べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「稲生神社」(広島市南区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

饒津神社」の参拝を終えて、歴史の散歩道をもう少したどってみようか……と思っていたら、iPhoneが急速に電池消費、フリーズ
あわてて携帯バッテリーで充電するもどうにも調子が悪いので、iOSのアップデートを街中で始めてしまう、という……おかげで時間がなくなり、宿に向かうことに。

それでも、どこか行けまいか行けまいか、と探して、発見しました稲生神社

 

◯こちら===>>>

稲生神社(いなりじんじゃ) | 歴史・文化 | 広島広域観光情報サイト ひろたび 広島から、旅をつくろう!

 

↑観光サイトです。

 

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いきなりおキツネさま。

原爆に耐えたお守りきつねさま、

 

稲生神社とお守りぎつね
一七三三(享保十八)年
神社周辺四町にて大火災発生するが
神社は火災免れる
この時 白狐より
町の平穏と五穀豊穣
商売繁昌を願い安住したい
というお告げがあり
鎮守されたと云い伝えられています」

 

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参拝した目的は、ほぼこれだったりします……『怪』。

妖怪になられた水木大先生、最近妖怪になりつつあるのか荒俣先生、鋭意執筆京極氏。

はぁ……。

 

虚実妖怪百物語 序 (怪BOOKS)

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虚実妖怪百物語 破 (怪BOOKS)

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虚実妖怪百物語 急 (角川ebook)
 

 

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そして、さらば鉄人……。

 

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町の中、二階建ての建物の二階部分に神社がある、といった構造。

 

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隣のビルとの対比が鮮やか、に見えるかと思ったらそうでもないの写真。

 

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「南区の妖怪伝説
三次の妖怪話として有名な稲生物怪録
妖怪を退散させた稲生武太夫が祭られているのが南区の稲生神社です。

江戸時代の三次に伝わる「稲生物怪録(いのうもののけろく)」は妖怪を退散させたという稲生武太夫(いのうぶだゆう)の武勇伝を書き残したものです。
三次市では、この伝説を元に世界妖怪会議を行うなど、まちおこしに活かしています。
広島市の南区にある稲生(いなり)神社には、この稲生武太夫が祭られており、妖怪を退散させたことから、魔よけ・強運を招く神様といわれています。」

 私、妖怪にもわりと強い、と思っていたのですが、もちろん京極・荒俣・水木といったほぼ妖怪の人たちにかなうわけはなく。

その中で知ったのが『稲生物怪録』でした(読んでませんけども)。

妖怪大戦争(2005年版) [DVD]

妖怪大戦争(2005年版) [DVD]

 

 

妖怪大戦争』(新しい方)をご覧になった方はおわかりかと思いますが、「山ン本五郎左衛門」という魔王の出展もこちらです。

読みたい、と思いながらもスルーしっぱなし……。

 

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鳥居。

 

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「広島のお稲荷さん
浅野公が広島入府の際、勧請し、当稲生神社豊受大神大国主命・稲生武太夫公霊神をお祀りしています。五穀豊穣・商売繁昌・厄除けの神様として四〇〇年の歴史をもち広島のお稲荷さんとして親しまれ崇敬されてきました。とくに享保十八年六月十八日広島大火災の時、稲生神社と◼︎◼︎志七(信仰厚く稲生社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから火災除けの神様として篤く信仰されています。
また、稲生武太夫公は、強く勇敢な妖怪退治で知られ、人々を守ったことから魔除け・強運を招く神様ともいわれています。」

 

ちょっと植え込みで隠れちゃった……。

 

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巨大絵馬。

 

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幟(何枚撮るのか)。

 

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遠景……というほど遠くはない。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 稲生武勇伝

国立国会図書館デジタルコレクション - 稲生平太郎 : 妖怪退治

国立国会図書館デジタルコレクション - 怪談稲生武勇伝

国立国会図書館デジタルコレクション - 備後土産稲生夜話 : 奇説異聞


国会図書館デジタルコレクションには何故か『稲生物怪録』自体はなかったのですが、それを講談にしたらしきものがいくつかありました。

私はいつか『稲生物怪録』を手に入れたいなぁと思います。

ええと、あっさりですが、今回はこの辺りで〜。

「饒津神社」(広島県東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

「鶴羽根神社」をあとにして、再び歴史の散歩道を川の方へ進んでいきます。

途中、噂の「明星院」(「鶴羽根神社」の記事参照)の側を通り過ぎ、突き当たったので大通りの方へ出てみると、饒津神社を発見。

 

◯こちら===>>>

www.nigitsu.jp

 

↑公式HPです。

何が驚いたって、「饒津神社」が一発で変換できるところです。

 

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案内板。

 

饒津神社
にぎつさん
天保6年(1835)、浅野9代藩主斉粛が始祖長政を祀るため広島城鬼門(東北)の方向に、明星院境内の西半分を割いて造営しました。
時代は天保の大飢饉、藩財政の苦しい中、敢えて壮大な神社を造営したのは、始祖を祭神とした神社を建立することで藩士の結束を固めようとしたためと伝えられています。なお、幕末に創建された神社のうちでは、全国最大を誇るものでした。
昭和20年8月、原爆被災により建物は全焼し、石灯籠、手水鉢などの石造物のほか、十数本の松(最後の1本も平成15年1月に松枯れし伐採)のみが残る甚大な被害を受けました。
戦後、仮殿、本殿などが再建されましたが、昭和59年本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復興され、遂に平成12年(2000年)を機に、悲願の向唐門が復元されました。この向唐門は武家を祀る神社などに使われていましたが、その大きさは全国2位の大きさを誇っています。」

 

……「明星院」の境内西半分……豪腕を振るわれましたな、浅野殿……。

 

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社標と参道入口。

 

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参道。

長い。

なんだこのパース。

 

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被爆した松、の切り株。

 

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参道から鳥居。

 

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狛犬さん。

珠に足をかけた姿が特徴的です。

やっぱり、広島なのか、中国地方なのか、こういう様式が多いんでしょうか。

 

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写真じゃ今ひとつわかりづらいですが、鳥居との対比から狛犬さんの大きさがわかっていただければ……。

 

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向唐門。

立派な造りです。

 

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被爆して数日の写真。

 

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被爆した手水鉢。

何か……物言わぬ雄弁さ、とでもいうのでしょうか……迫力があります。

 

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向唐門と扁額。

再建されて月日は経っていないので、素木の風合いがまだ若い感じですね。

 

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扁額アップ。

 

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拝殿。

平入、間口は一応五間ですかね。

 

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拝殿左手に回りますと、最後の浅野殿、「浅野長勲」公の頌徳碑があります。

 

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その奥の本殿。

常若(……かなぁ)に彩られてうっすらと。

 

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拝殿向かって右手にある、「稲荷神社」だと思いましたが……。

 

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左手からの本殿……見えず……。

 

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社務所付近から、拝殿方向。

幅広の階段が、ちょっと普通の神社にはない感じの様子です。

 

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饒津神社の石垣」……喜ばれそうだなぁ(誰が?)。

 

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境内側から、鳥居。

 

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二葉山山麓七福神めぐりの「恵比須天」。

 

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正面から鳥居、狛犬さん。

うん……ちょっと、狛犬さんの大きさが把握できず、鳥居が小さく見えてくる……。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑「尾長天満宮」「鶴羽根神社」同様、『大日本名所図録・広島県之部』に図絵があります(18コマ)。

文章も多少読めるのですが……神社の由緒書を見ていただいた方がよいかと。

境内の配置なんかは、現在の再現されているものと比べていただくと面白いかと(図絵のどこかに「鶴羽根神社」があります……多分)。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

19コマです。


「◎饒津神社 二葉山の麓、二葉公園に在り、旧芸州藩主浅野家の祖、従五位下侍従弾正少弼浅野長政を祀る所なり、此社は浅野家十一世左近衛権少将兼安芸守斎粛、祖先追考の爲め、特に造営せしものにして、天保六年建築成る、頗る宏壮なり、敷地総て六千六百六十一坪、明治五年十二月県社に列せらる。宝物には征韓の役、幸長の分捕したる陣太鼓、馬具三個、砲器一挺及び陣中に用ゐたる自然石の手水鉢等あり、孰れも見るに足る。殊に幾十の石燈籠並びに石階の如きは、世多く見ざる処のものなりといふ。」

 

手水鉢は、もともとは陣中で使われていたと……けっこうな大きさですが運んでいたんでしょうか……。

 

地元愛知では、大抵「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」関係が出てきてしまって、案外尾張藩主って地味なんですよね……(最近、「金シャチ横丁」で再発見される……のかもしれないです……)。

由緒によれば、大変な時代に結構なお金をかけて整備したようです……なんか、「東大寺」の大仏みたいですよね……ちょっと違うか。

長い参道を抜け、階段を登って、社殿への参道が右手に折れ曲がっているのは、二葉山を神体山として背負っているからなのか、「鬼門封じ」なのか……高田崇史氏的には「怨霊」になるんでしょうが、「鬼門封じ」に「怨霊」を使うのは一石二鳥みたいなものですから……多分、神体山を背後に控え、ということに何か意味があるのだと思います。

 

いや、いい空間でした……(境内とられちゃった「明星院」さんは気の毒ですが……)。

 

「鶴羽根神社」(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

(※2018/4/19追記※)

 

6/3。

相変わらず素敵だった「廣島東照宮」を後にして、そのまま歴史の散歩道を進んでいきますと、「鶴羽根神社」に遭遇します。

 

◯こちら===>>>

鶴羽根神社 | 御祈願、お宮参り、七五三、結婚式、厄除けは広島市東区の鶴羽根神社へ

 

↑公式HPです。

 

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いきなり由緒書きだった……。
※旧字を改めている箇所は、ブログ筆者によります。※

 

「鶴羽根神社由緒
御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 帯中津日子命 品陀和氣命 息長帯日賣命

当社ノ儀ハ建久年間(一一九〇〜一一九一)「源三位頼政ノ室 菖蒲ノ前」安芸国加茂郡西條ノ郷ヲ領シ 没後其ノ遺言ニヨリ元久年間家臣池田左衛門社殿ヲ建立シ御祭神ヲ勧請ス 修理料トシテ椎木山(二葉山)ノ寄附アリテ椎木八幡宮ト称シ 池田氏神主職トナレリ 元享年間回禄ニ罹リ再建サレシモ兵乱ニヨリ漸々衰廃ニ及ビ小社トナリ 万治二年ノ頃 同裔丹後守ノ時世ニ至リ家名断絶シ 二年ノ間奉仕ノ者ナク 明星院ノ守護ヲ蒙リ終ニ鎮守トナル 其ノ後 寛文元年同院ハ野上監物ヲ以テ当社ノ祠官ニ差置 此者氏子中勧進セシメ 社殿ヲ造立シ代々祠官タリシガ 文政五年六代目同裔美濃守退転シ 以テ同七年 石井眞澄祠官トナル 天保四年二月明星院鎮国堂ヨリ出火 悉ク類焼シ同年四月 仮社殿落成御遷座アリシモ 同社域ニ◼︎主ヨリ饒津神社造営ヲ仰セ出サレシ為 同六年四月 現在ノ地ニ所替ニト相成リ 旧藩主浅野家ヨリ造営資金ノ寄附ヲハジメ 氏子中ノ勧進ニヨリ同十四年九月地鎮祭 安政三年五月上棟祭斎行再建全ク成就ス 因ニ元ハ饒津神社一ノ鳥居ト二ノ鳥居ノ中間西側ニアリシナリ 明治元年十二月 神仏混淆御引分 明星院鎮守ノ儀ハ差止メラレ 浅野長勲公ノ撰名ニヨリ鶴羽根八幡宮ト改メ 同五年十一月鶴羽根神社ト改称シ 広島東部総氏神トシテ村社ニ列セラル 昭和二十年八月 原爆ニヨリ社殿一切倒壊セシモ焼失ヲ免レ 石ノ太鼓橋 境内ノ松 石鳥居 唐獅子 石燈籠ハ無事残レリ 現在ノ御神殿 拝殿 社務所ハ戦後ノ困難ノ中 石井博光宮司ノ先導ト氏子各位ノ熱烈ナル協賛ニヨリ 其ノ規模ハ縮少サレシモ再建セラレ現在ニ至ル 尚昭和ノ御代ニナリ伊邪那岐 伊邪那美二柱ヲ奉斎シ 御神徳ヲ敬慕シ神前結婚式ヲ広メ 挙式等ニ関スル総テノ設備ヲ完備セシハ当社ヲ以テ濫觴トナス」

 

ふう……最後に結構すごいことが書いてありますけれども……。

 

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住宅や店舗の並びに、ふっと突然出現するのが不思議な感じなのです。

 

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鳥居。

 

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案内板。

 

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鳥居(別角度)。

 

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神橋(渡れます)。

 

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参道。

 

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こんな感じの庭園が。

 

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橋から臨めます(すぐそこ)。

 

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拝殿前から、鳥居を振り返って。

 

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拝殿。

 

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拝殿(別角度)。

 

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境内社の「椎木稲荷神社」(参道途中、左手にあります)。

 

「由緒 当社の創建は遠く不詳ですが、鶴羽根神社が現在の地に遷宮となった江戸期の古図絵には、その姿が描かれています。元の御社名は「朝櫻神社」と称して居り、昭和の大惨事、原爆投下による社殿倒壊後の再建から、当時の石井博光宮司の撰名により「椎木稲荷神社」と改称し、現在に至っています。
また古記録によると、「明治四十二年四月 本市臺屋町(現京橋町無格社 稲荷神社(御祭神〜倉稲魂神) 当社に合併す」とあります。

祭神
・朝櫻大神…事代主神 保食神 高艮大神
地主大神…大地主大神
稲荷大神倉稲魂神
・五社稲荷大神保食神 倉稲魂神 大己貴神 大宮姫神 大田田根子命
・人霊神〜鶴羽根神社及び椎木稲荷神社に対し、特に御尽力を注がれた人々を合祀致して居ります
……頼義大明神(不詳) 兼房大明神(不詳) 徳広大明神(不詳) 荒平大明神(不詳) 八十吉大明神(保田八十吉翁)」

 

ううむ……御祭神が興味深いのですが……まあともかく。

 

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扁額。

 

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全景。

 

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こちら、保田八十吉翁の顕彰碑、のようです。

 

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こちらは郷土の偉人、ということになるのでしょうか……「山縣豊太郎」氏の像。
民間航空機パイロットによる初の宙返りを決めたかた、だそうです。
愛機が「鶴羽2号」。

 

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橋の辺りまで戻っての、社殿向かって右手方向。

 

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正面。

 

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狛犬さん。

ちょっととぼけたお顔も、被った苦難を思うと何か趣深い。

 

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「二葉山山麓七福神めぐり」の「弁財天」。

 

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被爆建物」の手水舎。

言い知れぬ迫力……。

 

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御朱印

なんといいますか、二葉山山麓の神社は、お山を背負っての様子がどちらも素晴らしいですね。

「鶴羽根神社」に関しては、「饒津神社」を作ったので、御遷座されたわけですが……不本意だったのかはわかりません……。

 

(※以下、2018/4/19追記※)

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑「尾長天満宮」と同様、案内板にあった絵図は、こちらの『大日本名所図録・広島県之部』に収められています(19コマ)。

印刷が粗くて、私には今ひとつ読めないのも一緒……。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

19コマです。

 

「◯鶴羽根神社 二葉公園内の東方にあり、記録によれば源三位頼政の室菖蒲の前、当国賀茂郡に於て病没したる後、其遺命に依り元久年間創建せしものなりと。祭神は息長帯日賣命、帯仲津日子命、品陀和氣命の三神なり。境内広からざるも瀟洒にして、秋には白萩、春には菖蒲、櫻等数多の花卉ありて、花時杖を曳くもの甚だ多し。殊に前面の小池沼の如きは、何となく雅趣あり。」

 

ううむ、神社の由緒書のほうが詳しかったですね、申し訳ない……他にも資料があるのだと思いますが、あとは郷土史家の方にお任せします……(前も書いたな、これ)。

「廣島東照宮」(再)(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

「尾長天満宮」のご参拝を終えて、数年前にも通った道を今回は晴天の下、廣島東照宮へ。

 

◯こちら===>>>

「廣島東照宮」 - べにーのGinger Booker Club

「廣島東照宮」〜「金光稲荷神社」 - べにーのGinger Booker Club


↑前回の記事です。

 

◯こちら===>>>

近況〜広島参拝記(その1) - べにーのGinger Booker Club

 

↑未来の記事(?)です。

 

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鳥居。

 

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参道……石灯籠の連続が素敵。

 

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ほぼ城。

 

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いきなりですが、本殿裏手の「福禄寿」、「二葉山七福神」です。

 

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本殿を後方から。

さすが東照宮、鮮やか。

 

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拝殿扁額。

随所に葵。

 

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もちろん、石灯籠にも。

 

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拝殿前から翼廊。

 

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門の裏側、彫刻。

 

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門から……いろいろと、連続性が美しいです。

 

廣島東照宮」さんは、いつも参拝者が多く、御朱印をお願いするのをためらってしまいます(ので今回はなし)。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 備後叢書. 第4巻

 

『備後叢書・第4巻』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

20コマです。

 

東照宮 在今府治東長尾山下、今太守奉源大君之命、以建之、四時之祭祀粛々然也、太守實神君之外孫也、宜哉尊崇之也、松栄寺者其供僧也。」

 

……まあ、記述がある、というだけな感じです。

尾長山なのか長尾山なのか……まあ江戸時代ならどっちでもいいんですが。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より。

20コマです。

 

「◯東照宮 同公園と地続なる尾長山の半腹に在り、石階登ること五十二級、奥川家康の霊を祀る、宮殿は正徳四年従四位下左近衛権少将光晟(浅野家四世)の創建にして、慶安元年七月の鎮座なりといふ、境域千五百九十四坪あり、昔時は構造華麗巧緻頗る美を極めるた由なれども、維新の後は、風雨に晒され又修繕をも加へざりしこととえ、今は唯当年の俤を存するあるのみ。造り観るもの今昔の感に堪へざるなり。」

 

こちらは、出版自体は明治38年の書物ですが、維新後にほったらかしにされていた、というのがよくわかります。

神仏分離令廃仏毀釈の流れ、というよりは、明治維新関ヶ原の意趣返し」と言われたりすることもあるように、どこかに「徳川家康」に対する復讐という意味合いがあり、しかも広島ですから、山口(長州)も四国(土佐)も九州(薩摩)も近い、というわけで、ほったらかしにされたのかなぁ……と思ったりします。

実際には、徳川家自体は、政治の舞台から排除されはしたものの、「徳川慶喜」の余生を見ればわかる通り、完全に否定されたわけでもないのです(むしろ、それができなかったからこそ、の「廣島東照宮」への仕打ちかもしれませんけれども……)。

なにしろ「廣島東照宮」は、広島駅から近いのが素晴らしい……今後も広島に行くことがあれば(そんなにないと思いますが)、是非とも立ち寄りたいです。

 

 

……今回、「金光稲荷」にはうかがっておりません(登れる自信がなかったもので)。

 

「尾長天満宮」(補)

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑案内板にあった絵図は、こちらの『大日本名所図録・広島県之部』に収められていることがわかりました(20コマ)が、印刷が粗くて、残念ながら読めませぬ……各々お確認いただければ、と思います。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑こちらの『広島みやげ:附・安芸の宮島』という本に記事がありましたので(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

20コマです。

 

「◯尾長天満宮 二葉公園の東、尾長山の南麓に在り、菅原道真公左遷の砌り、船を此辺の岸上に繋ぎ、少焉山上を逍遥して旅の憂を慰め給ひたることあるを、時人公の心事を想ひ遣り、遂に山上に一祠を建て、以て公の霊を祀るに起れるなり、寛永年中新たに社地を開拓し、今の所に遷したるなりといふ。又一説には久寿年中安芸守平清盛、山中を逍遥す、俄に暴風迅雷に遇ひ進む能はず、孤松の下に倚り遥かに菅神を祈りしに忽ち霽る、清盛神徳に感じ神祠を創建せりと伝ふ。承久中、国主武田大膳太夫信光再建し、武田家没落の後、毛利家より社領を附せしを福島正則之を没取す、寛永年中松尾忠政旧主浅野長晟の命を受け、神殿を建築し芸備両国の祈願所とす。維新前此山下に石泉亭といふ禅庵あり、巌壁兀立し澗水其間を廻り、亭上滄海渺茫の観あり、京洛の◼︎神滋野井三位中将謫せられて卒したるを葬れり。今練兵場射朶の辺り、荊棘の間に◼︎の存するありといふ。」

 

という感じで、神社の案内板とほぼ同じですね……どうも、「菅原道真」伝説、と「平清盛」創建説が、どこかで一緒になっちゃったみたいです。

ところで、同じコマに、

 

「◯尾長神社 東照宮の西に在り、天照大神大己貴命の二柱を祭る、史乗何等の記載なきを以て、其沿革等は知るに由なし、唯古老の口碑に残れるは往古一老杉あり、空洞を有す、黒蛇之に住む時人異霊となす、後祠を造り名づけて尾長神社といへりと。又一説には曾て平相国隠渡の瀬戸と開鑿するに当り、この異霊に感じて土功全きを得たりとして、殿宇を再建し自ら尾長大神の扁額を掲げたりとも伝ふ。貞享年中滋野井三位中将教広当国に下り其古事を聞き。

世にあふく黒髪山の峯よりやなびく尾長の霞なるらむ」

 

↑というように「尾長神社」の記事もあるんですよね。

現在は、どうも「広島東照宮」の西方に、これに類する神社はないようですので、あるいは原爆で失われたのかもしれません。

どちらの記事にも出てくる「滋野井教広」という人は、

 

◯こちら===>>>

滋野井家〔羽林家〕-公卿類別譜(公家の歴史)

 

↑の素敵サイトによれば(すいません、デジタルコレクションを自分で当たろうと思ったんですが、時間が……)、寛文の頃に安芸国に配流になっているようです。

 

 

 

え〜……薄い内容で……すみません、あとは地元の郷土史家の方にお任せします(妄想しようにも知識がないもので……)。

 

「尾長天満宮」(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

よんどころない事情で広島に出かけました。

 

◯===>>>

『第34回世界遺産劇場ー嚴島神社ー 平清盛公生誕900年前年祭 坂本真綾 Open Air Museum 2017』6/3 - べにーのDoc Hack

 

↑よんどころない事情。

よんどころない事情が夕刻からなもので、前回あまり回れなかった広島駅周辺をぐるぐるしてみようか、のコーナー。

 

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いや天気がよかった。

 

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このどこかを狙うわけですな。

 

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駅前から、歴史関係が充実している、素敵な広島……。

 

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しかも「七福神」めぐりまで……御朱印作ってくだされば……。

というわけで、向かったのは「尾長天満宮

 

◯こちら===>>>

tenmangu.info

 

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ちょっと高台にあります。

 

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「尾長天満宮
天神さん
学問・書道の神として古くから崇敬された菅原道真が、九州太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられました。やがて、かつて京都において浅野長晟の連歌の相手をした松尾忠正(熱心な菅公の信者)が広島を訪れ、寛永17年(1640年)、民家に近い山の麓、道真由来の場所に社殿を建立して菅神を祀りあmした。その後、享保年間(1720年頃)、今の場所に社殿を再建したようです。
現在の本殿は、饒津神社にあった招魂社(明治時代の建物)を昭和12年に移したものです。
(絵図)
上の絵図は、明治34年(1901年)に作成されたものです。惜しくも大正15年(1926年)9月の豪雨によって社殿のほとんどが倒壊流出しましたが、当時の境内全体の様子がよくわかります。」

 

……これ、なんて本からの引用なんだろう……デジタルコレクションにあるかな……。

名所図会系の図版なんかが、こうして案内板にあるのはありがたいですよね。

当然ですが、こちらの神社も被爆してしまっています……案内板の下部に書かれています(屋根と柱が残っただけ、だそうです)。

 

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狛犬さん〜。

この玉はなんなんだろう……あまり見ない様式ですね(中国地方独特なのかな)。

 

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鳥居。

最初は、表裏反対かな、と思いました。

 

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うーん何と読むのか……「勤労碑」かな……。

 

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随身門です。

 

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野趣溢れる感じの石灯籠。

 

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天神様なので、当然、牛さん。

 

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さらに結構登ります。

 

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社殿。

 

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社殿正面。

 

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狛犬さん〜……あら、また玉が。

 

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広島二葉山山麓七福神めぐり、の「寿老人」。

 

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ちらりと本殿。

山の斜面に作られているのがよくわかります。

 

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境内社の「水神社」。

 

「御祭神 天水分神 水波能売神 鳴雷神
由緒 菅公(菅原道真公)左遷の途次船を当山に寄せ、山を登り、◼︎の社
ぬかずき逍遥、水を求め給う。
谷に入るや清水あり。これを汲みて献る。公これを飲み、随意泉なりと
名付け給う。この地に水神を勧請す。
以後元禄十四年(一七〇一)当地大破し、惣新開再建以後惣新開祈雨
の社として営繕す。
(以下略)」

 

案内板の状態が残念……。

 

 

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えーと……登竜門がありますが……なんだったかな……。

 

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こちらもなんだったか……ううむ……。

 

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……なんか、先に行けそうだったけども行きませんでした……。

 

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境内からの風景。

素晴らしい眺望です。

 

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門の方を。

 

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狛犬さん〜……あれ、玉はないのか……。

 

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門の彫刻と提灯。

 

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主張の激しい「文化元年」。

 

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いい季節だった……そしていい天気だった……。

 

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「隋身門の由来
この随身門は西暦一六四〇年、寛永十七年(水戸黄門の時代)に建立された由緒ある建築物です。

菅原道真公が西暦九〇一年、九州の太宰府に下られる途中、この地にお立ち寄りになられました。
約二百五十年の後、当時安芸の守であった平清盛がこの峰にさしかかり、大豪雨と激しい落雷にあい、絶体絶命に追い詰められました。そのとき清盛は、はるかに管大臣のご加護を祈ったところ、不思議にも九死に一生を得ました。
清盛は深く神徳を感じ、この一帯を「管大臣の峰」と名付け、峰に社殿を建立し、それが尾長天満宮の期限となっています。
そして西暦一六四〇年、麓の現在地に社殿・随身門が造営され、随身門は今もなお参拝に来られた方を迎えています。(略)」

 

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というわけで、御随身の方々。

 

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随身門より。

 

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名前を知らない花が綺麗でした。

 

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御朱印は書き置きをいただきました。

 

尾張三河近辺の人間にとって、何かあると「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」が登場するのですが(燃やしたとか)、こちらの地方だとやっぱり「平清盛」が出てくるんでしょうか。

さて、文献はどうしようか……。 

「上野天満宮」(再)(名古屋市千種区)

5/27。

飛んだなおい……(いやもう休みの日はBABYMETAL漬けの日々だったもので……今もあんまり違いはないですが……)。

というわけで、初詣に出かけていなかったのを思い出し、「上野天満宮へ。

 

◯こちら===>>>

www.tenman.or.jp


◯こちら===>>>

「上野天満宮」他 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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正面から。

いや、天気がよかったなぁ……。

 

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拝殿。

 

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拝殿遠景。

なんか小さいラドンみたいなの飛んでますね……。

 

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碑、いろいろ。

 

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石灯籠と拝殿。

 

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狛犬さん……あれ、新しくなられてる?

そして小さい天神様がまた整然と……。

 

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こっちもかい……。

 

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拝殿正面。

 

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……牛さんの足元にもびっしり……。

 

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むしろこっち主役なんじゃないの……。

 

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……台座を大きく作っちゃったのがまずかったですかね……。

 

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あ、さすがにこっちは……と思ったら柵の上かよ……。

 

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アップにしてみました。

 

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蕃塀〜……にもいらっしゃった……どうやってそこに置いたんだ……みたいなところにも……。

 

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遠景。

うん、いいお姿。

 

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……そうか、違和感があったのは、摂社などが整備中だったからか……。

手水舎の背後の木の勇壮さが逆にちょっと切ない……。

 

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より遠景。

 

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蕃塀を表から。

 

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手水鉢……だと思います……。

 

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再び正面へ。

 

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御朱印

 

うん、久々にうかがったけれど、昨今でいえば「映える」スポットになってしまったといいますか……あんまりこれが拡散してもな……でも写真撮っちゃったからな……ごめんなさい。