べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「知立神社」

5/6。

GW、相変わらず遠出はできないので、荒ぶる心を鎮めながら。

知立神社」へ。

 

◯こちら===>>>

知立市 知立神社 | 愛知県知立市にある神社。旧称池鯉鮒大明神。江戸時代東海道三社の一つに加えられた名社。

 

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知立」というのは、東海道の宿場の一つ、「池鯉鮒(ちりう)」のことです。

どちらもなかなか趣のある表記だと思います。

 

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式内社です。

 

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「当神社は池鯉鮒大明神とも称え奉り、延喜式の古大社であって、第十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊の東国平定の行路 此の地に於て皇祖建国の鴻業を仰いで国運の発展を祈願し給い、御帰途奉賛のため創建あらせられしと云う。延喜撰格の際は官社に列し、歴朝或は神階を奉られ或は昇叙せられて、原稿襲来に際して異国調伏の勅願あり、明治元年明治天皇御東幸の際に勅使を差遣して国運の発展を祈願し給う等、古来朝廷の御崇敬厚く、又歴代各藩主も或は土地を献じ或は社殿を造営し或は神饌幣帛を献する等、夫々赤誠を捧げた。亦衆庶の崇敬も厚く、古来より蝮除け雨乞い安産等の御霊験を以て全国に聞え、御分社は県内は固より遠く関東関西に亘って所々に奉祀せられ、崇敬者は全国に散在してその数を知り難い。又当社は弘法大師の崇敬殊に厚く、三河三弘法巡拝社の必ず当社に詣ずるは蓋し大師の敬神の精神を体するものである。

 

祭神

鸕鷀草葺不合尊

彦火火出見尊

玉依姫命

神日本磐余彦尊神武天皇

 

相殿

青海首命

(以下略)」旧字体を改めた部分あり)

 

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実はもくそもないのですが、知立尾張ではなく「三河」です。

というわけで、「三河国」の「碧海郡」にあったとされる式内社は、

 

「和志取神社」

「酒人神社」

「日長神社」

知立神社」

「比蘇神社」

「糟目神社」

 

の六つです。

三河国」には、碑文の通り「二十六社」があったようです。

 

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「多宝塔」あり。

神仏混淆の名残りですね。

 

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なかなか素敵な太鼓橋。

 

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「(前略)『東海道名所図会』には「石橋は神籬の外にあり、池を御手洗という、片目の魚ありとなん」と書かれている。

片目の魚は、身代りとして娘を目の病から救ったためとの言い伝えがある」

 

 

……記述がシンプルすぎてよくわかりません。

 

 

 

 

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拝殿。

入母屋造……でしょうか、妻入りだし。

手前の狛犬がかわいいですね。

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なかなか堂々とした押し出しです。

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公式HPの境内図を観ますと、「拝殿・幣殿・本殿」と並んでおります。

尾張造」、でしょうか。

 

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摂社「親母神社」。

祭神は「豊玉媛命」。

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「合祀殿」。

祭神は……わかりません。

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秋葉社」。

 

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社殿遠景。

多層的且つボリュームのある押し出し。

いいですね。

 

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「嘉祥三年(850)僧円仁が神宮寺を創建して知立神社の別当寺とし、多宝塔を建立したといわれます。その後天文十六年(1547)兵火により寺は焼失しましたが、多宝塔は永正六年(1509)再建と伝わっており、天文の災禍を免れた神宮寺の遺構と考えられます。

相輪先端までの高さは約14.5メートル、屋根は杮葺、四隅に宝珠を置きます。これらは明治の廃仏毀釈の際に取り外され、神社の文庫として難を逃れたもので、大正九年(1920)の解体修理の際に復元されました。本尊であった愛染明王廃仏毀釈で撤去されたまま現在は総持寺に安置されています。(後略)」

 

多宝塔自体は珍しい建物ではありませんが、神宮寺の遺構として伝わっているものは確かに珍しいのかも。

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多宝塔の裏手。

 

また、神社の隣には、公園があります。

 

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花菖蒲園の見頃には、少々早かったようです。

そして、知立神社」の創建が112年とはっきり書いてあるところが素晴らしいです。

 

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懐かしき二宮尊徳像。

どうして撤去されていったんでしたっけ?

児童虐待にあたるから?

労働基準法に引っかかるから?

何か、理由があったような気がしましたが……。

 

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芭蕉句碑。

 

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どうやらこちらの花菖蒲は、明治神宮から下賜されたもののようです。

 

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長閑です。

 

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こちら、「土御前社」

読み方は、「つちみさき」か、「つちのみまえか」。

どこにもふりがながないので困ります。

祭神は、「吉備武彦命」とのことです。

 

さて、東海道名所図会』というものがありまして。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 東海道名所図会. 上冊

 

↑の128コマから、「知立神社」についての記述があります。

 

「『末社』御母祠。神明。荒神。穀神祠」の他にも祠が多い、とあります。

合祀社には、これらが併せてお祀りされているのでしょう。

 

さてさて、

 

◯こちら===>>>

第15回 「知立」が「池鯉鮒」と書かれたのはなぜ? | 達人に訊け! | 中日新聞プラス

 

↑には、「知立」が「池鯉鮒」と書かれるようになった、と思われる理由が書かれています。

元をたどれば、文徳天皇実録』には、「仁寿元年十月乙巳(七日)条(851)」に、

 

「参河国知立
 
という記述があり(「砥鹿神社」と一緒に、従五位上の神階が与えられたときのもの)、
 
日本三代実録には、「貞観六年二月十九日丙子条(864)」に、
 
「参河国従五位上知立神」
 
の記述があります。
 
同じく『日本三代実録』の「貞観十二年八月二十八日戊申条(870)」には、
 
「参河国正五位下智立神」
 
とあります。
 
元来、「知立(智立)」という地名が先にあり、それはこの神社に由来しているようです。
で、御祭神「鸕鷀草葺不合尊」となっているわけですが、↑のHPで紹介されているのは、「伊知理生命」(いちりゅうのみこと)」
社伝を当たらないとわかりませんが、「伊知理生命」のほうが古い御祭神ではないかと考えられます。
いわゆる、「土着の豪族」か、その「祖神」ですね。
ところがそれがすっかり消されているのは、廃仏毀釈の影響……ではないようです。
東海道名所図会』の中でも、御祭神は「葺不合尊」となっていますから。
謎です。
こういうのはどこで調べればいいんでしょうね……。
 
 
それから、相殿に祀られている「青海首命」ですが。
知立神社」のある辺りは、昔から「青見」と呼ばれており、それが「青海」「碧海」と変化して、やがて「碧海郡」になったそうです。
 
 
 
wikipediaに書いてありました。
 
 
 
地元の開拓者が、「青海首」なんだと思います。
ただ、「青海首」で検索すると、新潟県の「青海神社」が出てくるんですよね。
 
◯こちら===>>>

青海神社 公式WEBサイト 由緒

 

はるばる三河まで遠征してきたということなんでしょうか……この辺りも謎、です。

こういうのも、どこで調べればいいんでしょうね……。

 

 

それから私、神紋というものに全く興味を抱いていないのですが(というより、知識がなさ過ぎて何とも……)。

こちらの神紋は、「青海波」。

 

◯こちら===>>>

「青海波文様」の解説と壁紙・背景用のパターンGIF素材-粋屋 日本の伝統文様と伝統色-

 

↑の、よく見るものです。

雅楽の「青海波」で使われた装束の柄だったから、その名がついたそうです。

 

◯こちら===>>>

水石の美を求めて 知立神社

 

 

↑博識な方のブログで、「紋が『青海波』なのは、本来の御祭神が『青海首命』であることを表しているのではないか?」との記事があり、なるほどと思いました。

 

 

で、雅楽の方の「青海波」ですが、

 

◯こちら===>>>

おやさと雅楽会:曲目解説―青海波

 

↑起源は不明ですが、和邇部太田麿(わにべのおおたまろ)」「良峯安世(よしみねのやすよ)」「小野篁といった人々は、8世紀後半〜9世紀の人々。

彼らの生きた時代の後に、神紋が定められたのでしょうか。

元々「青海首命」を崇敬していた地元の人々にしてみれば、「青海波」なんてのはうってつけなわけで、喜んで神紋にしたんじゃないだろうか、と妄想できます。

 

 

 

 

 

ま、知りませんけど。

 

 

 

世の中には、「桑田碧海」という言葉もあるそうですよ(7世紀の、盧照鄰という人が詩に書いているようですが、仙人の伝説からきているので、もっと古い言葉かもしれないです……ええ、調べてません)

 

知らないついでに、「青海首命」と「伊知理生命」との関係というのは、どうなっているんでしょうか?

それから、以前は「聖徳太子」が相殿に祀られている、と知られていたようですが、現在(2014)の私の力では、その根拠が見つけられません。

さらにいえば、なんで「蝮除け」にご神徳を発揮されたんでしょうね……。

 

謎だらけ〜。

 

調べたいことがどんどんと……。

 

 

 

いずれにしても、「日本武尊」(に比定される人物)がこの辺りを通ったときに、朝廷の支配下に置いたということなんでしょうか?

一方の英雄は、他方の悪漢ですよねぇ……明らかに単なる侵略者ですものね、「日本武尊」。

 

 

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(※『文徳実録』『日本三代実録』の引用は、『神道・神社史料集成』によりました)