続き。
本殿の後方には、「素鵞社(そがのやしろ)」があります。
「素戔嗚尊」は、主祭神「大国主命」の祖先神、ということになっています。
小さいとはいえ本殿と共通する大社造となっているのは、その辺りに何か理由があるのかもしれません。
ないのかもしれません。
本殿には近づくことができないので、こちらをじっくり観賞されるとよいのではないでしょうか。
そのまま時計回りに進みますと。
「釜社(かまのやしろ)」。
御祭神は「宇迦御魂神」です。
こちらも、「素戔嗚尊」の御子神となっている、「お稲荷様」ですね。
「釜社」という名称は珍しいのではないかと思います。
全国のオカマのみなさんが大挙としてお参りにくる……ということはないんでしょうか。
続いて「氏社(うじのやしろ)」。
「天穂日命(あめのほひのみこと)」をお祀りしています。
「天照大神」と「素戔嗚尊」が誓約(うけい)をされたとき、「天照大神」の右の髪(角髪/みずら)に巻いた珠から生まれており、出雲国造の祖先神ともされています。
その理由は、「国譲り神話」の際に地上に降りたのですが、「大国主命」に心酔して高天原に帰らなかったから、でしょう。
同じく「氏社」には、「宮向宿禰命(みやむきのすくねのみこと)」が祀られています。
「天穂日命」第十七代の末裔、だそうです。
『日本書紀』「崇神紀」には「鵜濡渟(うかづくぬ)」、『先代旧事本紀』「国造本紀」には「宇迦都久怒(うかつくぬ)」と書かれている人物は、「天穂日命」第十一代の末裔で、『先代旧事本紀』ではこちらが出雲国造の祖、とされています。
これらの氏神、現在社殿を修繕中のため、「東十九社」にあわせて祀られています。
「十九社」は、旧暦十月に、全国からやってきた神々が留まる、「神様のお宿」のことです。
「出雲教」の本部、でしょうかね。
拝殿に戻ってきました。
「神こ殿」(※「こ」は「示偏」に「古」と書きます)という建物がありまして、所謂宝物殿等なのですが、そこに、
世紀の大発見、古代神殿の心御柱レプリカが置かれております。
計算上、現在の本殿の倍の高さはあり得たのではないか、という。
ロマン……というか、そんな高いものがなぜ必要だったのか。
「大国主命」をお祀りするときの約束、ではあるのですが。
正当な方法で手に入れた地上であれば、先住者にそこまでのことをしなくてもいいでしょう。
つまり、何か後ろめたい方法で、奪い取ったんですね。
その「後ろめたさ」が大きければ大きいほど、祀り方も大きくなるのだと思います。
記紀神話に書かれていない、何かが起こったんでしょうねぇ……。
さて、本殿の北西の辺りには、「彰古館」という建物があります。
入り口に「大黒様」がいらっしゃいますが、よく見えませんな。
中には、それこそ大小さまざまな「大黒様」が展示されていたりします。
二階には、地元の高校生が作った(んだと思ったが)、お社のミニチュアがありまして、透垣に遮られてうかがえない、境内の様子がよくわかります。
……ちらっと見えましたが、何のお社でしょうか。
案内がないのですが、何か物をおさめるところではないかと思います。
物置ですな。
先ほどの「氏社」、実は本殿の西側にあるのでした。
そして、西側にも「十九社」があります。
あわせて三十八。
……バランス悪いな。
本日はここまで〜。