(続)
さて、名残惜しけれど本殿境内を離れまして、お隣へ。
「金刀比羅宮(ことひらぐう)」。
全国にある、いわゆる「こんぴらさん」ですな。
御祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」で、海難・漁労に神徳ありとされています。
で、この「金刀比羅大権現」、元をたどればインドから伝わった神でして。
十二神将にその名を連ねる「宮毘羅大将(くびらたいしょう)」のことです。
サンスクリットでクンピーラと呼ばれ、中国経由で日本に入ってきて、薬師十二神将では「宮毘羅大将」となりました。
クンピーラは、そもそもガンジス川に住む鰐の一種で、その神格化されたものだったと言われています。
水神、すなわち龍神ですね。
本地垂迹説華やかなりし頃、さてこの「金刀比羅」様にどんな神様を宛てるのか。
選ばれたのが「大物主神」、三輪山の蛇体の神、=「大国主命」です。
ま、それもあるでしょうが。
出てくる「和爾(わに)」は、実際には鮫なわけですが。
どう考えても、ワニつながりで選ばれたとしか思えません。
国旗。
からの神楽殿。
大注連縄は、むしろこちらのほうが有名でしょうか。
注連縄は、結界を示すものです。
何せ起源は、天岩戸神話で、「天照大神」が出てきたあとの岩戸にかけて、「もう入っちゃいけませんぜ」と呪いをかけたものですから。
日本では、かなり強力な呪力を持っています。
「ここから先には入らない」という禁忌を表現しています。
そして、注連縄は、巻かれる方向でどちらが「表」なのか、があるとされています。
一見、「立ち入り禁止」と思われる注連縄ですが、場合によっては、本殿から見て「立ち入り禁止」つまり「出るな」という禁忌を表現していることもあり得ます。
出てきてほしくない神様、というのは、祟り神、怨霊。
祟りをなすから「閉じ込めている」、ということと同時に、「出てこられると、不都合な真実が世間に知られるので、閉じ込めてしまえ」ということでもあります。
さて、「出雲大社」の場合は……。
ちなみに、注連縄は「蛇」を現している、ともされています。
「八岐大蛇」退治の神話が残るはずの出雲において、最大級の注連縄があるのは何故なんでしょうねぇ。
噂によると、こちらの神楽殿でも御朱印がいただけるとか。
……何故もっと早く……。
さらに境内から外に出ると、「都稲荷神社」。
こじんまりとしていますが、妻入の住吉造風の本殿は趣があります。
銅板葺きの屋根がまた、いいです。
江戸期に「伏見稲荷大社」から勧請されたもののようです。
「宇迦之御魂神」は何度も登場しております。
「佐田彦神(さたひこのかみ)」は、松江市にある「佐太神社」の「佐太御子大神」のことでしょうか。
「大宮能売神(おおみやのめのかみ)」は、どうやら律令制の下、神祇官西院は「八神殿」に祀られた神の一柱のようです。
と、Wikipediaに書いてありました。
「八神殿」、名前は聴いたことがありましたが、そういえば内容は全然知りませんでした。
『延喜式』、読まないといけませんねぇ。
「田中神(たなかのかみ)」ってのは……「泥田坊」的な神様でしょうか?
「四神(しのかみ)」……もはや何なのか……この書き方をすると、普通は「四神」で、青龍白虎朱雀玄武のあれ、なんですが……。
しかも、「五柱の神を総じて」というからには、「四神」はどうやら一柱の神らしいです……。
地域に詳しいかたでないと、何ともなりませんな。
「祖霊社」。
出雲大社教の祖先を祀る廟、ということのようです。
仏教に対抗して、神道が江戸から明治にかけて復古神道/新神道となる中で手に入れようとしたのが、葬送儀礼です。
そもそも、「穢れ」を遠ざけ「清浄」を得る方向で発展してきた文化の中で、必然的に生じる「穢れ」を神道に代わって担ったのが、仏教でした。
古来、誕生と葬送を支配することは、文明を支配することに他なりませんから、長きに渡って神道が形骸化していたことも理由あり、ではあるのです(それを打破する運動はいくつもあったのでしょうが、いかんせんその頃には仏教と神道は分ちがたく結びついていました)。
神仏分離で、無理矢理分けられますと、仏教が担ってきたものを神道でも行なわなければなりません。
というわけで、神道系の諸宗派でも、葬送を行なうようになったのです。
……。
…………。
………………だと思います。
ああ、名残惜しいですけれど、「出雲大社」を離れなければなりません……。
参道を戻りますと、左手の方に鳥居がありました。
誰もお参りしていないのですが、とりあえず近づいてみました。
賽銭箱はあるので、何かお祀りしているのでしょうが、案内がありませんでした(見つけられませんでした)。
木に御幣と注連縄、ということはこの木がご神木、でしょうか。
何となく、今回一番綺麗に撮れた写真、です。
そして、参道入り口右手にある「祓社(はらえしゃ)」。
「祓戸の神」がお祀りされており、当然ながら参拝最初にこちらにお参りして、穢れを落とさなければならないのですが。
混んでいたから、最後になっちゃいました。
申し訳ありません。
四柱の神はいずれも「流れる」ことに通じており、「イザナギノカミ」が黄泉より帰って、川の流れで身を清めたように、「穢れ」は「流す」ものだったわけです。
今でも「流水」で「穢れ」を清めるのは、衛生学的にも理にかなったものでしょう。
遠くに見える一の鳥居。
大きな神社の門前は、どこもかしこも「おかげ横丁」みたいになるのでしょうか。
まぁ、本来の門前町はそういったものかもしれないので、それはそれでありなんでしょうけれども。
さて。
記紀神話に「素戔嗚尊」による「八岐大蛇」退治がありながら、『出雲国風土記』にはその記述がないのは何故か。
といったことが、よく言われます。
元々、出雲のものであった「八岐大蛇」神話が、中央政権に奪われて、皇統の神話の中に組み入れられたとするならば。
出雲にそれが残っていては、いろいろと不都合があるでしょうし。
『日本書紀』一書には、「素戔嗚尊」が下ったのは出雲ではなく安芸(広島県)だと記されており、ひょっとすると中国地方に共通した何らかの神話だったのかもしれず。
また、中国地方の支配権を正当なものだとするために奪われた神話だったのかもしれません。
ここで不思議なのは、「八岐大蛇」が、日本の神には珍しく、「怨霊化」していないことです。
退治される神として記紀神話に登場するのは、他にも星の神「天香々背男(あめのかがせお)」や、「大国主命」の御子神「建御名方神」などがおりますが。
大抵、「怨霊化」しないんんですよね。
特に「八岐大蛇」に関しては、記紀神話において類を見ないほどに詳細に「退治」されるわけですが、どうにも祟った気配がない。
なーんだ、じゃあやっぱり「八岐大蛇」は悪い神だから、退治されてもしかたがなかったんじゃない、と結論づけたくなります。
分かりやすいです。
ただ、裏読み大好きな人間からすれば、この分かりやすさがくせ者です。
「八岐大蛇」や「天香々背男」、「建御名方神」に共通しているのは、「蛇」の神だということです。
「アメノカガセオ」の「カガ」、というのは「蛇」の古語です(今でもヤマカガシという蛇がいますが、あの「カガ」です)。
「建御名方神」は、神話によれば、建御雷神にですね、手足をちぎられてしまうんですね。
手足がない=「蛇」体。
記紀神話は、大雑把に捕えると、「蛇」の神をいかに取り込むか、という神話だといえます。
で、実は大いに祟る「蛇」の神が登場しておりまして。
「蛇」神の祟りはもう、この神様に集約されている、といってもいいでしょう。
その「蛇」神をですね、とんでもなく大きな神殿でお祀りして、できればもう二度と出雲から出てこないでね、でもその霊力は貸してくださいね、という目的で造られたのが、「出雲大社」ではないか。
◯出雲大社復元===>>>古代出雲大社48m 復元CG 遷宮
こういうものが、「心御柱」発掘後、様々なメディアで取り上げられました。
これをじっと見ているとですねぇ……あれを思い出すんです。
◯チェチェン・イツァ===>>>チチェン・イッツァ/メキシコ [世界遺産] All About
↑この「ククルカンの神殿」(エル・カスティーヨ)で、春分の日と秋分の日のある自国に、階段下部の蛇頭の彫刻と、階段の影が作り出す段々模様がつながって、一つの巨大な蛇に見える、というあれです。
何だか、似たような発想じゃないのかなぁ、と思うんですねぇ。
本来、神は神社本殿の中に鎮座される(封じられる)ものですが、ひょっとすると「出雲大社」の場合、その本殿自体が「蛇」だったんではないか、と。
まぁ、妄想ですが。
他にも、出雲に関する妄想はいろいろとあるのですが、世の中にはいろいろな本が出ていますので、興味がおありの方は是非ともいろいろと読んでみてください。
おすすめは、

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社選書メチエ)
- 作者: 新谷尚紀
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この辺りでしょうか。
あんまり出雲関係ないんじゃないの、と思われるかもしれませんが、『姫神の来歴』はなかなか刺激的です。
シンプル。
そして、
岡山→出雲市まで乗車した「やくも」。
うーん、堪能したけれど、また行きたいなぁ「出雲大社」……。