べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「静岡浅間神社」(静岡市)

9/24(また周回遅れに……週に一度の更新もままなりません……)。

駿府城」をあとに、いろいろ検索して発見した静岡浅間神社へ行ってみることに。

 

◯こちら===>>>

www.shizuokasengen.net

 

思っていたより全然遠かった……歩いてみたんですけれども。

 

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どうも正面ではなさそうな、「大歳御祖神社」の鳥居から入りました。

 

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拝殿。

賽銭箱の神紋はなんだろう……あまり見たことないな……。

 

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七社参りとな……いかん、甘く見ていた……。

神部神社」は「大国主命」、「浅間神社」は「浅間大神」、「木花開耶比売命」でしょうか、「大歳御祖神社」は「大歳神」、「少彦名神社」は「少彦名命」、「麓山神社」はなんだろう……「八千戈神社」は「八千戈命」で「大国主命」の別名、「玉鉾神社」はなんだろうな……。

 

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大歳御祖神社」の本殿……だったと思います……。

ここからずずいと奥に進むと、

 

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えらいことになっている階段が……東京の「愛宕神社」もかくや、という感じで、果たしてふらつかずに登れるのか……。

 

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登る途中で右手を見ると、「八千戈神社」かな、本殿が。

 

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登りきって、さらに登れと……。

 

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さらに進んで、さらに登れと……。

 

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麓山神社」にたどり着きました……おや、「大山祇命」と「日本武尊」が御祭神だそうです。

 

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随身あり、ということは、本来は随身門か……はいれませんけれども。

 

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色鮮やかに修復されたらしい拝殿です。

 

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木鼻に金の獅子。

よい。

 

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本殿の近くまでいけますが、もっと寄りたいなぁ……。

 

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拝殿を、本殿側から。

 

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本殿妻側。

彫刻がすばらしい……うっすら葵の御紋が見えますが、駿府だからか……。

 

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下りの写真はなし、で麓に降りてきまして、「八千戈神社」。

 

「本境内社は、明治以前は徳川家康公が合戦で常に奉持した含持仏の摩利支天を祀ったことから東照公ゆかりの摩利支天社と称された。
維新後神仏分離に際し、金印木像は臨済寺に遷され 以後八千戈命をご祭神とする。
昭和五年五月二十九日昭和天皇御親拝の折には、神部浅間両社御修理中で当社を仮殿としていたので、この大前で御親拝あらせられた。
当社は東照公ゆかりの幕府崇敬の社で、社殿の造営も本社に次いでおこなうはれた。
特に名工の誉高い立川和四郎富昌の彫物が中国の二十四の親孝行物語を題材に社殿周囲欄間に飾られていることは著名である。
現在では武神として信仰され 一般に勝負事の祈願所として広く信仰をあつめている(以下略)」

 

なるほど、「摩利支天」でしたか……「摩利支天」は戦闘神として崇敬されていたそうですが、「八千戈命」にご祭神を変更したこととはそれほどのつながりはないかな……あえて出雲系を引っ張ってくることもなかろうに……。

 

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拝殿。
おお、黒塗り、勇壮ですね。

 

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また相殿が十九柱て……多いなぁ……あ、「八千戈神社」だけではないのですね……。

 

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ちょっと遠景。

うむ、渋い……。

 

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いや、確かに立派な彫刻、さすがは立川流……って書くとあっちを思い出しますが、諏訪地方にも立川一門の彫物が多く見られますよね、確か……天竜川を下ってこれば……。

 

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やっとこ、正門のほうに回ってきましたよ。

 

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神部神社」「浅間神社」の社標。

いや、目の前が結構広い道路だったので、遠くから撮影できずこんなアングルです。

 

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で、ばばーん、と楼門修復中……平成の大修理、ここでもか、ということですね。

 

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神厩舎。

なんと、左甚五郎登場です……「日光東照宮」といい、徳川家と関係が深い(と思われている)のですねぇ。

一頭は、三保に逃げたようですよ……「ちゃっきり節」ってなんだろう……。

 

◯===>>>

ちゃっきりぶしの歌詞 | 静鉄グループ

 

↑こちらだそうです。

 

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あらためて、案内板。

広っ……うかつだった、短時間では堪能しきれない……次の予定があるのです……。

 

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銅板貼りの灯篭、細工も素晴らしい。

 

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「由緒 三社からなる当社は、海道屈指の名社として朝野のあつい崇敬をうけ、殊に、駿府(現静岡市)に縁り深い徳川家康公の崇敬以来、徳川幕府の宗廟として崇められた。
神部神社 崇神天皇七年(紀元前九〇年)の鎮座と伝え、延喜式内社で倭文機神社・美和明神とも別称され、この地方最古の社。制による国府がここに置かれ駿河国総社と仰がれた。次の各社と共に夫々が、県社(明治六年)に列格され、国幣小社(明治廿四年)に昇格した。
浅間神社 醍醐天皇の勅願により延喜元年(九〇一年)富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したと伝え、全国千三百余社の分祀のうち最大最古の社。富士山を神体山と仰ぎ富士新宮と称えられる安産子授けの神。後世、仏説の影響で「センゲン」と音読する。
大歳御祖神社 応神天皇四年(二七三年)の鎮座と伝え、延喜式内社で奈吾屋社・大歳天神とも別称された。上古からの『安倍乃市(現市街)』の守護神・地主神として崇められてきた。社名は、大年神倉稲魂神稲荷大神)の母[御祖]神の意を表している。
この三社は、静岡市街の北北西の方位、「静岡」の地名の由来となる賤機山(賤ヶ丘)の最南端に、神部・浅間両社は東面して、大歳御祖神社は南面して祀られる。古くから朝廷をはじめ、国司・武門・武将が崇敬し、徳川家はもとより、各時代に於て北条氏(鎌倉幕府)・今川氏・武田氏が社殿の造営、社領の安堵等の赤誠を捧げた。
社殿 「東海の日光」と称揚される社殿群は、全二十六棟が江戸後期を代表する神社建築として重要文化財に指定されている。舞殿以外は、全て総漆塗・極彩色で、神部・浅間両社の「大拝殿」は、浅間造の特殊建築で棟高二十五・八米の豪壮な規模を誇り、同[本殿]の彫刻と生彩色の華麗さは、全国に比類をみない建築装飾の秀作である。特に彫刻額は、立川和四郎富昌をはじめ立川流一門の爛熟した技を凝らしている。
史跡 国指定史跡「賤機山古墳」(略)
宝物資料 太刀(銘)備前長船長光(重文) (略)」

 

……い、いかん、全く下調べをしていなかったので、こんなに素敵スポットだったとは……。

 

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灯篭のアップ。

鬼瓦的なやつかな。

 

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拝殿……いや神楽殿かな。

 

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向かって右側、「神部神社」。

 

浅間神社神部神社 大拝殿(重要文化財
徳川三代家光将軍時代 日光東照宮と共に◼︎造営された社殿は 惜しくも火災にて消失した
現社殿は 十一大家斉将軍時代文化年間幕府直営にて巨額の費用と多年の星霜 最高の技術を駆使して造営されたもので 豪壮華麗の美極まり 「東海の日光」と称されております 殊にこの神部神社浅間神社両社の大拝殿は他に類のない特殊な重層楼閣造りで 世に「浅間造」と称され 当神社の象徴的建造物であります
高さ八十一尺(約二十五メートル)もあり外観は彩色絢爛 殿内は百三十二畳で 天井には狩野栄信 寛信の筆に成る墨絵龍と極彩色の天女図が画かれております(以下略)」(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)

 

ほほう幕府直営での再建と……さすが駿府、というところでしょうか。

 

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それも、これを見ればよくわかります、確かに豪華。

 

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ううむ、高層部分の彫刻が遠い……。

富士山の「浅間大社」にはまだ行ったことがないのですが、確かあちらもこんな感じでしたね(もちろん、あちらが元祖、なのでしょうが……「徳川家康」が絡むといろいろと難しいです……)。

 

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少彦名神社」は生まれ変わったそうですよ。

漆の塗り直しが行われたそうで。

 

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遠景。

これ、瓦葺きですか?

ううむ……銅板葺きに漆塗りなのか……。

 

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少彦名神社重要文化財
例祭日 一月八日
本社は少彦名命を主神とし 他に神部神社末社十四社の祭神を相殿とする
もと神宮寺薬師社と称し 薬師十二神を祀っていたが 維新後神仏分離に際し臨済寺に遷され現在は少彦名命をご祭神とする 社殿は入母屋造銅瓦葺 朱塗で細部に彩色を施し 特に欄間に飾られた立川流彫刻「十二支」は名作として著名である
古来境内社として 病気平癒の信仰すこぶる篤く 御例祭には市内薬業関係者多数の参列がある(以下略)」

 

ご存知「少彦名命」は、「大国主命」とともに、日本神話では薬祖と捉えられておりますが、「大国主命」の神性が多様すぎて、「少彦名命」は薬関連に絞りやすい、という感じを受けます(大陸の神話の「神農」と関わりがあるのかなぁ……でも牛ではないしな……)。

一方仏教では「薬師如来」が医薬関連にご利益あり、だったので、本地垂跡や神仏分離に際して、「少彦名命」と重なりやすかったのでしょう……で、薬師社って書いちゃうところがまた神仏混淆の面白いところですが、薬師堂だから、つまり「薬師十二神将」だから「十二支」の彫刻なんだぞ、というわけでもないんですよね……結構多いですから、十二支の彫刻……方位も表現しているのだと思います。

それにしても、銅瓦葺かぁ……まだまだ知らないことが多い。

 

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いい感じ。

 

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続いては「玉鉾神社」。

 

「祭神 羽倉東麿大人命 岡部真淵大人命 本居宣長大人命 平田篤胤大人命
(略)
当社は国学の祖神たる四大人を奉斎し、明治九年三月、静岡県内の神職有志が官許を得て創立した。玉鉾の道の祖神を祀る意を込めて玉鉾神社を称した。(略)」

 

というわけで、国学の祖と考えられている人たちを祀っている、なかなか珍しい神社です。

明治九年だと、太政官復活してましたかね……もう廃止されていたかな……神仏分離を推し進める中で、こういった願いはなかなか無碍にできないものがあったでしょう……そういえば、維新において駿河は当然幕府側だったんだと思いますが、御三家以外では徳川の聖域といえる駿河、生き残りをかけた思い切った策だったんでしょうか……ああ、妄想ですけれども(勉強しないと……)。

「神宮」の遷宮後の社殿が下げられたものだそうです(国学の祖のみなさんも、本望でしょうか……)。

 

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大拝殿が映えるスポット、というのが設定されておりまして、そのあたりから。
確かに、見事……写真の腕以外は……。

 

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これを見ていただければわかる通り、オールスターです。

 

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御朱印は、「静岡浅間神社」のものと、大盤振る舞い全七社個別のものもあります〜。

 

 

 

ああ、本当は文化財資料館に寄りたかったのですが、結構歩いたので疲れているのと、このあとのイベントに間に合わないといけないので……。

 

引用などは次回に〜。