べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「菊田神社」(習志野市)〜千葉道中

10/24。
「検見川神社」を後にしまして、どこへ……と迷っていたら、狛犬ラバーのみなさんからの怪電波を受信しまして、「菊田神社」へ。

 

◯こちら===>>>

www.kikuta-jinja.jp

 

津田沼駅で降り、ぶらぶらと歩いていくと、「ほんとにこっちかなぁ……」と思うような道に案内され……いえ、全く地理的なことがわからないもので。
とりあえず、無事到着。

 

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習志野の守護神。
なんかかっこいい。

 

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鳥居。

 

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元鳥居、かな。

 

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いきなり拝殿まで来ましたが、彫刻。

 

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天水桶。
神紋は……ああ、「菊」に「田」なのか。

 

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拝殿遠景。
シンプル。

 

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本殿。

 

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本殿の彫刻もまた、よき。

 

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拝殿正面。

 

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手水舎。

 

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狛犬さん。
小さな獅子山……元々は、もっと大きかったのかな。

 

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小祠と石祠と。

 

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こちらはお稲荷さんですね(多分)。

 

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こちらはなんだったか……。
小さな狛犬さんも。

 

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やけに緑色に見えてしまう狛犬さん。

 

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「御祭神 大己貴大神大国主命) 藤原時平
(略)
由緒
古伝によれば、当神社は久久田大明神と称して、弘仁年間(西暦八一〇年代)今より約一、二〇〇有余年前より御社として祭祀されてありました。当時は、この境内地は小嶋であって、この嶋を中心として東西両側は丘で、砂土堆積している入江でありました。住民の多くは西側の丘に住居を構えて生活して居りました。住民は嶋の上に鎮座されていた御社、即ち久久田大明神を産土神および氏神として奉斎信仰していました。なお、旧九月十九日を例祭の日と定めて、年毎に祭事を執行していました。また、住民は地内並びに周辺(近隣)の人と縁結びをしますと、これがまことに夫婦円満の家が多く出生児達もみんな丈夫に生長し、長命の人も多く、それ故に住民はこの久久田大明神を特に縁結びの神、厄難除の神、安産の神として崇敬し、商売繁昌の神(後年この地に商人が出来て、このお宮に祈願したところ何れも商売が繁昌した)としても崇敬しました。
治承四年、藤原師経、藤原師長卿の一族郎党当国に左遷の砌り、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦にと来ましたところ、海上少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めていましたところが、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しましたので、一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に着船上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。即ち久久田大明神のお宮で、師経卿、師長卿は無事に此処まで安着出来たことはこの祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘されて、この御社を崇め奉りてこの地を安住の地と定めることとし、同時に祖先の人皇六十代醍醐天皇の御宇延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り住民と共に奉斎崇敬しました。後に師経の一族は三山の郷(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。
その後星移り年変りて入江も浅瀬となり、この嶋の土と東西の丘の土を採取した浅瀬に盛土して水田を拡げて氏神の社名に相応しく永く久しく栄える国として耕作するようになりました。またこの境内地が船の形をしているのは、師経一族郎党が着船したのを記念とするために浅瀬を盛土するときにこの形を造ったと伝えらえています。
御社号改名 宝暦年間桃園天皇の御代に社名を菊田大明神(古老の云伝えによれば、菊は吾が国の名花、菊文字は久久よりも御社名には相応しいとの所以によって改名されました)
(略)
合祀 大正元年十一月、区内各町(本郷、丸田、下宿、浜宿)に鎮座されていた八坂神社、金刀比羅神社大山祇神社、水神社、稲荷社、雷神社の御祭神を合祀。」

 

藤原師長」という人は、

 

◯こちら===>>>

藤原師長(ふじわらのもろなが)とは - コトバンク


コトバンクによれば、

 

「平安後期の政治家、音楽家左大臣頼長(よりなが)の第2子で、1156年(保元1)父に連坐(れんざ)して土佐に流されたが、のち召還され、77年(治承1)に太政(だいじょう)大臣の位まで昇るが、79年には平清盛によって追放され、尾張(おわり)で出家した。法名理覚。世に妙音院(みょうおんいん)太政大臣という。源家(げんけ)と並ぶ郢(えい)曲の流派の一つ藤家(とうけ)の出身で、音楽的才能にも恵まれ、『十訓抄(じっきんしょう)』や『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』には早くから管絃(かんげん)や歌曲に長じたことが記されている。箏(そう)と琵琶(びわ)の名手で、箏では『仁智要録(じんちようろく)』、琵琶では『三五要録(さんごようろく)』という各12巻からなる譜集を編纂(へんさん)し、抄出した『仁智要略』『三五要略』とともに後世に伝えられる。また今様(いまよう)は源資時(すけとき)と並ぶ後白河(ごしらかわ)法皇の後継者、声明(しょうみょう)と朗詠(ろうえい)では新しく妙音院流をおこした。」

 

「藤原師経」は、

 

◯こちら===>>>

藤原師経(ふじわらのもろつね)とは - コトバンク


「没年:正元1.1.15(1259.2.8)
生年:安元2(1176)
鎌倉前中期の公卿。左大臣経宗の次男で,兄頼実の子となる。母は橘政光の娘。大炊御門と号す。元久2(1205)年に権中納言,承元1(1207)年に守成親王(順徳天皇)の春宮権大夫となる。承久の乱(1221)後右大臣に上った。」


だそうですので……うん、まあ、伝説なのでしょうか。
何しろ、全く詳しくない時代のことなので……実際に左遷された「藤原師長」はともかく、そういった逸話が辞書の類に掲載されていない「藤原師経」……いや、何かあるのかもしれません(陰謀論)。

 

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狛犬さん新しめ。

 

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そして、「菊田神社」といえば、と狛犬ラバー界隈でもっぱらの噂な、狛犬さん。
確かによい。
これだけで飯が何杯もいける狛犬ラバーさんもいらっしゃることでしょう。

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これは……三峯か古峯か……。

 

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参道、狛犬さんはこんな感じ。

 

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こちら「琴平神社」と狛犬さん。
小さいながら、造形に面白さあり……もちょっとホラー……。

 

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あらためて、参道。

 

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御朱印は、金泥のものをいただきました。
狛犬さんのもあります。
御朱印帳が、またこの狛犬さんデザインで素晴らしかったのですが、今回は手を出せず……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

千葉県千葉郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑「検見川神社」のときは引用しませんでしたが、『千葉県千葉郡誌』をちらっと。
393コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「菊田神社
津田沼町久々田に鎮座す。大己貴命を祀る。(略)境内の全形は舟形をなせり。こは昔よりの伝説により由緒深きものなりと云ふ。(略)」

 

……まあ、HPとか案内板の方が詳しいという(詳しいからといって、正確なわけではないですが)。

「藤原師経」「藤原師長」に関する伝説についてはともかく、それ以前から神社としては存在しており、そのときの御祭神が「大己貴命」だったかどうかは不明ながら、地名の「ククタ」は、「ククノチ」に通じるのかもしれません。
しかし、もともと嶋だったところに祀られていたお宮だとすると……何かもうちょっと面白い妄想が浮かぶかな、と思ったのですが、残念、何も浮かびませんでした。
基本、島に隔離されているような神というのは、祟り神だと思われます(とはいえ、日本の神で祟らない神はあんまりいないので……)。
最初から島にいたのか、島に追いやられたのか、で祟りのベクトルが違ってはいるでしょうけれども、「六部殺し」みたいに、何らかの危害を加えて島に追いやった(出てこられなくした)のだとしたら、かなりの祟りだったことでしょう……そんな伝説、「菊田神社」にはないと思いますので、無視してください妄想です。

 

千葉道中ラストで、狛犬さんを愛でられてよかったよかった。

「検見川神社」(千葉市花見川区)〜千葉道中

10/24。
千葉神社」の参拝を終えて、ガタンゴトンで向かった先は「検見川神社」

 

◯こちら===>>>

www.kemigawa-jinja.com

 

検見川駅から、線路沿いに少し歩いて……いや思ったより歩いたな……。
駐車場を通り過ぎて、参道入り口……も、どうやら裏側みたいです。

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ここを奥までいって、左手に折れると社殿があります。

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こちらは境内社だったと思います。

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拝殿。

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うん、立派だ……「神祇三社」と言われているということで、ご祭神は「宇迦之御魂神」(東神殿)、「素盞嗚尊」(中神殿)、「伊弉冉尊」(西神殿)。
ということで、お賽銭箱にも神紋三種。

 

狛犬さん。

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お賽銭箱を近くで。

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狛犬さん。

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で、先ほど入ってきた入り口に向かって戻りますと、正面に先ほどの階段があり、その奥に境内社が。

明和元年の石灯籠……下は。

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「古峰神社」。

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江戸湾金比羅宮」「難波塞神社」「天地神集神社」「嵯峨大地主神社」「下総天満宮」。

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三峯神社」。

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石祠とか、おキツネ様とか、瓦とか。

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本殿を後方から。

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木鼻が立派。

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本殿を前方から。
木鼻も虹梁もよい感じ。

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拝殿正面にある階段を降りてきました。

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「市神之社」。

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「御由緒
検見川神社周辺には「大賀蓮」で有名な検見川泥炭遺跡があり、三隻の丸太船が出土し、縄文時代すでに人々が住んていた事がわかります。古くから住んでいた人々は、自然の中に神々と共に生活していました。
検見川の地で祭祀が始まったのはいつ頃か定かではありませんが、人々が定住し始めた縄文時代には土俗的な祭祀が営まれていたと思われます。
当社の北隣の地は古くから「嵯峨」と称していて、嵯峨天皇ゆかりの地と伝えられ、朝廷との関係を物語っています。
検見川神社の御創祀は、平安時代清和天皇の御宇貞観十一年(八六九)全国に流行した疫病を鎮めるため、朝廷では京都の神泉苑に矛六十六本(全国の国の数)を建て、御霊会(今日の祇園祭)を斎行しました。此の時祇園社(現在の八坂神社)の御祭神素盞嗚尊の御分霊を矛に鎮めて国々に頒ち、疫病消除を祈りました。その時下総国で祀られた所が嵯峨の地でした。
その後、兵部少輔平春績が葛飾原に土着の際付近の開墾を始めたところ、災害が重なり疫病が流行しました。その時嵯峨の地から素盞嗚尊の御鏡が出土し、検見川大明神に無断で土地を犯したことから起きた災いであることを知り、朱雀天皇の御宇承平四年(九三四)に嵯峨の地の社殿を建立して祭祀を営み謝罪したところ、無事開墾することができたと伝えられています。現在の花輪台の地に社殿が遷されたのは後陽成天皇の御宇文禄年間(一五九二〜一五九六)のことです。
稲荷神社は、近衛天皇の御宇久寿二年(一一五五)勅命により下野国奈須野ヶ原の妖狐(九尾の狐)を退治した金田小太頼次の子孫金田周防守正明が、検見川の地を領した後水尾天皇の御宇元和二年(一六一六)検見川大明神の神域に祀られました。
熊野神社は、後小松天皇の御宇応永十六年(一四〇九)以来嵯峨の地に祀られていました。日頃崇敬していた正明は、寛永年間(一六二四〜一六四四)に現在地に遷し、祭祀を営みました。
以後「神祇三社」と称され、今日に至っています。(略)」

 

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社標と鳥居。
この右手のカーブした道を登っていくと、最初の入り口に行き着きます。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

千葉県千葉郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

総水房山 : 房総名勝誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション


↑この辺りに「八坂神社」として記事があります。
おおよそ、神社の案内板に書かれていたことと同じ内容です。
で、案内板によれば、どうやら祇園系の「素盞嗚尊」信仰があったようです。
関東で「素盞嗚尊」といったら「氷川神社」系をすぐに思い浮かべます。
同じ関東とはいえ、千葉には独自の信仰体系が根付いていた、のでしょうか(「妙見菩薩」とか、独特ですね)。
伝承として、勝手に開墾したら祟りがあって、「素盞嗚尊」の御鏡が出土した、というんですから、そのときすでに祇園系の信仰は廃れていた(祀られていたら出土はしないでしょう)、つまり御霊会のために御分霊に遷っていただいたのに、そのあと荒廃しちゃったから祟った、ということなんでしょうか。
ん〜……何か隠れている感じはしますね……もともと「嵯峨」という地名も、「嵯峨天皇」に結び付けられていますが、実際には「スガ」で、「素盞嗚尊」系の信仰があったのかもしれませんし。

 


……妄想、あんまり浮かびません……。

 

「千葉神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

2020年元日、あけましておめでとうございます。
平常運転……というか、今年はもう少し記事を書きます……一昨年のが終わらない……。

 

 

10/24。

「登渡神社」の参拝を終えて、今回の目的地でもある千葉神社へ。

 

◯こちら===>>>

www.chibajinja.com

 

ええと、東側を歩いていたんだっけ……やけに敷地が広いなぁと正面に回ってみて、改めてその大きさに驚いた次第。

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こちらもがっつり「妙見菩薩」信仰、というか本宮みたいなものですか……。

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鳥居くぐって、しばらく進んで、の入り口。

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獅子山。

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立派。
写真の半分は獅子山だったかもです。

 

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社殿が新しいのは別にいいのですが、謎の八角形……あ、これ社殿じゃなくて、門でした。

 

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お賽銭箱。
日月か……「妙見」信仰なら、七曜紋なのかと思っていましたが。

 

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拝殿の扁額。

 

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なんと、拝殿の二階に登れます……すごいな……正面が、先ほどの門的な建物。

 

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あ、こっちは……あれ、九曜紋か……違う、十曜?(※同じです)

 

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で、こちらは境内社の「千葉天神」さんなんですが、日月と、星……じゃないわ、天神様だから梅だ。

 

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「千葉天神」、拝殿。

公式HPによれば、旧「千葉神社」社殿のようです(詳しくは公式HPを)。

 

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本殿をちらり。

 

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ん〜……もとはお地蔵さんか、道祖神か……。

 

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墓石のようですね。

 

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拝殿、別角度から。

 

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小さい狛犬さん。

 

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こういう、八卦を表した八角の……香炉かな、の上に乗っかっておられました。
これは南側。

 

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いや、日本的ですね、神社に「妙見菩薩」という仏教の神がいて、その上から五行ですから。

 

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こちら東側。

 

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北側。

 

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西側。

 

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おっと、こちらに「千葉天神」の案内が。
「寿永元年(一一八二)九月二十五日、この千葉神社の前身、北斗山金剛授寺の境内に勧請された」そうです。

 

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そのほかの境内社、ということで「姥神」様。

 

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その狛犬さん。

 

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「星神」様。

 

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「石神」様。

 

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「稲荷」様。

 

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金比羅」様。

 

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これは、「金比羅」様の狛犬さんだったかな……。

 

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石祠。
「古峯神社」と「稲荷大明神」。

 

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その前にある、「御嶽」様。
関東にあっても、御嶽信仰……何かあるのか、何もないのか。

 

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……あ、ええと、「千葉天神」は、「千葉神社」向かって右手の方にありまして、境内社はその手前、で石の鳥居をくぐると「千葉神社」拝殿に戻る、という感じです。
広いです。

 

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「御嶽」様の向かって右側にある境内社
「八幡」「天神」「日枝」「三峯」「神明」となっています。
廃仏毀釈で集められちゃった感じでしょうか。

 

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「恵比須」様もありました。

 

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芭蕉の句碑。

 

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これは、どこにあった狛犬さんだったか……先ほどの石の鳥居のところかな。

 

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で、このキャラクターめいた狛犬さん、まぁ大きいです。
最初に見た、大きな門のところに立っていらっしゃいました。

 

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で、実は門ではなくて、また八卦を表したものが……「尊星殿」という建物なのです。

 

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こちらが、「千葉神社」の拝殿。
二階建てです。

 

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獅子山、再び。

 

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こちら、妙見池にかかる橋と、その手前の鳥居。
この奥に、境内社があります。

 

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「尊星殿」の全景。

 

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遠景。

 

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お隣の公園。

 

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「千葉常胤」さんも近くにいらっしゃった、「出世弁天」。
公園の脇にありました。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

日本伝説叢書. 下総の巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑本当は史料価値の高い文献を選ぶべきなのでしょうが、とりあえずさっくり、ということで、『日本伝説叢書』の「下総の巻」から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
53コマです。

 

千葉神社【妙見社】(千葉郡千葉町)
妙見社千葉神社は、妙見尊を祀つてゐる。千葉に、妙見尊を勧請した由来は「千葉集」そのほかの古記録の伝ふる所に依ると、承平天慶の昔、平将門が、乱を為した時、常陸大掾国香は、之を討とうとして敗刄に帰し、尋で平良文出でて飽まで之を誅討せんとしたが、是又大敗に帰し、良文は、上野次郎忠頼、権中将三浦忠光、上野介良経、村岡平太夫忠常、粟飯原文次郎常時等主従と共に、積雲深い上州の山中に遁れ、そして、良文は、もはや武運つきたるものと覚悟して、そこにて死を決したが、従者の進言を容れて、再び旗を染谷川に◼︎し、陣を布くと、味方のものどもは、四方より参集して、漸く百騎ばかりとなつたが、将門の軍は多勢にて、衆寡敵せず、此處でも亦、良文将に危からんとした。時に、俄然迅雷天地を振動し、乾坤為に晦冥、恰も数万の伏兵一時に起て良文の軍を味方するものあるかの如く見えたので、味方は大いに勢を得た。これに反して、敵は頓に気を喪ひ、将門は、危機一髪の境に陥つた。斯て霎時にして天晴れんとするとき、金色の垂直に白妙の袴を着した童子が、雲間に現はれ、瞬時にして影は消え失せたので、良文始め味方の士卒等は、均しくその不思議の出来事に驚嘆して居た。此時、敵兵の死するもの三百五十余騎、良文は遂に大捷を得た。すると、良文がその夜の夢に、一人の童子忽然と現はれ、『爾が母、我を信じて爾を設く、懐胎三歳月の時、胎中の一子願くは男子たらしめよ。而して男子たらば、天下無双の名将たらしめ給へ 然らば子孫永々氏神として崇敬し奉べしと祈る。故にわれ爾を助けたり。』と宣ふた。是に於て翌日之を附近の農夫に就て質すと、上野国群馬郡花園村七星山息災寺は、聖武天皇の勅願所であつて、行基菩薩の開基に成り、中尊は北辰妙見尊であると聴き、良文主従は直ちに息災寺に詣で、粟飯原常時を三年間此處に留めて守護せしめ、自らは武州藤田に帰り、軍に臨むに際しては、常に即催寺の方に向つて祈願を為て居たが、未だ嘗て戦利を得ないことはなかつたと言ふことである。そして、その後、良文は、居城の地に尊体を迂さんとして、常時をして宣旨を請はしめると、堂の扉は自然に開いたので、常時は畏み畏み、自ら尊体を背負い、息災寺を出でて、昼夜兼行して武州蓑の崎に着いた、良文は此處に之を奉迎して、共に藤田に帰り、次で秩父の大宮及び相州鎌倉等に移つたが、随所に必ず妙見尊を奉じたとのことである。さうして、千葉に初めて之を勧請したのは、良文の孫忠常の代であると伝へられて居る。一説に大治元年六月に、常重が大椎郷から、千葉に勧請したと云ふのは、再度の勧請で、是より先、既に千葉に在つたのであるといふ。尤も、大椎要害の城下には、今尚ほ妙見の古堂一宇がある。別当は北斗山金剛授寺で、後世人は之を妙見寺と云つて居る。これ、実に千葉の妙見尊王の由来の大要であるといふのである。その後一条天皇は、勅して之を勅願所ち定めさせられ、千葉家廿余世の間、その氏神として尊崇し奉り、徳川家康又深く当寺を崇敬し、永代二百石を賜はり。明治戊辰の歳王政復古となつて、神仏混淆の制を改めらるるに当って、寺院にては祭典を行ふ事が出来ないので、妙見寺の寺号を改めて妙見社とし、天御中主命を祭り、相殿には富津主命及び日本武尊を祭り、更に又、千葉神社と改めて、明治七年一月十九日を以て、社格を県社に列せられた。社殿は、古壮麗を極めたが、明治七年祝融の災に罹つて、堂塔悉く烏有に帰し、再建の後、又、明治三十七年一月廿日再び祝融の災に遭ひ、今は仮殿を存するのである。(略)」

 

平将門」からみであることはわかりましたが、「平良文」のことがさっぱり……。
というわけで、コトバンクから、

 

◯こちら===>>>

平良文(たいらの よしぶみ)とは - コトバンク

 

平良文

生年:生没年不詳
平安中期の東国の武将。父は賜姓平氏一世の高望。村岡五郎と称す。京で衛門府の官人として仕官したらしいが、活躍の舞台は本拠地の下総国(千葉県,茨城県)であった。ここで上総国(千葉県)の良兼、常陸国(茨城県)の国香、下総国の将門ら兄や甥たちと対立した。平将門の乱(935~40)での動静は明らかでないが、『源平闘諍録』には,良文が将門の養子であったとするなど、将門と親しい関係にあったらしい。また『今昔物語集』は、武蔵国足立郡箕田郷の源宛 と仲違いしたことから合戦となり、両軍が見守るなか一騎打ちをして引き分け、その後は心を通わせたという話を載せる。土肥、三浦などの坂東八平氏はすべて良文の後裔を称している。」

 

……「平良文」が「平将門」と仲が良かったのか、争ったのか、今ひとつわかりませんが……「妙見菩薩」の出てくる伝説を考えると、あんまり仲は良さそうではない感じですね。
そして、「平良文」は、千葉氏の祖、ということになっているそうです。

 

◯こちら===>>>

房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第3巻 史傳其一 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『房総叢書』の中に、『千葉実録』といった文献がありまして、その中に千葉氏各代の記事がありますので、ご参考に(ちらっと見ましたが、面白そうです……ちょいちょい「妙見菩薩」も出てきます)。
ようやく、千葉(というか、関東というか)で妙見信仰が広がっている理由がわかりました(千葉氏と、あとは「日蓮」上人と)。
が、詳しく掘れず……妄想もあまり……ただ、軍神武神の類でなく、「妙見菩薩」というところが面白いですね……背後に何があるのか……天台宗系の勢力かな……。

「登渡神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

10/24。
さらに歩いてみよう、ということで検索の結果発見したのが「登渡神社」

 

◯こちら===>>>

www.towatarijinjya.com

 

「とわたりじんじゃ」とお読みするようです。

でも、地名としては登戸……「のぼりと」とも読めてしまう。

複雑(?)。

 

 

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鳥居。

狭いわりに通行量の多い道路に面して、難儀な立地な感じがします。

 

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参道。

長い(良い)。

 

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ストーンサークル……ではなく水準点でした。

 

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階段を登ります。

 

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……妖怪ハウス?

宮崎アニメに使われそうなデザイン。

 

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拝殿。

立派だ。

 

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狛犬さん。

ムキっと出した歯茎、小さめの顔、鬣の造形が立体的でない、突っ張った前足、いいです。

 

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石灯籠。

台座部分に七尾の亀。

 

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拝殿別角度。

 

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本殿も、ちょっと近くで見られて幸せ。

海老虹梁から木鼻への窮屈なラインがまたよし……そして彫刻が素晴らしい。

 

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境内社の「浅間神社」と、御神水

 

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庚申塔……だけではなさそうです、子供を抱いているのは「鬼子母神」かな……「青面金剛」の顔はどうしちゃったのか……。

 

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うっすら、もともとの山号寺号が。

 

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大師堂がありました……っけ?

すっかり記憶にない。

手前の祠は、観音様っぽい……。

 

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ご神木。

 

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鐘。

 

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楽殿

びしっとしまっていました。

 

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境内摂社。

読めなかったりしますが、奥から「八坂」「天神」「?」「古峯」「狭長田」「痘」……。

 

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祠。

何がお祀りされているのか、はっきりとはわかりません。

御嶽講とかかな……。

 

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拝殿遠景。

参道からは想像できない、広々とした境内です。

 

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お稲荷さん。

 

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「船中安全」。

船霊……は船の外に祀ったりしないように思いますが、引退した船から遷されたのかな……。

 

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「水神社」。

 

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御朱印

 

随分水に関係する社があるんだなぁ……と、そういえば御祭神も確認していなかった。
神社でいただいた由緒書きによれば、御祭神は「天之御中主神」「高皇産霊神」「神皇産霊神」「天日鷲神」。

 

「当神社は正保元年(一六四四)九月五日、千葉家の遺族、登戸権介平定胤が祖先を供養するため千葉妙見寺(現在の千葉神社)の末寺(白蛇山真光院、通称登戸妙見寺)として妙見大菩薩を奉斎し、僧定弁に守護させたのがそのはじめであると伝えられております。その後、十四世興胤の時、慶応三年(一八六七)十二月二十六日、御社号を登渡神社と改め御祭神を天之御中主神以下の造化三神に定め、明治四十一年(一九〇八)十二月十八日、登戸字鷲塚(千葉市新千葉三丁目)鎮座、鷲神社(御祭神、天日鷲神)を合祀し、四柱の神様をお祭りすることになりました。(略)」

 

元々は「妙見さん」だったので、神仏分離で「天之御中主神」になった、と。

妙見菩薩」は、何度か引用していますが、北極星と同一視されまして、それが天の中心にいらっしゃるということで、「天之御中主神」とも同一視されていく、ということになったようです。

彫刻が見事だと思ったら、やはり諏訪の立川流

うむ、味わい深い神社でした……(いろいろと調べたいこともあるのですが……関東地方に多い妙見信仰と将門伝説と日蓮宗とか……時間が……)。

「道祖神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

10/24。

宴は無事終わりまして、まずは千葉駅へ向かう……途中でピックアップ、道祖神社」

 

……公式HPはないようです。

ちょっと奥まった、住宅街の途中にあった……ような気がします。

 

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扁額から(なんで?)。

 

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本殿。

 

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再建でしょうか、彫刻がわりとキャラクターっぽくなっていて、これはこれで◯。

 

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翁嫗は、何がモチーフなんでしょう……不勉強(漢籍かな)。

 

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連続性……。

 

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天水桶でしょうか、石製は珍しいような……羽団扇ということは、「秋葉権現」もいらっしゃるかな。

 

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屋根。

瓦にも羽団扇……やはり秋葉権現か。

 

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おっと、昭和の末に移転されたようです。

 

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狛犬さん。

苔むしていてよき。

 

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道祖神」、と庚申塔か……今も信仰篤いようです。

 

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こちら立派な「青面金剛」……宝暦のもののようです。

うーん、頭頂部に何か顔っぽいものが残っている気がする……「馬頭観音」か……でも日月あるし、庚申塔だよな……。

隣のお堂はなんだったかな……。

 

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社標と鳥居と境内。

 

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遠景。

 

案内板や解説板はなく、せっかくの文化財なのにもったいないなぁ……と思いましたが、地元の氏神様であれば、それはそれでかまわないか……。

 

何か引用とかしようにも、やはり他の土地のことはわかりませんね……地域のかたにおまかせします。

 

さて、千葉道中二日目〜(一年以上前ですが)。

 

「三峯神社」(千葉市花見川区)〜千葉道中

10/23。

千葉の幕張で闇のお祭りがありましたので、それに出かけてまいりまして。

せっかくなので、どこか神社を巡ろう、と思い、京葉線検見川浜駅からうろうろと歩いておりまして、発見したのが三峯神社

 

◯こちら===>>>

www.kemigawa-jinja.com

 

オフィシャルHPなどはなかったので、「検見川神社」のHPを。

「検見川神社」の境外末社で、「犬飼神社」と呼ばれていたそうです。

 

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本殿……でいいのかな。

神使は、「三峯」であれば狼なのでしょうが、なんだろうこのサーフェイサー塗りたて、みたいな感じ……(去年のことなのであまりはっきり覚えていなかったりします)。

 

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狛犬さん、の彫刻。

サイズの小さいお社ながら、なかなか良い姿ではないかと。

 

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アップにしてみました。
謎。

 

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鳥居から。

 

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由緒書っぽいものが立っているのですが読めず……社名の扁額もなぜそこに……。

 

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小さい祠。

 

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本殿の前の……道なのか参道というべきか……。

 

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灯篭には「三峯大権現」とありますので、比較的近世のものでしょう。

 

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手水鉢。

 

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参道入口……わりと、入って行きづらい……。

 

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鳥居発見……ということで、私はここからではなく、この鳥居の向かい側にあった(はずの)入口から入ってきました……ええと、結構な高台にありまして、また高速道路(?)が近くを通っていて、スマホの地図を頼りにしても今ひとつ位置関係がわからなかった、という感じです。

 

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で、また狼さんがいらっしゃったですが……飛行石か?
肋骨浮き出ているところとか、結構写実的と思わせておいて、なんでまた赤く塗ったのか……口……修復したらこうなっちゃったんでしょうね……。

 

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社標のある道まで出ました。
結構のぼってます。


御朱印……は多分ないと思います。
文献を当たろうと思ったのですが、国会図書館ではうまく見つけられず……ううん、やっぱり地元でないと、こう、何を頼りに探ったらいいのか難しいですね……(千葉県神社庁は頑張ってないのだろうか……)。


はい、というわけで、下調べもせず、検索もろくにせず出かけたので、今回の千葉道中もどうなることやら……です。

「(新栄)白山神社」(名古屋市中区)

10/13。

中区は新栄付近にある、白山神社へ参拝。

公式HPはなく、神社仏閣ブロガー諸先輩方の記事はあるので、検索してみてください。

 

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鳥居。

こんもりしております。

 

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こんもり。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

ごつごつ、むちむちしていて、これはこれでよろしいかと。

 

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拝殿遠景。

 

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末社の「床主」……「床主社」でよかったんだっけ……。

 

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楽殿(かな?)から拝殿を。

 

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狛犬さんその2。

 

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参道から拝殿を。

最初の鳥居とは、反対側になります。

 

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こちら、駐車場がある側の鳥居……だったと思います。

 

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「郷社」の社標。

 

おまけ。

近くにあった、「八王子社」と「青木神社」。
団地の一角、みたいな感じで鎮座されておりました……遷座できなかったのかな……いや、比較的新しい造りなので、遷座された結果、か。

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さらにその一角に、「地蔵菩薩」堂が。
鎮守を残した結果、みたいな感じでしょうか。

 

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さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』に、おそらくそれと思われる記事があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

146コマです。

 

白山権現社 駿河町通の東、小山の上にあり。此辺の生出神なるゆゑ、本社拝殿美を盡せり。例祭は六月九日、神楽ありて、町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり。」

 

……まあ、「白山神社」は「稲荷」「八幡」「天神」とまではいかないまでも、比較的多い神社ですし……東海地方は、美濃と越前に白山がまたがっており、美濃側からの登頂も盛んに行われていたようですので、紙幅をそれほど割く必要はない、ということだったのかな、と。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

困った時は『名古屋市史』。

郷社ですから、載っているだろう、と。

142コマです。

 

「四 白山神社
白山神社は東区東田町四丁目の南方に在り、社殿は古墳の上に立つ、(略)、創立の年月詳ならず、往古は春日井郡清須朝日郷に鎮座ありしが、慶長年中ここに遷座す、玄海寺社務を掌り、社を玄海寺の奥院とす、貞享二年、円教寺に改む、(略)、明治初年村社に列し、明治四十四年十二月二十二日、郷社に昇格す、此社地もと二段歩、山の走畑三段あり、燈明畑と云ひ、除地なりき、祭神は菊理媛命、(略)、境内神社は稲荷社(祭神宇迦之御魂神、尾張志に、「近世に曲瀬氏よりあづけとなれり」とあり)、須佐之男神社、天神社(祭神は菅公、岩津天満宮と称し、天保十年の勧請なり)あり、例祭はもとは六月九日、十日にして、九日に神楽あり、十日に餅を投ずるを例とせり、又小車に人形を飾りて、町中を曳きしこともあり、(以下略)」。

 

ほほう……古墳でしたか……。

名古屋市教育委員会のHPを見てみましたが、発掘調査に関する情報は見つからず……そういうものをネット上にどんどんあげておいてほしいですね……図書館に行かねばか……。

 

◯こちら===>>>

「白山宮」(日進市) - べにーのGinger Booker Club

「白山神社(大須)」(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

「小幡白山神社」(名古屋市守山区)〜高速初詣その3〜 - べにーのGinger Booker Club


近年、尾張東部、守山区から春日井、瀬戸にかけての地域の古墳群を「しだみ歴史の里」とかなんとか名前をつけて一大歴史スポットに仕立て上げようという構想が進行し、もうできたんだっけな……な感じで、いや、行ってみたいのですが、それはともかく、尾張東部の「白山神社」系で、いくつか巡ってみたところから、古墳と関係のある記事を引っ張ってみました。

そして、「白山神社」といえば、被差別部落と関係がある、と考える方がいらっしゃり、例えば現代の被差別部落に関する著書といったらこの人だろう、という塩見鮮一郎氏の『異形にされた人たち』 

異形にされた人たち (河出文庫)

異形にされた人たち (河出文庫)

 

 

から拾ってみると、

 

白山神社被差別部落氏神として、このところ、とくに注目されているが、白山神社が必ずしも部落にあるわけではない。白山神社が比較的近距離に二つあって、そのひとつが部落、ひとつはそうではないこともある。総本社はよく知られているように、石川県の白山比咩神社である。菊池山哉は、「東日本に於ては中世以降白山権現は部落以外には氏神として居ない」と断定している。一般的には、江戸時代になってから、関東各地の部落に白山神社ができたが、これは弾左衛門がすすめたからだといわれている。」(p176)


「また、
白山神社は長吏ばかりの神様ではない。別所の人も白山神を祀る、
と聞いた。」(p191)

 

といったことが書かれています。

塩見氏の検証は主に関東地方ですので、東海地方でどうだったのか、ということまではよくわかりません。

「長吏」というのは被差別部落の長的な人の呼称ですが、お寺を総括する立場の人の呼称でもあります(寺の「長吏」という呼称が先にあったものと思われます)。

「別所」は、この本で書かれているところでは、いわゆる「エミシの俘囚」を住まわせたところ、ということのようです。

新栄の「白山神社」は、清須越で移ってきたもので、もともとの清須ではどのような状況だったのかはわかりません。

また、古墳の上(近く)に神社がある、というのは、「白山神社」に限らず多く見られます。

古墳、というのは実はそこら中にありますし、ある程度の規模の古墳が密集しているところは、古代に栄えた土地だったことを示しています。

つまり、古代においては栄えた土地、ということです。

「古墳」を磐座のように考えて神社として祀るのは、わりと一般的な考え方だったのかもしれません。

そもそも、「野見宿禰」の後裔「土師」氏のような氏族は、「古墳」の造営と維持を役割としており、非常に重要で、ハレがましい存在だったと思われます。

しかし、「古墳」が作られなくなり、ケガレの思想が強くなると、「造営と維持」から「造営」の役割が落ち、「維持」をするだけ……墓守のようになっていきます。

「やな仕事」になるわけですね。

そして、「古墳」の記憶も地域からは失われていく、崩れる、崩される、神社として残っていれば幸い、「塚」と伝承されれば近寄りたくないものになっていったとしても不思議ではないと思います。

「古墳」の上の神社であることが重要なのではなく、「古墳」の上の神社だと「認識」されているかどうかが重要だったとすれば、さて、そんな墓の上の神社を鎮守だ氏神だ、と思いたいものでしょうか。

神社なのでそう簡単には廃せない、墓の上にあってはなおさら祟りということもある、じゃあどうしようか……。

 

 

 

そんなことをちょっと妄想します。

いかんな……もっと勉強しなければ。

 

名古屋市史』の、「燈明畑と云ひ」というのは、『尾張名所図絵』の「町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり」のことを表しているのでしょうか。

盛大なお祭り……一般的にイメージされる、被差別民からちょっとずれているような気がします……が、祭りは「ハレ」の日ですから、そういったことは関係なかったのか……こういった方面からのアプローチもあるんでしょうか。

不勉強不勉強。