7/18。
天気がいい、しかし遠出はできない、ということは近場……といっても名古屋市内ばかりでは……!!……というわけで、岡崎巡りに出かけることにしました〜。
家康公生誕400年の機は逃しておりますが(××)。
松平家お膝元ですし、神社仏閣にはめぐまれているというのが印象です……違うかもしれませんが……朝早くに東名高速道路をとぼとぼと走り、ナビにしたがってまずは「六所神社」へ。
○こちら===>>>
岡崎市内をきちんとぐるぐるするのは初めてに近いので(「瀧山寺」には参拝しましたが)、
○こちら===>>>
「滝山寺」「滝山東照宮」(前)(岡崎市) - べにーのGinger Booker Club
「滝山寺」「滝山東照宮」(後)(岡崎市) - べにーのGinger Booker Club
ナビが頼りなのですが……。
ここ?という道を案内されました……奈良の「穴師坐兵主神社」のときのようなドキドキ感(通っていいのかしら)はありませんでしたが、本当にあっているのかどうか……。
この左手に駐車場。
案内板が駐車場近くにありました。
「七世紀中ごろの創立。松平氏(徳川将軍家の祖)は、初代親氏の時から産土神として東加茂の六所明神を崇敬していました。その後、松平氏の勢力拡大にともない、七代清康のころ当地に移ったものです。1542年、徳川家康が岡崎場内で生まれた折にも、産土神としての拝礼があったと伝えられています。
華麗な彫刻、彩色がほどこされた権現造りの社殿は、国の重要文化財です。」
加茂というのは三河の地名です。
私は尾張の人間で、同じ愛知県でもやはり、なんとなく、尾張と三河は違うなぁ……というイメージです。
何がと言われると困りますけれども。
参道。
いや、空も青く、緑萌えて、本当にいい天気です。
常若、という言葉がぴったりな季節ですね(……まあ、季節にぴったり、という時点で「常」ではないのですが)。
わかりづらいですが、火袋に葵の御紋です。
そりゃそうですよね。
鳥居。
うーん、スマホのレンズの歪みが大きすぎますね……ご勘弁ください。
手水舎が立派。
手水鉢……というか石も立派。
手水場の奥に池が。
放生会のためでしょうか。
神馬像の横を通って奥へ進むと、坂道があります。
そちらは正面ではなく、
こちらが正面です。
うん、なかなか急な階段ですので、登れない方もいらっしゃるでしょうね。
階段下に賽銭箱がある時点でお察しです(写真で見るよりも、かなり急ですから)。
「国指定重要文化財
建造物 六所神社本殿・幣殿・拝殿・神供所・楼門(付厨子・棟札)
社記によれば、人皇三七代斉明天皇の勅願により、奥州塩竈六所大明神を勧請のうえ創立され、天文十一年(一五四二)十二月二十六日岡崎場で竹千代君(徳川家康公)が誕生になり、産土神として拝礼があったと伝えられている。
現在の本殿・幣殿・拝殿は、三代将軍家光が寛永十一年(一六三四)〜十三年岡崎城主本多伊勢守忠則を奉行とし、幕府御大工鈴木長次により造営したものである。神供所もほぼ同時代と考えられる。
楼門は、昭和四八年の修理で、貞享五年(一六八八)の墨書が発見され建立年代が判明した。
本殿、幣殿、拝殿、を連結し華麗な彩色を施した権現造りの社殿で、江戸初期を代表する建造物である。」
たいして若くはありませんが、なんとか楼門の階段を上りました。
こちらは元禄年間の石灯籠。
……そういえば、建物は木なのに、灯篭には石も多いですね、日本。
西洋は石、東洋は木、という単純な二項分類は好きではないですが、イメージとしてどうしても定着しています。
とはいえ、石だけ、木だけで建物は建たないので、実際にはどちらをどのように使うのか、という思想です(地盤の強固さといった自然環境に影響されるでしょうし)。
いえ、何か言いたいわけではなくて、「石灯籠だから、長いこと残っていてくれたんだろうなぁ……でも刻まれた文字は消えてしまうよね……」という感想をふと抱いた、というだけなんです。
楼門、正面の蟇股は……鳳凰かな?
もちろん葵の御紋がばっちり。
さて、朱塗りの鮮やかな社殿とご対面……
……な、なんだって〜!!!
……ええ、まあしかたないんです、下調べしていないので。
それでも、ちょっと、ショックが……岡崎だからいいか……「香取神宮」のショックに比べれば……。
○こちら===>>>
「香取神宮」 - べにーのGinger Booker Club
境内には、安産祈願の「母子犬」の像があったり。
これは、楼門の裏側にあった獅子頭です。
そういえば、狛犬さん、いなかったな……。
家康公の手形がありました。
「HANDSTAMP OF IYEYASU」……家康は「IYEYASU」なのですね……誰が最初にそう書いたんだろう(ルイス・フロイス?)。
社殿向かって左手、こちら神供所です。
蟇股のところだけ鮮やか、というのもなんか面白いです。
これは、神楽殿でしょうか。
神供所の奥にあります。
さらに奥に進むと、「三晃大黒社」があります。
神紋が小槌、というのがいいです。
「徳川家康」といえば、「七福神」を流行らせたとか、それで結界を張ったとか、そんな説があったりします。
それは関係ないでしょうが、誰かがうまいことまとめてくれたおかげで、「七福神」は今も大人気。
そう考えると、「日本の○○百選」とか、「三大○○」とか、そういってまとめてしまうことも必要なのかもしれないですね。
先ほどの神楽殿に算額が!、と思って近づいてみたら、「平成24年」でした。
あ、アルファベット……(ちなみに解けません……いや、ちゃんと考えれば解けるのかもしれないのですけれど……あ、解けそう……だけど解きません……)。
楼門を裏から。
もそっと近くから。
御朱印。
ここにも葵の御紋がばっちり。
幸先の悪い岡崎めぐり、はっじまっるよ〜。