べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「塩竃神社」

9/1。

熱田神宮」で御朱印をいただいた帰り、怪しい天気の中。

最近、地元の神社仏閣を回っていないことに気づきました。

これはいかん。

そう思いまして、とりあえず向かったのは、「塩竃神社(しおがまじんじゃ)」です。

 

◯こちら===>>>安産祈願、初宮参りは、八事の【塩竈神社】にどうぞおこしください。

 

f:id:bennybebad:20130901113758j:plain

あ、「鹽竃神社」って表記になっていますね。

f:id:bennybebad:20130901113812j:plain

 

御幸山」という小高い山の上に鎮座まします。

今、地図を見たら、周りに神社仏閣がいくつかあるようで……車で行ったのが間違いでしたか。

駐車場まで、かなり急な坂を上らされました。

f:id:bennybebad:20130901113841j:plain

f:id:bennybebad:20130901114155j:plain

まだ新しい、神明造の拝殿。

f:id:bennybebad:20130901114501j:plain

暗い……暗くて何のことやら……。

f:id:bennybebad:20130901114845j:plain

駐車場から。

駐車場からショートカットすれば、階段なんて上らなくていいんですが。

そこはほら、雰囲気とか。

え〜……小さな神社じゃないか、と思って油断していたのですが、初宮詣で訪れている家族連れが多かったもので、ろくに写真が撮れませんでした。

由緒書にも近寄れず……です。

というわけで、神社HPより。

 

東北鎮護・陸奥国一ノ宮として崇敬を集める、宮城県塩竈市の旧国幣中社鹽竈神社」より弘化年間(1844~48)に愛知郡天白村豪農の山田善兵衛が御分霊を賜りましたのが始まりとされております。
 
明治15年10月に、御幸山中腹に約1万1千平方米の境内社殿を構え、山頂の御幸山には
明治天皇の御野立所の碑があり、東は眺望の良い景勝地です。
境内 南斜面の階段口には、幹周りが約1.5mの樹齢百余年と推定される藤の老木があり、名古屋市の保存樹に指定されております。
春は桜、秋は紅葉の名勝地であります。

 

はい、本家陸奥国一の宮「鹽竃神社」から御分霊を賜っての創建ですので、歴史は浅い、です。

しかし、地元の崇敬は篤かったのだと思います。

何しろ、近くに塩釜口という地名が残っていますから(地下鉄の駅名にもなっています)。

f:id:bennybebad:20130901114612j:plain

参道の階段を上る途中に、「白龍神社」がありました。

f:id:bennybebad:20130901114554j:plain

f:id:bennybebad:20130901114601j:plain

 

こじんまりとしていて、御祭神もよくわかりませんが、多分弁才天でしょう。

違ったらごめんなさい。

名古屋市天白区には、天白川、というそれなりの川が流れています(かつては、異なる名前で呼ばれていた、とのことです)。

この川が、(多分)よく氾濫したので、川の神様としての龍神を、川沿いではお祀りしていたのでしょう。

名古屋市の史跡散策路でも、この辺りを巡るコースが紹介されています。

 

◯こちら===>>>名古屋市:史跡散策路「天道・塩釜と坂道コース」(天白区)

 

……行く前に検索しておけば、もっと有意義だったろうに……。

まぁ、思いつきで行きましたし、雨が降りそうだったので逃げて帰ってきたんですが。

さて、陸奥国一の宮である「鹽竃神社」、いつか行くことを夢見て、御祭神のことなどはそのときにとっておきたいのですが。

 

 

まぁ、ちょっと書きます。

 

 

こちらの「塩竃神社」では、本家「鹽竃神社」と同様に、「鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)」となっています。

記紀神話に馴染みのない方には、あんまり聞き覚えのない神かも知れません。

別名としては、「 塩椎神(しおつちのかみ)」とか、「塩土老翁(しおつちのおきな)」、また「事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさのかみ)」とも呼ばれています。

「事勝国勝長狭神」は、「イザナギノミコト」の末裔で、「塩椎神」と同じだ、とされています。

活躍するのは(?)、主に「海幸山幸」の神話で、『日本書紀』にはいろいろなバージョンが乗せられていますが、まぁ大体、「山幸彦」に海の神の宮殿の場所を教える神となっています。

また、『日本書紀』の天孫降臨神話では、『古事記』と違って、あまり重要視されていないのが「猿田彦神」です。

代わりに道を教えるのが、「事勝国勝長狭神」です。

神武天皇東征の際にも登場します。

道を示す神、つまり嚮導の神としては、「猿田彦神」と「事勝国勝長狭神」は、同等な存在だと考えることができます。

記紀神話では、仰々しい名前をつけられている神が結構いらっしゃるのですが、基本的には皇統の祖先神であることが多いです(例えば、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」とか)。

イザナギノミコト」の末裔なので、「事勝国勝長狭神」にもその資格はあるのかもしれないんですが。

この神、どこかの氏族の祖先になっているのかどうかがよくわからないんです。

それから、「シオツチ」という名前や、神話の中で果している役割から、航海の道しるべになるような神だったのではないか、とも考えられています。

「シオ」は、「塩」だったり「潮」だったりします。

イメージとしては、沿岸部の海を指している感じでしょうか(それより遠い海は、古代日本人には想像の中にしか存在しないと思うのです)。

「ツチ」が何を意味しているのか、というのはよくわかっていませんが。

多分「ツツ」で、「星」の意味ではないか、と。

何で「ツツ」が「星」なのかというとですね。

「星」が、「空」という暗幕みたいなものに空いている穴で、しかも「筒状」だ、と古代の日本人が考えたからではないか、という話をどこかで聞きました。

本当か嘘か。

それはともかく、この「シオツチノカミ」、どうして東北まで行っちゃったのでしょうか?

天孫降臨、海幸山幸、それに神武東征、この辺りの神話は、明らかに関東以西、九州から東海地方を舞台にしています。

そこから東北まで旅に出られたのは、何故なんでしょう?

あ、いや、「塩竃神社」って全国にあるんですけれどね。

それからですね。

何で「シオツチノカミ」、多分、おじいさんだと思うんですが。

「安産の神」だったり、「子どもの守り神」だったりするんでしょうか。

記紀神話で見る限り、そんな感じの方ではないんですけれど。

不思議です。

不思議なので、投げっぱなしで終了です。

 

 

そして、今回は、御朱印もない、と。

 

 

日本の神様読み解き事典

日本の神様読み解き事典

 

 

 

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)