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「富部神社」を堪能し、もうちょっとどこかへ……と思って検索していたら、緑区の方に「豊藤稲荷神社」というお社があるようなので、行ってみました。
○こちら===>>>
↑公式HPは引っかからなかったので、名古屋市のページより。
北側から近づいていくと、どうやら高い場所にある様子。
というわけで、正面に回ってみました。
前庭(というのか、斎庭と呼んでいいのか)がかなりの広さです。
……ん、何だろう……あ、そうか、お稲荷様なのに、狛犬さんがいるから、ちょっと違和感なのです。
拝殿正面の蟇股に、狐さんがいらっしゃいますが……ちょっと小さすぎますね、写真。
社殿の右手に、おもかる石があるんですが……あれ、奥の院だったかな、こちら。
すいません、年齢のせいか、記憶力があいまいに……。
社殿左側のこちら、「ふじ龍」だそうです(由来が書かれていたのですが、写真もメモもありません……突然龍が降ってきた、とかなんとかだったかと思います)。
ああ、で、この鳥居の奥が奥の院だったはず……です。
全然光量が足りず、何の碑なんだかわかりませんが……光の当たっている石碑には「○○霊神」とあるので、御嶽講関係ではないかと思います。
その隣に、神像(?)と、「豊藤大神」の碑。
ええと……すみません、情報がさっぱり……。
大きな石碑の裏には、「子安明神」の碑がありました。
どんな意図での配置なのか……あんまり意図もないのか……。
社殿向かって右手、社務所の手前に末社があります。
向かって左が「水神社」で、御祭神は「日女(ひめ)龍神」「高龗神」。
向かって右が「天鈿女社(天宇受賣社)」で、芸能神と書かれています。
「水神社」の前の白蛇は、もともとはどこかの弁天様か「厳島神社」にあったのではないか、と思われます。
その右手に「秋葉社」。
小祠。
いや、何か石臼に入っていて面白かったので。
鳥居の左手に、「高千穂神社」から拝受したという「おがたま」の木がありました。
ええと……どれが、と言われると困ります(木には滅法うといので)。
遠景。
私は、下の写真の左手のほうから上がってきました。
御朱印。
書置きのものが、社務所前に置かれていました。
……いただいていいのかわからなかったのですが、頒布しているようだったので。
さて。
ざっと検索してみても、引っかかる文献がなかったので、最初にあげた「緑区史跡散策路」のHPから。
「祭神は倉稲魂命、猿田彦命、大国主命、事代主命の四柱。嘉永4年(1851)に京都の伏見稲荷の分身を迎えて、社殿を建てて祀ったのが始まりといわれ、社殿は戦後近代建築に改築された。」
1851年……って本当に江戸の末ですね。
こりゃ区史を探ってみるしかないか……そうすると図書館か……。
御朱印づいていない中、いただけたのは有難く。
いろいろと煮え切らない感じの記事ですが、たまにはこんなのも〜。