べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「六所宮(上飯田)」(名古屋市北区)〜高速初詣その1

1/2。
まだまだ続きますが、「別小江神社」の参拝を終え、次はと「六所宮(上飯田六所宮)」へ。
近くのコインパーキングが空いておらず、ちょっと歩きました。

 

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天満宮」もあるようです。

 

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日も傾いてきたのがお分かりかと思います。
蕃塀があります。

 

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拝殿……だったと思います。
えらくシンプルな感じになっています。
この色合いは、何か流行でもあったのか……。

 

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境内社こちら。
左から「弁財天」「天神社・神明社・八竜社」「出雲社」「天満宮」。
案内の向こう側にうっすら社殿が見えますか〜?

 

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こちら「天満宮」。

 

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わかりづらいですが、手前に撫で牛がいらっしゃいます。

 

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別アングルでの「天満宮」とご神木。

 

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こちら、東側の鳥居です。
「六所社」なのか「六所宮」なのか……。

 

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敷地の外から、境内社

 

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同じ方向からの「天満宮」と拝殿。

 

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拝殿……あれ、これは単なる屋根なのか……。

 

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「六所宮由緒
一、御祭神
伊弉諾尊 伊弉冊尊 天照皇大神 月読尊 素盞男尊 蛭児尊
昭和五十六年 御社殿造営を完了し九等級に昇格 六所宮に名称変更した
(略)」

 

……何もわからないに等しいですね……。

 

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正面を別角度から。

 

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社標。

 

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正面から。

 

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通りを渡っての遠景。

 

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御朱印

 

何度か目の前を車で通ったことがあるのですが、ようやくご参拝できました。

さて。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 西春日井郡誌

 

↑最近お世話になりっぱなしの『西春日井郡誌』から引用してみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
205コマです。

 

「六所社、山田村大字比良字宮裏二千六百七十六番地にあり。祭神伊弉諾尊伊弉冊尊、大日孁尊、素盞嗚尊、月読尊、蛭子尊を祀れる村社なり。創始年月詳ならず、大正八年四月十日境内に在りし津島社、同字飛多野に鎮座の非多神社、同安野市場鎮座の山神社、師勝村久地野に鎮座の無格社を合祀す、境内二百十三坪老樹多く社殿と拝殿とあり、現今境内神社には、非多神社(祭神天御中主命、大八崎命、天香山命菅原道真、当社は明治十六年五月四日元天神社といひしを改称す)山神社(祭神大山祇命、武雷命、伊弉諾命)大江社(祭神木花咲哉姫)あり、例祭は十月一日とす。」

 

御祭神を見る限り、今の「六所宮」のことだと思われます。
近くにあった神社をいくつか合祀しているようですが、その中に式内社「非多神社」があることにちょっと驚き。
ちょっと、そっちを攻めてみましょう。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 6 春日郡

 

↑『尾張志』「春日郡」より、51コマです。

 

「非多神社
延喜神名式に春日部郡非多神社と記し本国帳に従三位非多天神と見え其一本に卑田天神又樋田天神等書り尾張風土記に卑田宮とあるも是歟本国帳集説に卑田は林村の内の地名にある由いへり」

 

わかったようなわからないような……『尾張名所図会』『神社覈録』も似たような記述でした。


こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 特選神名牒

 

↑『特選神名牒』より、164コマです。

 

「非多神社
今按本社所在里人の申伝に林村字平野と云所に天神社ありしが今廃して三明神相殿にまして其趾に山神の小祠ありと云れど今村中に非多と称する地名もなくたしかなる證もあらねば猶考へて決むべし。」

 

『特選神名牒』が書かれたころには、「ヒタ」という地名はなくなっていたのか、といたことが書かれています。
さて、実際はどうなのか。

尾張国神社考』(原題「尾張神名帳集説訂考」、津田正生著、発行:ブックショップ「マイタウン」)によりますと、

 

従三位非多神社天神
[正生考]平田村前並天神是歟。非多はかな書也。往昔は卑田と呼しを、今は平田と呼歟。凡らりるれろの五は、省もし添もして呼こと常なれば也、[里老曰]前並は、もとは舟着と呼し所也。此宮清慶山浄蓮寺(浄土宗)の扣なりしを、近年小出氏これを求て社司に成といふ。浄蓮寺は爰より三四町北にあり[正生考]猶よく訂為べし。集説に味岡荘林村に卑田と呼地あり」といへるは取がたし已にいふごとく林村は、旧は丹羽郡なれば然あるへき理りなし。」(p77)

 

基本的に『尾張神名帳集説』(というタイトルのはず)に訂正を加えるための本誌ですので、天野大先輩のことを真っ向から両断するのが津田スタイル。
とはいえ、この神社に関しては情報が少なすぎるので何とも。
「山神社」というワードが出てきますが、この名前の神社は村中いたるところにあったでしょうし、「三所明神」や「六所明神」、「十所明神」という名前は、そこらの独立した社〜祠にお祭りされていたものを「集めましょう」ということだったでっしょうから、本来の歴史はよくわからなくなっています。
現在の名古屋市北区周辺でも、「六所」とつく神社が、上飯田含めて3つほどすぐに思い浮かびます。

例えば、

 

こちら===>>>

「六所社」(名古屋市北区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑とか……あれ、今、自分の過去記事を確認して、「ひょっとしてこっちの「六所社」のことが『西春日井郡誌』に載ってるんじゃないの?」って思っちゃった……んですけど……さて、歴史はいかに……といったところでお開きにしたいと思います。

 

高速初詣その1は、まだ続きますけれども〜。