10/21。
「佐助稲荷」を後にして、少し歩くだけならば、と向かいました。
「銭洗弁財天 宇賀福神社」。
◯こちら===>>>
……。
近くないじゃん。
修学旅行中の小学生が、たったかたったか歩いていくので。
ついていこうと思ったら、足が速いんですね。
こっちはコンパスが多少長いだけで、ブーツは重いし、足は痛いし。
しかも最後は、結構な坂だし。
ふぅ……。
この、岩山(?)にぶち抜かれた洞穴を通っていくのです。
他ではなかなか見られない奇景、だと個人的には思います。
この、連続した鳥居のところに出てきます。
「佐助稲荷」と違って、こちらは参拝客が多く、狙った写真がうまく撮れませんでした。
最初の参道から入って左手に、別の参道からの入り口があります。
こちらにも、鳥居が並んでいます。
(中略)
当社の創草は悠久の昔のことで詳かに知るを得ないが凡そ鎌倉時代に遡るといへる
口碑によると源頼朝公一夜霊夢の告げにより この隠里の宇賀福神を崇拝して安心立命を得て治政大いに挙れりと云う 爾来これにあやかり 帰依信仰する者あとをたたず
新編相模風土記には「銭洗辯財天 村の西方佐助谷にある大岩窟を云ふ 往古夜中に人語あり聞く悉く吉事のみを語りしと云ふ 鎌倉五水の一なり」と記してゐる 神仏習合によって久しく辯財天の名で親しまれ 明治の神仏分離令で神社となる 現在 神社本庁所属の神社として崇敬者は全国津々浦々に及んでいる
銭洗水で金円を洗うことは心を清め不浄の金を洗うことにより寿福幸運が授けられる尊い信仰である」
……。
……。
……。
あ、本殿の写真を撮っていない。
なんてこったい……。
本殿の奥の方にあったと思われる、白い龍の像。
なんでこれだけ撮ったんだろうなぁ……。
奥宮と呼ばれる窟の中。
社務所辺りで「ざる」を配っておりまして。
それを持ってこの奥宮に入り、銭を洗う、のだそうです。
老若男女、きゃっきゃきゃっきゃと銭を洗っておりました。
俗っぽくていい感じなのですが、洗って銭が増えても何か嫌だし、増えなくても嫌。
なので洗いませんでした。
境内には他にも、
「上之水神宮」。
そこから降りてきて、くるりと振り向きますと、
「下之水神宮」。
そして「七福神社」とお祭りされています。
「七福神社」……豪腕な感じがしますね。
「弁財天」だけじゃ物足りないってことでしょうか。
さて。
偉い人の夢枕にはいろいろな方が立つもので。
源頼朝公ともなれば、ひょっとすると毎日のように誰か立ったんじゃないでしょうか。
「佐助稲荷」ともほど近いこの土地です、同じ神が立ったのか、あるいは別の神だったのか。
こちらの主祭神は「宇賀福神」、通常は「宇賀神」と呼ばれています。
白蛇として現れたり、蛇の体に人間の頭をもった姿で描かれたり(人面蛇身は、中国の伏儀・女媧を思い出させます)。
音が似ているので、「宇迦御魂神」と習合して、「お稲荷さん」になり、そこから「荼枳尼天」とつながっていきます。
一方で、蛇神というところから、元々川の神であり、つまりは竜神でもある「弁才天」と習合し、夫婦神になったり、一つの神としてあらわされたりもしていきます。
「宇迦御魂」≒「宇賀神」≒「弁才天」。
ということで、源頼朝の夢枕に立った神は、「佐助稲荷」≒「宇賀福神社」の神、だったのではないでしょうか(こちらの神社の、連なる鳥居は、「お稲荷さん」と通ずるものがあります)。
これだけ水に関係する神社が集まっているわけですし。
「佐助稲荷」にも、霊水の湧く泉がありましたし。
本来は、今となっては名前も知れない「水の神」「川の神」を祀っていたのでしょう。
そこに、次第に、有名な名前が流入して、くくられていく。
しかし、この「隠れ里」としての厳然たる風景はどうでしょう。
祀られているのが「お稲荷さん」、「弁才天」や「市杵島姫命」といった(朱塗りの似合う)華やかな神であることなど、糊塗と言わんばかりです。
寂びた中、黙々と湧き出でる清冽なる水こそがご神体。
そんな感じがしてなりません。