べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「(笠寺)七所神社」(再)(名古屋市南区)〜高速初詣その2〜

1/3。

「富部神社」の参拝を終え、笠寺方面へ。

笠寺観音」は賑わっておろう、と思いまして、「七所神社」を参拝。

 

こちら===>>>

「七所神社」(名古屋市南区)〜「笠寺界隈」(2) - べにーのGinger Booker Club

「笠寺界隈」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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いたって平穏……のんびり参拝。

写真はこれだけです。

社務所が見つけられなかったのですが、東側の階段を下って、左手の奥にありました。

神職さんはいらっしゃらなそうだったのですが、ちょうど女性がお帰りになったので、お訊ねすると御朱印をいただけました。

 

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よかったよかった。

というわけで、次の目的地をどこにしようか、と思っているうちに雲行きが怪しくなってきましたよ……とりあえず緑区方面へ〜。

「富部神社」(再)(名古屋市南区)〜高速初詣その2〜

1/3。

「島田神社」を後にして、向かったのは南区は「富部神社」

 

こちら===>>>

「富部神社」(南区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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……はい、写真はこれだけです……。

 

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↑都合4回めのご参拝で、授与所が開いていたので、御朱印がいただけました。

新年のスペシャル印もあるとのことです(通常のがわからないので、どっちなのか……)。

 

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「戸部かえる」がデザインされた御朱印帳があったので、思わず購入。

ううむ、御朱印帳集めまでするつもりはないのですが……やはりデザインによってはつい……。

 

さあ、まだ始まったばかりです。

「島田神社」(名古屋市天白区)〜高速初詣その2

1/3。
三が日の朝も早くから自宅を出るのを家族にやや不審がられました。

とりあえず、名古屋市内をうろうろするぞ、ということで、天白区の「島田神社」へ。

 

こちら===>>>

http://j-e-01.com/2simada.html#2_2

 

↑素敵サイトです。

どうやら、この辺りの歴史を学ばないといけないようですが……とりあえず、何も考えずに、ご参拝。

 

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曙光。

 

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こちらの入り口は正面ではないです。

 

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社標。

 

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境内をぐるっと南の方へ回っていくと、参道正面があります。
おっと、村社でしたか……。

 

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門松。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。
新しい造形で好ましい……変形しそうなパーツ割です。

 

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参道正面。

 

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鳥居付近にありました、「産之神社」。
「産土」という意味でしょうか。

 

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二の鳥居。
ほんのりまだ提灯に灯りが灯っています。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さんは拝殿前。

 

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拝殿。
現代的です。
この色あい……クリーム色っていうんでしょうか、あんまり好みではないです……のっぺり感が。

 

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拝殿右手奥に進むと、境内摂社が。

 

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撫で牛さん。

 

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というわけで、正面は「天神社」。

 

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右手は「秋葉社」。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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左手は「天王社」。
牛頭天王社」でしょうね。

 

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「鷽かえ」の……これ、ウグイスですかね……。

 

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ちょっと遠景。

 

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神楽殿、かな……。

 

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神馬。

 

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「招魂社」。

 

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「島田神社由緒記
本社は伊邪那岐之命、伊邪那美之命、事解之男命、速玉之男命、、天照大神大山祇神鵜葺草葺不合命応神天皇少彦名神を祀る
摂社に菅原道真公を祀り、末社素盞之男命、迦具土之神を祀る
古来是の処に熊野権現池場地内に神明祠、八幡祠、天神祠の四神祠あり末社を祀る
熊野権現は貞治年間島田城の守護神として城主牧高経公の崇敬殊に篤かり
文政年間の記録に本郷氏神熊野権現境内二反歩、池場氏神神明祠境内一■四■二十歩、池場島■八幡祠境内二十八歩あり村民の崇敬を受くとあり
明治四十二年に到り前記四神祠をすべて合祀の上黒石地内に一時移転鎮座す
大正十二年に到り再び是の地に移転鎮座し給う 昭和四十八年十月本殿、摂社、末社、社務所、神楽殿、御手水舎の改築境内整備に着工昭和五十年十月完工し奉る
創建年代不詳
(略)」

 

……まあ、よくわかりませんが、最初は「熊野権現」だったようです。

 

 

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拝殿を向かって左手から。
この石灯籠が大きいのです。

 

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入り口まで戻りました。

 

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御神紋。
独特というか……屋号みたい?

 

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御朱印

地元の氏子さんがたくさんいらっしゃって、これから賑わうのだろうな、という時間に御朱印をお願いするのがちょっと忍びない……と思ったんですが、平時は結構な早い時間しか受付していないようで。
三が日でよかったのか何なのか……。

 

さて。
そのものずばり、の文献がぱっと見つからなかったもので、今回はとりあえず、

 

こちら===>>>

名古屋市:史跡散策路「清流と神社・寺院コース」(天白区)

 

↑天白区の史跡散策路のHPから。

 

「祭神は伊邪那岐命伊邪那美命を始め九柱を祀る。創建不詳。この神社には、島田城主であった斯波高経(牧氏の祖)が貞治年間(1362から1367)島田城を築くにあたり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていた。明治42年池場神明社、八幡社、天神社を合祀の上、さらに黒石の山神社、天神社を合祀し黒石に移る。大正12年現在地に鎮座し、同15年天神社、秋葉社を境内に祀り、名称も島田神社と改めた。」

 

さっきから登場している、黒石という地名がどこなのかよくわからないんですよね……池場はなんとなくわかりますが……。
どうも、この辺りのことを真剣にやろうとすると、斯波氏とか調べないといけなさそうなので、今回はちょっとスルーでお願いします……(記事が先に進まなくて……)。
ただ、村社なのに『名古屋市史』をざっと見ても掲載されていなかったんですよね……例の当時はまだ名古屋じゃなかったオチですかね……うーむ。

 

というわけで、高速初詣その2の開幕〜。

「(矢田)六所神社」(名古屋市東区)〜高速初詣その1〜

1/2。
ラストは東区の六所神社です。

 

こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

↑東区の史跡散策路のHP。

ナゴヤドームのごく近くですので、なかなか見つからないかも(ご参拝のあと、イオンナゴヤドーム前に行き、何か買ったような気がします)。

 

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社殿。

現代的ですね。

すっかり日も暮れかけて、という風情。

 

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うーむ、コインパーキングに駐めてきたのに、あったよ駐車場……。

 

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境内社「龍神大明神社」を後ろから。

 

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前から。

 

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「御安産水」……私にはもっとも縁遠いご利益ですね……。

 

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いろいろ龍神と、「六所子守神社」の社標。

龍神だらけですが、何かあったのか……。

龍神講?

 

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祠にも。

 

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狛犬さんたら

 

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狛犬さん。

 

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怪しげな池を発見したら、それは「弁天」様だと思いましょう。

 

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境内社「六所稲荷大明神」。

 

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お狐様たら

 

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お狐様。
ちょっと怖い。

 

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まだお狐様たら

 

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お狐様。
こちらはちょっと丸い。

 

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さらにお狐様たら

 

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お狐様。
凛々しい。

 

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遠景。
囲まれている感じが何かいい。

 

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参道。

 

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鳥居。
南向き。

 

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こちら東向き。

 

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境内西側から。

 

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南西側から。

 

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御朱印……というかスタンプに近いです……矢田というのはナゴヤドーム付近の地名です。

 

さて……あ、引用するものが見つかりませんで……。

東区の区誌があれば何かわかるのかもしれないのですが、あいにくデジタルコレクションでは見つからず……図書館か……。

あ、一つ、神社でいただいた御朱印を抑える紙の記述を転載。

 

「安産厄除守護 六所神社
御祭神 伊弉諾尊伊奘冉尊

カッチン玉祭 二月二十六日
安産・生育・厄除けを祈るお祭りが行われる。この日にしか買えない「カッチン玉」は、竹の先に白・赤・青・黄の飴を丸く練り固めたもので、境内の内と外に立ち並ぶ百数十件の露店の中でこの飴が売られる。「カッチン玉」が売られるようになったのは明治の初め頃で、その昔六所神社の森は鬱蒼とした木が繁り昼なお暗く、蛇や蝮、藪蚊が出たので人の出入りするも恐れをなしたと云い、村人達は用心のため、竹の棒の先に松明や藁束を燃やして森に入った。この松明を形どったものが「カッチン玉」と云われている。又一説に、同社の森の中で旅の婦人が立派な赤子を出産し水に浸かったと云い伝え、へその緒を形どったものを「カッチン玉」とも云っている。」

 

えらく御陽気な名前だなと思いましたけれども、案外新しいようで。

「カッチン」は、火打ち石の擬音でしょうか……それにしては飴が色とりどりですが(五行に一つ足りないですけれど、関係あるのかないのか)。

 

 

 

何となく、尻切れとんぼな具合になってしまいましたが、ともあれ高速初詣その1は終了。

この日だけで、一年分の御朱印をいただいた感じです……。

 

「松山神社」(名古屋市東区)〜高速初詣その1〜

1/2。
「泥江縣神社」を早々に駆け抜けて、何とか東区に移動、「松山神社」へ。

 

こちら===>>>

名古屋市:寺町めぐりコース(東区)

 

↑東区史跡散策路のHPです。

まるっきり存在を知らず、名前から「新しい神社なのかな」と思ってしまっていました(いえ、松下幸之助翁を祀った神社がありますから、そういった類なのかと)。

付近のコインパーキングに車を突っ込んで、スマホの地図頼りに歩いてみると、住宅密集地に忽然と出現。

 

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境内の西側から入ります。

↑の史跡散策路のHPでも紹介されていますが、

 

「天照皇大神等を祀ります。松山天道宮と呼ばれ崇拝されました。西方に向かう珍しい拝殿を持つ神社です。」

 

なのです。
確かに、ちょっと珍しい。

 

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「松山神社略記
(略)此れ地往古は松樹繁茂せる広大なる山林なり、因って松山神社といい、近世天道宮、天道社又は松山天道とも呼べり、創立年代不詳、大永年中羽前羽黒山の修験隆海之を再興し守護すること三十余年二代鑁海の後社殿大に荒廃す、元和年中美濃久々利の修験秀恵重興し且つ寿命院を建立別当となる。以来藩主の命に依り祈願所となり、崇敬篤く元文三年五月、御紋附の挑燈を寄附せらる。
明治の初年村社に列し、別当を廃して祠掌を置く、祭神中央は天照皇大神、右は品陀別命、左は市杵島姫命なり、社殿は神殿、拝殿、神饌所、神楽殿、社務所あり境内に加茂社、猿田彦社、天神社、秋葉社、津島社、福守稲荷社がある、
(略)」

 

大永という年号は1520年頃で、その頃にはすでに荒廃していたのですから、創立はそれ以前。

室町、鎌倉辺り、下手をすると平安時代……ううむ、十分な古社で、今まで知らなくてすみません(社伝を信じるなら、ですが……それでも、1500年代からであれば十分な歴史の重みです)。

しかし、「」、これで「ばん」と読むそうですが、こんな字の存在を初めて知りました(ちゃんとPCで出るのも驚き……OS違ったら出てないかもしれないですすみません……)。

 

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こちら、南側の参道。

奥に社殿が見えます。

で、急いでいたからなのか、境内の写真があまりありません。

住宅地ですので、それほど広々とした境内ではないですが、何で写真が少ないのか……多分、地域の方がお参りに見えていて、撮影しづらかったのだと思います(なにせ半年前、記憶が)。

 

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拝殿を横から。

 

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「長寿の大銀杏」なのだそうです。

昭和初期まで、名前も知られない古木があったそうです……残念、現代まで残っていれば……。

写真としては、一番上の小さく写っている瓦が見所です。

あ、小さな祠は、

 

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「福守稲荷社」のものです。

 

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拝殿左手奥に、境内末社がずらりと。

提灯のおかげでわかりやすい。

 

 

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神楽殿は、西側の鳥居をくぐりすぐ右手の手水場の東側、だったと思います。

日が暮れかけているのがお分かりかと。

 

 

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御朱印
五七桐に御朱印を重ねる……この技、新しい気がしますが、ちょっと素敵ですね。

さて。


こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

ひさびさに『尾張名所図会』から引用(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

134コマです。

 

「松山天道宮寿命院 九十軒町の北なる東側にあり。当山派の修験清寿院同行なり。大永年中出羽国羽黒山の山伏隆海の建立なりしが、累年衰廃に及びしを、元和年中に、寿命院美濃の久々利より来りて再興す。本社天道宮、左右は八幡と弁財天なり。その外境内に末社多し。」

 

うん……神社の略記のほうが詳しかった……あ、でも、次のコマに図絵がありますので、それをご参考に〜……超端っこですけども。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋

 

尾張志』の「名古屋」編より、17コマです。

 

「天道社
飯田町にありて松山天道といふ此地むかし松樹繁茂したる山なりし故かくいひならへりとそ勧請の年月知かたし大永年中出羽国羽黒山の修験隆海はしめて此地に来り当社を再興し三十余年仕職して後本国に帰りぬ二世鑁海(ばんかい)も又羽黒より来り同本国へ帰ける後元和年中美濃国久々利より修験秀惠入院して寿命院と称し仕職しけり今も其末絶を奉仕す今飯田町九十軒町作子町萱屋町なとの本居神なり
摂社 八幡社 弁才天社 例祭(正五九月皆十四日に試楽十五日にかぐらゆだてを執行す)」

 

……うん、神社の略記(以下略)。


こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

名古屋市史』の「社寺編」より、146コマです。

 

「五 松山神社
松山神社は東区飯田町三丁目の東側 往古は吾湯市郡山口と称す、本社の鎮座ありし以来、俗に天道町といへりと に在り、(略)、往古は松樹繁茂せる広大なる山林なり、もとは松山神社といひ、近世天道宮、天道社又は松山天道と呼べり、勧請の年時詳ならず、一に大永年中の勧請となす、大永年中、羽前羽黒山の修験隆海之を再興し、守護すること凡そ三十余年、二代鑁海の後、社宇大に荒廃す、元和年中、美濃久々利の修験秀惠之を重興し、且つ寿命院を建てて別当となす、 寿命院は寺院の部に詳なり 、以来藩主の命に依りて祈願せしこと有り、松姫 光現院と號す、藩主綱誠の女なり 御祈祷の札を江戸へ献じ、其後下屋舗より屢、祈祷せしめ、神楽、神湯を行はる、宣揚院 藩主綱誠の侍妾なり も亦本社に参詣し、元文三年五月、御紋附の挑燈を寄附せらる、 以来天保頃まで祭時には神前に之を点せり 明治初年村社に列し、別当を廃して、祠掌を置く、祭神中央は天照皇大神、左は市杵島姫命、右は品陀別命なり、 明治初年までは天照皇大神本地仏大日如来の木造を安置せしが、神仏分離の際之を取出し、今は岡町禅隆寺の観音堂に安置す、尾張名陽図会には祭神は国常立神にして、本地大日如来なりとあり 殿宇には神殿、拝殿、神饌所、献燈所、社務所、門等あり、境内神社は徳川時代には八幡社 往古は徳川時代の作子町、鳥屋町、坂井氏の屋舗の地にありしが、慶長遷府の際、本社境内に遷せり  弁才天社 往古は今の鍋屋町教頓寺の邊にあり、慶長遷府の際、本社境内に遷せり の二所なりしが、今は天神社 祭神は菅原道真 、稲荷社(略)、賀茂社(略)、猿田彦社(略)秋葉社(略)津島社(略)の六所あり、例祭は十月十四、十五日 徳川時代は正五九月の十四日に試楽、十五日に神楽、湯立あり、特に清洲越の俗家、本社の氏子として祭事を行ひ、且つ小原氏、土佐女といふ神巫ありて、神楽、湯立等を行へり にして、十四日に市より供進使の参向あり、飯田町三丁目より黒船の山車一台を出す 但し出否は毎年一定せずと (以下略)」

 

……うん、ほぼ神社の略記通り……そりゃそうだろう。

 

「土佐女といふ神巫ありて」

 

↑この辺りがちょっと気になりますね……「吉備津神社」「吉備津彦神社」の伝承では、「阿曾女」という巫女が登場しますが、何かそれに習ったものがあったのか、四国、土佐といえばいざなぎ流、そちらからやってきた巫女だったのか……とちょっとだけ妄想が膨らみました。

やってることは神楽に湯立ですから、真っ当な神事ですけども。


せっかくなので、「寿命院」というお寺の記事もこちらから。
カテゴリーとしては「廃寺」のところですけれど。
548コマです。

 

「寿命院は飯田町に在りて、清寿院の下に属し、松山神社の別当たりき、初め大永年中、出羽国羽黒山の修験龍海此地に来り、天道社を勧請して奉仕すること凡三十年、帰国の後二世鑁海、亦羽黒より来りて其職を継ぐこと数年、鑁海帰国の後、久しく其跡を絶ちしが、元和中、美濃久々利(今可児郡久々利村大字)より修験秀惠(寛文元年卒す)来りて再興し、寿命院と號す、以来相続して絶えざりしが、明治維新の際廃絶す、本地堂の本尊大日如来木立像は、今同町禅隆寺の観音堂内に在り、此外同堂に薬師如来像(俗に夢薬師と称す)、秋葉宮を安ぜり、(以下略)」

 

……うん、特に新しい情報はない……。

 

「天道」の宮、社、という言い方は日本古来のものではなく、どちらかといえば六道思想から引っ張ってきているのかな、と考えられているようです。

「天・人・修羅・餓鬼・畜生・地獄」の六道ですね。

この神社のように、神仏混淆が早々に進んだであろう修験道系の僧侶の創立だからそういう名前になったのか。

その辺りの解説はありませんので、「天道社」「天道宮」についての本とか、探してみないことにはよくわからないのかもしれないです。

一方で、「お天道様」といった太陽のことですから、そこから「天照大神」をさすのだ、というのもわからないではないです。

ただ、どっちが先なんでしょうね。

太陽を「お天道様」と呼んだから「天道宮」に「天照大神」を祀っているのか。

天照大神」=「天道」、「天照大神」=「太陽」、だから「お天道様」=「天道」になったのか。

さてはて……比較的新しい言葉だと思うので、調べれば出てくるかな……やってみ……たいですね時間があれば。

 

ふむ……ともかく、街中に溶け込んだ、なかなか味わいのある神社でしたので、いずれまたゆっくり訪れようかと思っています。

そろそろ、高速初詣その1も終了です〜(まだ行きます)。

 

「泥江縣神社」(再)(名古屋市中区)〜高速初詣その1

1/2。

上飯田六所宮」の参拝を終え、あ、そういえば、と思い出して、「泥江縣神社」へ。

 

こちら===>>>

「泥江縣神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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……今回は、写真はこれだけ、でした……日が傾いてきて、結構急いでいたりしたもので。

 

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御朱印

鳩が向かい合う形の「八」は、「八幡宮」の定型ですね。

 

 

以上です。

 

 

いえ、手抜きとかではなくてですね、本当に……。

 

まだ続くのです〜。

「六所宮(上飯田)」(名古屋市北区)〜高速初詣その1

1/2。
まだまだ続きますが、「別小江神社」の参拝を終え、次はと「六所宮(上飯田六所宮)」へ。
近くのコインパーキングが空いておらず、ちょっと歩きました。

 

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天満宮」もあるようです。

 

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日も傾いてきたのがお分かりかと思います。
蕃塀があります。

 

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拝殿……だったと思います。
えらくシンプルな感じになっています。
この色合いは、何か流行でもあったのか……。

 

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境内社こちら。
左から「弁財天」「天神社・神明社・八竜社」「出雲社」「天満宮」。
案内の向こう側にうっすら社殿が見えますか〜?

 

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こちら「天満宮」。

 

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わかりづらいですが、手前に撫で牛がいらっしゃいます。

 

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別アングルでの「天満宮」とご神木。

 

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こちら、東側の鳥居です。
「六所社」なのか「六所宮」なのか……。

 

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敷地の外から、境内社

 

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同じ方向からの「天満宮」と拝殿。

 

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拝殿……あれ、これは単なる屋根なのか……。

 

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「六所宮由緒
一、御祭神
伊弉諾尊 伊弉冊尊 天照皇大神 月読尊 素盞男尊 蛭児尊
昭和五十六年 御社殿造営を完了し九等級に昇格 六所宮に名称変更した
(略)」

 

……何もわからないに等しいですね……。

 

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正面を別角度から。

 

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社標。

 

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正面から。

 

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通りを渡っての遠景。

 

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御朱印

 

何度か目の前を車で通ったことがあるのですが、ようやくご参拝できました。

さて。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 西春日井郡誌

 

↑最近お世話になりっぱなしの『西春日井郡誌』から引用してみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
205コマです。

 

「六所社、山田村大字比良字宮裏二千六百七十六番地にあり。祭神伊弉諾尊伊弉冊尊、大日孁尊、素盞嗚尊、月読尊、蛭子尊を祀れる村社なり。創始年月詳ならず、大正八年四月十日境内に在りし津島社、同字飛多野に鎮座の非多神社、同安野市場鎮座の山神社、師勝村久地野に鎮座の無格社を合祀す、境内二百十三坪老樹多く社殿と拝殿とあり、現今境内神社には、非多神社(祭神天御中主命、大八崎命、天香山命菅原道真、当社は明治十六年五月四日元天神社といひしを改称す)山神社(祭神大山祇命、武雷命、伊弉諾命)大江社(祭神木花咲哉姫)あり、例祭は十月一日とす。」

 

御祭神を見る限り、今の「六所宮」のことだと思われます。
近くにあった神社をいくつか合祀しているようですが、その中に式内社「非多神社」があることにちょっと驚き。
ちょっと、そっちを攻めてみましょう。

 

こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 6 春日郡

 

↑『尾張志』「春日郡」より、51コマです。

 

「非多神社
延喜神名式に春日部郡非多神社と記し本国帳に従三位非多天神と見え其一本に卑田天神又樋田天神等書り尾張風土記に卑田宮とあるも是歟本国帳集説に卑田は林村の内の地名にある由いへり」

 

わかったようなわからないような……『尾張名所図会』『神社覈録』も似たような記述でした。


こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 特選神名牒

 

↑『特選神名牒』より、164コマです。

 

「非多神社
今按本社所在里人の申伝に林村字平野と云所に天神社ありしが今廃して三明神相殿にまして其趾に山神の小祠ありと云れど今村中に非多と称する地名もなくたしかなる證もあらねば猶考へて決むべし。」

 

『特選神名牒』が書かれたころには、「ヒタ」という地名はなくなっていたのか、といたことが書かれています。
さて、実際はどうなのか。

尾張国神社考』(原題「尾張神名帳集説訂考」、津田正生著、発行:ブックショップ「マイタウン」)によりますと、

 

従三位非多神社天神
[正生考]平田村前並天神是歟。非多はかな書也。往昔は卑田と呼しを、今は平田と呼歟。凡らりるれろの五は、省もし添もして呼こと常なれば也、[里老曰]前並は、もとは舟着と呼し所也。此宮清慶山浄蓮寺(浄土宗)の扣なりしを、近年小出氏これを求て社司に成といふ。浄蓮寺は爰より三四町北にあり[正生考]猶よく訂為べし。集説に味岡荘林村に卑田と呼地あり」といへるは取がたし已にいふごとく林村は、旧は丹羽郡なれば然あるへき理りなし。」(p77)

 

基本的に『尾張神名帳集説』(というタイトルのはず)に訂正を加えるための本誌ですので、天野大先輩のことを真っ向から両断するのが津田スタイル。
とはいえ、この神社に関しては情報が少なすぎるので何とも。
「山神社」というワードが出てきますが、この名前の神社は村中いたるところにあったでしょうし、「三所明神」や「六所明神」、「十所明神」という名前は、そこらの独立した社〜祠にお祭りされていたものを「集めましょう」ということだったでっしょうから、本来の歴史はよくわからなくなっています。
現在の名古屋市北区周辺でも、「六所」とつく神社が、上飯田含めて3つほどすぐに思い浮かびます。

例えば、

 

こちら===>>>

「六所社」(名古屋市北区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑とか……あれ、今、自分の過去記事を確認して、「ひょっとしてこっちの「六所社」のことが『西春日井郡誌』に載ってるんじゃないの?」って思っちゃった……んですけど……さて、歴史はいかに……といったところでお開きにしたいと思います。

 

高速初詣その1は、まだ続きますけれども〜。