8/15。
戦後70年、という中途半端な区切りの年ですが、思い立ったので「愛知縣護國神社」へ行ってきました。
○こちら===>>>
驚くほどの晴天。
もたもたしていたので、到着したのは正午を少し過ぎた頃。
黙祷がすでに始まっていました。
70年前も、これほど晴れた空だったのだろうか、と思いを馳せながら参拝。
神社仏閣好きなので、どちらかといえば右寄りなのですが、仕事的には左寄りです。
曖昧で申し訳ない。
それで、「靖国神社」についてですが。
私は、国立追悼施設を作るべきではないか、と思っています。
それは、別にA級戦犯を分祀しろとかそういうことではなくて(分祀不可能というのが神社の考え方のようですが、私は不可能だと思っていません)。
英霊も含めて、公務上の死亡者が、一宗教法人の神社に祀られていることが疑問だからです。
一番簡単なのは、「靖国神社」を国立にすることなんですが、さすがにそりゃ無理でしょうから。
次善の方策は、国立追悼施設かな、と思うだけです。
でも、これも多分無理でしょうから、「靖国神社」に参拝するしかない、と思います。
もう政治問題になっていますし。
大統領が聖書に手を添えて宣誓する国と、総理大臣が神社に参拝する国と、どっちもどっちだと思うのは私だけでしょうか。
あと20年もすれば、かの戦争は歴史の中に組み込まれます(当事者がいなくなりますから)。
もはや、記述されるだけのものになります。
はっきり言えるのは、我々は残念ながら、「歴史から学ぶことなどめったにない」ということです。
「歴史を忘れた民族に未来はない」、とどこかの国の人がおっしゃっていましたが、人間は歴史どころかあらゆることを忘れていきますし、思い出すことといったら都合のいいストーリーばかりです。
さてこれから我々は、何を忘れ、何を覚え続けるのでしょう。