べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「津島神社」(中編)

さて。

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「津島神社」の南方に広がる森があります。

「居森」と呼ばれています。

こちらに鎮座するのが、

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こちら「居森社」。

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鳥居を潜ると、拝殿とは別の建物があります。

これは、何て呼ぶんでしょうね……休憩所ではないでしょう。

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祭神 須佐之男命幸御魂

社殿によると、欽明天皇元年(540)に大神がこの地に始めて来臨され、神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、蘇民将来の裔孫と云う老女が、霊鳩の託によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる。

須佐之男命だとみなされた牛頭天王が、どこからやってきたのかということにはいろいろな説がありますが、一説には対馬からだといわれています。

対馬=津島」。

津、というのは「水辺の港」のことです。

また、古地図によれば、「津島」はまさに「島」のように描かれていることもあります。

今、天王川という川はせき止められてしまって、池になってしまっていますが、「津島天王祭」では車楽船(だんじりぶね)と呼ばれる、水上の山車を浮かべ、今も行われています。

雄壮なお祭りのようです。

つまり、海→川と直結したところに、牛頭天王はやってきたんですな。

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真ん中が「居森社」。

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「疹社(はしかのやしろ)」。

こちらは、須佐之男命和御魂。

「疱瘡の神」というのが日本各地で信仰されていた時代がありました。

疱瘡は「天然痘」のことですが、この伝染病は「疱瘡神」という神様が暴れ回るために起こると信じられていました。

須佐之男命とみなされた牛頭天王は、そもそも「疫神」だったので、伝染病こそがこの神の「御神威」でした。

「毒をもって毒を制す」、で「疱瘡」に対して牛頭天王に力を発揮してもらおう、ということですね。

多分ですが、

 

 

 

 

ジェンナーはこのことを知っていて、種痘法を思いついたんですね。

 

 

 

 

じゃなきゃ、病原菌を体に入れようなんて思いつかないでしょう。

 

 

……

 

………

 

 

嘘ですけど。

 

 

 

どうして赤い御幣や赤飯を使ったのか(「疱瘡神」に対抗する基本的な呪術の様です)、よくわかりませんが、陰陽五行説で誰か解読してもらえませんかね?

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もう一つは、「大日孁社(おおひるめのやしろ)」。

大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)が御祭神

大日孁貴命は、つまり天照大神のことです。

え〜……まぁ、日本神話の神様は謎だらけですので、このお方もほっときましょう。

ただ、世界中で、古来太陽神は「男性格」ですが、天照大神は一般的に「女性格」です。

どっかで、男性から女性に入れ替わったんです。

「大日孁貴」というのは、「太陽神に仕える巫女」のことで、それがいつの間にか「太陽神と同一視」された(あえて、そうした)んでしょう。

伝承によれば、「居森社」は「元津島社」とでもいうべき、最初に大神が祀られた場所のはずなんですが、あんまり整備もされていないし、ほったらかしです。

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南の鳥居です。

本来の参道は、かつての天王川があったこちらの南側から入っていくのが正しいようです。

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南の楼門です。

奥に、蕃塀が見えます。

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なかなか珍しい碑がありました。

「五箇条の御誓文」、というやつです。

この中に、

 

 

「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」

 

 

とあります。

陋習というのは、「悪い習慣」という意味で、一般的には西洋を見習うみたいなことだと考えられているようです。

でもまぁ、どう考えても、

 

 

 

廃仏毀釈」やりまっせ

 

 

 

だとしか思えませんわな。

まぁ、私見ですが。

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「津島神社のいわれ」。

最初にも書きましたが、「天王社の総本社」です。

あえて書いてアピールしている、ということはそうする必要があるからです。

同じ牛頭天王をお祀りしている神社は日本中にあり、そして当然ですが、一番有名なのは、「八坂神社」ですね。

 

 

 

「本家×元祖」戦争

 

 

 

があったのかも知れないですねぇ。

まだあるのかも知れないですねぇ。

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それでは、摂社末社巡り再開〜。

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蕃塀越しに拝殿。

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「船付社(ふなつきのやしろ)」。

庭高津日神(にわたかつひのかみ)」というのは、大年神の子で、須佐之男命の孫神です。

前編で出てきた「庭津日神」との兄弟神ですね。

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「外宮」。

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「大社」。

大山咋命(おおやまくいのみこと)」。

やはり、大年神の子で、須佐之男命の孫神です。

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「児之社(このやしろ)」。

「若年神(わかとしのかみ)」は、前編に出てきた「羽山戸神」の子で、須佐之男命の末裔です。

昔は「児御前」と称したらしいです……。

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「米之社」。

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「熱田社」。

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「大歳社(おおとしのやしろ)」。

やっと出ました、「大年神」。

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「和御魂社(にぎみたまのやしろ)」。

元は蘇民将来を祀る「蘇民社」で、姥が森というところにあったそうです。

現在、「海部郡佐織町」というところはありません。

愛西市」ということなので、津島神社からはしばらく北へ行ったあたりでしょう。

さて、蘇民将来、出てきましたね。

牛頭天王蘇民将来は切っても切れないのですが、簡単に説明できないので、とりあえず置いておきます。

蘇民将来須佐之男命の和御魂としたのは何故なんでしょうね……。

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「瀧之社(たきのやしろ)」。

弥豆麻岐神(みずまきのかみ)」は、羽山戸神の子で、須佐之男命の末裔です。

「水撒き」、のことです。

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こちらも珍しいですね。

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 逆光。

柏樹社(かしわぎのやしろ)」。

須佐之男命奇御魂」。

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「居森社」より遷したらしいです。

奇御魂(くしみたま)というのは、「奇跡を起こす」神の側面、といった意味です。

大きな柏の木の前に立っています。

柏と奇御魂と、どんな関係があるのでしょうか……。

この辺りまでが、境内南東側の摂社末社で、次が、本殿と社務所の間を通って抜けた先です。

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「荒御魂社(あらみたまのやしろ)」。

須佐之男命」の荒御魂を祀っていますが、元は「蛇毒神社」と称し、八岐大蛇の御霊を祀っていたらしいです。

 

 

……

 

………

 

 

は?

 

 

 

いやいや、八岐大蛇って、須佐之男命に退治されているでしょ?

それが、須佐之男命の荒御魂、ですか?

つまり、あの話は、

 

 

 

自殺?

 

 

 

自分の中の内なる自分に勝つ、みたいな?

 

………

 

……

 

 

まぁ、八岐大蛇から須佐之男命荒御魂にした、というのは後世の話ですから。

そして、「蛇毒神社」というおどろおどろしい名前は置いておきまして。

八岐大蛇をガチで祀っている神社、というのはほとんどないのではないかと思います。

個人的には、須佐之男命による八岐大蛇退治は、同じような神格による戦いだったと考えておりまして。

どちらも荒ぶる神だったのですが、勝って「英雄」に祭り上げられた方が、須佐之男命だった、ということですな。

謎の「蛇毒神社」……。

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「大屋津姫社(おおやつひめのやしろ)」。

「大屋津比売命」。

須佐之男命の御子神です。

木製品の守護神とされています。

須佐之男命が木の種を日本に持ってきたのですが、それを諸国に播いた神とされています。

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「若宮社(わかみやのやしろ)」。

尹良親王(ゆきよししんのう)」、と唐突に実在の人物を出していましたが、元々は事代主命(ことしろぬしのみこと)をお祀りしていたようです。

事代主命は、大国主命の御子神で、国譲り神話にあっては父神に「国を譲る」ように薦めたお方です。

神功皇后三韓征伐においては、この神様の御神威があったそうで、そのために「武勇」の神ととらえられたようです。

七福神にある恵比寿様と習合していたりもしますね。

なんで南朝の皇子の名前を出してきたんでしょうか……何かあるんでしょうね。

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「大国玉社(おおくにたまのやしろ)」。

「宇都志国玉命(うつしくにたまのみこと)」は、大国主命の別称です。

相殿に祀られている「大穴牟遅命」も、大国主命の別称です。

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「稲田社(いなだのやしろ)」。

櫛名田比売命」は、須佐之男命の妻神ですね。

元々「一王子社」と称し、俗に「うつくしの御前」とも呼称された、らしいです。

そして、楼門の外。

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愛宕社」。

迦具土神」ということは、防火の神です。

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橋守社(はしもりのやしろ)」。

猿田彦命」。

天王川にかかっていた橋の袂にあったそうで、元々は「橋姫社」と称したそうです。

「宇治の橋姫」といえば、『古今和歌集』に

 

 

「さむしろに衣かたしき今宵もや我も待つらむ宇治の橋姫」

 

 

と歌われるお方です。

嵯峨天皇の時代に、嫉妬のため宇治川に身を投げて人に害なす鬼と化した、と言われています。

それが本来の「橋姫」だったかどうかはわかりません。

川は「境界」ですので、必ず何らかの守護神がいたはずです。

また、三途の川には「奪衣婆」という人が、死人の衣を脱がすと伝えられています。

そういった信仰とも関係があったのではないでしょうか。

決め手は、鳥山石燕が、『今昔図画 続百鬼 雨』に描いちゃったことでしょうね。

 

 

 

ゆるキャラになっちゃった。

 

 

 

あ、ゆるかないですね。

 

 

さて、一回りしましたが、後編に続きます。