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御朱印帳が埋まってしまったので(蛇腹のものを使っていますが、裏面はどうも使えなくて……)、新しい物を手に入れようと、「熱田神宮」へ。
お参りのついでに、御朱印帳を購入してきました。
やっぱり、なんとなく、地元の神社のものをいただいたほうがいいのかな、と。
以前、もらい損ねた「別宮八剣宮」と「上知我麻神社」の御朱印もいただいてきました。
「別宮」という形態が、よくわからないんですよね。
神の側面として「荒・和」、また「幸・奇」というものがあって(四つとも備わる、という説もありますか)、本来分ちがたいもののはずなんですが(ホロンみたいなものです)。
分けて祀られている「荒魂」、「和魂」もあります。
一つの御祭神の「荒魂」も「和魂」も別で祀られていると、それって本体はどうなってるのよ、と思ってしまいます。
こうした分霊、というのと、「別宮」とはまた異なるもの、なんでしょうか。
「広辞苑」で見ると、「別宮」も「今宮」、「若宮」、「末社」も同じような意味だと書かれています。
うむ。
何となくですが、「(1)社を新しく造った」、「(2)依代を新しく造った」、というような理由から、分霊を祀ったんじゃないかと思うんです。
「熱田神宮」の「別宮八剣宮」には、708年、元明天皇の時代に、新しく宝剣を鍛えて奉納したのが「別宮」の始まりだ、と伝わっているようです。
しかも、年中祭事は、本宮と同じように行なわれるのだ、と。
これがですね、離れた場所にある、というのならまだ分かります。
参道入り口のすぐ脇、ですよ?
何のための別宮なんでしょうか?
……予備?
「上知我麻神社」は、尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」を祀っている神社だそうです。
尾張国造の祖先は「天火明命(あめのほあかりのみこと)」で、天孫「ニニギノミコト」の兄弟神であるか、御子神(「ホスセリノミコト」「ホデリノミコト」「ホオリノミコト」の三柱で、長子と末子がいわゆる「海幸彦山幸彦」神話の主人公なのですが、『日本書紀』の一書では、この中に「火明命」が入っているパターンもあります)です。
その御子神である「天香山命(あめのかやまのみこと)」も、尾張国造の祖神として祀られることがあります。
『先代旧事本紀』の「国造本紀」には、「天別天火明命の十世(とをつぎ)の孫 小止与命を以て、国造と定め賜ふ」とあるようです。
系譜的に考えると、「尾張氏」と「天皇家」は、少なくとも出自を同じくしています。
しかもそれが、記紀神話に書かれています。
古代の話ですから、同根の一族だったかどうかはわかりませんが、記紀神話がまとめられた時代には、そういう話を採用するほど尾張氏の力が強かったか、あるいは何らかの功績があったか、ですね。
力が強かったのはまぁ、多分間違いないでしょう。
「熱田神宮」の創建は非常に古いですので、古代から力のある豪族がいたことが伺えます。
そして、何らかの功績があったのやらなかったのやら。
『日本書紀』編纂が、天武天皇の時代だった、ということを考えますと。
「壬申の乱のとき、天武天皇(大海部皇子)が、吉野から東に逃げた際に力を貸した東国の豪族の中にはもちろん、尾張氏が入っていたでしょう。
だから、系譜上でもかなり特別扱いをされているのではないか、といろいろな人が言っています(多分)。
さて、実際はどうなんでしょうねぇ……。