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さて。
○こちら===>>>
えびす大黒の大徳院 尾張三霊場の2番札所 愛知県あま市甚目寺
↑ちゃんとしたHPがありました。
○こちら===>>>
「鳳凰山甚目寺」 - べにーのGinger Booker Club
↑以前の「甚目寺」の記事の中で、「大徳院」にも触れています。
正面の門。
「甚目寺」側から。
忘れずに、御朱印。
えっと……今回の写真は以上、と。
国会図書館デジタルコレクションで探してみたのですが、それっぽいお寺がどうも見つからず。
お寺でいただける「ごあんない」から、
「当寺は推古天皇六年(五九八)に創建されました。
建久七年(一一九六)源頼朝の命により、恵比寿大黒の二尊像が奉安されました。
爾来恵比寿大黒天信仰の根本霊場として、半農半漁で生活する地域の人々の五穀豊穣・漁業繁栄の守り本尊としてその信仰を集めこの地に名を広めました。
慶長十二年(一六〇七)には、左甚五郎が当寺参拝の折、本尊の霊姿に深く感動し、その威徳にすがって数ヶ月間滞在し、のみをふるって二天像を彫刻しこれを住職に寄進した。これが現在の本尊だと云われている。
又、古来伝承の木版刷り本尊御影はその霊姿、功徳力共に他に比類するものがないと全国各地より多数その徳を受けに参拝されます。
尚、この御影は必ず<わら>でしばって持ち帰り、家内の南向又は東向に並べはり、上へ上へと重ねれば益々福が積ると喜びまつられています。(以下略)」
とのことです。
おそらく、
「半農半漁で生活する地域の人々の五穀豊穣・漁業繁栄の守り本尊として」
↑この辺りがポイントで、「恵比寿」様といえば水の恵みの神、「大黒」様といえば穀物の恵みの神、という認識があった、ということでしょう(後付けの可能性もありますが)。
「甚目寺」との関係がさっぱり書かれていませんが、いちおう塔頭ということになるんでしょうか。
「甚目寺」の案内板にも載っているくらいですしね。
高田崇史氏好きとしては、
「この御影は必ず<わら>でしばって持ち帰り」
↑これが気になりますけれどもね……新しい習慣だとすればそれほど意味がないと思います。
それでも、御影をわらでしばる、というのはなかなかない発想かと。
元々、「恵比寿」様は、「事代主神」か「蛭子神」で、海に流されたり溺れたりしていますし。
「大黒」様を「大国主命」と考えれば国を奪われた(正確ではないでしょうが、とりあえず)神で、「大黒天」だと考えればインドの破壊神です。
怨霊と思えば、その威力は抜群なので、しばっちゃうのかもしれないですね……
あ、妄想です。
寒桜なのか梅なのか。
ちょっと美しかったので。
さて……やっと11月の記事が終わりました……次回からは「日吉大社」の予定です〜。