいいじゃないか。
2007年の関青年会議所のみなさんの鷹揚さが伝わってきます(?)。
というわけで、コンパクトに詰め込んだワンダーランドな「関善光寺」。
比較的新しいお寺だからか、文献でなかなか引っかからなかったので、今回は引用はなしです。
これで「六善光寺」も四ヶ所目踏破(?)。
残りは「元善光寺」と「甲斐善光寺」……長野はともかく、山梨はなかなか遠いな……。