べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「伊勝八幡宮」(名古屋市昭和区)

さて、いろいろありまして、なかなか更新できずの日々でしたが、再開再開。

11/9です(一昨年の)。
昭和区と聞いてちょっと驚いた場所にあった(千種区だと思い込んでいた)、「伊勝八幡宮に出かけてきました。

 

◯こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

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北側の参道入り口。

 

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思いの外新しい、本殿と拝殿かな……八幡宮なのに尾張造のイメージなのか……。

 

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牛さん、「伊勝天神」。

 

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狛犬さん。
真新しいですが、朱色は流れてしまっているようです……これはこれで、この時代っぽくてよいですね。

 

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拝殿。
尾張造じゃないですね……。

 

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御祭神として、「正八幡宮」は「品陀和氣命」、「天王社」に「素盞嗚尊」、「白山社」に「菊理姫命」、脇殿……ってあまり聞かない気がしますが、「熊野社」は「五十猛命」、「天神社」は「菅原道真公」。
大集合といった感じですね……「熊野社」で「五十猛命」は、もちろんあるのですが、ちょっと珍しいかも。

 

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「伊勝八幡宮
尾張志』に応神天皇を祭神とするとあり 拝殿の東西に摂社である白山及び熊野大権現が合祀されている
当社には陶製の狛犬一対と一体を蔵している その一対の台座裏に「応永廿五戊戌歳十二月朔日熊野願主浄通」(一四一八)と墨書の寄進銘文があることから狛犬の制作年もその頃のことと推察できる 銘文のある狛犬一対は愛知県有形文化財 もう一体の狛犬名古屋市有形文化財に指定されている」((引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

狛犬ハントをしている身としては、見てみたい……ですが、文化財ですから、ほったらかしにはされていないでしょうからねぇ……難しいかな。

 

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拝殿遠景。
一段上がっています……そうそう、所在地自体が、高台にありますので、神社としての好立地でしょうか。

 

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狛犬さんその2。

 

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こちらの境内社狛犬さんでした。
「山神社」「富士浅間社」、あと一つ、見えませんな……。

 

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忠魂碑。

 

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狛犬さんその3。
こちらはまた真新しい感じです。

 

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南側に出てきました。
左手、赤いコーンの奥が、

 

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「別社 伊副神社」となっております。

 

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「御祭神」は「龗神」と「罔象女神」。
クラオカミ」と「クラミズハ」。

 

延喜式神名帳に記載されているが、鎮座年代は不詳 伊勝八幡宮所蔵の棟札には「伊副神社 天明三年癸卯年春伊勝村神主」と記されている。
江戸時代の絵図等さまざまな記録を調べると伊勝八幡宮正面(現在の前山町三丁目付近)に伊副池(通称イイバ池)が有り小山に社祀られていた 「尾張地名考」に「伊勝は井河津の約なり」と記されており副は「寄り添い助ける分ける」の意がある
伊副大神は生きとし生ける者全てに最も大切な清らかな水を豊富に授け給い又多くの恵みをもたらし給える大神と崇められて来た
その貴い御神徳を称え第六十二回伊勢神宮式年遷宮の良き年に世の中の恒久平和と国や此里の安全弥栄を祈りここに再建した」

なるほど、再建でしたか……式内社にしても、古くに失われたっぽいですね……。

 

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あ、こちらは「伊勝八幡宮」の南側からの参道です。

 

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鳥居……黒い文字が珍しいけれど、石造りだからまあしょうがないか……。

 

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第二の鳥居。
実は、かなり広い境内なのです。

 

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狛犬さんその4。
階段下に鎮座まします。
ひょっこり仔狛犬……蛙っぽいけども……かわいい。

 

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御朱印には、文化財の陶製狛犬の姿がありました〜。

 

さて。

◯こちら===>>>

神社覈録. 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

まずは「伊副神社」のことということで、久々の『神社覈録』、409コマです。

 

「伊副神社
伊副は仮字也◯祭神在所詳ならず
考証、集説共に、姓氏録曰、伊福部宿禰尾張連同祖、火明命之後也と云り、当国葉栗郡伊富利部神社同神歟と云り(以下略)」

 

……ふうむ、さっぱりです。
「伊福部」については、

 

◯こちら===>>>

「大神神社」(考々々々) - べにーのGinger Booker Club

「穴師坐兵主神社」「相撲神社」(考々々々々々々) - べにーのGinger Booker Club


↑この辺りで触れておりますがそれはさておき、所在は不明、祭神も不明、ということで、式内社制定の時代ですらどの程度栄えていたのか判然としませんが、古い神だったことは想像に難くありません。

 

◯こちら===>>>

dl.ndl.go.jp

 

こちらもお久しぶりの『特選神名牒』より、168コマ。

 

「伊副神社
(略)
今按昔円融帝の朝郡司藤原元命と云暴悪の吏丈六の地蔵大士を彫せしめ伊副神社の傍に安置すと云事或書にみゑ如意寺由来記に元命伊副宮司に命じて祭りせしを是より毎年正月十五日御宝前に於て流鏑馬を行ふ其後星霜を経て社跡なく廃し終に祭事断絶せり中興地蔵尊の宝前に於て毎年の正月二十四日漁父驛士の輩集ひて的を射給をささげて放生会を執行すとあるを張州府志に是は伊副神社の本地仏なるお故に其祭礼の遺意を修むと云る如く応永二年寺を遷すとき神社も遷てありしを此後社は絶て祭のみ遺れるなるべし其他同郡祐福寺村また春日井郡宇福寺村又愛知郡沓掛村上高根村伊副狭間の若王子と云ひ又相原村のいふかねにます熊野社などいささかの縁語を以ていへる説あれど皆うけがたし」

 

◯こちら===>>>

円融天皇とは - コトバンク


コトバンクによれば、「円融天皇(帝)」というのは、

 

「959-991 平安時代中期,第64代天皇。在位969-984。
天徳3年3月2日生まれ。村上天皇の第5皇子。母は藤原安子(あんし)。同母兄冷泉(れいぜい)天皇の譲位をうけ11歳で即位。藤原氏が政治を牛耳り,在位中は藤原氏内の政権争いに翻弄(ほんろう)された。26歳で譲位して仏門にはいり,円融寺に住した。正暦(しょうりゃく)2年2月12日死去。33歳。墓所は後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は守平(もりひら)。法名は金剛法。歌集に「円融院御集」。
【格言など】春日野に多くの年はつみつれど老いせぬ物は若菜なりけり(「拾遺和歌集」)」

 

ということで、同じくコトバンクから、

 

◯こちら===>>>

藤原元命とは - コトバンク


「生年:生没年不詳
平安中期の貴族。経臣の子。村上朝(946~967)の蔵人藤原雅材の異母弟,花山朝(984~986)の蔵人藤原惟成の叔父。従四位下。寛和2(986)年,尾張守に任じられて赴任したが,租税調庸の不法な増徴をはじめ,公費の横領,息頼方や一族郎等による狼藉,官物の京宅への運送など,苛斂誅求の限りを尽くしたとして,永延2(988)年11月8日,郡司,百姓らから31カ条にわたる罪状を訴えられた(「尾張国郡司百姓等解文」),悪徳受領の典型。その結果翌永祚1(989)年4月5日の除目で罷免されたが(代わって藤原文信が任命),長徳1(998)年4月,吉田祭の上卿(行事の責任者)が不参のため散位の元命が代わりにこれを勤めており,罷免は当面のトラブルを避けるための糊塗策であったか。もっとも『尾州鳴海地蔵縁起』には,元命は解任されたあと「術ツキテ東寺門ニテ乞食ケルガ,終ニハ飢死タリケリ」とあって,史実ではないが,その暴政ぶりが語りつがれ説話になったことが知られる。<参考文献>阿部猛『尾張国解文の研究』」

 

……やばい、「藤原元命」、(悪名のほうで)有名人だった……そんな人が丈六の「地蔵菩薩」を祀った、というのは、どんな意味があるのでしょう……何か裏があるかもしれないですけれども、「伊副神社」とは直接関係なさそうです。
で、肝心の「伊勝八幡宮」ですが、神社にあった案内板の文章と、↑の歴史散策路のHPからの引用、

 

「古くから伊勝村の氏神様として崇敬される伊勝八幡宮は、熱田神宮とほぼ同じ時代に創建されたと言われています。主祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと)です。宝物の一つである狛犬は、瀬戸で焼かれた陶製で、底部に応永25年(1418)の墨書きがあることから室町時代のものと推測されます。愛知県指定文化財として、現在は名古屋市博物館に保管されています。
 境内には、千年以上の樹齢を持つ御神木のアベマキ(名古屋市指定保存樹)や、秋に小さな白い花を咲かせるリンボクが自生しています。」

 

……あ、狛犬さんは博物館か、よかったよかった……じゃなくて、「熱田神宮」と同じ時代の創建ということであれば、いっそのことこちらが式内社でもおかしくなさそうですけれど、『尾張名所図会』には掲載されていないようなので、それほど大きくはなかったのか……。
とはいえ、室町時代奉納の狛犬さんが残っているのですから、大切にされてきたのは間違いないようで、地域の宝ですね。

 

「美濃金山城跡」(岐阜県可児市)

11/4。
言ってまいりましてございます、美濃の山城「美濃金山城

 

○こちら===>>>

kani-sengoku.jp

 

なにぶん、一昨年のことか……さっぱり出かけられない時期が続いておりまして、過去の記事を何とか書かねばと思いつつもこちらもなかなか時間が……というわけで、たしか、第一駐車場から出かけたと思います。

 

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まだ紅葉が青かったですね……一昨年は紅葉が遅かったかな……。
駐車場から結構登りました……ええと、天気がよかったからか、トレッキングのみなさんが多くいらっしゃり、写真が少なくなっております。

 

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いきなり、城跡、への階段です。

 

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「三の丸門跡」。
礎石が残っております。

 

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この城跡が珍しい、と話題になっているのは、「破城の痕跡」が残っているから、のようです。

 

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こちら、その痕跡……まだまだ城の知識が足りないので、私にはまだその味がわかりません……。

 

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「古城山払下げ記念碑」。

 

「古城山とはこの山のことで、江戸時代には兼山の地を治めた尾張藩のお留山となって村人の立ち入りが禁止されていました。
明治時代には皇室の御料林になっていたと伝えられ、昭和20年(1945)以降は国有林となりました。(以下略)」

 

なるほど、尾張藩支配下でしたか……。

 

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「虎口」の跡。

 

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明治三十八年の従軍の碑、です。
日露戦争ですか。

 

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「二の丸跡」。
礎石から、過去の幻を想像できない自分が情けない限りでございます。

 

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「大手枡形」。

 

「枡形は、攻め寄せてきた敵の進む勢いを鈍らせるために設けられた正方形の平地である。
普段は、登城する武士たちへの威厳を示すためのもので、ここまで登ってきた武士はここで呼吸を整えながら、本丸へ上るための衣服の乱れなどを整える場でもあった。
犬山市瑞泉寺の表門と裏門は、ここにあった大手門と城門を移したものと伝わっており、ここの大手門の土台石の寸法が全く一致している。」

 

なるほど……これはあれですか、「瑞泉寺」へ行かねばということですか……。

 

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石垣……と、違和感ないコンクリートのベンチ……。

 

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「枡形虎口」。
お、ちょっと、城の様子を妄想できるぞ……。

 

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天守台西南隅石」。
これが算木積か……うん、まだよくわかっていない。

 

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別角度から。
これは破城の跡ではないのかな……。

 

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「本丸跡」。

 

「(略)。
高石垣、建物礎石、豊臣秀吉やその家臣たちが造った城の特徴を語るものです。豊臣秀吉の家臣でもあった森忠政が城主であったことから、この城には天守も存在したと想定されています。
建物が解体され、その材木などを木曽川を下して犬山城建築の材料としたという「兼山城」の伝承も残っています。」

 

なるほど……天守もあり、とは……おっと、森家……。

 

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「美濃金山城 ー興亡の歴史ー
室町末期天文六年(一五三七)斉藤道三の命をうけ、その猶子斉藤大納言正義はこの山頂(標高二七三メートル)に築城、鳥ヶ峰城と称し、中井戸の庄の地名を金山村と改めた。
豪勇無双近隣に武威をふるった斉藤氏も同十七年(一五八四)久々利城主土岐三河守に討たれた。正義時に三十三才。
時移り永禄八年(一五六五)織田信長は東濃経略の拠点として森三左衛門尉可成を封じ、金山城主七万五千石とした。以来森可成・長可・忠政父子三代の居城として戦国波乱の歴史を彩った。すなわち、可成は元亀元年(一五七〇)九月二十日近江宇佐山で浅井朝倉軍と戦い討ち死(四十七才)、これより先長男可隆も四月二十五日朝倉攻めに初陣・敦賀手筒山で討ち死している(十九才)。天正十年(一五八二)三月九日には甲州武田征伐の途中、信長は金山城に一泊している。同年六月二日未明、明智光秀謀反による本能寺の変で信長(四十九才)とともに討ち死した可成三男蘭丸長定(岩村城主五万石十八才)四男坊丸長隆(十七才)五男力丸長氏(十六才)の三兄弟はともに金山城で出生・信長の側近、近習として仕えていた。
二代城主二男長可はことのほか武勇にすぐれ鬼武蔵といわれた。岩村城主五万石も兼ね信州海津城主でもあった。伊勢長島一向一揆征伐、武田征伐等に偉功をたてた。可成寺を創建、城の改築や城下町づくりにも意を用いたが、天正十三年(一五八四)四月九日、長久手の合戦において討ち死(二十七才)、僅々十五年ほどの間に父子六人もの悲報に接した可成室妙向尼の悲嘆のほどが偲ばれる。
三代城主六男忠政金山城で出生、長可の跡目を継ぎ十五才で七万石を領し豊臣秀吉に仕えた。金山城の整備拡充を手がけたが、九州、小田原等に転戦、智略の将と重んぜられた。
慶長五年(一六〇〇)徳川家康の命により、信州海津城(十三万七千五百石)に移封、金山村及び金山城犬山城主石川備前守光吉の領有となる。天守諸櫓等一切をとりこわし木曽川を下して、犬山城郭の増築修覆に使われたという。
忠政は慶長八年(一六〇三)美作国十八万六千五百石に国替えとなり以後十三年かけて津山城を完成、現在の岡山県津山市の基をつくった。
斉藤・森両氏を通じ、在城僅か四十数年であったが戦国動乱の世に名将として武威発揚もめざましい一方で、城郭整備「六斉市」をはじめとする商業振興など城下町づくりにも力をつくした。(略)」

 

なるほど……いや、のぼってくる途中に公園っぽいところがありまして、さかんに「森蘭丸生誕の地」となっていたので……「森蘭丸」ばっか有名になってしまったのは、もちろん「織田信長」の小姓(というのかな、今も)だったからですが、「鬼武蔵」なんて呼ばれたお兄ちゃんの「森長可」もおもしろそうだし、「森忠政」も有能だったっぽいし、森家あなどれず……講談の影響とかもあるんでしょうかね(「森乱丸」が正しい、という話もあるようですが、とりあえず「蘭丸」で)。

 

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天守があった場所からの眺望。
絶景っすな……。

 

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「本丸虎口」。

 

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これはいい石垣だと思う……たぶん……。

 

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「自然岩盤を利用した石垣と集水桝(井戸)跡」。
どれだ……。

 

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これもいい石垣だと思う……角度の問題か。

 

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「石段趾」。
石段を登らないと本丸にはいけなかったわけですね。

 

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さっきみた、「天守台西南隅石」を別角度から。
ここまで、どうやってめぐったのかさっぱりわからない写真になっておりますが、人を避けて撮影してたらこんなになってしまいまして。

 

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これは、確か、「出丸」にあった展望台からの眺望です。

 

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案内図。
ええと、第一駐車場からですね、蘭丸広場のわきをぬけて、物見台も通り過ぎ、まずは本丸跡まで上って、それから出丸に行って、帰ってきましたよ、と。
で、「可児市戦国山城ミュージアム」に行こうとしたんですが、駐車場が空いてなくてね……御城印はいただけませんでしたよ、と。

 

さて、も何もないですが、美濃の山城もこれで三つ目、そろそろ石垣の遺構だけでなく、堀とか礎石とか、そういうものからも妄想ができるようになりたいものですな……。

 

◯こちら===>>>

「苗木城址」(岐阜県中津川市) - べにーのGinger Booker Club

「岩村城趾」(岐阜県恵那市) - べにーのGinger Booker Club

「村上社のクスノキ」〜「桜田八幡社」(名古屋市南区)

(2021年、あけましておめでとうございます。まあ時間のないことで、まだ一昨年の記事を書いております。神社仏閣巡りもなかなかできません。細々と更新していきますので、初詣の参考にしていただいたり、なんか、そんな感じでお願いします)。

 

10/30。
ぶらぶらしているうちに、南のほうへ下ってきたので、コインパーキングへ車を置いて、散歩がてら、「南区史跡散策路」に沿って、まずは「村上社のクスノキを拝見。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

 

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ううむ、確かに威風堂々という感じで、素晴らしいシルエット……。

 

「村上社の境内には、幹回り10.8メートル、樹高20メートルにおよぶ巨大なクスノキがあります。樹齢千年といわれ、昭和62年(1987年)市の天然記念物に指定されました。この樹は古鳴海と桜の地を結ぶ、船人の目印にもなっていたと伝えられています。また、『万葉集高市連黒人の歌の碑が、建てられています。」

 

↑の「史跡散策路」のHPより抜粋。
歌碑までちゃんと見なかったなぁ……「信長攻略」というのがありましたが、それも見なかった……まだそこまで戦国時代に興味がなかったからなぁ……いけませんな、またいずれ。
で、さらに歩いて、桜田八幡社」へ。

 

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鳥居から参道を。

 

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拝殿。
朱塗り……珍しいといいますか、何か意味があるのか……。

 

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狛犬さん。

 

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ものすごい厳重に囲われている「秋葉神社」。

 

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桜田勝景碑」というのがありまして、

 

「この辺りは、『万葉集』に、
桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」
の歌に見える景勝地と推定される。
桜田」は桜の田の意で後の桜村一帯の水田を意味する。「年魚市潟」はかつて南区の低地部から熱田までの入海であった。
鶴が、餌を求めて鳴きながら桜田の遠方にある潮の引いた年魚市潟へ向かっていく光景を見て歌ったものであろう。」

 

と。
この神社の辺りは高台になっておりまして、かつて熱田の辺りまで海が入り込んでいた、そこまで見通せたのでしょう……か。
今は、いろいろ建物も建っており、なかなか見通すのは難しい、という感じでした。

 

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この地方の民俗芸能(というか武術というか)の「棒の手」の一流派の発祥の地でもあるようです。

 

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で、こちら「桜田勝景」の碑。

 

○こちら===>>>

「稲荷山長楽寺」(名古屋市南区) - べにーのGinger Booker Club

「長楽寺」(補) - べにーのGinger Booker Club


↑こちらの記事で書いているのですが(記憶にはない)、「桜田勝景」が、「名古屋十名所」の一つになっています。

 

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再び、鳥居から参道。
御祭神は「応神天皇」、「比賣大神」、「神功皇后(大帯姫命)」、といたって八幡さまです。
建立が「文化十癸酉年十二月」となっていますので、江戸の半ば頃、ですか(「史跡散策路」では、「創建不詳」となっています)。

 

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桜田貝塚

弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、断面V字状の溝や貝層が見つかっている。このあたり一帯は、南側にある見晴台遺跡や西側の扇田町遺跡などとともに古くから集落が営まれていたところである。
ここから出土した魚形土器は弥生時代後期のもので、壺形土器の胴の部分を魚形に作った全国的にも極めて珍しいものであり、市指定文化財となっている。」

 

貝塚があった、ということは、やはり結構海岸に近かったのでしょう。
現在は高台ですが、かつては海水面が高く、居住に適した場所だったということでもあるのかと。

 

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社標と鳥居を、向かいの学校前から撮影。

 

さて……も何も、検索してみると、個人で書かれているブログは見つかりますが、不勉強な私には他の情報が見つからず……。

 

○こちら===>>>

「桜神明社」(名古屋市南区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「桜神明社」というところには、古墳があります。
「史跡散策路」のHPを見ていただければ、古墳がいくつかあるのがわかります。
かつての海辺に近く、高台で、居住に適していて、という場所に古墳が集まるのは当然ですし、のちにそこに寺社が作られるのもまた必然なのかな、と思います(人が集わないところに作ってもしょうがないので)。
そうすると、古墳は、単なる墳墓ではなく、海運のランドマークのような役割を果たしていたのかもしれない……という話もあながちあり得ないことでもない……まあ、大山古墳みたいなでかいのならともかく、小さな円墳とかでそうなり得たのか、はわかりませんが……。

 

おまけ。

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この頃はまだ、「三輪神社」の月参りにいけていたんですよね……いろいろ事情が変わりまして。

 

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御朱印帳袋、もあまり活躍していない……今は、どのくらいの御朱印帳の種類があるのでしょうね……またそんな日々に戻りたい、と思いつつ、御朱印集めもこのコロナ禍で、参拝することの意味合いが変わってきているような気もするので……事情が許せば、また神社仏閣巡りを再開したいものです。

 

「菅田神社」(名古屋市天白区)

10/30。
野波の「八劔社」の参拝を終えまして、そのままうろうろして、うまい具合に発見した「菅田神社」へ。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

久々に史跡散策路……名古屋市、いいホームページを作っているんですが、もうちょっと詳しいとありがたいです。

 

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鳥居。
これは、駐車場側ですね……多分(わりと、駐めるにぎりぎりな駐車場でした)。

 

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で、いきなり本殿ですが……あれ、拝殿の脇あたりに出てきたんだったか……。
摂社末社もいくつか見えます。

 

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狛犬さん。

 

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表参道まで出てきました。
向かって左手に手水舎があるのですが、駐車場からはその辺りに出た、と思います。

 

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社標。

 

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鳥居の下からこんにちは。

 

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拝殿。

シンプル……。

 

さて。
先ほどの史跡散策路のHPから、

 

「祭神は仁徳天皇を主とし、ほかに天照大神応神天皇など9祭神を祀る。創建不詳。明治5年7月28日村社となった。古来若宮八幡社と称していたが、明治42年3月16日島田の熊野社と合祀し、島田神社と改称。そして大正12年11月15日現在の菅田神社に改称された。」

 

とのことで、

 

○こちら===>>>

尾張志. 5 愛知郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張志』5の16コマを見てみますと(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)、

 

「熊野社
嶋田村にあり熊野櫲樟日命事解之男神速玉之男神三坐を祭るといふ当村上郷下郷の本居神也境内に末社秋葉のやしろあり
神明社 支邑池場島の氏神也境内に秋葉の社あり 天神社 神明社より南の方にあり少彦名命を祭るといへり 若宮八幡社 仁徳天皇をまつれり 山神社 三所
この六社も同村にあり」

 

とあります。
記事の取り上げ方を見ても、当時は明らかに「熊野社」が嶋田村でも大きな社だったようで、「若宮八幡社」はそうでもなさそう……その後の合祀→改称の過程でいかなる力学が働いたのか……ちょっとよくわかりません。

 

○こちら===>>>

「島田神社」(名古屋市天白区)〜高速初詣その2 - べにーのGinger Booker Club

 

で、こちらが現在の「島田神社」なのです。
かつての嶋田村の神社が合祀されることになり、一旦は「島田神社」で落ち着いたところを、大正になって分裂した、ということでしょうか。
明治時代は、神社が整理された時代だ、というのは見聞きするのですが、大正になると分離とか許されるようになったのでしょうか……この辺りの近代神社史は、神仏分離廃仏毀釈もそうですが、地域差が大きいので、その土地その土地で情報を集めないことにはなんとも……ちゃんと情報が残っているのかもわかりませんし……って、地元のことなんですけどね。
というわけで、謎は謎のままで、宿題ということで。

「野並八劔社」(名古屋市天白区)

10/30。
引き続きうろうろしてみました。
天白区の野並八劔社」へ。

 

○こちら>>>

 

……公式HPは発見できず。

 

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社標と鳥居。

 

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拝殿。

 

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拝殿横から。

 

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本殿と狛犬さん。

 

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狛犬さん……あまり近づけないのが惜しい。

 

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近づいてみましたけども。

 

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アップにしてみましたけども。

 

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反対側に向かって、本殿。

 

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まだ真新しい摂社。
ううむ、神社名が遠くて見えませんでしたね……「山神社」「田神社」はあるか……。

 

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社殿向かって左手にくだったところ。

 

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そちら側の鳥居。

御朱印はいただいておりません(ネットの情報によると、あるらしいです)。
神社で頒布されているパンフレットによれば、御祭神は「日本武尊」「宮簀媛命」「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」「天照大神」「月読尊」「素盞嗚尊」「建稲種尊」「蛭子神」となっています。

 

さて(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

○こちら===>>>

尾張志. 5 愛知郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張志』をちらっと見てみます。
16コマです。

 

「八劔社 当社を村の氏神とす 末社六所社 秋葉社 神明社 八劔社より北の方にあり 山神社 田神社 氏神より南の方にあり
以上ともに野並村にあり」

 

境内の摂社の中には、「秋葉社」はあったのかな……「山神社」と「田神社」は、写真を拡大するとちらっと見えるので、おそらくあったのですが、明治の頃でしょうか、こちらに合祀された、ということなんでしょうか……。

 

○こちら===>>>

尾張国地名考 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張国地名考』(津田正生著)によれば(64コマ)、

 

野並村 鳴海野に並ぶゆへに野並といふなり 【近藤利昌曰】熱田大宮司の采地の村也 墳墓の山もあり 小松生なり 小祠もあり(以下略)」

 

ということで、野並村はどうやら「熱田神宮」の大宮司家の所領だったようです……そういえば、神社自体のことはいろいろ調べたりしてますが、大宮司家の人々のことなんてほとんど調べたことがないな……これは今後の宿題にしておきます(「熱田神宮」の神職といったら、「源頼朝」の母親だった人、くらいしかぱっと浮かんでこない……)。
郷土史家にはなれないなぁ……。

 

「(梅森)八幡社」(日進市)

10/30。
なんとなく、ぶらっとしてみましょうと思いまして、とはいえ遠くへはあまりいけない、名古屋近郊の小さな神社を巡っているものの、駐車場がね……あまりなかったり……御朱印集めもそれほど重要ではなくなってしまったので(自分的に)、のんびりふらふら……日進市「八幡社」へ。

 

○こちら===>>>

日進市・梅森 八幡社 | 富士浅間神社

 

なぜか東郷町の富士浅間神社のHPがヒットしたのですが、こちらの神職さんが管理されているのでしょうか。

 

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鳥居と社標。
村社です(村としては、梅森村になるようです)。

 

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境内。
この辺り、名古屋と日進市の境付近で、昔からの村の風情と新興住宅街のせめぎ合いという感じですが、なかなか広い境内が維持されていて、大変かと思います。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。
新しめでも、苔がうっすらとあるのがなかなか良い風情かと。

 

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こちら、「金比羅社」「御鍬社」「富士社」「山神社」の合祀殿。

 

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本殿を横から……一番奥が本殿で、手前は幣殿ということになるのでしょうか、一番手前が拝殿……そこだけ瓦葺きなのが、ちょっと違和感。

 

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こちらは……あ、上の合祀されている社の本殿ですね。
普通、拝殿がどん、とあったら、瑞垣なんかでしっかり囲われて本殿には近づけない印象ですが、横から近づけてしまいました。

 

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最近はめっきり狛犬さんの写真を撮ることがメインになりつつありまして……。
小ぶりながらもよい造形かと。

 

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御伊勢様。
神明社」ということか。

 

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「忠霊社」。

 

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再びの遠景。

 

御朱印はありません(確認しておりません)。

 

さて、↑の「富士浅間神社」のHPでも紹介されていますが、『尾張志』には、

 

○こちら===>>>

尾張志. 5 愛知郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション


(↑の15コマ/引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)

 

「八幡八劔天神相殿社 是を村の本居神とす (略) この四社梅もり村にあり」

 

とあります。
これ以上のことは調べておりません(『尾張国地名考』には、梅森村の記事がほぼなかったし……)。
そろそろ『尾張徇行記』を手に入れておくべきか……。

というわけで、単にお参りしただけの記録です(まあ、ずっとそうなんですが)。

「大須界隈」(名古屋市中区)

8/10。

飛びましたな……それだけ神社仏閣巡りができていない証拠です。

最近(※202009現在)では、月参りも滞るようになった大須「三輪神社」へ。

いえ、参拝はしているんですが、御朱印をいただくだけの時間的余裕がなく……メディアにも取り上げられるようになって、時間が……。

 

○こちら===>>>

miwajinnjya.com

 

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夏だったなぁ……屋根の吹き替えの工事をしておられました。

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御朱印

 

あと、こっそりと、「万松寺」狛犬さんを。

 

○こちら===>>>

www.banshoji.or.jp

 

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「万松寺ビル」という商業ビル兼駐車場がありまして、その大通り沿いの入り口にいらっしゃいます。

一応、その店舗が入っているビル内を通り抜けるのが参道ってことなのか……。

 

9/7。

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「三輪神社」月参。

 

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御朱印

本当に、たくさんの種類の御朱印があります。

氏子さんのいらっしゃらない、ということを以前宮司さんに伺ったことがありますので、神社の維持のためにもみなさん参拝していただきたいと思います。

私は、単に「大神神社」と三輪鳥居が好きなだけでして……はい。

氏神様にお参りしましょうねみなさん。

 

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「万松寺」もたくさんの御朱印が……前回は限定御朱印があって混んでたのかスルーしたんですが、今回は人出もそれほどではなかったのでいただきました。

どんなお寺なのか、というと、「織田信長」公が、親父さんの葬儀で抹香を叩きつけた、という逸話の残るところです。

ほど近いところには、「政秀寺」もありますよ〜(「平手政秀」を弔うために「織田信長」公が建てたお寺ですね……「平手政秀」は「信長」公の教育係です……あ、「政秀寺」、確か、小牧・長久手の戦いで一度焼け落ちたんでしたっけ)。

お城に興味を持ったことで、戦国時代にも興味を持ち始めております。

まずは地元・愛知県の勉強を、と思うのですが、「松永久秀」に興味がね……。

 

一年前の九月の記事がやっと書けました。

これからは、より一層、神社仏閣城巡りができなくなっておりますし、今年はコロナでもうね……なので、更新頻度は上がっても、ネタがなくなるのが先かもしれないので、まあ、のんびり参ります。