べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「伊奈波神社」

6/13。

晴れていたので、ひとまず家を出まして、どこへ行くのかしばらく考え、はたと手を打って岐阜まで。

伊奈波神社です。

 

○こちら===>>>

www.inabasan.com

 

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いい天気。

この、真ん中の道を登っていくと駐車場です。

そこから一度降りてきまして、左端の参道を改めて登ります。

写真右手の建物は、

 

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遥拝所、だそうです。

 

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ひとまず、鳥居をくぐりまして、

 

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……けっこうな坂で。

 

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二の鳥居をくぐった先に、神馬。

 

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神橋、は立ち入り禁止です。

 

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横から見るとこんな感じ。

 

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楼門に上がる階段……「伊奈波神社」は、金華山という、「岐阜城」も立つ山にありますので、まあ当たり前ですが、けっこう登ります。

 

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楼門。

空が光で真っ白ですが、垂木の連続性が美しいです。

 

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狛犬さん。

スロープか昇降機を設置する工事中のようで、これ以上近寄れず。

 

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楼門を裏から。

寂びた感じがいいです。

 

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並び灯篭。

 

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ええと、そうそう、まだ登るんですよね……

地元の方が参拝に来ていたので、あまり邪魔をしないように。

さっきのは楼門、次に見えているのが神門です。

 

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神門の狛犬さん。

 

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神厩舎。

馬さんは像です。

 

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神門から、

 

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拝殿へ。

五間もある、大きな拝殿です。

どこにも案内がありませんが、御祭神は、

五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと) 垂仁天皇の第一皇子」、

相殿で

「淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと) 主神の妃君」、

「日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) 主神の母君」、

「彦多都彦命(ひこたつひこのみこと) 主神の外祖父」、

物部十千根命(もののべのとちねのみこと) 主神の功臣」、

となっています。

 

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これはなんだっけ……神門向かって右手の透垣だったかと。

 

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神門外には、「烏帽子岩」と「御足台石」があります。

烏帽子岩」は、

 

「旧鎮座地である丸山に六尺周囲一丈余りの奇石が存在し、その形が烏帽子に似ていることから烏帽子岩と称え、古くから大神の遺徳を仰ぎ奉る拠り所として語り継がれてきた。御造営にあたり、境内より烏帽子岩に似たる岩が出土したので、是を丸山の烏帽子岩の影向石として安置され、古くから信仰されています。」

 

とのこと。

「御足台石」の方は、

 

「当神社御祭神五十瓊敷入彦命が東国擾乱鎮撫に赴かれる道すがら、長良川を御船で渡られた際に左岸に下り立ち、御足台にされた石であります。此の石台で足を洗われて丸山の館にお入りになったと船頭の間で口碑されてきました。長良橋近くの川岸に存在していたのを昭和十四年十一月国幣小社の昇格に伴い烏帽子岩横に奉祀された。」

 

とのことです。

さて、神門を降りまして左手に行きますと、

 

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摂社末社があります。

 

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見づらいですが、

 

須佐之男神社(旧称津島神社)

祭神須佐之男

疫病・災難・苦悩・不幸を祓う神

 

東照宮

祭神徳川家康

岐阜御殿地(旧岐阜市役所内)より当地に遷座

天満神社

祭神菅原道真

学問書道成就の守護神

和歌三神社

祭神・玉津島神・人丸神

文学の守護神(以上四社合殿)

 

黒龍神社

祭神・高龗

伊奈波神社が丸山より当地に遷座された以前から当山鎮護の守護神と畏敬されあらゆる悩みを除いて、之れを福と化す除災招福請願成就に霊験顕著な御社である」

 

ということです。

 

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参拝〜の前に、小川(堀?)と石灯籠の苔むした感じと、楼門の翼廊の寂びた感じがいいコントラストだったので。

 

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こちら合殿の方です。

 

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「黒龍神社」と「龍頭岩」。

 

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大祓詞」と、それを読むときの拍子木が置かれています。

なかなか、「大祓詞」全文って目にしないですよね。

 

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これなんだろうな……楼門の蟇股だったと思います。

何が珍しくて撮影したのかは覚えていません。

 

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楼門から神門を。

 

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灯篭。

 

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楼門を見上げてみました。

楼門に向かって左手には、

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「伊奈波大黒社」。

由来は、

 

「この大黒様は宝永六年(1709)十二月沢田十蔵と言う人の作によるものであります。この大黒様は大国主尊とも言われ、福徳情愛の神様であり縁結びの神様であります。

心を静め穏やかにお参り下さい。」

 

とのことです。

 

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後ろには恵比寿さま大黒さまが。

また、楼門向かって右手に行きますと、

 

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「吉備神社」の入り口と、その左手には、

 

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「楓稲荷」が。

 

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結構急な階段の先に「吉備神社」と「針塚」が。

公式HPによりますと、

 

「御祭神 吉備津彦命

服飾繊維、和洋裁、手芸の守護神として名高く、毎年2月8日の針祭には其の道の業者、組合員等が参列しお祭りを行う。針の御霊を慰める為、使い古した針を納める針塚もある。」

 

だそうです。

吉備津彦命」にそんな霊験あったかなぁ……というのが疑問ですが。

さてさて、参道をぐっと戻ってきますと、

 

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大山咋神」と「市杵島姫神」を祀った「松尾神社」があります。

池の上にあるので、「市杵島姫命」はわかりますね。

どうしてそこが「松尾神社」なのかというと、「松尾大社」の御祭神が「大山咋神」と「市杵島姫命」だから、なのだと思います。

 

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ちなみに、岐阜市内のあちこちにこういうのが立っておりまして、二次元バーコードを携帯電話などで読み取りますと、

 

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こんな画面が出ます(横向いていたらごめんなさい)。

岐阜市、素晴らしい!!

 

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まだまだ、駐車場の辺りには「愛宕神社」と「金山神社」があります。

 

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さらにその右手には、

 

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秋葉神社」が。

 

ふぅ……思いの外ワンダーランド、さすが美濃国三ノ宮、と言われるだけはあります。

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また、境内には「満願寺」というお寺があったようです。

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「江戸時代、伊奈波神社境内には満願寺という寺(今は廃寺)がありました。この満願寺の境内に小屋が組まれ、記録では美濃で最も古い人形浄瑠璃が盆と春秋の彼岸に上演されました。

元禄時代に入ると、江戸や上方で流行した近松門左衛門の作品も上演され大いに賑わいました。その後、あやつり人形・芝居だけでなく、相撲興業も許され満願寺の芸能は岐阜町の人々に支援されていましたが、天明五年(1785)に尾張藩から芝居興業禁止令が出されて以後、徐々に興業ができなくなり、明治に入ってまもなく姿を消しました。」

 

愛知県在住者からすると、岐阜県のイメージは「長良川の鵜飼」くらいでしょうか(をい)。

私は、母方の実家が岐阜市内なので、「金華山」にはよく行きましたし、柳ヶ瀬もよく通りましたし、長良川の花火大会やらも行ったことがあります。

他に覚えていることといったら、そこで連れて行ってもらった味噌カツ屋が非常においしかったのと、実家の近所の小学校で孔雀が飼われていたこと、ガンプラを買ってもらったこと、くらいでしょうか。

改めて、私の岐阜県のイメージは、「田舎」(鄙びた、というだけでなく、実家という意味での)なのだなぁ……と思いました。

かつては織田信長が根拠地とした岐阜の歴史、ちょっと勉強しないといけませんね……斎藤道山って誰だっけ……。

 

引用などは次回に〜。