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高校時代を過ごした地域でありながら、あんまり知らない名東区。
というわけで、名東区の史跡をちょいと廻りましょう。
神明社。
その氏神様でございます。
○名東区歴史散策コース===>>>
http://www.city.nagoya.jp/meito/page/0000000753.html
由緒書によりますと、
当神明社は、正和年間(西暦1300年)以前に創建された御社で、花園天皇時代に、猪子石字水汲坂に鎮座とある。御所より奥三河猿投山中御巡幸の途中にて香流川の清水を汲み御休憩された所と記されている。
以後香流川の大洪水に会い、御社殿が壊れそうになり、後水尾天皇(安土桃山)時代に上八反田に鎮座する。
当社は猪子石地内の氏神様として明治二十年頃三百戸、部落数十二地区とある。(以下略)
御祭神
天照皇大神 豊受大神 日本武尊命 須佐之男命 大山祇神 菊理姫命
とのことです。
社格的には、どうなるんでしょう……村社ですかね。
拝殿は、比較的新しいですが、銅葺屋根の広さが何とも美しいですね。
本殿は平入り、それ以上の様式は私にはわかりません。
境内には、「英霊社」と、
「龍耳社」があります。
この「龍耳社」、
明治の初期、名古屋市守山区小幡の畑市左衛門氏が、三河碧海郡(現在の碧南市)堤村弁天池にて生け捕りにされた、蛇に耳があるご神体を、御社で「耳の祭神」として祀られたもの。
だそうです。
Wikipediaによると、堤村は「高岡村→高岡町→豊田市」と変遷したようです。
地図を見てみると、豊田市高岡町辺りには、今も堤町という地名が残っていますし、「〜池」という地名が結構あります。
が、この辺り、トヨタ系の工場が軒並み建てられているため、弁天池はもはやなくなってしまったようです。
御神体の剥製でも残っていたら、面白かったでしょうに。
ところで……
なんで「蛇耳社」じゃないんだろうね?
語呂かな。
「弁天池」で捕まった、ということで「龍神」扱いなのかもしれないです。
弁天様は、川の神様でもありますが、そこから水の神様の役割も持ち、龍神と習合しました。
でも、「蛇」も水の神なんですよねぇ……。
耳に御利益があるそうですので、「よく空耳が聞こえる人」とか、「洋楽の歌を聴いていると変な日本語に聴こえる」ソラミミストの方とか、御参りしてはいかがでしょう。
資料館には、前回も紹介した「棒の手」や「おまんと」という儀礼の資料がおさめられているそうです。
○こちら参照===>>>
http://www.geocities.jp/shimizuke1955/313omantobounote.html
さて、地名起源には様々な説話がつきものですが、「猪子石」という地名の起源になっているものが、名東区内では祀られています。
神明社から東に歩くこと二十分ほど。
住宅街の中にぽつんとあるのが、
「猪子石神社」です。
ここで書かれているように、「旧暦十月」(=亥の月)の「亥の日」に「亥の子餅」を作って食べたり、「亥の子石」で家々を回って地面をついたりする、という行事があったようです。
猪(亥)を何故山の神とするのか、ということについては、吉野裕子氏『山の神』に、陰陽五行・十干十二支から解明する優れた論考があるので、興味のある人はそちらをご参照くださいな。
さて、「牡石」。
猪に似た石、ということでそう呼ばれているそうで。
…
……
………
似てますか?
この「牡石」、触ると「祟り」があるそうで。
もちろん、触りませんでした。
住宅街にひっそりと、というのが何となく将門公の「首塚」を思わせる佇まいでした。
さて、「牡石」があるということは、当然「牝石」もあるわけで。
「猪子石神社」から北に十五分ほど歩いたところに、
「大石神社」があります。
こちらが「牝石」。
小石が付着していることから「子持石」とも呼ばれたそうです。
撫ででもいいそうですよ、こちらは。
やっぱり、猪には見えませんが。
……フジツボ?
罰をかぶるなこりゃ……。
「大石神社」の敷地内には、石碑がいくつか建てられています。こちらは、いくつかの神とその下に「○○霊神」と掘られた石碑。
読み取れるのは「覚明霊神」、「普寛霊神」、「儀覚霊神」、「明寛霊神」。
どうやらこれは、「御嶽講」に関わった聖人達のようです。
○こちら===>>>
http://shinden.boo.jp/wiki/御嶽講
http://aichialps.web.fc2.com/ozunu/ontake01.html
http://www.wani-ontakesan.com/index.php?data=./data/l11/
「講」というのは、我々にはなじみが薄くなってしまいましたが、民間信仰の結社のことです。
「御嶽講」、「庚申講」、「富士講」といったものがあります。
これらもおそらく、「御嶽講」に関連したものなんでしょうね。
もう少し、説明してくれてもいい気がしますが……。
かと思ったら、思いっきり「御嶽神社」と書かれた石碑もありました。
何かのタイミングで「大石神社」に地域の神社が集められた、ということなのでしょうか。
こちらも、大きな団地と大きな公園があるものの静かな住宅街にひっそりとたたずんでいます。
山を切り開いても、川を曲げても、<地霊(ゲニウス・ロキ)>はそこに残っている……と思いたいものです。
こちらのサイトには、もっと詳しく情報が載っています。
大変参考になりました(感謝)。
○こちら===>>>
http://www7b.biglobe.ne.jp/kanaregawa/index.html
で。
猪の形をした石があるのに。
なんで「猪石」じゃなくて、
「猪子石」なんでしょ?