8/22。
「曹源寺」で「さざえ堂」を堪能し、ほっこり満足。
東京に戻る途中で伊勢崎線を下りまして、向かったのは「鷲宮神社」。
○こちら===>>>
相変わらず予備知識がないまま、スマートフォンの地図アプリを頼りに神社に向かいます。
橋を渡って右手に折れると、
鳥居が見えてきます。
珍しい鳥居。
「由緒略記
(略)
当社は出雲族の草創に係わる
関東最古の大社として今昔より
鷲宮大明神・浮島大明神または
大鳥元祖とも称し州群所々に
多数の分祀あり
武夷鳥命 他九柱
(略)」
最近、「大国主命」「大己貴命」「大物主神」は、きちんとわけて考えなければならないのではないか、と思い始めています(?)。
参道。
当社は御祭神 武蔵国造の遠祖天穂日命武夷鳥命大己貴命外合祀九柱を奉神 出雲族の草創に係る関東最古の大社にして景行天皇の御宇日本武尊の造営次いで武蔵国造の司祭造営中世以降関東の総社また関東鎮護の神として武将の尊崇厚く藤原秀郷源義家鎌倉時代には建久四年(1193)十一月源頼朝の神馬奉献社殿造営 建長三年(1251)四月北条時頼の神楽奉納 正応五年(1292)北條貞時の社殿造営 応永五年(1372)小山義政の社殿修復などが古文書に見えます。
室町時代に至り足利氏 古河公方などの保護を受け天正十九年(1591)徳川家康から四百石の朱印地を与えられました。
(略)」
躍動感あふれる狛犬さん。
銅製灯篭。
なかなか立派ですが、仏教色が濃いように思います。
広いな……。
拝殿(?)。
新しそうですが、シンプルですね。
関東ですし、権現造の過剰装飾があってもおかしくないのですが。
絵馬殿……いや神楽殿かな。
破風だけが鮮やかに修復されていて、何やら違和感。
力石。
江戸時代のもののようです。
祭の娯楽に力くらべは不可欠だったようです。
神楽殿の中。
境内社に参りましょう。
「姫宮神社」。
御祭神がわかりませんが、「大己貴命」か「天穂日命」の姫(妻か娘か)なのでしょう。
うーん、資料がない。
こちら拝殿向かって左手。
奥にあるのが「八幡神社」。
いきなり鬱蒼とします。
覆屋というのか、朱塗りです。
基壇があるので、昔からこちらにいらっしゃるようですが、それでも明治以降かな。
先ほどの「八幡神社」の前から、左手方向。
いや、本当に広くて、人もいないので、いいところです。
紅白の幕、はおいておいて、向かって左手に見えるのが本殿です。
もうちょっと寄ってみました。
「八幡神社」から左手に向かっていき、左手の鳥居をくぐった先には、
「鹿島神社」。
手前の階段の欄干が丸太橋っぽいです。
「姫宮神社」もそうなってましたかね。
奥に小さな社を発見。
道は続いておりますので、誘われるように。
えらい奥まったところに「神明神社」。
飾りっ気のない、無理やり押し込んだような感じの場所です。
そのまま森の中の道を抜けて境内に戻ってきます。
正面からは向かって右手後方から本殿。
玉垣が低くて、これだけはっきりと拝殿(幣殿)〜本殿が見えるのも珍しいです。
真夏の太陽の下に漆黒と金の飾りが美しいです。
新しく修復している途中なのでしょうかね。
本殿背後に「粟島神社」。
合祀されている神社の額。
「日枝神社」「御室神社」「軍神社」「胸肩神社」「竃殿神社」「浅間神社」「稲荷神社」「粟神社」「武内神社」「衢神社」。
どこから集めてきて、どうして「粟島神社」になったのでしょうか……。
うーん……。
真後ろから本殿s。
「鷲宮神社」なのに鷲はおらず、なぜか孔雀が。
おっとよく見えませんが「諏訪神社」です。
こちらも本殿の背後ですが、真後ろというわけでは。
再び、向かって右手後方からの本殿。
神輿庫。
唐突に「八坂神社」と神輿殿。
左手の本殿は流造ですが、右手の本殿は入母屋造っぽくはあるものの、流造っぽくもあり。
昔からこうだった……とは考えづらいですが、絵図とか残ってないでしょうか。
というところで、本日はここまで〜。