5/3。
「伊奴神社」を後にして、たらたらと歩いてみることに。
◯こちら===>>>
「伊奴神社」付近の「神明社」。
村の小さなお社、でしょうかね。
これは、どの辺りにあったんでしょうか……どこかの交差点だったかと。
地蔵尊。
「秋葉神社」。
そして、
出ました、スーパー「神変大菩薩」。
「役行者」信仰がこの辺りにあったんでしょうか。
修験者が籠るような御山があるようには思えないですが。
ここから、「庄内通」駅→「庄内緑地公園」駅まで地下鉄に乗ります。
そして、堤防を歩いて、
「星神社」に到着しました。
なかなか趣き深い名前です(?)。
堤防から降りていくと、そこが入り口です。
珍しい鳥居ですね(ここまでくると、様式が何なのか……)。
由緒
仁和年中今より一千六十年前大江音人政盛ありて大江五郎政輝とゆう今の五郎左の切とゆうは五郎氏の邸宅のありし所なりと※弘安三年※火起りて当社悉く焼失す故神社衰微し暦応四年に至り右近中将藤原朝臣實秋之を※き社殿廻廊拝殿楼門を新築し祀※を起せしかば祭典亦復興せり社領四町八反神官社家両職有之信長公の御代までありしとか然るに其後太閤殿下の御時残らず召し取られたる由(以下略)」(一部漢字改変・判読不能文字「※」とした)
千年前にはここに鎮座していたようです。
古い……とはいえ、「伊奴神社」には勝てませんが。
ここまで注連縄が垂れ下がった鳥居というのも珍しいのではないでしょうか。
分類はできませんけど。
蕃塀もしっかりあります。
こうしてみると、結構大きい神社だということがわかるでしょうか。
扁額、見えますかね。
「星宮」となっています。
年代が分かりませんが、昔はそう呼ばれていたようです。
主祭神は「大名持命(おおなもちのみこと)」。
合祀されているのが、「天香香背男神(あめのかがせおのかみ)」、「牽牛星・織女星」。
主祭神は「大名持命」、「大国主命」の別名で、普通は「大己貴命」と書きます(読みは「おおなむち」が普通)。
実態としては、「大(きい)名(前を)持(っている)命」と書いてもらった方が伝わる気がします。
「偉大な名前」、という意味なのかもしれないですからね。
「大国主命」という方は、様々な名前をお持ちなので、それだけでいくつかの神性を併せたものなのだろうと想像できるのですが。
基本的には、「大国主」とか「大己貴」とか、「国土神」という属性が強いでしょうか。
神性がまとめられた結果、名前としては抽象的にならざるをえない、ということかもしれないですね。
そして、「星神社」ですので、「天香香背男神」。
日本神話では数少ない、「星の神」です。
国譲り神話で、「大国主命」系の地祇(くにつかみ)が天神(あまつかみ)に平伏したのに、最後まで抵抗していたらしき神です。
まぁ、最終的には「建葉槌命(たけはつちのみこと)」に討伐されますが(『日本書紀』/一書には異伝もありまして、そこでは「天甕星(あめのみかぼし)」と呼ばれたりもしています)。
「牽牛・織女」は、七夕の人達です。
星といえば日本では……といっても、大陸由来のお話ですからね、七夕。
「稲荷社」。
「秋葉社」。
「金刀比羅社」。
社務所には神職さん不在だったので、御朱印はなし。
連絡先は書いてありましたが、そこまでして……というゆるい神社愛なもので。
川縁を歩いていると、小さなお社と祠を発見。
治水のためのものなんでしょうかねぇ……。
「河川許可票」には、目的として「地蔵堂」と書かれています。
え〜……川沿いにあるんだから、ほぼ間違いなく
「弁天堂」
だと思います。
まぁ、役所的には、こういうものは全部「地蔵堂」なのかもしれないですけれど。
再び、「庄内通」駅のほうに戻り、
「庚申塚」をお参りしてきました。
さい銭泥棒が横行しているようで……。
「猿田彦」にも見えないし、かといって「青面金剛」でもなさそう……いや、「青面金剛」かな……。
さて、
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会
前回に引き続きの『尾張名所図会』ですが、↑の47コマに「星大明神社」の記事があります。
「上小田井村にありて、大己貴命、天香々背男神、牽牛織女(たなばた)を相殿に祭る。勧請の年月詳ならず。棟札に「暦応四年巳年十二月右近中将藤原實秋中興」とあるよし社伝に云えり。幣殿・廻廊・拝殿・惣門・鳥居等厳重に建てつらね、壮麗たる社なり。
例祭 七月七日は七夕祭を執行し神影等出す。又八月二十三日にも神事あり。(以下略)」
(一部改変)
少しだけですが、「伊奴神社」よりは扱いが大きめです。
48コマの左下には、遠景も掲載されています。
今とは少々違いますが、堤防の極近くにあるのは変わりないようです。
さてさて、日本神話には「星の神」の話があまり出てこないのが、一つの謎になっています。
といっても、太陽と月は出てきますけれど。
北半球であればほぼ間違いなく出てくるだろう、「オリオン座」の三ツ星とか、「北斗七星」、あるいは「北極星」ですね。
あんな分かりやすく認識できる星の並びを、日本人だけが見逃す、というのは考えづらい、と思っている人は、きっと偉い学者さんにもいらっしゃると思います。
ですので、「宗像三女神」や「住吉三神」といった、「三柱一組」で伝えられる神様は、実は「オリオン座」の三ツ星ではないか、という説があります。
どちらも「海の神」というのが味噌ですね。
冬の海では、三ツ星の動きがかなり重要視されていたのではないでしょうか。
適当に書いていると、
グラハム・ハンコック扱いされる
かもしれないのでやめときます。
で、ですね。
七夕の方ですが。
「織女星」は、「機織り女」なんですね。
「牛飼い」と「星」が結びつく理由もよくわかりませんが、「機織り」と「星」もどうやって結びついたんでしょうね。
先ほど出てきました、「天香香背男神」を討伐した「建葉槌命」なんですが。
この方、「倭文神(しとりがみ)」と言われていまして。
「倭文」というのは、日本古来の文様のことです。
また、名前の「建葉槌尊」の「ハ」は「羽」、体を覆っているもののことで、つまり「衣服」です。
「ツ」は助詞で「の」、「チ」は日本の昔の言葉によく出てきますが、「霊(ち)」のことで、神威の表現です(カグツチ、イカヅチ、オロチ等の「チ」)。
ということは、「タケ」は「猛々しい」、「強壮な」という意味の修飾語で、まぁ流行みたいなものもありそうですから、それを置いておくと、「衣服の神」という意味なんですね。
案外、この「倭文神」という言葉、大事だったのかもしれないです
『日本書紀』では、当時の日本の固有名詞を、大陸の音で読ませる部分がいくつも出てきますが(要するに、大陸の言葉では表現できないので、そのまま書いて、後から読みを書いているんです)、この「倭文神」にもそれがついています。
単に、大陸の連中にはわからないだろう、というだけなのかも知れませんが。
そもそも、「倭文神建葉槌命」とあえて表記されている神も珍しいんですね。
「◯◯神」という修飾語が何故必要だったのか……。
でで、ですね。
また、「星」と「衣服」≒「布」なんですね。
「星」と「機織り」。
「星」と「布」。
ここには何が潜んでいるんでしょうね……。
え? 知りませんけど?