べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「金峯山寺」(奈良県吉野郡)

11/18。

吉野神宮」の参拝を終えまして、駐車場まで登り、目指すは金峯山寺です。

 

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「七曲り下の千本」。


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紅葉。


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芭蕉の句碑……あれ、ここだっけ。


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なんか、階段あった。


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「大橋」。

護良親王」が鎌倉幕府軍相手に寡兵で持ち堪えた、ときに激戦になったそうです。


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「黒門」。

金峯山寺」の総門だそうです。

 


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銅の鳥居。

逆光甚だしい。

東大寺」の大仏を作ったときの余った銅で作った、という伝承があるそうです。

 


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裏から見てみました。


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「仁王門」……保存修理中……こういうタイミングが結構多いなぁ……令和も大修復の時代かな。


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「脳天大神」……かなりですな(何が?)。


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というわけで、「蔵王堂」にやってきました。

 

◯こちら===>>>

www.kinpusen.or.jp

 

……うわぁ、今初めて「きん『ぷ』せん」だと知った……ずっと「きんぶせん」だと思っていました……。


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鐘楼……かな。


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ご本尊の御会長に合わせて参拝してきたのですが、もちろんご本尊は撮影できません。

垂木の連続性が大好きな私にはたまらない建物でした。

いや、初めて参拝しましたが、特別開帳中ということで、間近での拝観……迫力がすごかった……密教の仏像好きなのです……「金剛蔵王権現」は密教ではないですが……。

堪能しましたので、ふらふらすることに(とはいえ、時間に限りのある旅ですので)。


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……こうして見ると、完全に山の奥ですな……こんなところまで「後醍醐天皇」は逃げ込んだと……。


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天気良かった……。


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遠景。


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紅葉。


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天気よかったんだな……。


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「愛染堂」と「観音堂」。


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境内の「威徳天満宮」。


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狛犬さん。


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「(前略)この神社の由緒は、今から千年あまり昔、椿山寺(竹林院の前進)でしゅっけした日蔵道賢(如意輪寺の開基)という僧が、大峯山の笙の窟という所で修行中のある日、急に仮死して閻魔宮へ行ってしまい、そこで冥土をさまよっている天子の衣服を着けた人に出会ったので、わけをきくと「自分は延喜の帝(醍醐天皇)である。生前は善政を行ったつもりだが、ただ藤原時平の告げ口のよって、菅原道真を九州の太宰府へ流してしまった。その罪によって死後の苦しみに会っている。生前、私が師と仰いだ上人よ、再び生き返って道真の霊をまつって欲しい。そうしたら私はこの苦しみから救われるだろう。」といわれたと思うと、日蔵はこの世によみがえりました。

日蔵上人は修行を終えると吉野山に帰り、威徳天満宮としてまつったのが、この社殿であると伝えています。(略)」

 


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「久富稲荷大明神」と「吉富稲荷大明神」。


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金峯山なのか大峯山なのか、ともかく修験道にも講があったようです。


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「二天門趾」。

「村上義光」が最期を迎えたところでもあるようです(どうも、『太平記』を読まないといけないようです……ほんと、鎌倉とか南北朝とかも疎いもので……)。

 


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正面。


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後醍醐天皇導きの稲荷」。

後醍醐天皇」が吉野に落ち延びるときに導いたそうで。

こういう場合、高田崇史的には、キツネと呼ばれた現地の人が導いたということになるんですよね……。


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いや、紅葉の美しいこと。

 

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御朱印

もうちょっといろいろあった気もしますが……あ、全部書き置きです(コロナ禍余波……)。

 

さて、現地でパンフレットと、『金峯山寺の365日』という本を買ってきました。

パンフレットから引用しますと、

 

金峯山寺(きんぷせんじ)は、国軸山と称され、白鳳年間(七世紀後半)に修験道の始祖役行者役小角神変大菩薩)によって開創されました。

役行者は、幼少の頃から仏心篤く、葛城山で修行を重ねられ、さらに大峯で苦修練行されました。そして、金峯山頂(山上ヶ岳)において、衆生済度のため金剛蔵王権現を感得されました。金剛蔵王権現は、最初、湧出岩に現われて空中に飛び立ち、ついで龍穴に降り立ったとされています。その龍穴が、つまり現在の大峯山寺本堂内々陣にあたります。役行者は、この蔵王権現の御姿を桜の木で刻まれ、そして、山上ヶ岳吉野山の二ヵ所に安置されました。これが山上山下の蔵王堂のおこりであり、金峯山寺の草創であります。」(p2)

 

我々世代は、『宇宙皇子』という強烈なラノベを読んでいたはずなので、「役行者」も大峯山も前鬼後鬼も韓国広足も、身近なものだったのです(誇張)。

 

金剛蔵王権現のお姿は右手に三鈷を握って肩をいからせ、左手に刀印を結んで腰を押さえ眼は怒りに燃え、左足はどっかと盤石を踏まえ、右足は大地を高くけり上げているのでありmす。頭髪は逆立ち乱れ、背後には火炎が燃え盛り、口の両端から牙が刃のように出ていて、全身ことごとく悪魔降伏の姿を現しているのであります。……(略)……しかも背後の火炎は大智慧、御身の青黒色は大慈悲を現わしているのであります。……(略)……権現とは、仮りのお姿で現れることを意味するのであり、金剛蔵王権現は、釈迦如来千手観音菩薩弥勒菩薩の三尊の変化身であらせられるのであります。

蔵王堂には三体の金剛蔵王権現をお祀りしていますが、中央には釈迦如来、右は千手観音菩薩、左は弥勒菩薩の権化でありまして、釈迦は過去、観音は現在、弥勒は未来をあらわし、過去、現在、未来の三世にわたって民衆を救済するために、仮りのお姿となって現れたのが金剛蔵王権現であり、役行者が不惜身命の苦行の結果、感得することのできた守護仏であります。

有名な奈良東大寺二月堂のお水取りの最後の三日間、神名帳を読み上げて一万三千余の神々や菩薩を呼び寄せる行事がありますが、そのさい「金峯山大菩薩」の御名を真先に読み上げます。これをみても金峯山寺の本尊、金剛蔵王権現の霊顕がいかに高いものであるかを示したものであると言えるのであります。」(p6)

 

金剛蔵王権現」は、江戸時代まで各地でたくさん祀られていたのですが、おそらく神仏分離を契機に、ちょっとマイナーな神様になってしまったと思います(「牛頭天王」に通じるところがありますか)。

それでも、あちこちに蔵王堂はありますので、忘れ去られたわけではない、と。

しかし、白鳳年間には既に、日本独特の仏が爆誕していた、というのがちょっと驚きです(密教が伝わる前ですね)。

お姿は、明らかに明王系ですね、「背後の火炎は智慧」というところは「不動明王」に通じるものがあります。

肌が青黒いのは、インドの「シヴァ神」を思わせます(「シヴァ神」は「降三世明王」に踏んづけられているのですが、「金剛蔵王権現」は何も踏んでない、ということで「シヴァ神」に通じるといってもいいのではないでしょうか……?)。

輪身、という考え方が日本に伝わったのはいつなんでしょう……仏教の知識は浅いもので……密教かなやっぱり……。

忿怒相の仏は、「四天王」をはじめとして、割と仏教伝来初期に伝わったようにも思います。

我々が思っているよりも経典が伝わっていて、その中から「役行者」がヒントを得たのか……。

また、「金剛蔵王権現」という名前も面白いですね。

「金剛蔵」の「蔵」は、「地蔵」「虚空蔵」と同様に、「金剛」を格納している、という意味だと思われます。

その「金剛」が何を指すのか、仏教的な「ヴァジュラ」なのか、あるいは金属のことなのか……山岳信仰者は「丹」(水銀)の在処を知っていた、とよく言われていますので、「金剛蔵」は水銀の鉱脈を知っていた、ということではないかと……その中の王という意味で「金剛蔵王」を名乗ったのかな、と。

これをこねくり回せば、「水銀の王」→「朱砂の王」→「スサノオ」……で、荒ぶる姿をしているのも頷ける、というわけです。

……。

という妄想は置いておいて(既出でしょうし)。

こういう、日本独自の仏というのは興味深いですね……実際の像も迫力が素晴らしい……青黒い肌というのが日本人の感性ではないような気がしますので、海外にヒントがあったんじゃないかなやっぱり……その辺りの考察をしている本がどこかにあると思います(私が思いつくので、もう誰かが考えてくれていることでしょう)。

仏教も勉強途中……ああ時間が……。

 

というわけで、もう少し吉野をぶらぶらしてみます。

 

「吉野神宮」(奈良県吉野郡)

11/18。

は!!っと思い立ったので、「そうだ、吉野行こう」……というわけで、朝から自家用車で吉野に行きました。

まずは、吉野神宮へ。

 

◯こちら===>>>

yamatoji.nara-kankou.or.jp

 

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鳥居。

秋だった……。


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官幣大社吉野神宮

祭神 後醍醐天皇

境内摂社

御影神社 祭神 贈従二位藤原資朝卿 贈従三位藤原俊基卿

船岡神社 祭神 贈正四位児嶋範長朝臣 贈従三位児嶋高徳卿 贈正四位 櫻山茲俊朝臣

瀧桜神社 祭神 贈正四位土居通増朝臣 贈四位得能通綱朝臣

例祭 九月二十七日」

 

……中世〜近世の人を神格化しているようですね……「後醍醐天皇」以外わかりませんが、まあ多分忠臣なのでしょう(これで違ったらとんでもない話で)。

 


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狛犬さん。


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鳥居から。

まだ太陽が若いのです(9時少し前かな……結構急いだので)。


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お洒落な手水場。


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楼門。


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拝殿。


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摂社。

 

「御由緒 近代日本の繁栄の基は明治維新にあり 明治維新の根源は後醍醐天皇建武中興と吉野朝の歴史にありといわれます。

それ故に明治の御代と共に後醍醐天皇を祭る吉野神宮を初め鎌倉宮 湊川神社など建武中興関係の皇族忠臣を祭る官幣社が十五社御創建になりました。

正面の三柱には格別の御功臣でありながらこれら官幣社に祭られていない方々をお祭り申し上げております。」

 

なるほど、知らないわけだ……。

 

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いろいろと、レイアウトに凝っている神社のようです。

神社というより、御霊屋っぽいですね。


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楼門内側から。


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紅葉が鮮やかでしたな……。


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御朱印いくつかありまして。

御朱印帳も購入しました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

吉野神宮奉賛会 編『吉野神宮誌』,吉野神宮奉賛会,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション

吉野神宮誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2024-02-26)

 

もう、こちら↑を読んでいただければ大体わかるようになっていますので、是非どうぞ。

大陸の南北朝に擬せられた日本の南北朝時代も面白そう……と思いながら、ほぼ全くといっていいほど知りません。

後醍醐天皇」を祭神としている「吉野神宮」(あ、皇族関係が御祭神なので「神宮」なのです)、創祀したのは「明治天皇」……というか明治政府なわけです。

立憲君主制を敷くとはいえ、天皇がトップの政体を作り上げたい明治政府としては、「後醍醐天皇」に背いた「足利尊氏」らを称えるわけにはいかない(武家政権として、源家を継いだ徳川家をやっつけた薩長土肥の出身者が多かったことも理由のひとつかもしれませんが)。

とはいえ、現在の皇統は北朝ですし、どっちにしろ皇統には違いないわけで、そっとしておけばよかったのに……現代人にはあんまり不都合はないのですよね。

まあ、明治政府は大変だったのでしょうが……ことが皇統に関わることだけに、今までに議論百出、現在も論争が続いているものと思われます……まあ、何というのか、どんな政体でも分裂して二つのトップが並び立つような事態は起こり得る、というのは面白いと思います(ローマ教会の大分裂とか……あっちは最終的に教皇3人並立しましたっけ)。

勉強してみよう。

 

というわけで、吉野ぶらり旅です。

 

「貴船神社」「貴船社」(名古屋市名東区)

11/3。

名古屋に住んでいて、東の方に縁がありまして。

名東区には、貴船という地名があるのですが、

 

◯こちら===>>>

名古屋市:名東区の町名の由来(名東区)

 

貴船2丁目にある貴船社が由来となった町名だそうで。

ところが、一社という町名のところにも、貴船神社があるのです。

 

というわけで、まずは「貴船神社」のほうに行ってみました。

 

◯こちら===>>>

名古屋市:柴田勝家コース(名東区)

 

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天気の良い日でした。


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狛犬さん。


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比較的最近、改修が行われていたようで。

正面から。


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ちっちゃい狛犬さん。

いやあ、太陽が若いですね(朝8時くらいです)。

 


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蕃塀。

愛知県には結構多いですね。

文化的な背景はわかりませんが……本殿側からの目隠しか、怨霊真っ直ぐ進めない説による塞ノ神か。

 


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拝殿。

 


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本殿。


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境内摂社。


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右が「金刀比羅神社」、左が「大山祇神社」。


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右が「天王社」、左が「御嶽社」。


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なんか、縛られちゃってる感じになってますが、「役行者」(だと思います……これで違うなんてことはないだろう……)。


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真ん中は「秋葉社」でした。


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蕃塀を裏側から。

ちょっと高台にありますのです。


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拝殿遠景。


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で、お隣にある「神蔵寺」です。


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これは……お旅所だったかな。


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よい天気。


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あ、本当に最近の話でした(※令和4年11月に行きました)。

あら、正確には「貴船社」なのかなこちらも……。


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少し移動して、貴船の「貴船社」のほうへ。


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正面。

こちらもちょっと高いところにあります。


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由緒……読めない……残念……。


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階段。


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狛犬さん。


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拝殿。


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社殿脇の狛犬さん。


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「稲荷社」。


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本殿を右側から。


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「由緒

祭神 罔象女神(水神)

寛文貮年九月(三二〇年前)五穀豊穣祈願の為水の神を祀る 尓来氏神と称え奉り生活と心のよりどころとして信仰極めて深いものがある

昭和二十一年宗教法人となる

昭和五十三年氏子の奉賛により建物の新改築境内整備等を行い神社の面目を一新する(略)」

 

 

京都の「貴船神社」、何年も行っていないな……あそこにいくと、その裏の山にも行きたくなるからなぁ……。

 

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本殿脇の狛犬さん(左側)。


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灯篭。


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境内末社


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とそこから見る拝殿……尾張造っぽさが残っている気がします。

 


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左から、「秋葉社」「津島社」「富士浅間社」。


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左から「皇大神宮」「山神社」「山神社」……集められた結果、でしょうかね。


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ちょっと離れたところから。


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こうして見ると、深山の風情がありますね……。


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朽ちてます。

 


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……神輿庫かな……。


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忠魂碑。


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最初のところとは別の参道入り口です。


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両部鳥居……急に?

 


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をを棒ノ手……。

 

◯こちら===>>>

「石作神社」(長久手市) - べにーのGinger Booker Club

 

尾張東部地方に伝わる民間武術(今は型だけ、のようですが)の棒ノ手。

何がいいって、流派の名前がかっこいい。


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あとは、青空と鳥居と紅葉を見ていただきまして。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

深田正韶 等編 ほか『尾張志』5 愛知郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション

尾張志 5 愛知郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2024-02-16)

 

尾張志』を見ておくことにしましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

11コマです。

 

「貴布禰社 高龗神を祭る当村の本居神とす 富士社 木花開耶姫命を祭るといへり 山神社 貴布禰やしろより戌の方にあり大山祇命をまつれり 山神社 貴布禰社より未の方にあり祭神上に同じ

この四社ともに下社村にあり

 

山王社 貴布禰社 山神社

この三社ともに上社村にあり

 

貴船社 山神社 富士社

三社ともに一色むらにあり」

 

名東区のこの辺りには、上社、一社という地名がありまして、一社というのは、一色村と下社村を合わせた地名なのです。

ということで、おそらくこの三社のうち二つが、今回紹介した「貴船社」なのだと思われます。

さらにいうなら、「上社」「下社」という地名が、多分「貴船社」があることから名付けられたのではないかと思います(ひょっとすると、それ以前に二つに分かれるような神社があった、という可能性もなくはないですが……)。

もっと詳しいことは、神社名鑑か、名東区の歴史的な本を見ればわかると思うのですが、手元で何とかしようと思うとこの辺りが限界か……。

しかし、勧請された結果とはいえ、この辺りだけに「貴船社」が三つも集まったのは何故なのか……いや、元々は一つだったものを分霊した、と考えるのが自然でしょうか。

御祭神はよくわからないことになっていますが……「高龗神」なのか「罔象女神」なのか……同じだ、と言われれば、まあそうなんですが……龍神、蛇神、水の神、ですから。

地形的には、かつてのこの辺りは山間ということになるのでしょうか……地理が壊滅的なものでよくわかりません……ひょっとして、雰囲気なんかが、京都の「貴船神社」に似た感じだったのかもしれません(そんな単純な理由で勧請しない、とは思いつつ、そんなもんじゃないかなとも思ったり)。

ううむ、なかなか図書館で調べ物ということもしませんが、そのくらいは調べに行くべきか……。

 

といった感じで、ぼちぼち名古屋市内の神社も、ちびちびと回っていきたいと思います〜(遠出できないだけ、ともいう)。

 

 

 

「恵比寿神社」(東京都渋谷区)

8/26。

ちょっと祭りがあって、恵比寿ガーデンプレイスに出かけまして。

ちょっと時間があったもので、検索して見つけた恵比寿神社に参拝。

 

◯こちら===>>>

https://twitter.com/tokyoebisujinja

 

 

 X(旧Twitter)を発見。

 

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恵比寿神社 御由緒

御祭神 国常立神 豊雲野神 角杙神 意富斗能地神 伊邪那岐命 伊邪那美命 蛭児大神(えびす様)

 

恵比寿神社は古伝によると景行天皇の時代(約二千年前)古代の英雄・日本武尊が東国平定の折に、この恵比寿の地に憩い、神世七代の中の六天神を祀ったと伝えられています。その後、土地の民が尊の徳を称え、天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祀られて参りました。戦後、区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築し、これを契機に昭和三十四年恵比寿という地名に因んで、兵庫県西宮神社より商売繁盛縁結びの神であるえびす様を合祀し、社名を恵比寿神社に改めました。(略)」

 


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鳥居と本殿。

ちょっと雨に濡れているのが雰囲気あります。


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境内全景。

いや、本当にこじんまりとした造りで、それが街中にあるということがなかなか味わい深かったです。

 


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この左の窪みには、箒がはまるんでしょうかね……。

 


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拝殿を横から。


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拝殿を向かって左から。

すでに、境内の外です。

御朱印はあるようですが、この日はいただきませんでした(もう、御朱印を集める、という趣味が薄れつつある……)。

 

というわけで、ご紹介まで。

元々、「天津神社」だったり、「大六天様」だったりするので、「第六天神社」、すなわち「他化自在天」を祀ったものと思われます。

明治の廃仏毀釈のときに、祭神を明確にしなければならず、仏教的な祭神ではお咎めありなので、無理やり神代七代のうち六代を持ってきた、というところが多いようです(「牛頭天王」→「素盞嗚尊」みたいな)。

他化自在天」が流行ったのは何故でしょうね……すぐに想起されるのは、「織田信長」が「第六天魔王」を名乗ったことなんですが……しかも関東に多いのですよね(私の地元、東海地方ではほとんど見ないです)……これを体系的に記した本があったりしたら、読んでみたいと思います(探してみよう)。

オカルト陰謀論的に書くとすると、江戸の守りのために、特に対「豊臣」の呪術として、「徳川家康」がばら撒いたのではないか……というのは、なんか、普通すぎて、書いておいてなんですが却下ですね……。

 

夏の終わり……。


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鳩がいました。

以上です(?)。

「冨吉建速神社」(蟹江町)

8/11。

ちょっと、どういう経緯で行こうと思ったのか覚えてないのですが……数年前に行こうと思って、断念したような気がします……ああ、そうか、2019年かな……蟹江町にある、「冨吉建速神社・八剱社」に行ってまいりました。

 

◯こちら===>>>

www.aichi-now.jp

 

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鳥居。


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ちょっと近寄る。


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社標。


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「須成祭」の案内。

明らかに、津島系天王信仰ですね……まあ、「津島神社」が割と近いですから。

「神葭神事」もあると書かれています。

 

◯こちら===>>>

「津島神社」(前編) - べにーのGinger Booker Club

「津島神社」(再)(津島市) - べにーのGinger Booker Club

 


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「冨吉建速神社」と「八剱社」の案内板。

御祭神は、「冨吉建速神社」が「素盞嗚尊」、「八剱社」が「草薙神霊」と「熱田五神」。

 


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拝殿。


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なんと、彩色陶製狛犬さんが……。


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これは、石の狛犬さん。


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拝殿遠景。

ううむ、尾張造の名残りでしょうか。

 


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屋根の上の飛び狛犬さん。


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文化財も多い、ということです。


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向かって右手からの社殿。


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本殿……よく見えず……。


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こちら、お隣にある「龍照院」。

 

◯こちら===>>>

www.town.kanie.aichi.jp


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角度的に、本殿の後方に回ったと思われます。


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「龍照院」さんの本堂……かな。


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内容からして、人形塚っぽいです。


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「龍照院」側からの拝殿・本殿。


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大日如来」堂……かな。


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これなんだっけ……いかんな、寺院はあまり近寄ると本尊が写ってしまうので、どうしても角度を気にしてしまう……と扁額すら写らないので……。


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鐘楼。


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本堂遠景。


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秋葉大権現」。


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おっと、どうも「源義仲」と「巴御前」に関わりのあるところだったようです。

本尊の安置霊場とな……ちょっとこれだけではわかりません……もっと宣伝してもいいんじゃないでしょうか……。

 


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「龍照院」の手前に、「秋葉大権現」がある、という構図です。


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「龍照院」遠景。


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蟹江川沿いを歩くと、ちょっと本殿が覗けるところがあるのです。

ちょっと。


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空が気持ちよかった。


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ここからも本殿が覗けた……うちに入るのか……。


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蟹江町観光交流センター。

……2019年……わかる人にはわかる、この場所……。


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やはり空が気持ちよかったです。

神社の御朱印は、あるのかな……お寺の方はあると思いますが、いただいておりません。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

深田正韶 等編 ほか『尾張志』9 海東郡,海西郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション

尾張志 9 海東郡,海西郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2024-02-01)

 

↑久々の『尾張志』でございます。

p47より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

牛頭天王社

須成村にあり祭神素盞嗚尊なり例祭六月十七日十八日船祭津島の模様にて御葭流等も行ふ末社八剱社は草薙の神剱及熱田の五神を相殿とす」

 

というわけです。

 

これに対して「龍照院」は、p55です。

 

「龍照院

須成村にあり蟹江山常楽寺といへり名古屋寳生院の末寺也天平五年行基菩薩の草創にて其後寿永元壬寅年木曾義仲主本堂並諸伽藍十八坊舎等悉造立ありて寺領も七十六町余ありしが天正十二年蟹江合戦の時兵火にかかりて堂舎僧房退転せしよし伝へり又一山十八坊の内十七坊廃れて終にこの龍照院のみは本坊にて今に至れり

本尊 十一面観音木像立像 地蔵堂石仏立像 鎮守 天満天神 弁財天 秋葉神 鰐口一口(本堂にあり銘云奉鋳鰐口尾州海東郡富吉庄蟹江常楽寺常住也 明応九年庚申六月十八日施主一阿弥敬白又此寺蔵の旧記に十八坊の領田を書るものあり其文は 五町 法印 龍照院 一町三反 別当宝珠院 一町薬師寺 九反 多宝坊 九反 大林坊 九反 善林坊 九反 妙義坊 九反 光蔵坊 九反 池之坊 九反 泉蔵坊 九反 東蔵坊 九反 焼明坊 九反 西之坊 九反 如意室 九反 宝珠室 八反 善生菴 二反 ひくに松寿菴 五反 禰宜神楽田 三郎太夫 右寺領は太閤様被召上寺中退転仕候則御朱印は六十三年以前申年蟹江乱の時失申候とあり 此記に年号を書されとも蟹江乱より六十三年をかそふれは正保二年に書るもの也」

 

というように、江戸期の記録でいえば、圧倒的に寺の方が詳しいものなのです(「寺」「社」奉行、ですから)。

もうちょっと「木曾義仲」絡みのエピソードがほしいところです(調べなさい)。

しかし、蟹江の乱とか蟹江の合戦ってなんだろうな……と思って調べてみたら、小牧・長久手の戦いか……重野なおき先生はまだそこまでは書いてないかな。

本当に戦国時代に弱いもので……もうちょっと勉強します。

「冨士浅間神社」(静岡県駿東郡小山町)

7/18。

山中湖で何やら結構なお祭りがあったので行ってきました(まだコロナ禍明けず、でお客さん自体は少なかった)。

その帰りに、たまたま見つけて寄った、「冨士浅間神社

 

◯こちら===>>>

higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp

 

東口本宮なのですね(全然全然わかっていない)。

 

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案内板。

何というか、作り的に、本当に登山口前に建てられていて、一直線なのが面白い感じがしました。


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麻布山三講という、富士講の石碑群です。

江戸にはたくさん富士塚があったそうです(それほど残っていないですが……「鬼王稲荷神社」のは壊れている……あ、「鳩森八幡」がしっかり残っているか)。


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鳥居。

クリーム色。


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これも富士講の碑ですね。


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こちらも。


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こちらも。

富士講の解説案内板があります。

富士講は、触れ始めるとまたそれはそれで深いので、やめておきます(勉強不足)。


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なんだっけ……何となく、いい景色だったので。


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「祖霊社」。

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拝殿前の鳥居。


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社標。


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火山弾の数々。


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何の碑だろう……灯篭にしては火袋がない……。


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獅子山の狛犬さん……獅子山だから獅子じゃないのか……。

こちらも講の方が奉納されたようです。


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楼門。


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宝永の大噴火で大破したと……たった300年程前のことですからね、いずれ富士山も噴火することでしょう。


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東口本宮。


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神厩舎。


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境内社は、「事代主命」と「大国主命」を祀られているので、「恵比寿大黒社」でしょうか。

もともとは富士紡績株式会社の鎮守だったようです。

最近では、会社の中に神社を祀ったりは、しないんでしょうかね……。


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狛犬さん。

苔むして良し。


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境内末社

「社護神社」はちょっと謎ですが(鬼門除けで「大己貴命」と「月読命」っていうのがどうにも……)、元々はシャグジ神だったかもしれません(憶測)。


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社殿横から。


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社殿正面から。

富士と桜、は「木花開耶姫命」だからですね。

しめ縄が独特……。

 


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拝殿遠景。

干支の彫物が並んでいます。

おっと、この木鼻の感じ等から見ると、権現造ですか。

 


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曇っている……。


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楼門を裏から撮ったのですが。


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狛富士?

富士塚


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狛犬さんを正面から再び。


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御朱印

そうか、「海の日」だった。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

静岡県駿東郡 編『静岡県駿東郡誌』,静岡県駿東郡,1917. 国立国会図書館デジタルコレクション

静岡県駿東郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2024-01-25)

 

静岡県駿東郡誌』という本がありましたので、こちらから(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p339より。

 

「県社浅間神社

須走村字日向に在り、祭神木花開耶姫命にして、大己貴命、彦火々出見尊を配祀す、社域千四百六十六坪、本社は富士山登山道、須走口當道の鎮座にして、境内老樹鬱蒼自然に森厳を添ふ。

社記云、当社は平城天皇の大同二丁亥年創建と申傳ふ、古来富士東口本宮と称す、傳云、延暦二十一年正月より、富士山東脚、噴火を発し、黒雲晦冥、日を経て鎮火せず、頻りに震動して其響き雷鳴の如く、砂礫を雨らす、里人恐怖して憂懼止まず、時の国司郡司亦之を憂へ鎮火祈祷として、乃ち富士山東面、須走の地に於て、斎場を設け祭事を執行す、是即ち現今の社地、字日向と称する地なり、同年四月初申の日に至り初て鎮火す、因て神威を恐こみ、其神徳を報賽せんが爲め社殿を創立し、爾来初申の日を以て、例祭日と定めたり、而して社殿造営修復は時の国司により勤めらる、天正中武田氏当社を崇敬し、本社・幣殿・拝殿・鳥居・板橋まで再建せられ、神領を寄附せらる、其後中村一氏本州を領せし時、亦社殿の修補を加へ徳川幕府時代、寛永中又修繕を加へらる、其後寛文三癸卯年、相州小田原城主稲葉美濃守、本社・幣殿・拝殿に至る迄再建造営す、貞享二乙丑年、同城主稲葉丹後守、楼門・鳥居・板橋等修繕す、其後元禄四辛未年、小田原城主大久保加賀守、社殿の修補あり、同十四辛巳年に至り、又社殿再建造営を企つ、會々同年九月大地震の災あり、小田原城中大破損に罹り、爲めに本社の工事果さず、其後宝永四亥年十一月廿三日、富士山中腹より噴火し、砂礫を雨らすこと昼夜止まず、地上悉く埋没し、此地砂の深さ一丈二尺余に及ぶ、時の代官伊奈半左衛門幕府の命を奉じて、埋没村落の再興を謀る、当時此災害に罹りしを以て、本社再興のことを擧るを得ず、其儘に経過し、正徳四乙未年に至り寺社奉行石川近江守へ、先規の通り再建願出たる處、江戸市中勧財を許可せられ、当時神官拮据励精の結果、享保戌年に至り、漸く故の如く社殿再興の功を奏す、此時小田原城主大久保加賀守より、白銀十枚、槻材二十本、鳥居材杉六本寄進せらる、其後寛政四壬子年、鳥居改築に際し、前例に因り小田原大久保家より用材杉数本の寄附あり、明治維新後は社殿の維持修繕、総て氏子信徒の経営に須つこととなれり、従前社領として除地高四石八斗を有せり、明治維新上地となる、明治六年郷社に列せられ、同十九年県社に昇格せり。(以下略)」

 

……ふう。

最初は、噴火を鎮めるための斎場だったものが、やがて神社の体裁を持つに至り、また噴火で焼かれると……将来的に噴火することが確実らしい富士山、できれば南海トラフと同時は避けていただきたいものですが……。

木花開耶姫命」といえば、記紀神話でも結構著名ですが、どうしてまた富士山の女神になったんでしょうね……という謎については、

 

 

 

↑こちらを読むと少しわかるかもしれません。

古事記』『日本書紀』に富士山が出てこないのは事実です。

この山にまつわる神話が残されていない、ということは、大和朝廷の原型となる集団が形成される中で、富士山の神話を持っていたであろう一団が勢力を保持できなかった、ということなのでしょう。

日本武尊」なんて、明らかに東海道を通っているはずなんですが、さっぱり無視ですから。

古代、富士山にはどんな神話があったのでしょうね……とここで古史古伝には安易に飛びませんので(面白いんですけどね)。

漫画『スプリガン』の描写が、結構的をいているような気もします。

いろいろ妄想してみると面白いかと。

「崑崙山寳満寺大乗坊」(大阪市浪速区)

6/19。

目的を果たして、大阪は日本橋の近くをうろうろしていたら発見しました、「大乗坊」

 

◯こちら===>>>

www.city.osaka.lg.jp

 

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お寺さんですが狛犬さん。

神仏習合の名残強く。

 


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毘沙門天」のお寺、のようです。

当たり前なのですが、基本的に堂内の仏像のお写真は撮りません。

禁止のことが多いからですが、何となく遠慮します(しないこともあります)。


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鳥居の柱……だったかな……もあるのですが、絡みついているのは百足さん。


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日本橋毘沙門天 崑崙山大乗坊由来

当山は崑崙山、寳満寺、大乗坊と号し、もとは四天王寺東北方、牛崎と云う所に有り寳満寺三十七院坊の一寺として、四天王寺守護寺院の一端を担って居りました。

天文、天正の頃織田信長石山本願寺攻め合戦の巻き添えにて再三兵火にかかりし為、その一坊たりし大乗坊の当時の住職、秀言律師が本尊毘沙門天の佛頭を奉じて、難波村名呉街(現在の日本橋筋)に逃れ草庵を起て、大乗坊のみ再興されました。宝暦年間第六世住職宝及律師の時代に、備前の国、池田侯の帰依により大いに興隆し、灰屋善兵衛その他船場島ノ内の商店主の帰依により、境内地の拡大その他整備も整いて更に、堂島の米問屋二川家の帰依寄進により寺勢大いにあがり、摂津名所図会等に浪速名所の一つとして長町毘沙門天堂の名があげられ、数少ない浪速の毘沙門天として信仰されて来ました。明治に年号が変わるまで、境内千坪、寺領域外周一里を有して居りました。又、浪速の富籤の発行勧進寺院として賑わって居りました。

(略)」

 

 


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全景。


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秘仏っぽい写真が載っていましたよ。

御朱印はあるっぽいですね……浪速の「七福神」の一つなのかな……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大阪府学務部 編『大阪府史蹟名勝天然記念物』第5冊,大阪府学務部,昭和6. 国立国会図書館デジタルコレクション

大阪府史蹟名勝天然記念物 第5冊 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2024-01-17)

 

↑『大阪府史蹟名勝天然記念物』という書物があったので、こちらから(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p49です。

 

「大乗坊

此寺、元は天王寺牛が崎(所在不明)にありし崑崙川寳満寺の子院にして新坊と称したり。天正の頃兵燹にかかりしかば寺僧秀言本尊を奉じて各地に流寓し、遂に難波(地点不明)に住したり。文禄の交、法及律師(或は勝慶律師)灰屋善兵衛なるものの別荘を寺とし、現在のところに移せり。後五代にして明和年間に至り圓點律師あり。二條家の猶子となりし関係より此寺に下り藤の紋章を用ゆ。之れより寺運漸く盛んに堂宇竝び建てり。然るに先の灰屋は家運漸く衰運に向ひしかば、寺運の隆盛なるを見之れを自家のものとなさんとし、寺運亦振はずなれり。萬延の頃正道律師の時、今の大阪の商人二川家の援けにより全く寺院を買収し、灰屋の手を離れたり。爾来堂宇の修繕増築等漸く成り、寺運亦興隆せり。以上の修築は明治三十年に至り漸く完成せり。

本寺の遠隔は大略右の如く、隆替甚しきを以つて、古記録等存するもの一もあるなし。只本尊毘沙門天は春日仏師の作と傳へられ、本邦四毘沙門天の一と称せらるるも実は身首同作にあらず。蓋し先に流転せし時に損せしなるべし。只前立の毘沙門天(実際は前々立にして三体の内最も前のもの)は製作最も巧妙にして現に国宝に編入せらる。最近寺運益々隆盛にして参拝の者踵を接し、香華常に絶えず。」

 

まあ、当たり前ですが、お寺の案内文とほぼ同じ、です。

かつて、広大な敷地を誇った「毘沙門天」も、ちょっと切なくなっておりました……。

蜈蚣(百足)は、「毘沙門天」の使い、という俗説があります。

「蜈蚣はお銭(足/あし)が多い、ということで、お宝の守護神である」という話と、「もともと「毘沙門天」はインド神話の「ヴァイシュラヴァナ」の漢訳で、「ヴァイシュラヴァナ」は「クベーラ」とも言い、「クベーラ」は財宝を守るヤクシャだった」という話が結びついたのではないか、と何かで読んだことがあります(何だったかな……)。

地面の下にいることが多く、地下の財宝を守る、と思われたのでしょうか(西洋だったらドラゴンの役割ですね……日本にはドラゴンいませんから……まあ、鱗類の一種と考えれば、近いかも……『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は『迷宮と蜈蚣』というタイトルになっていたかもしれません(?))。

まあ、妥当な解釈ではないかと思いますが、瀬田辺りでは、唾に負けてますよね大蜈蚣……強いのか弱いのか……モンゴリアンデスワームくらいの大きさがあったらさすがの「俵藤太」でも勝てないかな。

 

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……ええと、難波の方に行ったら見つけた、おまけです。

というわけで、プチ大阪旅がやっと終了……久々に「四天王寺」に立ち寄れてよかったです(推しごとも充実しておりました)。