10/31。
「彼方神社」から宇治川沿いを歩きました。
人が多い。
「平等院」は昔から人気のスポットでしたが、これから行くところはそうでもないんじゃないかなぁ……と思っていました(失礼な)。
「宇治神社」です。
○こちら===>>>
本殿と御神像は重要文化財に指定されているようです。
鳥居の正面は、朝霞橋という橋がかかっています(が写真はありません……)。
「兎楽の樹
河内の国から来られる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子を、兎が先導し、振り返りながらお連れした場所がこの宇治神社です。
その兎達が、今も楽しく集い戯れる宇治神社を象徴する樹が、この楠の樹です。
ほら、楠の足下に楽しそうな兎達が見えるでしょう。」
こんな伝説があるようです。
うーん……「菟道稚郎子」の「菟」という字から、「兎」を連想したんじゃないか、というのが妄想の基礎でしょうね。
鳥居をくぐった先に、階段があります。
拝殿。
公式HPによると、
「拝殿(桐原殿)
鎌倉時代、1215年頃建立。入母屋造、桁行3間、梁間3間、檜皮葺、軒唐破風鳥居をくぐり、参道を歩き、階段をあがると見えるのが、拝殿。別名:桐原殿。
桐原とは当地の地名です。
鎌倉時代のかなり古い建物で、厳かながらどこか懐かしくもある雰囲気な印象をあたえます。」
とのことです(公式HPは、解説も写真も充実しているので、私の記事はあまり意味がありません)。
桁行三間、梁間三間、という作りが造りが珍しいですね。
拝殿というより、一瞬神楽殿か、幣殿も兼ねているのではないか、と思いました。
拝殿なんですが、今は本殿前まで進むことができてしまうようです。
……はい、本殿と中門なのですが、人が多かったので、真正面からの写真はありません……公式HPを参考にしてください……。
「本殿
本殿は国の重要文化財となっており、三間社流れ造り桧皮葺きの社殿で、鎌倉時代初期の建設であります。
殿内中央には平安中期の菟道稚郎子命の木造神像が安置してあります。」
↑公式HPの解説です。
私の写真でも、なんとか流造、ということはわかっていただけるのではないかと思います。
やれやれ……。
本殿を取り囲むように、末社が鎮座しています。
本殿向かって左手に四つ。
「高良神社」「伊勢両宮」。
「春日神社」です。
うーん、写真が少ない……申し訳ありません、スマートフォンの電池が切れそうだったので、遠慮しがちに撮影しております(車で充電できるので、臨時のバッテリーを置いてきてしまったのです……)。
「春日神社」の右手のほうに、パワースポットという「願いうさぎ像」というのがあるそうなのですが、私、パワースポットに興味がないので、写真もスルーしております。
御朱印は、参集殿でいただいたのだと思います(……違ったかな)……これは参集殿の前。
「延喜式内社 宇治神社
御祭神 菟道稚郎子命(ウジノワキイラツコノミコト) 第十五代応神天皇の皇子
御由緒
宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮キリハラヒケタノミヤ)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命の宮居の跡と伝えられている。応神天皇が稚郎子命を天位に任命するが、稚郎子命は王仁(ワニ)博士から儒教の思想を学んでいたので兄の大鷦鷯命(オオササギノミコト 後の仁徳天皇)を差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と違ったため、稚郎子命は天位を兄の大鷦鷯命に譲りあいの後、死をもって節を全うした。後に、兄の仁徳天皇は稚郎子命の宮居に祠を建て神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。
御神徳 宇治の氏神様
幼い事より聡明にして阿直岐や王仁博士について学問の道を極められ、我が国最初の文教の始祖であり、学業や受験合格の神様として崇められている。
御本殿 鎌倉時代初期の建物で、三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)桧皮葺き(ひわだぶき)で御神像と共に国の重要文化財に指定されている。」
小さいながらもワンダーゾーンでした。
引用などは後日にいたします〜。