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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「桜天神社」(再)(中区)

御朱印 愛知県内 神社

11/23。
せっかく「袋町ご聖天」まで来たので、足を伸ばして「桜天神社」へ。


○こちら===>>>

「桜天神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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……あれ、写真が一枚しかない……。

 

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御朱印。

 

さて。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑『尾張名所図会』を見てみましょうか……といっても、神社の前の案内板を見れば事足りるかもしれませぬ(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
54コマです。

 

「櫻天満宮
小櫻町本町西へ入南側にあり。織田備後守信秀つねに天満宮を信仰し、或時京都北野へ参詣ありけるが、一夜の夢に、菅神枕上に立ち給ひ、我此梅松院にある事年久し。今汝が住国へむかへよ、諸民の安全を守らんと告げ給ひしかば、いそぎ梅松院に至り、其旨を語りしに、梅松院も前夜に見し夢の霊告に符合せしかば、彼院の霊宝なる御自作の神像を信秀に附與しけるを、天文九年ここにうつし、社を創建して安置し、萬松寺の鎮守とせしが、慶長御遷府の時、萬松寺を今の所へうつされしかども、御鬮の神慮にまかせ、此社は残りてここにいませり。 入道前菅大納言のかかれし縁起あり。この文と大同小異なり。 神木に櫻の大樹ありし故、櫻天満宮と称す。別当櫻花山霊岳院は曹洞宗にて、則萬松寺の末刹、開山は清庵宗仙首座なり。 彼櫻樹は、万治三年の大火に焼失して、今は其名のみ残れり。
本社 菅神御自作の神像。
薬師堂 本尊智証大師の作。
末社 数祠あり。
拝殿
絵馬堂 本社の南にあり。二月例祭のとき、府下の寺子やより奉納せし数多の絵馬を此堂内にかかぐ。又天保七年に至りて、諸国凶作打ちつづき、米価高直にして、飢渇に及べるものすくなからず。其頃府下の志ある町人、此所に施行堂といへる扁額をかかげて、日々若干の金銭米穀或は衣類等まで、思ひ思ひに貧賎を恵みしも、国君の御仁政より憤発せるならんか。同九年の春迄に施行の惣計、凡二万両餘に及べりとぞ。かかる連年の凶作に、かく御仁恵の下ざまに及べること、いともかしこくかたじけなくぞ覚ゆる。
鐘楼 万治四年三月より、官命を奉じて、昼夜十二時に此鐘をつきて町中に告げ知らしむ。故に時の鐘と称す。古鐘の銘は小出永菴の作なしりが、宝暦十三年に焼失し、今の鐘の銘は須賀安貞の作なり。
(略)
神宝 方丈仏間に安置せし十一面観音は、唐佛の銅像なり。又菅公十一歳の御時かき給へる[梵網経]・南化和尚自画讃の渡唐天神の像・康安元年に書きし[天神縁起]一巻、その外古書画・古仏像等多し。
例祭 二月二十五日神前に大般若を転読し、絵馬堂に神輿をかざる。此日府下の寺子供等、我おとらじと大文字をかきて、境内に張る事すき間なく、中にも甚だしきに至りては、さしもに高き鐘楼より地に及ぶほど紙をつぎて、或は三字或は五字などかきて、諸人の目を驚かしむ。又祭日前後三日の間、府内及び遠近の村々より出でて、本町通数町の内両側に植木を商ふ賑合、盆鉢に植ゑたる造り木・接木は更なり。大樹喬木をも厭はず、車にて曳来り、立並べたる有様、さながら山林に入るが如し。(略)」

 

神社に関する記述より、例祭の記述のほうが面白いですね。

 

「二月二十五日神前に大般若を転読し、絵馬堂に神輿をかざる。此日府下の寺子供等、我おとらじと大文字をかきて、境内に張る事すき間なく、中にも甚だしきに至りては、さしもに高き鐘楼より地に及ぶほど紙をつぎて、或は三字或は五字などかきて、諸人の目を驚かしむ。」

 

↑こういうことをするガキンチョというのは、いつの時代でもいたようで……さらっと、神前で「大般若経」を転読、と書いてあるのが神仏習合時代ですね。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋

 

↑『尾張志』も見ておきましょう。
18コマです。

 

「天満天神社
さくら町にあり 菅贈太政大臣束帯像を安置す 此地はもと亀岳山万松寺の舊址なり 当社はそのかみ此寺鎮守のやしろにして織田備後守平信秀の尊崇信仰乃霊社なりとそ いにしへ社辺にさくらの大樹ありし故櫻天神といひ在地を小櫻町といふ 万治三年正月の火災こうむりて此さくら焼失したりといへり 又萬松寺ここにありしときの四至は東は今の本町より西の方伏見町に至り 南は袋町より北の方片端に至れりとそ 慶長御遷府の時今の地にうつされたり (以下略)」

 

うむ、あまり変わらない。


○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

↑ま、決まりみたいなものなので、『名古屋市史 社寺編』もごらんください。
154コマです。
前半は、上の二つの文献とほぼ同じですので、途中から。

 

「(略)寛政十二年三月十八日、拝殿を再建す、明治五年村社に列す、祭神は菅公にして、束帯の木像を安んず、神殿、拝殿、門、社務所あり、境内神社は大国主神事代主神両社合殿(大国主命事代主命)、少彦名神社少彦名命)、秋葉神社(軻具土命)、猿田彦神火雷神両社合殿(猿田彦命火雷神)、金刀比羅神社(大物主命)、白太夫神社(度会春彦翁)の六所あり、(略) 明治以前は霊岳院社僧として奉仕し、明治五年頃、霊岳院を廃し、社僧復飾して木村直麿と称して、祠掌を拝命(略)」

 

戦前の境内社の様子がわかります(今と変わりませんが)。

「白太夫神社」はやはり、「菅原道真」公を見とった「渡会春彦」信仰のもののようです。

「霊岳院」は廃止されましたが、そこの僧侶が神職に復帰したようですね。


今回も、時期が時期なので、受験生を連れた親御さんがいらっしゃいました。
梅の頃に受験をして桜の頃に結果を知る「桜天神」はぴったりかもしれないですね、なんてうまいこと言ってみました(うまくない)。