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「可睡斎」を後にして、最終目的地までいく前に、どこかへ寄りたいなと思いまして。
出かけたのは、「矢奈比賣神社」。
◯こちら===>>>
どこから入ればいいのか分からず、しばらく周りをうろうろしました。
神社の敷地の中に駐車場がある、という造りにあまりなじんでいません。
すぐ裏手には、つつじ公園というのがあるそうです。
駐車場から鳥居まで戻って、参拝開始です。
犬の銅像。
こちら、「悉平太郎(しっぺいたろう)」さんです。
誰かって?
ま、追々。
猫派の私としては、犬にそれほど興味はありませんが。
歴史を考えると、やはり家畜としての犬は、当初から人の隣にあったものですから。
由来が彫られた石碑。
……うん、不親切。
「住吉神社」。
社殿は、何といいますか、物置っぽくて、切なかったです。
参道をつらつらと。
途中にあります「山神社」。
「奇祭(裸祭り)で最後の重要な祓いの神事を行なう場所」だそうです。
「見附天神裸祭
矢奈比売神社は矢奈比売命・菅原道真を祭神とし、別名、見附天神とも言われています。矢奈比売命は六国史に「矢奈比売天神」と記載があり、また、菅原道真を祭神として祀ったのは正暦四年(993)八月十一日との記録があります。
当神社に伝わる裸祭は旧暦八月十・十一日に行なわれていましたが、昭和三六年(1961)からその直前の土・日曜日に行なわれるようになりました。この祭は当神社の御神霊が遠江国魂総社・淡海国玉神社へ渡御する際に行なわれる祭で、渡御に先立ち裸の群衆が見附地区内を練り歩き、神社拝殿で乱舞することからこの名があります。
(略)
この祭は、厳粛な物忌みと心身の清めにより、祭事を行うという、古代の祭儀の法を伝承しているものと推定されます。
裸祭に参加する者は褌・草鞋・腰蓑を着けたいでたちをし、また、地区内の祭礼組織は古くからのしきたりが継承されています。」
裸祭りというのは全国的に存在し、尾張では国府宮(尾張大国霊神社)が実施しています。
おや、そういえばこちらも、遠江国魂総社・淡海国玉神社が関係している祭事ですね。
うーん……例えばですね、国魂(霊/玉)神社というのは、その国の総社であったり、国の地主神であったり、国府が置かれたような場所で国を代表するような社であったりしたわけで。
土地神様への最大の敬意と、国造(国司)への服従(面従腹背でもいいのですが)を示すために、裸祭りがあったとしたらどうでしょう。
何も(武器も)持たないというのは、敵意のないことの証明ですから。
……ま、全国の裸祭りを調べている学者さんは必ずいると思いますので、そういった方に任せましょう。
御縁木。
立て札が読めません……。
拝殿。
天神様なので、牛がいらっしゃいます。
願かけ牛。
雌雄あります。
なかなか見事な造りです。
権現造……かな(こんなんじゃ神社検定に受かんないよ)。
裏手に回ると、本殿のお姿が拝見できます。
流造(多分……)。
梅の湯祭り。
腹痛に効能あり、だそうです。
「氷室神社」。
御祭神は「少彦名命」「言代主命」「闘鶏稲置大山主命(つげいなきおおやまぬしのみこと)」。
「闘鶏稲置大山主命」は、『日本書紀』仁徳紀六十二年の条にその名が見えます。
闘鶏(つげ/つけ)は、大和国山部郡都介郷(『和名抄』)の辺りだと考えられています。
奈良県の東の方ですかな。
簡単に言うと、
「額田大中津彦皇子が、闘鶏にかりに出かけたとき、室を見つけた。闘鶏稲置大山主を読んで訊ねると、「氷室」だと答えた。冬の間、そこに氷を置いておくと、夏になっても消えないのだ、と。皇子はその氷を献上すると、天皇は喜んだ」
という感じです。
朝廷に氷を献上する氷室のうちの一つが、都介郷にあったことの由来譚でしょうか。
ありそうでなさそうな神社です。
「御池のいわれ
当社大祭の折、池中央に神籬を立て、天神地祇を招き奉りて、大祭の無事執行、氏子崇敬者の安奉を祈願する。この神事は伊勢神宮と当社に於いてのみ行なわれる」
そうです。
「大神宮遥拝所」。
「伊勢神宮」を拝む神殿です。
遥拝所は全国至るところにありますが、このように建物を建てているところは、確かに珍しいかと思います。
伊勢とのつながりが何かあるんでしょうか。
さて、神社の裏を回って、つつじ公園の方へ向かいます。
「筆塚」と「印塚」。
「雷塚跡地」。
◯こちら===>>>
↑こちらで見られる『遠江国風土記伝』の106コマ目に「生雷命神社」という項があります。
そこには、「天神山の中に雷塚あり」とありますので、そのことを指しているのかと思われます。
つつじ公園側の入り口。
奥に進んでいくと、「霊犬神社」にたどり着きます。
「(略)
正和年中(約660余年前)現在の駒ヶ根市光前寺より、悉平太郎という名犬を借り受けて怪物を退治し、人身御供という悲しいならわしを断ち切り、平和な見附の町にもどったというものです。その謝恩のために当社社僧が奉納した大般若経は現在寺宝として光前寺に保存され、磐田市と駒ヶ根市友好都市のきずなとなっております。(後略)」
そう、最初に登場した「悉平太郎」という犬が御祀りされているのですね。
どんなお話かというと、
「昔、毎年八月初めに、家に白羽の矢が刺さった家は、娘を人身御供に差し出さなければならない、というしきたりがあった。白木の箱に入れて、矢奈比賣神社にお供えしなければならなかったという。
あるとき旅人がそのしきたりを調べていると、山の神ではなく化け物の仕業だとわかった。化け物は「信濃の国のしっぺい太郎に知らせるな。しっぺい太郎がこわい」と言った。旅人が信濃の国へ行ってみると、光前寺というお寺に飼われていた犬が「しっぺい太郎」だとわかった。旅人はその犬を借り受けて、娘の代わりに白木の箱に入れて供えた。
すると、化け物が箱を開けて娘を連れて行こうとした。飛び出した「しっぺい太郎」は、その化け物(ヒヒとかタヌキとか言われている)は退治されたが、「しっぺい太郎」は光前寺に戻ると死んでしまった」
というものです。
この化け物退治のお祝いが、今の裸祭の原型ではないか、と考えられています。
このお話は有名で、
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↑でも取り上げられたことのあるエピソードです。
「お前はそこで乾いてゆけ」
ですね(違ったらごめんなさい)。
◯こちら===>>>
長野県の「光前寺」、行ったことがあるんですよね。
森深く、息をすると肺が洗われるようだったことを、何となく覚えています。
今年は長野、行ってみるかな……。
「光前寺」では「早太郎」と呼ばれている犬が、「悉平太郎」と呼ばれるようになったのは謎ですが、どうも「疾風太郎」ではないかという説もあるようで、そうするととにかく、「足の速い犬だった」んだろうなぁと。
で、これを、京極夏彦的に解釈してみると、
「見附の天神山には、偉いお人が幽閉されており、毎年若い娘を所望しては、弄び殺害していた。村の者達は何とかしたいと思ったが、何しろご乱心しているとはいえ偉いお人、手出しができない。そこへ、謎の旅人がやってきて、その偉いお人を退治してしまった。この話がそのまま世に知られてはまずいので、村ぐるみで「化け物」が「人身御供を求めていた」という物語を作った。恐らく旅人は、光前寺の僧侶かなにかだったのだろう(あるいは、長野の猟師か)。彼をそのままにしておくわけにもいかないので、光前寺に送り返した」
でめでたしめでたし、という具合になるかと思います。
超・妄想ですよ?
さてさて、「矢奈比賣神社」は、『続日本後紀』によれば「承和七年(840)、従五位下」を、『日本三代実録』によれば「貞観元年(879)、従五位上」を授かっております(貞観年に同じく従五位上を授かったのは、「真知乃神」すなわち「事任八幡宮」です)。
「矢奈比賣」というのがどんな神格なのかがよくわかりませんが、『山城国風土記』(逸文)や『和名抄』に見られる、「賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)」の御子神「建玉依比売命」ではないかと考えられています(『遠江国風土記伝』)。
山の神である「大山咋神」が自らを丹塗矢と変えて川を流れ、「建玉依比売命」と交わったことで、「賀茂別雷命」をお生みになりました。
つまり、「矢乃比売(やのひめ)」、というわけですな。
それがいつのまにか、「矢奈比賣」に変わったのではないか、と言いたいのでしょう。
さてさてさて、『遠江国風土記伝』の記述が正しければ、『続日本後紀』には「矢奈比賣天神社」と書かれているようです。
菅原道真が「天満大自在天」と号される以前より、「矢奈比賣天神社」と言われていたということなので。
「見附天神」の「天神」は、菅原道真のことではなく、古来より祀られている「天神地祇」の「天神」だったのでしょう。
ふう……思ったよりも盛りだくさんな神社で、大変満足でございます〜。