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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「伊奈波神社」(妄)

さてさてさて。

 

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「伊奈波神社」 - べにーのGinger Booker Club

「伊奈波神社」(続) - べにーのGinger Booker Club

「伊奈波神社」(続々) - べにーのGinger Booker Club

 

 

思いの外長くなってきました。

 

登場人物(?)を整理してみますと、

 

(1)丹波道主命(彦多都彦命)……「開化天皇」の子である「日子坐王」の子。四道将軍の一人。因幡国造。

(2)日葉酢媛命……(1)丹波道主命の娘で、「垂仁天皇」の皇后。

(3)五十瓊敷入彦命……(2)日葉酢媛命の子で、「垂仁天皇」の皇子、「景行天皇」の兄。天皇位ではなく、軍事職を選択。「石上神宮」の神宝を掌る。

(4)物部十千根命……(2)五十瓊敷入彦命のあとを受けて、「石上神宮」の神宝を掌る。美濃後国造の祖先。

(5)神大根王……「開化天皇」の子である「日子坐王」の子。(1)丹波道主命の弟。美濃前国造。

 

 

このうち、(1)〜(4)の方々が「伊奈波神社」のご祭神となっています(もう一方、「淳熨斗媛命」という、「五十瓊敷入彦命」の妃が祀られていますが、とりあえず置いておきます)。

で、(5)「神大根王」の扱いってどうなっているんだろう……という疑問があるのです。

記紀ではその後、(5)「神大根王」が登場しないのか、といいますと、

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

 

 

古事記景行天皇記に、

 

「ここに天皇、三野国造の祖、大根王の女、名は兄比賣、弟比賣の二りの嬢子、その容姿麗美しと聞こしめして定めて、その御子大碓命を遣わして喚上げたまひき。」

 

とあり、

 

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

 

 

日本書紀景行天皇紀四年の条には、

 

「是の月に、天皇美濃国造、名は神骨が女、兄の名は兄遠子、弟の名は弟遠子、並びに有国色しと聞しめして、則ち大碓命を遣して、その婦女の容姿を察しめたまふ。」

 

とあります。

「大根王」「神骨」と、名前は異なっていますが、「神骨」は「かむぼね」とルビが付いていますので、「かみおほね」が縮まったと考えれば、どちらも(5)「神大根王」のことを指しているのだと思います。

で、以前、

 

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「猿投神社」(妄) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「猿投神社」の記事でも紹介しましたが、「景行天皇」が見初めた、美濃の支配者の娘二人をですね、「大碓命」は「景行天皇」には渡さなかったんですね。

日本書紀』によれば、そのとき「景行天皇」は美濃に逗留していたにもかかわらず、です。

このとき、美濃の支配者である(5)「神大根王」が存命だったかどうかはわかりません。

景行天皇」は自分の兄の孫にあたるので、娘を差し出すことに否定的だった理由がなにかあったのかもしれないのですが、いずれにせよ美濃の支配者は「景行天皇」ではなく「大碓命」を選んだのです。

 

(1)丹波道主命 と(5)神大根王、は兄弟。

(1)丹波道主命 と(2)日葉酢媛命、は親子

(2)日葉酢媛命 と(6)垂仁天皇、は夫婦。

(2)日葉酢媛命 と(5)五十瓊敷入彦命、は親子。

(5)五十瓊敷入彦命 と(7)景行天皇、は兄弟。

(7)景行天皇 と(8)大碓命、は親子。

(5)神大根王 は(8)大碓命、の曽祖父の弟で、義理の父。

 

列記するとなんのことかよくわかりませんが、こんな関係性です(図にするとわかりやすいんですけれども)。

すると、(8)「大碓命」は、自分のひいおじいちゃんの弟の娘と結婚した、ということになりますが……この辺りの時間関係はわけわかりません(いくら、最初のころの天皇の寿命が長すぎるとはいえ、ひいおじいちゃんの弟の娘と結婚する設定には無理があるように思います)。

とりあえず、美濃の支配者は、(5)「神大根王」の一族で、(7)「景行天皇」ではなく、(8)「大碓命」を後継者に選択した、と。

 

ところで私、

 

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「猿投神社」(妄)その2 - べにーのGinger Booker Club

 

↑で、「日本武尊」の東征は、(8)「大碓命」が行ったのではないか、という妄想を抱いておりまして。

同時に、(7)「景行天皇」は、(8)「大碓命」でも、「小碓尊」(記紀でいう「日本武尊」)でもない、「成務天皇」を後継者にしたかったので、他の皇子を排除しようとした、とも妄想しております。

 

いろいろと整合性はとれなくなってきておりますが、まぁともかくそう考えたとしまして。

 

成務天皇」の母は、後の(7)「景行天皇」の皇后で、「八坂入媛」といいます。

この人、やっぱり美濃国の人で、父親は「八坂入彦命」、この方は「崇神天皇」の皇子です。

「八坂入彦命」の母親は、というと「尾張大海媛」と言われています。

つまり、尾張と美濃にある程度影響力があったのが「八坂入媛」で、その子どもが後の「成務天皇」なんですが。

実際には、美濃の支配者は(8)「大碓命」で、そして私の妄想では、尾張の支配者「建稲種命」の妹「宮簀媛」を娶ったのも(8)「大碓命」でした。

つまり、(8)「大碓命」と「成務天皇」を比較すると、皇位に近いのは明らかに(8)「大碓命」なんですね。

ライバルは「小碓尊」でしょう……少なくとも、「成務天皇」には武功を挙げたという話は伝わっていません。

また、もし「伊奈波神社」の伝承をある程度信用するとしたら、四道将軍として丹波に遣わされ、因幡国造でもあった(1)丹波道主命と、皇位よりも武人であることを選択して「石上神宮」を掌った(3)「五十瓊敷入彦命」、その後継者である(4)「物部十千根命」の影響力が美濃に入っていたことになります。

そして、なぜか皇位よりも軍事力を選択したはずの(3)「五十瓊敷入彦命」は、弟である(7)「景行天皇」の西征のときも、その息子である「小碓命」の西征のときも、まったく軍事行動を起こしていません(記紀による)。

ううむ……ということはですね、(3)「五十瓊敷入彦命」が軍事力を選択し、(7)「景行天皇」が皇位を望んだ、ということ自体が、実は嘘で、何かの策略で皇位を継承できなかった、と考えてはいかがでしょう。

 

 

秘技・ナンデモインボウロン〜。

 

 

ええ、だめですよ、陰謀論に頼っては。

ただ、妄想なので、お代官様お目こぼしを(?)。

 

 

(6)「垂仁天皇」時代の、(3)「五十瓊敷入彦命」の功績といえば、河内国で池を作ったことと、剣を千振り鍛えて「石上神宮」に納めたことです。

どうも、軍事力を行使できたような感じはしませんが、少なくとも河内国に影響力は持っていたようです。

また、祖父の(1)丹波道主命はその名の通り丹波国(後の丹後国も含んでいたと思われます)と、因幡国に影響力があった。

また、(5)「神大根王」は美濃前国造。

皇位を得られなかった(3)「五十瓊敷入彦命」が、この血族と協力して、「反・景行天皇」勢力となっていったとしたら、どうでしょう。

伊奈波神社」の伝承は、これらを表しているのではないか、と。

そして、「反・景行天皇」勢力が目をつけたのが、(8)「大碓命」でした。

美濃だけでなく、尾張も味方につけた(8)「大碓命」は、東征を成功させ、東国を自分の影響下におきます。

都に帰還すれば、次の天皇、ということになったかもしれません。

しかし、(8)「大碓命」は、都に帰りつくことなく亡くなります。

これは、(8)「大碓命」ではなく、そのまま「日本武尊」に置き換えても、同じ構図になるでしょう。

 

 

伊奈波神社」の伝承によると、(1)「丹波道主命」を祀るための社殿を、美濃の居館跡に建てるように命じたのは、成務天皇なんですね。

記紀にほとんど記録のない「成務天皇」なので、実際に「伊奈波神社」の伝承を鵜呑みにはできませんが、「因幡大神」の称号も与えて、娘の(2)「日葉酢媛命」、(3)「五十瓊敷入彦命」を一緒に祀り上げたのは、祟りを恐れたからでしょうか。

ついでにいうと、『先代旧事本紀』には、(1)「丹波道主命」を稲葉国造にしたのも「成務天皇」の御代だって書いてあります。

時代的に明らかにおかしいのですが(「成務天皇」から数えると、(1)「丹波道主命」はひいおじいちゃんですから)、ひょっとするとこれも、祟りを恐れての措置かもしれないです。

その辺の人たちはとりあえずまとめて祀っておけ、と。

(4)「物部十千根命」の孫が、美濃後国造になったのも、やはり「成務天皇」の御代だそうです。

そうするとこれは、物部氏が美濃を監視するようになった、という意味ではないでしょうか。

(8)「大碓命」は、美濃国の中心部に祀ることはできず、尾張三河の境の「猿投神社」に祀られています。

まだ祀られているだけましですが。

(5)「神大根命」にいたっては、記紀に名前が残るものの、美濃国ですら祀られている気配がありません。

兄弟なのに、(1)「丹波道主命」が全部持っていっちゃった感じがあります。

うーん……。

 

あるいはこれは全部、(1)「丹波道主命」が、(5)「神大根命」の美濃を奪いにきたことを物語っているのかもしれません。

(3)「五十瓊敷入彦命」は、軍事力を所望したことで、父である(6)「垂仁天皇」から危険視されたのかもしれませんし。

この、(3)「五十瓊敷入彦命」と(7)「景行天皇」の、兄弟間での皇位の争いというモチーフは、そのまま「日本武尊」と「成務天皇」にも当てはめられると考えると、似たような伝承を何代にも渡って拡散して書いた、ということも考えられます。

まぁ、何が正解なのかはわかりませんが、妄想ですので。

 

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 岐阜市史

 

↑の278コマには、摂社末社の一覧がありました(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「一、境内末社十六射(伊奈波神名帳に拠る)

大行事神社 祭神伊奈波神御子市隼雄命
后御前神社 同伊奈波神妃縣氏(美濃志)
大御門神社 同伊奈波神の乳父毛里権守倫満(美濃志)
右三者は合せて一宇となす
金神社 祭神伊奈波神御妃縣氏

八王子神社 祭神伊奈波山守護神
高山神社 同毛里倫満の室
右二社は合せて一宇となす
楯縫部神社
倭文部神社
神弓削部神社
神矢作部神社
大穴磯部神社
泊橿部神社
玉作部神社
神刑部神社
日置部神社
大刀佩部神社
右十社を合せて一宇となす
野宮八幡神社 祭神毛利小次郎國満
児御前神社 同擁烈根命
祖會路神社 同卜筮博士
右三社を合せて一宇となす
総神社 祭神伊奈波神供奉の軍兵五百餘騎

大国主神社 祭神大国主神

楠神社 祭神楠木正成
(略)
和歌三神社 祭神住吉神玉津島神人丸神

天満神社 祭神菅原道真

松尾神社 祭神大山咋神市杵島媛命

愛宕神社 祭神迦具土神
(略)

太郎神社 祭神不詳

須佐之男神社 祭神須佐之男

東照宮 祭神徳川家康
(略)

稲荷神社 祭神宇迦之御魂神
(略)」

 

(3)「五十瓊敷入彦命」が賜った十の品部を祀った社や、(1)丹波道主命因幡国からやってくるときに率いてきたという500騎の軍勢を祀った社もあります。

妄想を掻き立てられるワンダーランドでしたねぇ……。

実は、↑の『岐阜市史』の29コマから、「伊奈波神社」の祭神についての考察が書かれているのですが、私の妄想は、この考察は読まずに書いています(妄想ですから根拠はないです)。

ちょっと長かったので引用することもできず、またの機会にしようかと思いまして。

『木曽路名所図会』(江戸時代)には、主祭神は「五十瓊敷入彦命」だったのが、いつの間にか「丹波道主命」になり、また現在は五十瓊敷入彦命」に戻っている、その理由が考察されているのだと思います。

岐阜は遠くはないので、また「伊奈波神社」にまつわる神社も巡ってみたいものです。

 

 

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