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神社仏閣ラブ(弛め)

「元町厳島神社」(横浜市中区)〜横浜ほにゃらら紀行〜

8/13。

横浜ほにゃらら紀行、続いては「元町厳島神社

 

◯こちら===>>>

www.kanagawa-jinja.or.jp

 

↑神奈川神社庁……ナイスなお仕事ですよ……全国の神社庁さんにこれを作って欲しい……。

 

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元町の商店街、なのかな、そういった中にあったもので、最初はわかりにくいかも。

 

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案内板二つ。

内容はほぼ同じです。

 

「元町厳島神社
この神社は今から約七〇〇年以前より元横浜村洲干島に鎮座していました清水弁天、洲干弁天を、元禄年間に分祀し、元町一丁目の増徳院(真言宗)仮殿にご神体を奉安していました。しかし明治維新神仏混淆の禁止により増徳院から分離し、厳島神社として元町一丁目十五番地に社殿を造営、元町の鎮守様となりました。
祭神は、市杵島姫命多紀理姫命多岐都姫命木花佐久夜毘売命でいずれも女神であります。お社は関東大震災により焼失しましたが、御下賜材により仮殿を建設し、昭和初期には元町五丁目二〇八番地の当地に遷座し再建されました。第二次世界大戦でまたもや灰燼に帰しましたが、昭和三十六年に氏子崇敬者の熱意により鉄筋コンクリートの社殿を建立し今日にいたっています。
元町厳島神社は、商売繁盛、合格祈願、縁結びの神様でもあり、元村以来の元町の発展興隆の守護神であります。境内には末社として金毘羅神社と、当地の名主であった石川家から寄進された皇太神宮も併祀してあります。」

 

横長の方を引用してみました。

 

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いきなり神輿庫ですが……紋が気になったもので。

 

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お猫様発見。

 

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末社の「皇太神宮」。

 

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これは……あまり位置関係を覚えていないのですが、境内への階段を上がった左手だったと思います。

 

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「皇太神宮」の隣に「金刀比羅宮」。

 

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拝殿。

まだまだ新しいです。

 

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拝殿手前の、天水桶……だと思います。

猫にえさをやってはいけないようです……いえ、あげてませんよ。

 

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遠景はこんな感じです。

うむ……他にも参拝の方がいらっしゃったからなのか、写真がいつにも増して少ないです……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 横浜市史稿. 神社編

 

↑今回も、『横浜市史稿』の神社編を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
342ページです。

 

「二四 厳島神社
厳島神社は、中区元町一丁目十五番地に鎮座。境内は三百七十四坪四合九勺。(略)
元、横浜村の洲干島に鎮座した清水弁天、一名洲干弁天 今の羽衣町厳島神社。 の分祀であり、其創立は、元禄年間に於いて別当増徳院の内に仮殿を造立し、平日は神体をここに奉安して、 例祭の日にのみ本社に奉還。 杉山弁天と称し、又は、上之宮 本社を下之宮と称した。 と称してからの濫觴である。其杉山と称したのは、治承四年八月の頃に、豆州土肥の杉山から神体を移してからだといふ。明治の維新に神仏の混淆が禁止の際、増徳院と分離して元町の鎮守となり、厳島神社と改称した後に、村社に列せられた。近年は境内末社浅間神社を併合した。大正元年に社殿の再建をしたが、大正十二年九月一日の大震火災に、社殿・神楽殿及び境内・境外の末社全部を悉く灰燼に帰したが、間もなく御下賜材を拝受し、仮殿の造営を遂げて、今日に至つたものである。もとは今の山下町の八十番館辺にあつたが、万延元年の掘割川以西の民家を総べて東岸に移された時、元町二丁目と三丁目の中間である其時の換地、石階百一段を登つた高さ九丈餘の丘陵の上に遷されたが、後又、当社の境内神社となり、更に本社に併祀されたものである。
祭神は、市杵島姫命多紀理姫命、多紀都姫命、木花開耶毘賣命の四柱である。
現在の仮社殿は、九尺に九尺の略式春日造で、亜鉛葺である。

 

境内神社には左の一社がある。
金刀比羅神社。由緒は不詳。祭神は大物主神崇徳天皇の二柱であるが、元の社殿(略)は震災に焼失し、現在のものは仮殿で、三尺に四尺の瓦葺である。

境外神社は左の一社である。
皇太神宮。元町五丁目二百八番地に鎮座。(略)

 

往時は十一月十七日 或は十六日とも云ふ。 に、上之宮の神祭を行ひ、其夜、神体を奉遷して、翌十八日 或は十七日とも云ふ。 に下之宮の大祭を行ふことを例として居たが、万延元年、神奈川奉行の命によつて、当市開港記念日の六月二日に、大祭を執行してからは、爾来六月一日・二日・三日を以て例祭日と為した。
(以下略)」

 

……神社の案内板とほぼ同じ……。

「清水弁天」というところから勧請されているようなので、そちらも参拝したいところです(あるのかないのか……)。

御祭神は「宗像三女神」と「木花開耶毘売命」で、「宗像三女神」を勧請したということは、何かしら水関係の御神徳を得たかった、ということでしょうか。

うーむ、いろいろな位置関係なんかが、地元ではないのでさっぱりわからず……飲み水関係か、河川の氾濫か……。

 

「万延元年、神奈川奉行の命によつて、当市開港記念日の六月二日に、大祭を執行してからは、爾来六月一日・二日・三日を以て例祭日と為した。」

 

↑さらっと、開港記念のお祭りにすり替えられている辺りが、当時最先端の横浜なのかな……と思ったりもしました。

わりと歩いてるなぁ……まだまだ歩きますけれどもね。