べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「真清田神社」(再々)(一宮市)〜高速初詣その4〜

1/7。

1/6は、年末の休日出勤の代休を取らざるを得ず、やむなく休んだのでした。

で、1/7は土曜日。

三河国二宮「猿投神社」にご参拝したのに、尾張国一宮には行ってないじゃないか……ということで、「真清田神社」へ〜。

 

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「真清田神社(ますみだじんじゃ)」 - べにーのGinger Booker Club

「真清田神社」(再)(一宮市) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。
定期的に、というわけでもないですが、ご参拝しています。
父方の在所が稲沢というところで、一宮も近いものですから……でも子供の頃に行った記憶はないですけどね……なんでだろう……。

 

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初詣で賑わっただろう、コーンの並び。

 

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写真はほとんどなく、狛犬さんとおキツネさまだけです。

 

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おキツネさまは、「三八稲荷」のほうでした。

 

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御朱印
知らない間に、「服織神社」のものまでありました……。
というわけで、高速初詣その4、開幕〜。

「植田八幡宮」(名古屋市天白区)〜高速初詣その3〜

1/6。

本日のラストは、天白区に移動しての「植田八幡宮

 

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↑天白区の史跡散策路のHPです。

 

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神社の前にあった、「馬頭観音」の祠。

 

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正面。
すっかり日も傾いております。

 

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いきなり本殿右手の末社

 

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御神馬。

 

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もうちょっと近くから末社
「津島社」「山神社」と……う、見えない。

 

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参道右手にある、ええと、「弁天社」か「厳島社」。

 

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神橋、鳥居、拝殿。

 

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「植田八幡社と古墳
創建年は不詳であるが「尾張志」に、天正八年(一五八〇)」室賀久太夫が修造したと記されて降り、応神天皇を祀る。境内に、植田八幡社古墳があり社殿の改修で削られて、今では社の広報の部分に、わずかにその姿をとどめるにすぎない。
古墳の形式は判然としないが、被葬者は、この地を支配した豪族と考えられる。」

古墳の上に神社が建てられたケース、というのが結構多いことにちょっと驚きます。
こういったことも、学校では教えてくれないですからね……。

 

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東側の参道入り口。

 

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あれ、写真が少ない……氏子さん達が集まっていらっしゃったので、写真も遠慮気味にしたんだったかな。

 

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御朱印

 

さて。

とはいっても、引用するものがないのですが……↑名古屋市の案内板や史跡散策路のHPに書かれているように、『尾張志』に紹介されているのですが、大きな記事ではありません。

一応ですが、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑の15コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「八幡社 天正八年室賀久太夫修造す是この村の本居神也社人磯村木工太夫」

 

このくらいのものですので……。
尾張国地名考』もざっと見てみましたが、植田村については特に解説なし。
「村の鎮守」の典型的な神社、ということでしょうか。

 

 

これにて、高速初詣その3も終了。
……ええ、まだその4があるんですけれどもね。

「津賀田神社」(名古屋市瑞穂区)〜高速初詣その3〜

※「東大寺」に落書きが発見されたとか。
仏様のお慈悲は広大無辺ですけれども、凡俗の身としては「ふざけんな」という感想です。
何語で書かれていたとか、正直どうでもよいです、何人だろうがやめてください。※

 

1/6。
普段あまり来ない瑞穂区方面に向かってみました。
行き先は「津賀田神社」です。

 

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www.city.nagoya.jp

 

瑞穂区の史跡散策路のHP。

 

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正面。

ややこんもり。

 

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「津賀田神社
尾張志」に「本國帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也・・」とあり、天照大神仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡とも井戸田八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ・・」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。」

 

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だいぶ日も傾いております。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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拝殿。
平入り、神明造、何か珍しく思えますが……ああそうか、「八幡」とか書いてあるわりにそれっぽく感じないからでしょうか。
どちらかというと、「天照大神」をメインに据えている感じ(「八幡」といっても、「若宮」なので「八幡」ではないのですが)。

 

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お隣は「津賀田稲荷」。

 

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参道途中の祠(仏教)。
弘法大師」かな……違うかもです。

 

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うーん、梵字が刻んでありますが……字の並びから「天照皇大神云々」でしょうか……ということは「大日如来」かな。

 

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「津賀田竜王神社」。

 

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手水舎越しの拝殿……なんか、ちょっと気持ち悪い配置ですよね、これ。
拝殿に向かうためには、手水舎を避けなければいけない……ということは、怨霊封じでしょうか。

 

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灯篭。
立派。

 

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遠景。
拝殿、結構大きいですね。

 

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諸々の碑。

 

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先ほどの鳥居から西側の駐車場に降りられます。
その途中から。

 

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正面参道、さらに遠景。

 

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灯篭。
ちょっとふくよか。

 

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戻ってきました。

 

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もうちょっと引きますと、こんな感じです。

 

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遠景。

御朱印はいただいておりません。
ネチマタの噂ではいただけるそうなのですが、この夕方にお呼び立てするのもいかがかと思いましたし、神職さんのところにお客さんも来ていたようなので。
いつかいただけたらいいな。


さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑お久しぶりの『尾張名所図会』。

306コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「津賀田社
同村にあり。仁徳天皇を祭る、俗に若宮八幡と稱す。[本国帳]にのせし従三位津賀田天神是なり。右大将頼朝公誕生の地にして、其産土神なる故、治承四年此社を鎌倉にうつしまつり、今鶴岡下宮なるよしいひ伝へたれど、定かならず。治承五年五月十三日鶴岡造営の事は、[東鑑]にしるしたれど、ここより勧請せしよしは見えず。又其誕生の地といへるは、熱田の誓願寺境内なるよし、すでに其所にしるせしごとくなれば、今何れか本所なるにや、是非定めがたし。
摂社 八劔祠・源太夫祠・富士祠・白山祠・神明祠・諏訪祠ともに境内にあり。 神主 亀井氏は源義経に従ひし六郎重清ここの人にて、其裔孫なるよしいひ伝へたれど、其亀井は紀伊国熊野の人なれば、恐らくは別人なるべしと先輩いへり。されども亀井六郎が宅址といふもここにのこりたれば、しひても捨てがたかるべし。」

 

なるほど、出ましたか「源頼朝」。
ご存知かと思われますが、「源頼朝」の母が、「熱田神宮」の神官の家に生まれており(あれ、ちょっと違う気がする……)、「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三英傑以前、それも武家政権の始祖にして棟梁の鎌倉殿まで愛知県出身……とは言えないかな……ゆかりのあることを、愛知県はもっとアッピールすればいいのに、とよく思います。
とはいえ、鎌倉の「鶴岡八幡宮」の本所、という主張はちょっと……いえ、可能性がないではないですが、だったらどうして「熱田神宮」を勧請しなかったのかな、とかいろいろ浮かんできますので。
ただ、そうした伝説が残っているところに、何かが潜んでいるのかもしれません。

 

 

……適当に書いていますが、そうです、平安〜鎌倉〜戦国〜江戸に至るまでの私の日本史の知識は、多分中学生以下ですので、何一つ信用できません。
ああ……勉強しないと……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

じゃ、次は『尾張志』の「愛知郡」より。
5コマです。

 

「墓田(つかた)天神社
井戸田村に坐て今は若宮八幡と稱す 本国帳に愛智郡従三位津賀田天神(元亀本に墓田とす貞治本に墓を暮にあやまる)とある是也 此社地を俗に長森といふは松樹つつきて長けれは也 むかし頼朝将軍此村のうち片垂(かただり)といふ地にて誕生し給ひ此村なる亀井を産湯としこの社を本居神とし給へるよし社説にいへり されとも彼卿の母は熱田大宮司藤原季範女にて久安三年四月八日熱田はたや村にうまれ給へりし 故に頼朝の童名を幡屋の武者王といひけるよしある書に見えて熱田誓願尼寺即誕生の旧地なるよしいへる伝へあるもさるべくおほゆれはいつれとも決めかたし 墓田といふはこの本井戸田井戸田二郷のうち殊に古塚多かるより出たる地名なるへし 当社の今の社説に祭神を仁徳天皇なりといふは若宮八幡と呼るより出たる説にてよりかたし 其故にこの社旧は若宮とのといひなれて八幡の号はなかりしを若宮の号のあるにつきて八幡の号を副たる事明らけし 若宮八幡と申は八幡にて其若宮をさしていふ唱えなるが世に普く広くなれる也 すへて若宮と申す名は其本社の御子神をさせる例なれは称はひとしくても其社毎に祭る神は異なるならひなるとや さて此社を若宮といふ事は何れの神の若宮に坐にか知かたし(按に今熱田大宮の内に坐す孫若御子神社の本所は今名古屋なる若宮八幡社ならむかと考たる説をかの條に辨へ置つれどもしくは此處の若宮それならむも知かたし上古に明らかならむ人よくよく考へたたしてよ) 又此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃んいをさめて伝来す 是は後光嚴天皇の大御代応安元年戌申十一月晦日事はかりはじめて同二年巳酉正月十一日に筆をとりはじめ同七年甲寅十一月六日供養したるなり 総計六百巻のうち奥書したる巻百十七巻ありて元弘観応応安永徳至徳明応寛正等の年号を書り ただし元弘観応の二巻は此応安年中より以前の写巻にて五百年以上の古物古雅なるもの也 又この奥書にある員数のうち元暦文治建久正治なとの年号ある分十七巻あり 是は皆後人の加筆にて墨色ことなり心して見るへし 又此奥書ある巻の内に井戸田郷若宮とかける二十二巻あれとも八幡と書たるひとつもなきを以て八幡の社号なき證とすへし 摂社に八劔社 源太夫社 富士社 白山社 神明社 諏訪社 田神社 稲荷社 (田の神いなり二神相殿なり) 熊野神 山神(この二神は社廃れて石をもて御霊とす) あり 社人を亀井忠太夫と云」

 

あら、「源頼朝」がこの辺りで生まれた説については、ばっさり行きそうで、「やっぱり決め手がね」という論調ですね。
一方で、「八幡」であることに対しては、ばっさり切ってます。
「若宮」というのは、本社の御子神に対して使われる普通名詞で、それが「八幡」の場合は、「応神天皇」の子である「仁徳天皇」になる、というだけなのに、この神社では「若宮」と呼ばれていたがために、「源頼朝」伝説のせいなのか、「八幡」がくっついてしまって、「若宮八幡」になってしまった、と。
そのため、誰の御子神だったかは忘れられてしまいました……なるほど、さもありなん。
これなら、「鶴岡八幡宮」の本所なはずはなく、むしろ「鶴岡八幡宮」から「八幡」を引っ張ってきたんじゃないのか、と思えますね。
いや、それでも実際のところは決めがたいのですが……「若宮」に対する「本宮」「本社」の神がなんだったのかを突き止めるのは無理でしょうね……。
↑↑瑞穂区の史跡散策路のHPでは、

 

「津賀田神社
古木がうっそうと繁り荘厳な雰囲気のこの社は、仁徳天皇を祭神に天照大神を配祀する。若宮八幡あるいは井戸田八幡とも称され、神社は古墳の上に建てたと伝えられる。この辺りは松原が長く続き長森とも呼ばれ「本国神名帳」には従三位津賀田天神と呼称されたとある。龍泉寺から発見された社宝の古写大般若経六百巻は、戦災で十巻余を残し焼失した。奥書によれば500から800年昔のものである。境内には浜神明社のものと対をなす斗帳寄進碑がある。」

 

とありまして、地名としての「墓田」というのはいかにも、な雰囲気です……でも「塚」じゃいけなかったのか。
古代史好きとはいっても、古墳時代までなかなかカバーできず、そのため名古屋市内に結構な古墳が残っていることに今更ながら驚いてしまいますね。
境内のこんもり具合は、古墳の上に建てられた神社だったから、ですか……

 

 

 

 

 

 

……うん、ろくに妄想が浮かんできません(残念)。

古墳について、もうすこし鍛えたいです……さ、もう少しで終了です。

 

 

※実は「国会図書館デジタルコレクション」に収蔵されている書物を、タブレットで見ながら引用しているのですが、最近、必要なページをPDFで出力できることを知りました……これでオフラインでも引用できる……もっと早く教えてほしかった……いや、ときどき見れなかったんですよね「デジタルコレクション」。※

大須ぶらぶら2017年新春〜高速初詣その3

1/6。

そうそう、何を思ったか、尾張旭から大須に移動したんでした。

「富士浅間神社」で参拝。

御朱印はいただけず……(多分)。

そして、写真もない、と。

 

そこから、大光院へ。

 

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「七寺」「大光院」「陽秀院」〜大須ぶらぶら - べにーのGinger Booker Club

「七寺」「大光院」「陽秀院」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

 

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縁起と鰐口。

 

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提灯。

 

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門前。

 

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御朱印
そういえば、お寺でいただくのは久しぶりな気がします……本気で始めるかな、尾張三十三観音……。

 

そこから、「三輪神社」へ。

 

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「三輪神社」(名古屋市中区)〜大須ぶらぶら - べにーのGinger Booker Club

「三輪神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

近況再び - べにーのGinger Booker Club

↑以前の記事です。

 

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何か、いいタイミングでの三輪鳥居。
お祓いがおこなわれていましたので、今日のところは御朱印を遠慮しました。

 

もう少し続きます〜。

「渋川神社」(再)(尾張旭市)〜高速初詣その3〜

1/6。

豊田から瀬戸にくだってきて、そこから守山区に行き、またちょっと戻って尾張旭市

「渋川神社」です。

 

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「渋川神社」(尾張旭市) - べにーのGinger Booker Club

 

以前の記事です。

参拝……とはいっても、ほぼ、

 

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狛犬さんとおキツネさまの写真です……。

 

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あ、一応拝殿もあった。

 

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御朱印
松の内だから大丈夫だろう、と思ってうかがってよかった。
神職さんたちはお忙しそうでしたけれども……申し訳ないです。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 東春日井郡誌

 

尾張名所図会』『尾張志』『神社覈録』あたりは前回の記事で引用しているので、今回はいつもありがとう『東春日井郡誌』より。
457コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「渋川神社
(略)
祭神 高御産霊大神 大年太神 御食津太神 庭高日大神 阿須波大神 波比伎大神 大宮賣大神 八重事代大神
(略)
由緒 伝に、景行天皇の御代に創建せしと云へり、而して天武天皇白鵬五年御即位の大典を行はせられ、秋九月大嘗祭を挙けさせ給ひし時、此地悠忌斎田に当り、此社に祓穂式を行はせ給へり、時に大年太神以下七柱の神を合祀せり。
当初此の社は渋川の地に在りしが、何時か今の地に移せり、今数町を隔てて南方に鳥居と呼ぶ地あり、之れ又其旧地なるべし、村名も古は斎庭なりしが、何時よりか今の印場と称するに至れり。
一説に此時に創造せられたる社なる由、言ひ伝へり、尚考ふべし。
往昔は山田郡の総鎮守にして、新居、稲葉、大森、藤森、社、一社、高針等の産神なりしと云ふ。
(略)織田信長神殿を改造して神饌幣帛を奉り、徳川家康厚く此社を尊崇して、天正十二年九月家臣本田豊後守に命し制札を建てしめ、又徳川光友貞享五年九月、神殿を再建したる等、古来より崇敬する者少からす。
(略)
尾張地名考に曰く、[里老曰]社辺の田の畔名に祖父川とよぶ處あり、[或人曰]曾父川は、渋川なるべし、[社伝曰]渋川天神は神祇官の八座の神を祭る
明細帳に曰く、当社ノ祭神一柱ナリシヲ天武天皇白鵬五年丙子ノ秋九月、大嘗祭披爲行ニ付、斎庭ノ稲ヲ以テユキ、スキノ御神事御執行ノ時、卜部ノ御占ニアタリテ、尾張国山田郡斎庭ノ里、渋川神社ト定メ給フ、是以高御産霊大神ニ合セ七神ヲ祭祀シ給フ、鎮座年月不詳ト雖モ、古説ニ景行天皇ノ御代ノ鎮座ニシテ、往古ハ今之社地ヨリ南西之方エ四五町隔テシ所ナリトシテ、白鵬五年ニ今ノ地ヘ遷座スト摘要ニ見タリ、延喜式神名帳尾張国山田郡ノ内斎庭ノ里鎮座ノ神ハ、従二位渋川天神、本国帳ニ従二位渋川名神ト有リ、及ビ村名モ往古ハ斎庭村ト書、中古斎場ト書シテ、何時ノ頃ヨリカ如今印場ノ文字ヲ書クニ至レリ。
(略)
境内神社 東五社之宮
祭神 伊邪那美大御神 建甕槌命 日本武尊 野見宿禰 菅原道真
西五社ノ宮
祭神 菊理姫命 天津彦根命 豊受毘売命 火之軻具土命 建御名方命
神明社
祭神 天照皇大御神
熊野社
祭神 建速須佐之男命
稲荷社
祭神 稲倉御魂神
但し同所字南島に在りしが、明治十一年六月一日当社境内に遷せり
津島社
祭神 建速須佐之男命
但し同所字北島に在りしが、明治十一年六月一日当社境内に遷せり
八幡社
祭神 品田別命
忌明社
祭神 不詳
山神社
祭神 金山彦命 大山祇命
八劔社
祭神 天照皇大御神 日本武尊 建稲種命 須佐之男命 宮簀姫命」

 

社伝や他文献と大して違いはありませんが、境内社が細かく掲載されているのがありがたいですね。
「忌明社」は、大正の頃にはもうよくわからなくなっていたようで……。

尾張神社考』(ブックショップ「マイタウン」発行)のp92には、

 

従三位渋川神社 一本作渋河 天神 [正生謹考]山田荘志段見村諏訪明神のやしろ是なるべし。社人水野氏 [和名抄]山田郡志談郷(略)[正生考]いま志段見村と書はかな描也。正字下垂水のいひ也。尾張山の水の雫りおつる處也。故に下垂水と呼。集説本に渋河神社を印場村に引たるは非なり。
[附言]明和年間府志選定に就て、松平君山翁印場の八所明神にて、社人里正共に問れける折柄社辺に曽父川とよふ畔名も有と答たりしは偽言也。渋河は実志談 上中下 の三村をいへば也。」

 

何度も取り上げていますが、津田正生翁は、『尾張神名帳集説』という尾張藩の博覧狂記・天野信景の本に対する訂正等を目的に『尾張神社考(原題:尾張神名帳集説本之訂考)』を書いていますので、定説に異を唱える場合が多いです(といって、天野信景のほうが正確だ、ということでもないようですが)。

なので、わりと大胆な感じで自説を述べられております。

「渋川神社」の記事に関しては、ほぼ地名起源の話になっていて、肝心の神社の起源はわりとどうでもいい感じです。

とはいえ、「天武天皇」時代には存在していただろう、と思われる尾張地方の神社も少ないと思いますので、遷座その他あったとしても、大変な古社です(こちらも、山田郡のどの神社あるいは斎庭から米が献上されたかは、実はわかりませんが……)。

尾張旭市は、もっと推していってもいい気がしますが……ちょっと地味でしょうか。

 

さて、お次は……どこだったかな……。

 

「小幡白山神社」(名古屋市守山区)〜高速初詣その3〜

※大阪の「伝仁徳天皇陵」、「伝応神天皇陵」を含む古墳群が、世界遺産登録に向けて動き出したようで。
うーん……このあいだの、「宗像大社」関係の登録のときにも思いましたが、なんだろう、ちょっとモヤモヤします。
とりあえず、沖ノ島には観光客を入れる必要ないですよ。
古墳群もね……個人的には、皇室が続いているうちにきちんと調査をするべきだと思うんです。
後世に盗掘なんぞされるくらいなら(すでに「伝仁徳天皇陵」は盗掘されている、なんて話もありますが)、ですけれど。
今回の動きが、そっちにつながるといいな……とは思うのですが、うーん、なんだろうな……難しい。
モヤモヤした話でした。※


1/6。
引き続き守山区、前回の「生玉稲荷神社」から徒歩でも行けます、「小幡白山神社へ。

 

◯こちら===>>>

名古屋市:緑地と名刹めぐり(守山区)

 

守山区の史跡散策路のHPです。

 

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正面。
こちらも、住宅街に突然、といった感じです。

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……ちょっと順番がとっちらかっておりますが、本殿向かって左脇。
なんで写真を撮ったのか……。

 

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道祖神

 

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山神の碑と、何の祠だったか……。

 

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そうそう、さきほどの扉の奥は、「八幡社」だったんでした。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。
赤みがかっているのは、材質の問題なのかな……。

 

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拝殿。

 

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向かって右手は、「秋葉社」が。

 

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これは……拝殿への階段の辺りにあった、と思います……全体像が思い出せない……。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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こんな感じの、小高い丘の上に鎮座まします。

 

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階段下、向かって左手にある祠。

こちらもなんだったか……車祓所だったかな……違う気がする……。

 

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白山神社略記
東城にあった白山神社(村社)現在地にあった愛宕社、常燈にあった神明社、北屋敷にあった諏訪社とが、明治四十三年七月合祀されて現在の白山神社と称されることになりました。
当社はもと神饌幣帛料供進の指定村社でしたが、戦後社格制度が改って唯今は五等級社になりました。
五等級社とは戦前の県社級に相当します。旧白山神社の社伝は詳ではありませんが姓氏録によりますと、欽明天皇の皇子小墾田王ゆうという方が此の地に居住せられ、王が創建されたものと言われ、今から約千四百年程前に当ります。
一、 祭神 伊邪那美命、火具土命、菊理比売命、天照皇大神建御名方命
二、 境内社 秋葉社 八幡社 山神社 弁天社
三、 例祭日 十月十七日
四、 御神徳 石川県の白山比咩神社のわかれで、生命の根源である水のことを司られ生む、生み出す、成功くくる(えんむすび)諸産業開拓、豊穣等のご神徳が著しくあります。
境内社の弁天宮は子授、安産にご霊徳が著しいです。」

 

なるほど、もともとは「愛宕社」だったのが、あちこちから集められた上に、なぜか「白山神社」の名前になった、と。
なかなかな謎チョイスです(当時の氏子の力関係なんかがあったのでしょうか)。

 

(※もう一基、石に掘られた御由緒書があるのですが、写真がどこか行っちゃったようで……※)

 

白山神社御由緒
由緒 社伝については明らかではないが「新撰姓氏録」(八一五)によると、今から役一千四百年程前に、欽明天皇の皇子「小墾田王」という方が、此の地に居住せられ、王が創建されたと云われている。(略)」

 

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「秋葉宮」の灯篭。

 

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「御嶽社」。

 

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もうちょっと近くで。
あ、さきほどの謎の祠はこちらでした。

 

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御嶽信仰ばりばりですな。

 

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別角度から。

 

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こちら「弁天宮」。
はい、ちゃんと島で池ですね。

 

 

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遠景。
鳥居にむしろが巻かれていますか。
こんもりな感じがなかなか素敵ですよね。

 

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御朱印

たまたま神職さんがいらっしゃったので、いただきました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 東春日井郡誌

 

頼りっぱなしの『東春日井郡誌』から引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
454コマです。

 

白山神社
(略)
祭神 火具土命
(以下合祀したる祭神)
伊邪那美命
天忍穂耳命
大己貴命
大日孁貴尊
天照大御神
豊受姫命
建御名方命
(略)
由緒 社伝明かならず、されど合祀前は、無格社愛宕社祭神火具土命なりしが、明治四十三年七月十五日同所字東城四千五百六十二番、元村社白山神社の祭神伊邪那美命、天忍穂耳命、大己貴命、及び同所字常燈二千二百三十八番、元無格社神明社の祭神大日孁貴尊、其境内神明社の祭神天照大御神、外宮社の祭神豊受姫命、同所字北屋敷、元無格社諏訪社の祭神建御名方命を合祀するに方り、之を村社白山神社と改称せり
合祀したる白山神社は、創建年月は不明なりと雖も、姓氏録に、欽明天皇の皇子小墾田王、曾て此地に住み給へり、此社は王の祀られしものにして、村名の小幡は、実に王より出でたる約言なりと云ふ、」

 

ちょっと休憩。

 

「姓氏録に、欽明天皇の皇子小墾田王、曾て此地に住み給へり、此社は王の祀られしものにして、村名の小幡は、実に王より出でたる約言なりと云ふ」

 

↑この記述が、『新撰姓氏録』にあるそうなんですが……とりあえず見つからないもので……探し方が悪いのかな……。
欽明天皇」はご存知、最初に仏像を崇拝しようかどうしようかと悩んだ方ですね。
古事記』『日本書紀』ともに、この「小墾田王」のことは伝えておらず……ざっと見たところいなかったんですけれど……さてどういうことなのか。
伝説ってことで、片付けていいでしょうか。

 

「張州府志に曰く、三社祠、在小幡村、祀白山、愛宕、八幡、疑是神名式桁機神祠、本国帳従三位桁機天神、祭天棚機媛命、今失社伝、不可得知、凡当村多松林、村民建小祠爲鎮、皆號山神、惣在六所。
尾張志に曰く、三社の社小幡むらにありて、白山愛宕八幡を合せ祀る、 府志に、疑らくは神名式に載たる多奈波太の神社ならむ、天棚機媛命を祭るといへり、今社伝を失ふ故に知れざるよし書るは誤也、その多奈波太神社は田幡村にあり、当村に松林多し、村民小社を建て鎮守とし皆山神と號す、総て六ヶ所にあり、むかし小治田の連等が住し里なれば、其祖神を祭りし古社なるべし、
尾張地名考に曰く、[延喜式]山田郡尾張戸神社、本国帳従三位尾張戸天神、瀧川弘美曰、此神社戦国以来其所在を亡失へり、按に小幡村今の白山宮其俤、(略)張州府志撰書の時、小幡村の三所明神は白山、愛宕、八幡を祀るとあり、今は愛宕は別に社地ありて、この白山の摂社は八幡と、天神とあり、 此天神はもと牛牧村の山伏の家にありしを、修験貧究にして銭八百文に民家へ買入とせしを、買取りて爰に摂社とすと也 【正生考】謹て考に、尾張戸天神の旧地は今の太永寺の西に、天神の森とて三百坪ばかりなる松山 大永寺の控なり ある、則是なるべし、今は社頭なし、大樹の伐株あり、往昔は大永寺の邊を宮地村と呼たりしと也 宮地島の名、今は守山の支村に少し残る され共今寺に於いて天神の森は全く菅原神の事と思はれき、いかにといふに、其伝記に、御治世の後寛永二年岡田伊勢守重経、京都女院の御所造営の監事を勤められし時、北野天満宮を信仰し、社僧松梅院より菅公自筆の画像を請得て、持ち帰り拝敬なせしかども、家に怪しき事再々あるのを惶れて、遂に香花の大永禅師に寄付せられたるよし伝来慥かにして、今門内に現然と画像天神の宮もあればなり、さて天神の森も住僧其菅原天神を混同にして、右伝説の末に明暦、万治の間一たび画像紛失して、尋覚といへども更に獲ることなし、一日天神の森の社内において画像を探得たり、夫より此かた永久寶奉ると書けるは例の牽合付会なるべし、そもそも天神の森は、本国帳にいへる尾張戸天神の森にて、尤宮地村の名残も著名、近世寛永二年岡田重経ぬしの受得られたる年歴より旧くありつる事、今松の伐株を見てもおしはからる、爰を以て天神の森と、寺内の天神は別別なる事をしりぬ。
[附言]現住瑞道曰寛政九年当寺十九世の和尚禅明の時、此庫裏を修復せむとて、官府に願ひて天神の森の大木両度に三十八本を伐取、或は用材にし、又は沽代なして、即作事にかかられたり、扨神罰の丁るまじき事かは、丁れりともとも、手斧始の日より第五に当る日禅明は故なくして頓死せらる、又其松の根を掘採し人夫どもは、おのおの疫病を煩ひてみなみな死たり、さて和尚なくなりたるに付て、法類十二ケ寺の内五ケ寺の僧侶此寺に敵対して、あられぬ訴訟を企、寺内の騒乱凶事連綿六ヶ年の間、無住荒廃困窮に及びたりしを、予眼前視る所なり、是偏に天神の神罰なりと予はしりぬ、然れども人夫の病死は一時にあらで、疫災永引漸々に死したれば、村民はそれを慮付さる族もありきと話されたり、[正生考]右はまさしく尾張戸天神の神罰なるべし、然るを瑞道和尚はじめ、いづれも菅原神の神罰と思ひおられき、(尾張戸神社の部参照)
明細帳合祀以前白山神社の部に曰く、当社ハ勧請年月不詳ト雖モ、姓氏録ニ欽明天皇の皇子小墾田王当所ニ居タモフ、依テ村名小幡ト云フハ、小治田ヲツツメテ言フコトナリ、此皇子御代々彦神ニ祀玉ヒシト、古老ノ口碑ナリ。」

 

↑この辺り、孫引きになってしまいますが、こうしてまとめていただけるのはありがたいです(いや、本当はちゃんと原書に当たらないといけませんけれども、学術論文でもないので、ちょっと手抜きを)。
尾張地名考』は、いつもお世話になっている『尾張神名帳集説本之訂考』と同じ津田正生翁によるものなので、当時(江戸末期)の口碑が採取されていて興味深いところもあれば、独自の視点もありますので、参考程度に。
守山区、東谷山に「尾張戸神社」があるのですが、その旧地が「太永寺」の西の「天神の森」という松林だった、というところからこの「白山神社」が「尾張戸神社」と同一視される、という説があるのではないか……といったところでしょうか。
みんな「天神」を「菅原道真公」つまり「天満大自在天神」だと思い込んでいるが、そうれはなくて、「尾張戸神社」の神である、と。
勝手に木を切ったら祟られたんだけども、「尾張戸天神」じゃなくて「菅原天神」の祟りだと思い込んでいたのでさあ大変。
なかなか面白い伝説だと思います。

 

「(略)
境内社
(略)
弁天社
祭神 市杵島比賣命
(合祀したる祭神)
市杵島姫命
但し元愛宕社の末社厳島社の祭神市杵島比賣命なりしが、明治四十三年七月十五日許可を得て、同所字東城四千五百六十三番、元村社白山神社境内市杵島社の祭神市杵島姫命を合祀するに方りて、之を弁天社と改称したり。
(以下略)」

 

普通、神仏分離したんだから、社名は「厳島」に寄せてくるだろう、と思わせておいてまさかの「弁天様」回帰。
まあ、明治後期なら、そんな目くじら立てる人もいなかったかもしれないですけれども。

 

「小墾田王」については謎なので調べたいところですが……そうか、『新撰姓氏録』、買わないといけませんか。
Kindleにないかな……(『神皇正統記』はあった……買ったはず……)。


守山区って、実は遺跡の街、古墳の街だったりするんですけれども、名古屋中心部からのアクセスが悪く、地下鉄も通っていないのでちょっとほったらかしになっている感じがあります。
きっと巡ったら面白いだろうなぁ……と思いつつ、有名どころしか行けていないのに、反省。
でも、戦国時代とか興味があまりないもので……小幡城とかね……。
まあいいや。

 

次も尾張です。

「生玉稲荷神社」(名古屋市守山区)〜高速初詣その3〜

1/6。

さて、再訪でない神社も攻めてみよう、のコーナー。

守山区に移動しまして、「生玉稲荷神社」です。

 

◯こちら===>>>

生玉稲荷神社

 

↑公式HPです。

 

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正面。
松の内、何かの催しの準備でしょうか。

 

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社標。

 

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おキツネさまたら、

 

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おキツネさま。

 

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「生玉稲荷神社 御祭神
倉稲魂神 大己貴神 保食神 大宮能姫神 大田神

由緒・沿革

創建は明らかではありませんが、社伝によると西暦一二〇〇年頃の創建とされます。
その後天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代(信長の甥)は、この社を城内守護神として奉祀されました。
天正十二年(一五八四)四月、徳川家康が小幡城主織田源三郎方に一泊した折、家臣がこの稲荷の霊験著しきを言上し、稲荷山より竹を伐り旗竿を作り献上し、家康を喜ばせました。また軍用のぼりに文書を付し信仰の誠を記したとされます。
江戸末期には「小幡稲荷」とも呼ばれましたが、明治十二年に現在の社名となりました。
慶安三年(一六五〇)九月、大洪水により社殿を流失しましたが、再建しその後も幾度かの改修、造営を行っています。
大東亜戦争の大空襲によりほぼ全焼しましたが、総代会や崇敬者の皆様の御尽力により、昭和四十九年五月に現在の社殿を竣工しました。
今では、名古屋地区最大級の稲荷神社として、守山区はもとより、周辺市区町村から多くの参拝者が訪れています。」

 

とのことです。

御祭神は、「伏見稲荷」をなぞっている、ということでしょうかね(まあ、どこのちょっとした規模の稲荷さんでも、同じだと思いますが)。

 

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拝殿。
並んでるな……これも大きな神社の証、でしょうか。

 

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「結びきつね」。
ちくしょうかわいいな。

 

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拝殿前のおキツネさまたら、

 

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おキツネさま。

 

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「福きつね」。

つるっつるですな。

親子、だそうです。

 

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石灯籠にはもちろん如意珠。

 

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本殿を横から。

 

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本殿脇に、謎の小道が。

 

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進んでいくと「弁天神社」がありました。

いや、これまた見事に池、島で。

 

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おキツネさまたら、

 

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おキツネさま。
ずいぶんのっぺりされています。

 

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そう、お稲荷さんといったら「奥之院」なんですよねこれが……そういえば何でだっけ……「伏見稲荷」がそうだから、だったっけな。

 

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「山神社」。
碑だけに……。

 

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「奥之院」の裏へも回れます。

 

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裏。
瓦がいい感じ。

 

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ここが「奥之院」の入り口です。
多分……。

 

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こちらは……あれ、何だったかな……。

 

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遠景。
住宅街に突然出現、という感じです。

 

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先ほどの道を、小幡駅のほうまで出てくると、こんな社標があります。

 

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御朱印
松の内は、書置きのものがいただけます。


さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 東春日井郡誌

 

さくっと、いつもの頼りにしている人たち(『尾張名所図会』『尾張志』辺り)を読んでみても、どうにもそれらしき記事がなかったので、最近頼りっぱなしの『東春日井郡誌』から。
484コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「稲荷神社
(略)
祭神 大宮女神 御食津神 太田神
例祭日 十月十七日
由緒 社伝明かならず
境内 百四十坪」

 

……あれ、ごめんなさい、違うかも……。
うーん、でも、小幡近辺で稲荷ってこれしか見つからなかったんですよね。
見直して、間違っていたら修正します……。

 

うん、いい神社でした。

「奥之院」がしっかりある、っていうのがまたよかったですね。

 

守山区に来ているので、次回も引き続き守山区で〜。