べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「別小江神社」(名古屋市北区)〜高速初詣その1〜

1/2。
味鋺神社」の参拝を終えて、初参拝、「別小江(わけおえ)神社」へ行って見ました。

 

こちら===>>>

別小江神社 Webサイト

 

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式内社、ということのようです。

ううむ、知らなんだ……。

 

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「略記
(略)
一、祭神 いざなぎのみこと
いざなみのみこと
あまてらすおおみかみ
つきよみのみこと
すさのおのみこと
えびすのかみ
おおわけのむらじ
(略)
一、特記 延喜式(九〇一〜九二二)社にして古く名古屋市史蹟名勝として指定されている。」

 

なるほど……略記すぎ

 

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ううむ、結構遠い。

 

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正月なので、おめでたい感じ。
実際、とても賑わっておりました。

 

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「別小江神社
当社は「延喜式神名帳」に山田郡別小江神社、「尾張国神名帳」に従三位別小江天神とある式内社で、往古は六所明神と称したという。
祭神は、伊弉諾尊をはじめ六神。
以前は、ここより約三百m東北の千本杉にあったが、天正十二年(一五八四)織田信雄の命でここに遷座したという。昭和二十年の空襲で焼失したが、四十一年に再興。
大祭は、毎年十月十日から三日間。神輿も出て賑わう。
境内末社の一つ、延喜八幡社(祭神は神功皇后応神天皇)は昔から安産・小児の守護神として住民の崇敬が厚い。」

 

こちら===>>>

kotobank.jp

 

戦国時代に疎いので、「織田信雄」が誰なのかわからず、コトバンクさん頼り。

 

『朝日日本歴史人物事典』より、

「没年:寛永7.4.30(1630.6.10)
生年:永禄1(1558)
安土桃山時代の武将。織田信長次男。母は生駒氏。尾張国清洲城に生まれる。幼名は茶筅,通称三介。名ははじめ具豊,のち信雄と改めた。「のぶお」とよむ場合もある。永禄12(1569)年,信長が伊勢国司家である北畠具教・具房父子を大河内城に攻めたとき,信雄を具房の猶子にする約束で講和が結ばれ,北畠氏を称した。以後,越前一向一揆討伐,紀伊雑賀攻め,石山本願寺との戦など,信長の主な戦いに参陣している。天正9(1581)年伊賀平定の功により伊賀3郡を与えられ,翌10年の本能寺の変のときは伊勢にいたが,近江土山まで出て光秀敗死の報を聞き,兵をもどしてしまった。そのころ北畠から織田に復姓している。同年6月27日の清洲会議の結果,織田家の家督は信雄でも,3男信孝でもなく,長男信忠の遺児三法師(秀信)が継ぐことになり,信雄はその後見役として清洲城尾張・伊賀・南伊勢100万石を与えられた。その後,豊臣秀吉と組んで信孝を岐阜城に破り,その後切腹に追いこんだが,やがて秀吉と対立,天正12年には,徳川家康と結び,小牧・長久手の戦で秀吉と戦っている。しかしこのときは単独で秀吉と講和を結び,以後秀吉の越中攻め,小田原攻めに従軍した。ところが小田原攻めののち,家康旧領への転封を拒んで,秀吉の怒りを買い,下野烏山に配流され,出家して常真と号した。のちに家康のとりなしで秀吉の御咄衆となったが,一貫して家康サイドで動き,大坂夏の陣後,家康から大和国宇陀,上野国甘楽・多胡・碓氷郡のうちで5万石を与えられている。叔父の有楽斎(長益)に茶の湯を学び,茶人としても知られる。」

 

……まあ、ざっと読んでもわかりませんが、「織田信長」の次男ということで、いろいろ鬱屈したものもあったのだろうなぁと思います。

 

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いきなり拝殿。

 

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「蛭子社」「金刀比羅社」。
「恵比寿」様と「大黒」様、ですね。
後ろには、御嶽講のものと思われる碑や小さい祠が。
何か、小さい像が隠れておりますが……見えないかな。

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社殿を向かって右方向より。

 

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「清正の石」、だそうです。
「清正橋」の一部……あれ、どこかにありましたね……どこだったかな。

 

こちら===>>>

「味鋺神社(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑ああ、「味鋺神社」でした。
同じ北区にありますので、取り合ったんでしょうか……。

 

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拝殿……ん、幣殿か……。

 

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ご神木……だったと思います。

 

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提灯。

 

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本殿左手。
手前の石鳥居は、手水場の前にありました。
お正月ですので、このテントのあたりで御朱印を描いていただきました。

 

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石標。
やっぱり「別小江神社」と「八幡神社」が並んで書かれているので、どちらも大切にされてきたのでしょう……か。

 

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めでたい感じ。

 

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御朱印
お正月だからでしょうか、勘亭流のようにダイナミックな文字に墨と金泥で絵が……いや金泥かどうかは知りません……あ、そうだ、いただいたこれ、松の葉なのですが、まだ家の高いところに飾ってあります。
神社でいただいたおたよりによれば、

 

「三葉の松
別小江神社には、全国でも珍しいと言われる三葉の松があります。常緑樹である松でありながら黄金色になり落葉することから「金運」を得られると言われます。(以下略)」

 

だそうです。
さきほどのご神木が、その松のようです。
このおたより、安倍昭恵総理大臣夫人が参拝されたという記事もありまして……何といいますか、ナイスタイミングといいますか、本当にこの人はいい人で、あちこちに出かけているのだなぁと……ご本人はクリスチャンでしたっけ?

 

さて。

尾張名所図会』を探して見たんですが、どうもなさそうなので、

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 6 春日郡

 

↑『尾張志』の「春日郡」より引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
56コマです。

 

「別小江神社
延喜神名式に見えて今在所詳ならず」

 

……あれ。
ううむ……。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

↑『神社覈録』を見てみます。
404コマです。

 

「別小江神社

別は和気と訓べし、小江は仮字也、○祭神在所等詳ならず
連胤 按るに、春日郡乎江神社の別宮なるべし、されど今共に在所だにしれずなりしには、いかにともはかりがたし、集説に、物部印葉連之弟大別連歟と云るは例の推量りなるべし、(略)」

 

を……あれ、結局よくわからない。
「物部大別連公」は、『先代旧事本紀』で触れられており、

 

先代旧事本紀 現代語訳

先代旧事本紀 現代語訳

 

 

「この連公は難波高津の宮で天下をお治めになられた天皇(仁徳)の時代に侍臣を承り神宮を謹んでお祭りした。軽嶋の豊明宮で天下をお治めになられた天皇(応神)の皇太子である菟道稚郎子と同腹の妹、矢田皇女は難波高津の宮で天下をお治めになられた天皇(仁徳)の皇后となられたが御子をお授かりにならなかった。それで侍臣の大別の連公に命じて皇子代(諸国の国造の民の一部を割いて皇族名をつけその租税を皇室関係の経費としたもの)を定められた。皇后の名を氏とし、氏造とし改めて矢田部の連公の姓を授かった。」(p262)

 

とあります。
日本書紀』には登場しませんので、独自の伝承なのでしょう(信憑性はよくわかりません)。
「大別連公」から「別小江」、「おおわけ」から「わけおえ」になった、というのはちょっと納得しがたいですが、物部氏勢力がこの辺りまであった、ということなのかもしれませんし、近隣の「味鋺神社」などの物部系伝承によるものかもしれません。
そうなると、「乎江神社」という式内社の別宮という話は成り立たなくなりますので、さてどんなものなのか。
少なくとも延喜の頃に、「別小江神社」と呼ばれた神社があったのは確かです。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 特選神名牒

 

↑『特選神名牒』ではどうでしょう。
166コマです。

 

「別小江神社
祭神 今按社伝祭神六所明神にて大乃伎神社の條に記せるが如くなれど例の疑し別小江神と云に據らば春日部郡乎江神社の別社などにやあらんされど彼乎江神社の所在詳ならねば今決めがたし
(略)
今按一説に春日井郡小田井庄上小田井村にます諏訪社なりと云れどこは固より春日井郡にて山田郡にはあらずと云ひ又更に由緒もなければ従ひがたし安井村の方は本国神名帳に大江天神とあり此村に地名に大江葭山千本杉など云處あれば一つの據とすべくまた浅野長政の父勝行が此村に住て大江八幡を祭りしとき社司稲垣某に與へし免状の文に別小江神社其方は社人の事候間五百文餘令修造云云天正十二申二月十五日勝行(花押)稲垣十太夫殿とあり是亦証するに足れり姑く附て考に備ふ」

 

↑「乎江神社」も所在不明、「別小江神社」も実は所在不明で、「六所明神」がそうなんじゃないの、的なノリで定められたっぽいです。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 西春日井郡誌

 

↑『西春日井郡誌』を見てみましょう。
203コマです。

 

「別小江神社(式内) 萩野村大字安井字東出二百二十番地にあり。祭神伊弉諾尊伊弉冉尊、大日孁命、素盞嗚命月読命蛭子命を祀れる村社なり、一般には大別連を祀るといふ、創始年月詳ならざれども、延喜式神名帳に山田郡別小江神社、本国神名帳に、従三位別小江天神とある官社にして、元は当所千本杉と称する所に鎮座ありしを、天正十二年、織田信雄の命により、今の地に遷座せり、時に修造料五百文を下附せられたり、其証文今猶社内に存せり、慶長十三年、伊奈備前守検地の際、社領を没収せらる。(略)殿宇には神殿、拝殿、祭文殿等あり境内神社に五あり、八幡社(祭神神功皇后及誉田別尊)神明社(祭神天照大神)御嶽社(祭神大己貴命少彦名命)金刀比羅社(祭神崇徳天皇)津島社(祭神須佐之男命)之なり例祭は十月十日とす。
八幡社の由来。当社は元、別小江神社境内に於ける一村社なりしが大正九年六月十五日、其境内神社として合祀せらる、往古神功皇后三韓を征し給ふや、凱旋後、筑紫に於て皇子御降誕あり、其時尾治国造、稲種御産屋に奉仕し御神胞を奉戴して当国春日部郡安井邑に帰り之を千本杉に奉安して、大胞(おほえ)の神と称す。天智天皇の白雉七年九月始めて官幣を奉り後神功皇后及誉田別尊を祀れり、称して延奈八幡といふ永正十七年八月大洪水ありて社殿大破に及びしが、安井郷士浅野又左衛門長勝(旧姓は藤井ならんか)津島に地を賜りて之に移住しこの八幡社も共に遷座したりき、天正十年長勝は、其従姪安井郷士犬飼八郎左衛門秀長と共に信長の命によりて秀吉に従属し、毛利氏を攻めるや、秀長乃ち誉田別の神像を奉戴して出陣し、神瑞によりて姓を浅野と改め、天正十一年、安井に帰りて社殿を造営し、奉戴せし所の神像を奉安せり、又是と同時に津島より神功皇后の神像をも遷座合祀せしものなり。(略)
爾来当社は軍神として、武運の長久を祈る将士の崇敬特に厚く、祭祀料又は神領を奉り、社殿を造営する等の事、古来屢々行はれたるが如し、尚世俗安井の里にて出来し藁を、産褥に敷く時は、安産疑なしとて、今尚其の説の盛に行はるるは、蓋し当社の由来より出しものならん。
現今安井には、犬飼、浅野の性最も多く、毎歳八月十五日には、犬飼祭りとて、此の一族の祭典ありて、村民に神酒を施與す。」

 

神社でいただける由緒書にも同様の記事があります。

 

「往古神功皇后三韓を征し給ふや、凱旋後、筑紫に於て皇子御降誕あり、其時尾治国造、稲種御産屋に奉仕し御神胞を奉戴して当国春日部郡安井邑に帰り之を千本杉に奉安して、大胞(おほえ)の神と称す。」

 

↑ここにある尾張国造の「稲種」というのは、「日本武尊」の妃の一人「宮簀媛」の兄「建稲種」になるのでしょうか……ちょっと年代設定に苦しい部分がありますけれども。

とにかく、胞衣(えな)を祀ることで「大胞(おほえ)」と呼ばれた神社ができ、それが地名の由来にもなり……で、「別小江」にもつながっている、という感じでしょうか。

うーん……難しい。

尾張国神社考』(原題「尾張国神名帳集説本之訂考、ブックショップマイタウン発行)には、やっぱり所在がわからず、と書かれており、どうも江戸の末期には「別小江神社」と呼ばれている神社はなく、「六所明神」がそれで、国学の隆盛やら何やらで式内社同定が熱心に行われるようになってきて、改めてここがそうだ、とされたのではないか、と思います。

延喜式の頃の「別小江神社」かどうかはわからないけれども、地域的なもの、規模的なものなどから考えて、蓋然性は高い、ということでしょうか。

物部系の神、というのは後付けのように思われますが、この辺りに物部氏の影響が大きかった可能性も十分にありますし、うーん、もうちょっと尾張の物部系氏族について情報がないと、妄想もできませんですね……。

今度は初詣でなく、もうちょっとゆっくりお参りしたいものです。

 

 

さて、そろそろ……いえいえまだまだ参ります。

「味鋺神社」(名古屋市北区)(再)〜高速初詣その1〜

(通常営業です)。

 

1/2。

「星神社」の参拝を終え、まだまだイケる俺イケると時刻に勇気付けられ、ふと思い出した味鋺神社」に向かってみました。

 

こちら===>>>

「味鋺神社(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

 

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こちらも氏子さん、地域のみなさんで賑わっており、あまり写真を撮ることもできず、恐る恐るお願いしてみると、御朱印はいただけました。

 

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御朱印

 

 

さて、前回は『尾張名所図会』を引用していますので、今回は別ラインから。


こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 6 春日郡

 

↑『尾張志』の「春日郡」より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

52コマです。

 

味鋺神社
味鋺村にありて今は六所権現と称す 大日孁尊日本武尊建角見命天児屋根命武甕槌命誉田天皇の六所也神名式に春日部郡味鋺神社尾張国神名帳従三位味鋺天神と見えたり末社神明社春日社天道社天神社山神社八幡社八龍社三狐神社あり」

 

おっと、わりとあっさりめでした。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

↑『神社覈録』はどうでしょうか。

400コマです。

 

味鋺神社
味鋺は安智麻里と読り、(古點にミマリとあるは誤也) ○祭神味間見命歟 ○山田庄味鋺村 (府志云、鋺今俗作鏡者非也、されど集説に、味鏡と書てアチマと唱ふると云り) に在す。今六所明神と称す、○旧事紀、(天孫本紀)宇摩志麻治命、亦云味間見命、集説云、按、物部氏祖味間見命也、と云るは然るべし、張州府志に、祀大日孁尊、日本武尊、建角見命、天児屋命武甕槌命、誉田天皇と云るは例の信がたし、伴信友云、宇摩志麻治命に対へて思ふに、味鋺も宇麻志麻里ならむか、されど村名の今の唱には叶はずと、(速胤)按るに、さることながら、是等こそ後世訛れるに違ふまじけれ、(以下略)」

 

物部氏の祖先「宇摩志麻治(うましまぢ)命」の父神は、古代史妄想で大人気の「饒速日命」です。

天神で、「長髄彦」と仲良くなったんですが、結局彼を裏切って「神武天皇」に降ったお方です。

その辺りの神話については、いろいろな方がいろいろな説を唱えておりますので、各々確認していただければ、と。

軍事を司ったらしき物部氏が、原大和朝廷において大きな勢力だったことは、疑いないところかと。

さらに、いつの頃かはわかりませんが、東国にも影響力を持っていたようで、当然尾張にも。

で、「延喜式神名帳」でも、「物部神社」というのが尾張国式内社としていくつか掲載されている、と。

この辺りのことをいろいろ調べてみたいな、と思いながら、なかなかできておりませんで……もちろん記録はそれほど残っていませんので、もっぱら妄想になるのですが。

うーん……関裕二氏にまかせておけばいいような気もしてきました。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 西春日井郡誌

 

西春日井郡誌』も観ておきましょうか。

200コマです。

 

味鋺神社(式内)楠村大字味鋺字堂前九百十一番にあり、宇麻志麻治命、大日孁尊、日本武尊、別雷尊、天児屋根尊、武甕槌命、品田別命を祀れる郷社にして、鎮座年代不詳と雖も、延喜式神名帳に山田郡味鋺神社、本国神名帳従三位味鋺天神、尾張旧記類従に従二位上味鋺天神とある官社なり、記録湮滅して由緒分明ならざれども古昔は、護国院の住職兼て神に仕へ居たりと覚ゆ、造営につきても、享和三年宝暦、寛延三年等の棟札を蔵すれども其以前は明ならず、
(略)
境内社としては、神明社(祭神天照大神)、洲原社(祭神菊理姫尊)、熱田社(祭神日本武尊、倭姫、大山祇神)、金刀比羅社(祭神大物主尊)、秋葉社(祭神火具土尊)、津島社(祭神須佐之男尊)等あり。
例祭は十月九日にして、当日神事として、古は宇麻志麻治命御陵墓と言ひ伝ふる今の東春日井郡勝川町なる二子山へ、神輿の渡御ありしが今は其の東方なる東八龍神社(味鋺の南端にある御旅所へ)御幸あり、渡御の次第は、榊、獅子、頭、紅白数十旋の旗、鉾、弓等を持ちて行列を作り、子供伶人音楽を奏して、之に随ひ、神輿の前を進む、神輿の後方には、甲冑騎馬の武者数人、裃を着けたる者一人供奉す、之を御旅といふ、渡御の式終りて、流鏑馬数番あり、馬場にて騎射を行ふ、式頗る古風にして、其の名遠近に伝はれり。」

 

↑神社の案内は、この辺りを参考に書かれているような気がします(あ、逆ですね……『西春日井郡誌』が社伝を元に書かれている、と)。

どうやら二子山が、「宇摩志麻治命」の陵だと考えられていたようで、うーんどうなんでしょ……一度行ってみないことには、ですね。

それでは、『尾張国神社考』(原題「尾張神名帳集説本之訂考」、発行:ブックショップ「マイタウン」)より。

79ページ。

 

従三位味鋺(うましまりの)神社天神 [集説云]味鋺村六所明神 [鹽尻記云]いせ、やはた、春日、加茂、鹿島、熱田の六所といふものは後也。社僧護国院(略)
[正生謹考]あしまのみやしろと読奉るべし。あじまの地名は、もとは神名に出たり。此地上古に美麻治命の領たまひしに歟。崇神天皇の御宇、その神を祭る宮代を立賜ひて、則うましまちの神の社といふ。其後春秋を経てウマシマリと訛る、(略)そのうましまぢの語自然に約りてあじまと成有なり。ウマの約阿、マリを下略す(但しあじまのしは、うましのし也。あぢのちにはあらず。)延喜式味鋺の文字を下せるも正字にあらず、美味(うましうやし)は旧来の讃称也。鋺はまりにて、其頃祭器に玉椀、大鋺などあれば、取あへず塡たる物也。二宇連聲の熟語にはあらず、予始におもひしは、あじまは網島ならむ。(西園方に細曳(あびこ)村網干村などあれば)と思ひ詰たりしが、中々に神名の方まされり。集説本出口延経案。物部氏ノ祖、味間見命也(略)といふはいひざま迂遠し、(略)」

 

津田正生翁は結構独自の説が多いので、なかなか全部を信頼するわけにも参りませんが、「味鋺あじま)」という難読地名の起源として、往時から共通認識として「うましまぢ」「うましまで」という物部氏の祖の名前なのではないかと考えられていたようです。

そもそも、「宇摩志麻治命」という名前自体が結構特異なもので、「ウマシ」はわかるとして、「マヂ」「マデ」ってのはなんだろう……「ニギハヤヒ」との繋がりもあまり感じられませんし。

とはいえ、記紀神話にも登場するので、大和朝廷的にはオフィシャルな「ウマシマヂ」。

オフィシャルとはそれが正しいというわけではなく、「正しいと決めた」というだけなので、何らかの作為があってもおかしくはないわけですが、記紀神話成立時期にはまだそれなりに勢力をもっていたと思われる物部氏も、その作為は飲み込んでいた、と。

後に『先代旧事本紀』という、物部系を重視した歴史書が登場しますが、ここでも「宇摩志麻治命」はそのまま登場しており、この時代になると物部氏(それに近い氏族)でも、祖先の名前が失われていたのではないか、と思われます。

先代旧事本紀』では、尾張氏も同系統だ、ということになっています。

そうした認識がもともとあったもので、それを元にして『先代旧事本紀』が書かれたのか、あるいは『先代旧事本紀』の影響から物部氏尾張氏が同根ということになったのか……「物部神社」が古くから尾張にあったことは疑いないようなので、『先代旧事本紀』の元ネタがこの認識だったのでしょう。

ただ、この「同じ氏族だ」、という主張が、高田崇史的に考えれば、「もともと同族だったわけではなく、ある時代に合流した別氏族だったのだろう。それも、平和的に好ましい合一がなされたかどうかはわからない」、要するに物部氏尾張氏を征服したのではないか、とも考えられるわけです。

物部氏側の認識として登場する系譜で、尾張氏側にはそういった主張は残っていないようですから。

うん……これ以上は知識不足を露呈するだけなのでやめときます……もうちょっと掘ったら面白い妄想が浮かびそうなのですが……。

 

まだまだ続きますよ〜。

近況

6/4。

 

よんどころない事情で、西へ。

 

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まあ、↑これなんですけれども。

 

○こちら===>>>

『第34回世界遺産劇場ー嚴島神社ー 平清盛公生誕900年前年祭 - 紅沢たつきち商店

 

↑参戦するべく、広島へ。

 

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広島駅付近の神社をいくつか巡り、その間にiPhoneの調子が悪くなって焦り、何とか持ち直したのでホテルにチェックインしていざ宮島へ。

船の上からは、スマホのカメラではこのあたりが精一杯。

 

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逆光清盛公。

 

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狛犬さんズ。

 

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暮れゆく瀬戸内。

 

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狛犬さんズその2。

 

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暮れゆく瀬戸内その2。

 

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突然の狛犬さん。

 

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「清盛神社」方面。

 

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ひょっこり狛犬さん。

 

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闇の中の狛犬さん。

 

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青くしたら結構いい感じに。

 

ふう……昨日(6/5)、早起きできたら、早朝に「嚴島神社」を再訪して、御朱印帳を購入して、市内の神社をもう少し回って、帰宅しよう……と目論んでいたのですが、かなりぐったりで起きられず、腹も痛いので、用心しぃしぃ帰宅しました……残念。

夜の「嚴島神社」を間近で見ながら写真が一枚もないのは、ライブ中の撮影禁止だったからで、いずれどこかにライブの様子がアップされたり、WOWOWで放送されたりしますので、気になる方はそちらをご覧ください〜。

 

「星神社」(名古屋市西区)(再)〜高速初詣その1〜

1/2。

「宗像神社」の参拝を終えて、ますます名古屋の端っこに。

「星神社」です。

 

○こちら===>>>

「星神社」(西区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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正月、やはり人出は多かったです。
駐車場が整備されつつありました。

 

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由緒。
前に転記しています。

 

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御朱印

 

 

ええと、参拝者が多かったので、写真は以上です、はい。

 

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ちなみに、七夕飾りもいただいてしまいましたよ。

 

 

さて。
尾張志』をざっと見てみたのですが、記事がどうも見当たらない。
結構特徴的な神社だと思うんですけれど。
それでは、と検索してみたら、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 西春日井郡誌


↑『西春日井郡誌』より。

204コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「星神社、山田村大字上小田井字屋敷一番地にあり、大己貴命、天香々背男牽牛織女を祀れる村社なり、暦応四年辛巳十二月右近衛中将藤原実秋造営すといふ、一説によれば、式内坂庭神社は即ち此社の事なりと、
弘安三年兵燹に罹患り縁起宝物等悉く烏有に帰せしかば、其の由来を知るに由なし、仁和年中、大江音人の苗裔、大江政盛の子、大江五郎政輝此の里に住し、大に此神社を敬信し、京に帰るに当り一社を造営せり、是即ち今の境内神社、天神社なりといふ、古来眼病者の祈願、頗る多く、又陰暦七月七日には七夕祭を執行し参拝者雑沓す、境内一千百六十五坪、老樹多く森厳の地たり、神殿、祭文殿、廻廊、拝殿、社務所あり、境内神社に天神社(祭神少彦名命)、神明社(祭神天照大神)、津島社(祭神須佐之男命)、金刀比羅社(祭神大物主命)、秋葉社(祭神火具土命)、稲荷社(祭神倉稲魂命)あり、例祭は十月十一日とす、(以下略)」

 

うーん……神社の由緒とほぼ同じでしょうか。
眼病に霊験あり、というのは新しい情報のように思いますが、これは星(遠く)を見ると目がよくなる的な言い伝えでしょうか。
弘安は13世紀、暦応は14世紀、社伝ですから差し引くとしても、かなり古いと思われます。
それで「星」を祀る神社……現在は庄内川沿いにありますが、昔はどうだったのか、それほど移動していないとすると、「星」、「川」、「織女」というセットが何か関係しているのか……北区には「多奈波太神社」という、そのものの神社があったりしますので、名古屋の端っこは「星の一大聖地」ということなのでしょうか。
このまま庄内川を下っていくと、中川区には「赤星神社」というのがありますね。
南区には「星宮社」。
あれ、庄内川関係なくなったな……。


うーん、他の地域でも、星関係の神社がどうなっているか、多分ですがグラハム・ハン◯ック的な人が調べているに違いないので、そんな本も探してみたいと思います。

 

まだまだ参ります〜。

「宗像神社」(名古屋市西区)(再)〜高速初詣その1〜

「榎白山社」を後にしまして、ごく近くにある「宗像神社」へ。

 

○こちら===>>>

「宗像神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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冬の日の昼間は、鮮烈です(?)。

 

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「遷坐由来」の碑。
以前の記事で、だいたい現代語訳してあります。

 

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本殿向かって右手に進むと、「金刀比羅社」があります。

 

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その手前で左手を見ますと、狛犬さんたちが。
引退されたのか、仲睦まじくてよろしいかと。

 

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狛犬さんたら

 

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狛犬さん。

青銅の鋳造品でしょうか、結構珍しいし、近代的なデザインでかっこいいです。

 

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「金刀比羅社」。

 

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右手奥の「多聞龍神」。

 

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他境内には、「和徳稲荷社」があります。
鳥居が、ご神木で左右に分かれておりますな。
珍しい。

 

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お狐さんたら、

 

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お狐さん。

 

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手水鉢。

 

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お狐さんたら、

 

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お狐さん。

 

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「和徳稲荷社」本殿。

 

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御朱印
この葵紋はこれでいいのかな……。

 

 

さてさて。

尾張名所図会』では探せなかったので、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋


↑『尾張志2 名古屋』より。

6コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「宗形社
下御深井の内なる池の中島にありて今弁財天と申す社家の伝記に田心姫命を祭るといへり是はもと筑前ノ国宗像郡宗像神社に擬して三神を三處に移し祀れる事いちしるしく正しさもなべてならべておほゆる社也鎮坐のはじめは詳ならされとも応永五年三月宝徳二年五月など書る棟札も伝はりていと近世に祀れる社にはあらす (略※『日本書紀』『古事記』の引用)此両書に伝る説各異にして奥津宮邊津宮中津宮にまします處の神名互にたがへり又今彼社(筑前国宗像社)に伝たる説には三島ノ宮毎に三神を配享せるよしにて其中坐を本主とする也とそ(元来は一神一島に鎮座し給ひて三神三所にましまし事上文の古書ともに見えたるを中世己後かく配享する事世の常となりて諸国社々大かた■かり皆延喜式以後の定也)さて奥津宮といふは今奥島といふ島にて祭神田心姫を主として中坐に坐す左市杵島姫右湍津姫なるよし澳津島の社家の伝説也又宗像の社記の説に澳島社の神坐は中を市杵島姫とし主として左を田心姫右を湍津姫とす中津宮は祭神湍津姫を本主とし左田心姫右市杵島姫とす邊津宮は田心姫を主として左湍津姫右市杵島姫なるよし云り又筑前国風土記に云三神御鎮坐の地古事記日本紀旧事紀三部本書の説同ならす三部の内にも又説多くしていづれか是なる事を知ら■後花園院文安元年に大宮司氏俊三社の縁起を改書せける其詞に曰第一ノ神は海泡を集て島を築居を遠海の奥に■めし給ふは末世に至るまて異国を降伏し給ふへきよし御誓ありて彼島にとどまり給ふ則奥御島と号す是日本高麗との中間にて遠瀛に居給ふ是を田心姫と号し奉る第二ノ神は居を中海の奥に示し給ふ今大島と号する是也中瀛に居給ふ是を湍津姫と号し奉る第三ノ神は居を海濱に示し給ふ今田島と号する是なり海濱に居給ふ是を市杵島姫と号し奉ると書りこの縁起は末世の説にして古き依證なけれはうちまかせては證としかたしいはむや三神鎮座の地日本紀旧事紀古事記にも背けり且鎮座の時も日本紀とあはすいかなる伝説ありてかく記してにやいぶかしと貝原篤信云り書紀古事記を初として古伝に異説あれはいつれをよしとも今定かには辨へかたけれと一神つ■奥中邊と三島に別れて鎮座しまへる事はうたがはさるなり さて此處の宗形の社も三神三所に別れて鎮座し給へり其社は此下御深井なる中島の宗形社又深島なる深島社武島なる瀧島社あり(略)此三社ともに同時に鎮座し給へる事疑なかるへし慶長年中御城御造営の時当社の地は北御庭の内となりしによりて源敬公殊に尊敬したまうひしをはしめとして御代々絶す御修理加へさせ給ひて並々ならぬ御社にそ有ける応永(略)
摂社 和徳稲荷社(倉稲魂命を祭る此やしろ旧は上御深井にありしを宝暦二年二月此ところにうつし祭れり) (略)」

 

途中で「宗像三女神:の話が入っているのでえらく長くなってしまいました。

どうも元々は「深島社」「瀧島社」があって、「宗形社」と合わせての「宗像三女神」だったようなのですが、それが名古屋城の北御庭の内になったことで、藩祖「徳川義直」の崇敬篤くなった、ということのようです。

「武島社」が、近くにあるんだったっけ……調べてみようと思いつつ、なかなかできていなかったりします。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

↑では『名古屋市史』の「社寺編」も見ておきましょうか。
181コマです。

 

「六 宗像神社
宗像神社は西春日井郡金城村大字上名古屋字西内江に在り、境内は四百十四坪あり、もと辨才天といひしが、藩祖義直 敬公 筑前の宗像神社を勧請して、宗形社と号せり、今俗に辨天又は御深井の辨天と稱す、もと下御深井の池の中島 御深井向島と稱す、今北練兵場の西なる招魂社の森是なり(略) にあり、勧請の年月詳ならず、(略)従来は徳川家の私社なりしを、明治七年九月村社に列して、以来、開門して諸人の参拝を許され、同十四年金城村大字上名古屋の全部 もと西区五平蔵町は当社の氏子なり は本社の氏子となり、十六年七月維持規定を定め、二十二年六月、下御深井より今の地に正遷宮あり、祭神は中央田心姫命、左倉稲魂命、右徳川従二位権大納言義直卿霊なり、

張州志略には神殿三座瀛津島姫命、湍津姫命市杵島姫命とせり、敬公の霊は敬公自ら其荒魂を配祀すといふ、椋園時事録明治六年九月二十八日の條に、「源敬公ノ御社 宗形相殿 御霊代紛失ニ付、今日新ニ御霊代被納、 内家ヨリ  右ハ敬公御秘蔵ノ御太刀、竝ニ御所持ノ御笏、コノ二品ヲ桐ノ御箱ヘ入レ、被納候由、又右御深井内處々ノ御社、悉皆壹ヶ所ヘ合併、御一社ニ合享相成候由」とあり、

(略)境内神社には金刀比羅社、須佐之男社 祭神は須佐之男尊なり、もと当村の辻天王なりき の二所あり、

此金刀比羅社殿はもと本社の境内神社和徳稲荷社の本殿にして明治初年御深井の内なる種々の小社の合祀せられし以来、今の如く称するに至れり、和徳稲荷は祭神は倉稲魂命なり もとは屋船句句智命、屋船豊宇氣姫命なり  もと上御深井に鎮座す、勧請の年月詳ならず、(略)本殿に合祀の神社は金刀比羅社 祭神は大己貴命崇徳天皇なり、安政七年藩主茂栄、下御庭内に建立す、社前の銅製高麗狗一対は、同年米浜より寄附せしものなり、今の称はこの神社より起れり 、大山上西稲荷社(略)、大山中段稲荷社(略)、愛宕秋葉二社合殿(略)、國玉稲荷大明神社 もとは江戸市ヶ谷に在りき 、稲荷社 もとは江戸戸山にありき 、牛御前社 祭神は素盞嗚尊なり、もとは江戸に在り 、天白稲荷大明神社 もと御下屋敷に在りき 、白髭明神社 祭神は猿田彦大神なり、もと下御庭北島居上北より一に在りき 五條天神社 祭神は少彦名命なり、もと下御庭鳥居上より北、御花畑北東に在りき 、吉田社(略)、牛頭天王八幡大神二社合殿(略)、智鯉鮒神社(略)、津島神(略)の十四所なり、

例祭はもと九月八、九両日なりしが、今は十月八日試楽、市内及び郡部斯道の名匠、各其門人と共に、凡二百名の盲人音曲の奉納あり(以下略)」

 

↑別文献の引用(孫引きになっています)もあるからか、なかなか詳しいことが書かれています。

 

「従来は徳川家の私社なりしを、明治七年九月村社に列して、以来、開門して諸人の参拝を許され」

 

↑なるほど、『尾張名所図会』にないわけです、そりゃそうですよね城内ですもの。
「金刀比羅社」の前の青銅製狛犬は、安政七年の頃にはもうあったようですね。

 

「和徳稲荷は祭神は倉稲魂命なり(もとは屋船句句智命、屋船豊宇氣姫命なり)」

 

見間違いでなければ、こういう風に書いてあったのですが、気になりますね……。

さすが御三家の一つ、江戸から勧請したらしき摂社も多かったり、何気に藩祖「徳川義直」の御霊(しかも荒魂っぽい)が祀られていたり……ああ、だから御朱印にも葵の紋、ですか。

ううむ、深い……尾張の勉強をしないとね……と思いつつもミーハーに神社仏閣巡りが限界です。


まだまだまいります〜。

「榎白山神社」(名古屋市西区)(再々)〜高速初詣その1〜

1/2。
「素盞男神社」は中村区、ここからだんだん西に向かうべし、とのご神託がくだったので、「榎白山神社へ。

 

○こちら===>>>

「白山神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

「白山神社」(再)+「津島神社」(名古屋市西区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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写真は一枚だけ……いえ、初詣の参拝者が結構いらっしゃったもので、なかなか社殿とか撮影できる感じではありませんで。

それにしても天気に恵まれたお正月でした……。

 

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御朱印
ようやくいただけた、という感じ……感慨深いですが、下の神社名の印は上下逆さまですよね……そういうものなのかしら。

 

西区って、結構寺社が多いですよね(今更?)。
逐一狙ってみたい気もしますが……あ、基本的には神社に出向いています(お寺も合わせるともう、時間とか体とか足りないもので……)。
まだまだ続きます。

「素盞男神社」(名古屋市中村区)(再)〜高速初詣その1〜

1/2。

一気に中村区へ移動し、「素盞男神社」へ。

 

◯こちら===>>>

「素盞男神社」(中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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早咲きの梅、でしょうか。

 

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御朱印
右下に境内社の「大鳥神社」の御朱印が押されているのは、酉年限定……だった気がします。

 

◯こちら===>>>

近況〜超高速初詣 - べにーのGinger Booker Club

 

↑初詣の近況報告でも書いたのですが、御神職のお孫さんらしきお嬢さんの営業能力にやられまして、十数年ぶりにおみくじを引きました。

大吉でしたけれども、今の所ご加護はさっぱりないようです……いえいえ、神様頼りはいけません。

 

中村区に来てしまったので、ここからスピードアップで、参拝していながらもなかなか御朱印をいただけていなかったポイントを攻めてみることに。