4/8。
仕事で出かけたところ、思いのほか時間が余ってしまい、そういえば花見をしていないと思ってぶらぶらしていたら発見(デジャブ?)。
「宗像神社」。
◯こちら===>>>
牛に乗った弁天様と七福神 | hicbc.com : レポドラ日記
参道を神社側から。
どうやら入り口には鳥居が立っているようで。
そこまで回れませんでした。
この辺りには、「弁天通商店街」があります。
元々こちらの神社は「御深井弁天(おふけべんてん)」と呼ばれていたそうです。
「遷座由来」の碑があります。
……うーん、白文でいいので、印刷にしてもらえないものか。
「宗像神社の創建が何時かは、今では詳らかではないが、応永五年(1398)に改造されたという記録がある。昔は、深島弁財天の下に御深井社滝島社があり、那古野荘三弁天と総称されて霊験顕かで四民からの信仰厚かった。名古屋城築城の際、この三社は城郭の守護神とされ、藩祖以来藩主の崇敬篤く、修理造営の費用は藩から出されて止むことはなかった。明治二十六年一月、御深井社は当地に遷り、社格は村社となった。毎年十月九日の例祭には、徳川家からの使者が派遣された。第二次大戦終結の年昭和二十年五月十四日、アメリカ軍機による空襲で焼夷弾が降り注ぎ、本殿拝殿社務所ことごとく烏有(意味:何もない)と帰す。幸いにも御神体は末社金刀比羅社に合祀されていた。昭和二十一年憲法が制定され、古い社格は自ずから廃止されたが、氏子の崇敬は変わらず、十一月九日宗教法人宗像神社が成立。氏子の熱意により、本殿拝殿社務所は相次いで再建された。昭和二十八年十月九日には、御神体が本殿に昔の通りに奉祀され、氏子の喜びは図り知れない。当社の御祭神はいわゆる宗像三女神であり、鎮座地は名古屋市西区上名古屋町西内江四十二番地である」(大意/筆者による)
はぁ……だいたいあってると思います……。
拝殿。
境内に、「和徳稲荷大明神」。
え〜、桜がメインですから、今回も。
桜がメインで、あまり時間もなかったので、写真もこんなもので……。
名古屋城内には「御深井丸」
◯こちら===>>>
↑という場所があったようで、そこと関係があるのでしょう(推測)。
三弁天のうち、深島神社は、
◯こちら===>>>
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第11講 柳原から土居下 第7回「弁天様の社──深島神社」 : Network2010.org
↑でしょうか。
また、「滝島社」がどこを指しているのかがわかりません。
「武島天神社」なら近くにあるのですが。
こちらも「御深井丸」に祀られていたそうなので、関係ありそうです。
祭神が、「宗像三女神」でも「弁天様」でもないので、違うかな……。
とにかく、今年の桜は入学式にも間に合ったようで、それほど寒すぎることもなく、花見を堪能された方も多いことでしょう。
個人的には、山桜が好きですが、そうそう観に行くこともできず。
圧倒せんばかりのソメイヨシノの群れが、素敵とは思いながらちょっと苦手なので。
こちらで見られるくらいの桜が、ちょうどいいのではないかな、と。
いい花見だったと思います。