さて。
○前回まで===>>>
巡路に従ってまいります。
この先には「弁慶の引摺鐘」があるそうです。
「奈良時代前期の鋳造で、むかし俵藤太秀郷が百足退治のお礼に龍神より貰い当寺に寄進されたと伝えられる有名な鐘である。辨慶が引摺った疵痕が残っている。
辨慶の汁鍋
むかし武蔵坊辨慶はじめ多くの僧兵が汁を造って飲んだと伝えられる汁鍋である。」
その前に、「金堂」の裏手に回るのですが、
「閼伽井屋」があります。
「天智、天武、持統三帝御降誕の時、この井水を取つて産湯とし玉体を祝浴された。よって「御井」と云ふ。茲に園城寺が建てられて俗に「三井寺」と云われた。後、智証大師三部灌腸の閼伽に用いてから「御井」を「三井」に改め寺号となる。往昔、御所の御車寄を賜わり閼伽井屋として建てられて後、慶長三年豊公北政所、之を再興修理せられた。正面上部には名匠左甚五郎作の龍の彫刻があり夜な夜な琵琶湖に出てあばれるので目玉に五寸釘が打たれている。屋根は大唐破風で金堂の素木に対して極彩色を施してある。」
え〜、全体像が撮影できていないのですが、斜面にはまり込んでいるような感じで、かなり離れてもなかなか全体が写りませんで。
やむなくアップにしました。
ちょっと小さいですが、左甚五郎作とされる龍です。
仮に、「夜な夜な琵琶湖に出てあばれるので目玉に五寸釘が打たれている。」というのが、左甚五郎に関係する人々が流した噂だったとしたら、そのプロデュース力はたいしたものだと思います。
「閼伽井石庭
日本最古の庭園である。蓬莱山と云い東海中にあつて仙人が住み、不老不死の地と考えられている霊山を形取つた石組である。中央より、人、神仏、鶴、亀と配されている。」
……哲学的すぎて私には何も見えません(わりと朝早くて、太陽が当たっていないからかもしれません)。
「金堂」の後方の姿です。
建物の立ち上がりから何とも優美な感じです。
「弁慶の引摺鐘」に行くには、斜面を登っていかなければいけないのですが、その手前に「智証大師」と、ええと……多分両界「大日如来」の石像がありました。
さらに「熊野権現」。
「智証大師が入唐、求法され法華、密教の奥儀を究め大峯・熊野三山に入峯練行された事蹟に則り平治元年(一一五九年)当地に熊野権現を勧請し三井修験道の鎮神とされた。現社は天保八年(一八三七年)の債券である。」
密教を究めて、お山に入って修験道、でお祀りしているのは権現で神社。
いや、日本人以外にはよくわからん発想でしょうね(日本人でもわからないか)。
こんな感じで斜面を登りますと、「弁慶鐘」のお堂があります。
パンフレットによりますと、
「【伝説】弁慶の引き摺り鐘
奈良時代の作とされるこの梵鐘は、むかし俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を三井寺に寄進したと伝えています。その後、山門(延暦寺)との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると、”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったのです。その時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。」
とあります。
そういえば「弁慶」さん、「延暦寺」の僧兵でしたっけね。
「イノー・イノー」は、「往のう(去のう)」でしょうか。
残念ながら、堂内は撮影できませんが、思っているよりもずっと近くで鐘をみることができます。
「弁慶鐘」のお堂から、一段高いところに、
なぜかクジャクが。
「佛説 孔雀由来
修験道の祖、役の行者(神変大菩薩)は藤の皮の衣を着て、松葉を食べ、花の蜜を吸って修行されること、三十有余年、その間孔雀明王の咒文を唱えて、苦修練行され、遂に五色の雲を呼び、孔雀に乗って、霊山に飛び去られた。
因みに、孔雀明王は世の中に身心にわたる諸毒、心に巣くう三毒、則ち貪(むさぼる)瞋(いかる)癡(ぐちる)を除くことを本貫とする。
孔雀明王経に、
昔、吉祥という比丘あり、僧の洗浴の薪を取らんとするに、異木(珍しい木)の下に黒蛇あり。比丘の右足指を螫す。悶絶して、目くらまし、口より沫泡を吐くに到る。時に阿難尊者、急ぎ佛の所に赴き「何か之を治すべき乎」と問う。佛曰く、「汝、如来大孔雀咒経を拝誦し吉祥比丘を擁して結戒結咒を爲さっば、其の毒をして除き、害することはなからん」と説かれている。
孔雀明王の本誓あり、また孔雀明王咒の威力に依り、生身孔雀の不可思議の功力によつて、人類全ての諸毒を除かれんことを祈る所である。
オン マユラキ ランテイ ソワカ」
まさか、クジャクがいたのは「孔雀明王」と関係してのことだったとは……いえ、ちょっとそう思いましたけど、まさかねって……。
『孔雀王』世代にとっては、「孔雀明王」といえばアレですが……インドの伝承で、鳥は基本的に毒蛇に勝つのですね。
それがクジャクなのかはともかく。
つまり、ガルーダとナーガの関係性です(遡れば、それぞれをトーテムとした氏族の争いがあったのかもしれませんが)。
ヒンドゥー教や仏教では、いまひとつどっちが強いのかはわからないのですが(どっちも仏の乗り物になったりしていますからね)、ナーガ(蛇、龍)はそれほど格の高い神とは考えられなかったのに対して、ガルーダの一側面としてのクジャクは明王です。
どっちがどうなのか、はこの辺りでわかるのではないかと(といいつつ、ナーガとガルーダそのままの「龍王」と「迦楼羅王」は、それぞれ「二十八部衆」や「天龍八部衆」に組み込まれているのですけれど)。
クジャクは特別だったわけですね。
うーん……ヒクイドリ(書記官鳥)を見ていたら、きっとクジャクの地位は奪われていたでしょう(?)。
ぶつ切りになってしまいますが、本日はこの辺りまでで〜。