※ちょっと出費をして、
↑を買いました。
現代語訳なんですが、ひとまずということで……あとは『新撰姓氏録』と神道五部書は紙の本でほしいなぁ……。※
10/30。
「大神神社」に後ろ髪を引かれながら、なんとか「石上神宮」に間に合うように、その前にある今回の裏メイン、「穴師坐兵主神社」に向かいます。
○こちら===>>>
まだ「邪馬台国」論争に決着はついていないのに、「卑弥呼の里」にしちゃった桜井市……いや、あちこちにありそうですけれど「卑弥呼の里」。
案内板に「桧原神社」「ホケノ山古墳」「箸墓」とあるのがもう……奈良には1ヶ月くらい滞在して、あちこち漁りたいですホント。
で、カーナビの示す通りに走っていくとですね、山の中に案内されるのはいいのですが、明らかに道が狭くなり、しだいにすれ違うことができないくらいの幅になり……大丈夫かな、間違っていないかな、と思いつつ、登りつめますと駐車スペースが(3台分くらい)。
間違っていなくてよかった……けれど駐車場の有無くらいは調べてこようと思いました。
案内板には、「大兵主神社」となっていました。
兵主神社(中)
大兵主神社(左)
御創建 崇神天皇六〇年
御由緒
当社は三神殿にして、古典の伝えるところによると、今より、二千年前の御創建にかかり、延喜の制で名神大社に列せられ、祈念、月次、相嘗、新嘗のもろもろの官幣に預り、元禄五年には正一位の宣旨を賜った最高の社格をもつ大和一の古社である。
御神徳 衣食住を守護し、風水を司る。」
「穴師坐兵主神社」というのは、「延喜式」の神名帳に載っている名前です。
鬱蒼……素晴らしい、青垣なす大和国ですね。
まず「祓社」。
その近くの……こちらは御祭神が不明です。
狛犬さんs。
えらく低いです。
拝殿。
よほどの神社好き・古代史好きでもないと、ここまでは来ないだろうな(近くには「大神神社」「箸墓」「崇神天皇陵」「景行天皇陵」「黒塚」など目白押しですから)、と踏んでいたのですが、先客で三人ほどの先輩方がいらっしゃいました。
本殿はあまり拝見できませんでしたが、三連の造りになっているようです。
御神木然とした杉の木(かな?)。
拝殿前の石灯籠。
「穴師社」と彫られています。
拝殿前の狛犬さんs。
こちらにも案内が。
内容は先ほどとほぼ同じで、「皇女倭姫命が創建」というところが違っていましょうか。
……さっきも思ったのですが、御祭神が神社の名前で、神名ではないんですよね。
うーん、どういうことだろう……。
ここから境内社。
こちら、どんな社か名前がわかりませんが、造りが「大社造」に寄せてあるところから見ると、出雲系のかたをお祀りではないかと。
拝殿を右手の方に入っていくと、高いところにも社が。
一つはくずれてしまっているようです……地元の氏子さんのお力だけでは修復というのも難しいものなのかもしれないですね……(とはいえ、観光客が殺到しても、それはそれで困ると思いますが……悩ましい)。
「明治神宮」の遥拝所もありました。
こちらは、恐らく「祖霊社」。
その向かいに、「天王社」。
その南側……になるのか、一段上がったところに少し立派な社が。
こちらもどなたなのかがわからず……せっかくのワンダーランドなのに、残念……。
いったん徒歩で入り口まで戻ります(駐車スペースは、この鳥居の先ですから、車でご参拝のかたはためらわず直進しましょう)。
「県社」だったのですね。
坂をしばらく下っていくと、
「相撲神社」があります。
○こちら===>>>
「カタヤケシ由緒
今を去る上古約二千年前垂仁天皇七年七月乙亥(七日)大兵主神社神域内小字カタヤケシにおきまして野見宿禰、当麻蹴速による日本最初の勅命天覧相撲が催されました。これが世界に誇るわが国国技相撲の曙光であります。
爾来相撲が国技として国家大本の行事とされ悠々の今日に至っています。
日本書紀に「野見宿禰は乃ち都に留りて仕へまつる」とあり当地に屋敷を賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました。その偉大な徳を偲びここカタヤケシを日本民族の象徴的聖地として世に知られています。」
後日引用もしようと思うのですが、今の大相撲とは違って、ほぼ「バーリトゥード」(あるいは「パンクラチオン」)。
肋骨を蹴り折り、腰骨を踏み砕いて「野見宿禰」の完勝。
ううむ、恐ろしい……。
ん……ちょっといろいろ気にはなりますが……とりあえずスルーで。
2013年寄贈のものでした。
土俵、でしょうか。
お祭りで相撲が行われるのでしょうか……そういえば、私が小学校の頃住んでいた名古屋市中村区の某八幡宮でも、夏になると相撲大会が行われていました。
今はもうやっていないんだろうなぁ……(遠い目)……。
国に国歌、国花があるが如く日本の国技は相撲である。相撲はもとは神の信仰から出て、国土安穏、五穀豊穣を祈る平和と繁栄の祭典であり、第十一代垂仁帝の七年、野見宿禰と当麻蹴速が初めて天皇の前で相撲をとり相撲節(七月七日)となりそれがもとで後世、宮中の行事となった。
昭和三十七年十月六日、大兵主神社に日本相撲協会時津風理事長(元横綱双葉山)を祭主に二横綱(大鵬、柏戸)五大関(琴ヶ浜、北葉山、栃ノ海、佐田ノ山、栃光)をはじめ、幕内全力士が参列。相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ、この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於いて手数入りが奉納された。」
……相撲が国技として認定されているのは別に構わないんですが、それは近代以降のナショナリズムとか民族自決主義とか、そういったものの過程で整えられたということも説明しておかないと、何やら昔から国技だったと思われかねないと思います(特に、日本は世界的に見ても稀有な、長期間にわたって王朝が存続している国なので)。
変なツッコミを入れるところでもないですね(謝)。
観光地化しよう、という目論見でしょうか……。
そのためには、道を広げないといけないと思います……。
「兵主神社」に戻りましてごそごそしていると、御神職のお宅に伺うと、御朱印をいただける、ということでお尋ねしました。
穏やかそうな御神職だったので、せっかくだから少しお話を伺えばよかったなぁ……。
失敗しました。
「相撲神社」のものもあるとは!
有難や有難や……。
駐車スペースから車を出して、そろそろと坂道を下りていくと、後ろからB○W(地元の方と思われます)が普通にスピード出して迫ってきたので焦りました。
車幅なら私の車より絶対あるだろうに……。
この後、まだまだ北上を続けなければいけなかったので、途中でコンビニで栄養補給。
諦めていた「崇神天皇陵」を見ることができました。
しかもこのコンビニの裏には「黒塚古墳」があるという……。
もっとゆっくりしたかったなぁ……。
引用などは次回から〜。