べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大宮浅間神社(尾張富士)」(補)

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』から久々のちゃんとした引用です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

377ページ。

 

「富士浅間社 尾張富士の峯にあり。本社祭神木花開耶姫命。左右に金剛界社・胎蔵界社等あり。又其下に駿州富士八葉に擬へ、熊野社・神明社・三島社・鹿島社・日吉社・白山社・伊豆社等を祭る。夫より麓まで末社数祠ありて、釜岩社・日神社・中宮社・八幡社・三輪社・山王社・弁財天社等あり。此餘古跡多し。図上に就いて見るべし。
大宮社。富士の麓にあり。俗に富士新宮といふ。
例祭 四月初申日・六月朔日・九月十五日・十一月初申日なり。其内六月朔日は殊に大祭にて、五月晦日の夜より、山上山下に大篝を夥しくたき、貴賎の群参、山も崩るるばかりなり。此火遠望には殊に花やかに見えて、如意ヶ嶽の大文字に彷彿たり。翌朔日には別当修験等出坐し、読経・護摩執行あり。終りて近郷より馬を献ず。又当社に左鎌を奉納して祈願をかくる事あり。いかなる故をしらず。
別当大嚴院 長来山富光山と號し、真言宗、犬山薬師寺末。当院は天平年中行基菩薩の開基なるよしいひつたへたり。本尊薬師の木像。
修験 常昌院・宝蔵院・泉正院・千手院・金蔵院の五坊あり。いにしへは十二坊もありしよし。今も悉く旧地残れり。」

 

というわけで、372ページには図絵もありますので、ご参考に。

尾張富士」という山の、麓から頂上に至るまで、小さな社が並んでいるのがわかります。

上記に、「大宮社」とあるのが、現在の社殿の場所なのか……「弁天池」というのも図絵の中にありまして、周囲の雰囲気的にはそこは、今回写真に撮った「弁天」様のところかな、と思うのですが、そこから上は末社が並んでいて、「本社」が頂上……頂上までは登ってないんですよね……さて、どうなのか、と。

金剛界社」「胎蔵界社」という謎の社が、真言宗ですよね……今まで聞いたことなかったです。

一応、「尾張富士」についても引用しておきましょうか。

 

尾張富士 富士村にあり。本宮山に対して、俗に小富士ともいへり。孤峯最高く、遠くは駿河の士峯を望み、近くは入鹿の大池を見下し、尾・三・濃・信の連山一眸につきて、風光無双の佳境なり。凡擬富士は諸国にありといへども、皆其形によりて名付けたるを、此尾張富士のみはさに非ず。むかし近江土を駿河に運びて、湖と富士山を造り給ひし時、擔夫の神此地にて一簣を覆し給ひしが、則此山となりしよしいひ伝へたれば、彼駿河の山と同じ土石なりとぞ。近世高田興清が著はしし[国鎮記]といふものに、駿河の富士山をはじめ、諸国の擬富士を挙げたり。そは陸奥富士・薩摩富士・都富士・有馬富士・伊豆富士・八丈富士・近江富士・南部富士・筑紫富士・豊後富士・鎌倉小富士・播磨富士・讃岐富士・安芸小富士志津川富士等を出せるに、此尾張富士はいかがして書き洩しけむ。」

 

ええと、わかりづらいのですが、犬山の「大縣神社」ですね、

 

◯こちら===>>>

「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club

「大縣神社」「田縣神社」(再) - べにーのGinger Booker Club

 

あのあたりにあるのが「本宮山」というのですが、そっちを「大富士」と呼んでいて、それに対して「尾張富士」が「小富士」……なんか、判然としませんけれどもね……。

どうやら、富士山と琵琶湖を作った神……ていうかデイダラボッチですけどね大抵は……が落っことした、土を運ぶための道具が「尾張富士」になったので、富士山と同じ土砂でできている……と。

その割に、『国鎮記』という本では取り上げられていない……ということは、この「富士山=尾張富士同土砂製説」がほとんど知られていなかったというわけですね……いえ、その本もどのくらい調べられて書かれたのかわからないのですが、結構な数のご当地富士が載っているのに……デイダラボッチの造山伝説自体も、どの時代にどの程度知られていたのかがよくわかりませんけれども、それに絡めた言い伝えが本当にこの地方に伝えられていたのでしょうか。

私は聞いたことがないんですけども……。

 

◯こちら===>>>

天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説 - 国立国会図書館デジタルコレクション

↑『天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説』(昭和9年の発行です)という、まんまな本がありまして。
その22ページに、略記が書いてあります。

 

尾張富士大宮浅間神社略記
一、御祭神 天照大御神 木花開耶姫命
(略)
一、由緒 天平元年邇波縣主道直公の勧請にかかり古来御霊験著しく織田信長豊臣秀吉公等武将の信仰厚く種々神宝を寄進せらる
毎年旧五月晦日、六月朔日にかけて天下の奇祭「火祭及石上祭」が行はれ数十万の参詣社ありて雑踏を極む頂上に数百貫の献石累々たり
(略)
子供の神様として崇敬篤く子女成育の庇護を得んとして預子となし虫封祈祷を請ふもの多し毎々不思議なる御霊徳に預るもの夥し常に賽者の絶ゆることなく神威赫々たり
左鎌は一名虫切鎌とも称し由緒ある神鎌にして小児の虫封魔除の御守なり(以下略)」

 

「左鎌」が気になるところですが……(この辺りだと、「南宮大社」、「猿投神社」で見られましたか……

 

◯こちら===>>>

「南宮大社」 - べにーのGinger Booker Club

「南宮大社」(再)(岐阜県不破郡) - べにーのGinger Booker Club

「南宮大社」(補) - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」 - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(妄) - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(妄)その2 - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(再)(豊田市)〜高速初詣その3 - べにーのGinger Booker Club

 

その辺りのラインの関係性を考えると面白いのか、特に古い由来もないものなのか……祭り関係は、江戸時代に始まっているものも多いので、よくわからないのですよね……)。

「石上祭」というものがどんなものかといいますと、『天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説』から要約しまして、

 

「・昔々、犬山の字五郎丸というところに、八百比丘尼が住んでいた。
・ある夜、尾張富士の御祭神木花開耶姫命が、比丘尼の夢枕に立ち、「隣の本宮山より背が低いのが残念なので、小石を一つでも頂上に上げてくれれば、願いを叶える」とおっしゃった。
比丘尼が里人に伝えると、みんな喜んで石を上げ、願いが叶った。
・その日が六月朔日だったので、祭日となった。」

 

というものです。

まあ、なんでしょう……そもそも「木花開耶姫命」の御神体山は富士山で、日本において他に並ぶものなしなわけですから、「本宮山」に負けていたところでどうなのか……という感じがします。

「山の背比べ伝説」というのは、いろいろなところにあり、元々は土着の信仰だったのでしょうが、神名などが書き換えられていったのだと思われます(神仏分離以後に多いんじゃないでしょうか……)。

あ、「左鎌」についても、17ページに書かれています。

 

「此の由来即ち左り鎌の縁起は、昔弘仁年間即ち今から一千百年程以前に、お山のお守役に権太夫なる人がありました、お山に金明水と、銀明水の浄水を設けんとして二つの井戸を発掘いたしましたる所、金明水から一丁の左り鎌が現はれたのであります、権太夫は非常に驚いて此の地は其の昔盤城の地である、これぞ正しく御祭神木花咲耶姫命が土賊を刈りたまゐし、御由緒ある御神宝ならんと直ちに御祭り致したのであります。」

 

……うん、なんでしょう、「金の斧と銀の斧」の匂いがしますよね……。

そもそも、「木花開耶姫命」が土賊を刈るって……伝承上は九州で亡くなってますけれども……。

一応、尾張美濃(場合によって諏訪辺り)に見られる、「風除けの鎌」の呪いとの関わりが何かあるのか、と触れられています。

「魔風を切る」のですけれども(諏訪だと「薙鎌」……だったかな)、もしこれが古代から続いていれば、おそらく「鉄の鎌」であることに意味があるので(切れ味的に)、ということは製鉄氏族のライン、というのがまた浮かび上がってきましてですね……で、昔からあった風習、捧げられた鎌を権太夫という人が井戸から見つけた、という可能性はないこともないとは思いますが……ちょっと、いろいろ盛りすぎている感じがします。

で、「火祭」と「石上祭」ってセットになっているのですが、何故か江戸末期の『尾張名所図会』には、「石上祭」のことは書かれておらず、普通に護摩を焚いたりお経をあげたり……これもまた、地元の人に秘された祭りだったのか……あるいは実は歴史が新しいのか……ひょっとすると、「神事」とは認められていない「風習」だったのかもしれません(が、当時のガイドブックである『名所図会』が、そんなネタを無視することもあるまいと思います……ううむ……)。

ちらっと調べてみただけで、面白い話が満載の犬山ですので、ちゃんと犬山の伝説なんかを当たってみたいものです。

特に結論はありませんので〜。