(※2017/01/25ご指摘を受け修正)
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瀬戸まで桜をふんわりと愛でに行き、帰りに長久手による、という昨年と同じルートを通っております。
今回は、「石作神社(やざこいしつくりじんじゃ)」です。
○こちら===>>>
石作神社・直会社 と旧岩作村(現長久手市)の神社今昔 | 長久手市郷土史研究会
↑しっかりとした郷土史研究の団体のHPなので、私の紹介することなど無きに等しいのですが……。
駐車場からのパノラマ。
杜、森、盛り、という感じがします。
桜を入れてみました。
薄曇りだったので影ができず……郷社だったようです(この碑は、神田を示しています)。
ゆるく登っています。
手水鉢に、なぜか獅子頭が……若干のホラー……。
「郷社式内石作神社御由来
当社祭神は建真利根命と申し人皇第五十四代仁明天皇の承和元年(皇紀一四九四年 西暦八二四年)の鎮座である 後人皇第九十五代花園天皇の正和年中これを修造すると伝えられる 明治三年五月郷社に列せられて今日に至る 按ずるに当社は所謂式内郷社にして人皇第六十代醍醐天皇の延喜年間に編纂せられたる延喜式神名帳に記載せられ其由緒は極めて遠いのである 尚当社は往時山田郡に属していたが同郡荒廃して愛知郡に編入せられたという
合祀祭神
伊邪那伎大神 伊邪那美大神 天照大御神 武甕槌神 大山津見神 大山咋神 木花開耶姫神 菊理姫命 王辰爾 大己貴命 応神天皇」
……かなり合祀しましたな。
ざっと見てみると、もともとは「天神社」か「多賀社」、「神明社」、「鹿島社」か「春日社」、「山神社」、「富士神社」、「白山神社」、「三輪神社」か「金毘羅社」かその辺り、「八幡社」……「王辰爾」って誰だっけな……あとで調べます。
こちらの碑には、「岩作のオマント」と書かれています。
名古屋〜尾張東部地方に伝わる「お馬頭(おまんとう)」のことですね。
「棒の手」とともに、この辺りを特徴付ける文化財となっています。
けっこう急な上りですね。
社殿は比較的新しいですが、銅葺き屋根と建物の白(ベージュ?)のコントラストが美しいと思います。
鉄筋で作っても、白木を表現したい、ということなのでしょうか。
摂社の「熱田社」。
「白山社」。
「一ノ御前社」。
祭神が「鍵速日命」になっていますが、多分「饒速日命」の間違いではないかと思います……が間違いでなかったらごめんなさい。
「津島社」。
……えっと、すみませんわかりません。
摂社の全景。
「熱田社」だけ別格ですね。
「岩作えびす神社」というのが正しいっぽいです。
神社で配布されている案内によると、
「岩作に祀られている「恵比須様」と「大黒様」
二柱の御神像さまは、天保9年頃(西暦1838年頃)に制作された檜造りの御神像様で、当時岩作村は亜炭採掘や小商いを元にした商業活動が興り村は活気に湧いていたその時期に、現在の長久手市岩作宮前に商業・農業の守護神として「恵比須社」を建て、以来明治初期に石作神社に合祀されるまでの毎年旧暦の10月20日に恵比須講の日としてお祀りしていたと伝えられています。」
とのことです。
「大黒様」もいるのに「恵比須社」。
地域によって、どちらを重んじて祀るのか、あるいは流行り廃りみたいなものがあったのでしょうか。
摂社と、その向かって左手にあるのは……神楽殿ではないようですので、お祭りのときに使われるのかな。
境内全景パノラマ。
よくわからないかもしれないのですが、社殿の前が大きく空いています。
○こちら===>>>
「景行天皇社」「富士社」 - べにーのGinger Booker Club
↑同じ長久手市にある「景行天皇社」ですが、こちらも、社殿の前ではないですが、一段上がったところに広い空間がとってあります。
おそらくは「お馬頭」の祭りを行うときに必要なのでしょう(見たことないからわからない)。
もうちょっと下がってみました。
昭和50年頃に社殿を新築されたようですね(碑文の内容は、階段下にあったものと同じ)。
ツブラシイの巨木。
ご神木にふさわしい威容です。
四季桜が見られるようです。
後ろの桜のことでしょうか……もう少し天気がよければ……。
社殿全景。
「岩作のオマント碑」の裏面には、由来が彫られておりました。
「岩作のオマントは、近世以来岩作村で行われた氏神の秋の大祭行事である。毎年十月人々はその年の作柄に感謝し、飾り馬を造り、警固隊を仕立て、石作神社と高根浅間社に棒の手と共に献馬した。時には近隣の村々と合宿を組んで遠く猿投神社に献馬した。」
これこそ案内板を建てたほうがいいのではないかと思います。
碑の裏側だから見づらい。
○こちら===>>>
「猿投神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑「猿投神社」の案内板にも、「棒の手」のことが書かれています。
御朱印はありません。
祭礼のときなどにはいただくことができるようですが。
最近、思ったより御朱印をいただくことができないのだな、と感じ始めております(大きい神社は大体巡ったからじゃないのか、という話もありますが……)。
引用などは次回に〜。