べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「北方皇太神宮」(横浜市中区)〜横浜ほにゃらら紀行

8/13。

ヨコハマほにゃらら紀行、ということでまずは「皇太神宮」へ。

 

◯こちら===>>>

www.kitagatakoutaijinguu.com

 

本当は、「本牧神社」辺りから始めて、桜木町駅まで戻ろうかと思っていたのですが、結構歩くことに気づいて日和りました。

 

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どうも、夏祭りの時期だったようで、けっこうな賑わいでした(神社周辺は)。

神社は、ちょっとひっそり……住宅街の奥に押し込められたような感じでしたね。

 

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「皇太神宮由緒書
御祭神 天照皇大御神
由来 創建由来不詳なれど天永年間(一一一〇〜一一一二)勧請。
新編武蔵風土記稿(一八二八)に「北方村字泉谷に太神宮あり」があり、本郷村の北に位置した北方村の皇太神宮は、横浜山手の高台に元は鎮座し、慶応年間、外国人居留地となり、明治三年(一八七〇)現在地に鎮座した。
北は横浜港を眺め、南は根岸森林公園を望み、東西に本牧、元町に通ずる山手地域と周辺の鎮守です。(略)」

 

なるほど、最近こちらに遷座されたようです。

外国人居留地に追い出されましたか……ペルリめ……(?)。

 

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いきなり境内社……あれ、案内があったと思いましたが……。

 

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拝殿は平入りの神明造、「伊勢神宮」にならった、というところでしょうか。

 

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狛犬さん。

 

……あれ、以上?

申し訳ないです……もっとしっかり撮影してこれば……。

さて。

本当は『新編武蔵風土記稿』を検索すればいいのですが、ちょっと大変なので(いえ、国会図書館デジタルコレクションのページをめくるのが結構しんどいのです……)、

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 横浜市史稿. 神社編

 

↑ありがたい……『横浜市史稿』の神社編を探ってみました(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

これだって700ページ超えてる本なんですけどもね……大変……。

226ページです。

 

「二五 皇太神宮
皇太神宮は、中区北方町西ノ谷八百一及び八百二番地に鎮座。境内は三百四十八坪。北方町方面一円の鎮守である。
大永年中の創立と伝へて居り、元は字泉の伊勢山除地五畝歩の境内に在つたが、慶応年中、その附近一帯の地が外国人居留地に編集せられたので、現在の境内に移つたのである。明治維新神仏混淆禁止により、旧来の持寺、東漸寺から分離して、明治二十一年に社殿を再建、大正八年八月に改築。同年九月九日、神饌幣帛料供進社に指定せられた。同十二年九月一日の大震火災に遇ひ、鳥居及び社務所は類焼の厄に罹つたが、社殿は幸に恙きを得、越えて十四年七月、社務所の再築を遂げた。
祭神は天照皇大神である。
(略)
境内神社は左の如くである。

諏訪神社。天沼の諏訪神社を勧請した所であると云ふ。祭神は建名方神。社殿は六尺四方である。
福徳稲荷。由緒不詳。祭神は、稲倉魂命、颯田彦命、大宮女命の三柱。社殿は三尺四方である。
(略)
社頭には石造獅子狗一対、石灯籠二対、及び水鉢がある。
史料
[新編武蔵風土記稿]太神宮。除地五段、村ノ中程ナリ。東漸寺ノ持。」

 

あ、旧社格は村社です。

今の由緒書とは、創建年代の伝承に差がありますが……まあ、天永と大永ですから、どっちかが誤記か、あえて誤記したか……。

横浜って、明治以前は鎌倉と江戸の間の田舎町(失礼)というイメージがあるのですが、実際のところどうだったんでしょうね……開港とともに大都市になったのは間違いないと思いますが、逆に鎌倉からも江戸からもいい感じの距離にあるので……そもそも横浜という呼び方が結構新しいとか(室町だったかな)……うーん、掘ってみたいところではありますが、古代ではほぼ辺境(東国は東夷の国ですからな……)で、「日本武尊」のうろうろした感じくらいしか知らないんですよね……郷土史家のみなさんにひとまずはお任せして、真夏の横浜ほにゃらら紀行で〜す。