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「千代保稲荷名古屋支所」から歩いて10分ほどのところに、「泉龍山桃巌寺」があります。
○こちら===>>>
「桃巌寺
泉龍山と号し、曹洞宗。
天文年間(1532〜55)末森城主織田信行が、父信秀の菩提を弔うため、末森村二本松(今の穂波町付近)に創建。恵心僧都作の聖観世音菩薩を本尊とし、弁財天画像を守護神として祀る。
桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」からとられている。この地へは正徳四年(1714)に移された。」
「東山辨天」の石碑の方が大きいです。
門。
突き当たりのお堂(?)。
一気に本堂まで飛んでしまいました。
堂内に入ることができます。
写真はありません。
境内がまた結構なワンダーランドでして。
「慕情観音」。
裏の墓地への道。
動物の供養塔と納骨堂(奥)、だったと思います。
供養塔の前の階段を降りると、いきなり出現します、大仏さま。
手。
比較物がないので大きさが今ひとつわかりませんね。
「名古屋大仏 坐高10米
仏教の三法印
諸行無常(ものごとは、みな移り変る)
諸法無我(ものごとは、みな、持ちつもたれつ)
涅槃寂静(ものごとは、すべて、調和したとき安定する)
昭和62年秋 開眼法要厳修」
地下鉄の駅で言いますと、本山駅と名古屋大学駅の間くらい(本山の方が近いかな)。
実は、わりと地元なんですが、20年以上過ごしているのに、こんな面白いものがあるとは全く知りませんでした。
なんでなのかなぁ……と疑問は疑問なのですが。
ちょっと修正しすぎました……。
「別名を角竹ともいう。
なるほど、こちらの「弁天」さまは、琵琶湖の竹生島からいらっしゃったようで。
再び境内に回りまして、北の方へ。
「宝幢の由来
尊勝仏頂尊の宝幢であります。経説によりますと、宝幢に近寄りし時に幢影が我身に映りし時は其の加被力により、萬難消滅し或いは宝幢の上に積りし塵や、又は木の葉が風をたよりに我身にふりかかれば、其の因縁功徳により、寿福無量無辺なりと説かれてあります。
矧んや至心に(一生懸命に)宝幢を三匝せば如何なる悪事災難も免れ、寿命福徳も願いのままに成就します。
皆様欺誑されたと思い、一度宝幢の廻りを三匝して下さい。必ず霊験は顕著であります。」
三匝するときは右回りです(右繞三匝)。
奥の建物はなんだっけな……。
宝幢の近くから、大仏さまが見えます。
えらくシュールな感じ。
……なんでしょうね、これは。
ワンダーランド。
「宝幢の歌」というのもありました。
最初に入った門から直進して突き当たり、左に曲がるとこちらの門があります(これは、裏から撮影しています)。
どうもこちらは、「龍宮造」というそうで、
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 苫小牧駒澤大学紀要. (12)
↑に論文が掲載されていましたので、一部引用します。
「ここで対象とする竜宮門とは、建築学においては「龍宮造(りゅうぐうづくり)」と呼ばれる形式の門であり、「龍宮門(りゅうぐうもん)」は通称である。また、楼門の形式の一つと説明されることが多いが、楼門の第二層がないものや、鐘楼門の形式も多いので、これらも龍宮門として一括して扱う。
(略)
桃巌寺
(略)
鐘楼門(不老門)
通称、名古屋弁天と呼ばれている。終戦後、門を東から南へ移転改築し、弁天堂にくっつけて作った。その時に柱が六本から八本であったものに袴腰をつけた。昭和二十七年には既にそうであったからそれ以前のこと。」
だそうです。
本堂を脇から。
「織田信秀」公の廟、だそうです。
妙に神秘的になっちゃいました。
こちらが表。
狛犬さんがいます。
この門の左手に池がありまして、その手前に、
怪しげな水盤が……。
手水鉢……鉢か?
こちらが池です。
日月が浮かんでいます……怪しい。
小さな石の仏様があったのですが……はて、怪しい?
朽ちかけのお堂。
鈴が下がっているところを見ると、神様のようです。
あまり中をじろじろと見るのは憚られたのですが、何やら文字が見えました。
なんだったかなぁ……あ、「印鑰童子」だ。
『密教辞典』によれば、「弁財天」の眷属である「十五童子」の一つだそうです。
ただ、名称は『宇賀神王陀羅尼経』という偽経によるそうなので、「俗な名称」だとか。
このお堂を左に曲がると、弁天堂があります。
がその前に……怪しい……。
石灯籠には、「弁財天」の眷属である蛇がくねくね。
お堂の全容が、アングルの問題で撮影できなかったのですが、
大きな香炉が。
十二支が刻まれています。
台の部分……むむむ、あ、怪しい……。
お参りをして、寺を後にします。
日月の池を反対側から。
参道から撮影した弁天堂。
さっぱりわかりません。
「諸車乗入禁止 山門内が狭く樹木も痛むし」
……女子高生?
道路を隔てた向かい側から見る「桃巌寺」。
インド風の尖塔のあるところが弁天堂だと思われます。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑から引用です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
287コマ。
「泉龍山桃巌寺
同村にあり。曹洞宗、白坂雲興寺末。天文年中織田武蔵守信行建立して、其父備後守信秀の香花の地とし、快翁和尚を以て開基とす。桃巌は則信秀の法号なり。信秀の父子及び柴田勝家の位牌あり。」
「白坂雲興寺」というのは、
○こちら===>>>
↑愛知県瀬戸市にあるお寺のようです。
「桃巌寺」のある千種区の本山周辺は、昔は山田郡に含まれていたと思いますので、同じ郡内ですね(距離は結構あります)。
『尾張名所図会』の記述はあっさりとしたもので、大仏さんはもちろん、弁天堂のことも書かれていません。
うーん……と思い、ネットを検索してみると、
○こちら===>>>
無数の男根と真緑の大仏様「名古屋大仏・桃巌寺」【愛知】 :日本珍スポット100景
↑のブログが見つかりました。
もう、こちらを読んでいただいたらわかると思います。
以前のご住職がヒンズー教の神々に刺激を受けて、リンガ(陽根)をあちこちに配されているのだとか。
なるほど、一連の怪しさはそういった理由だったのですか……。
しかも、こちらのブログ主が参詣されたときは、「16歳以下の団体」の入苑を断っていたのだとか。
そうですよねぇ……溢れ出す妄想で「できないことはない」年代が集団で訪れたりしたら、寂漠とした雰囲気が台無しになること請け合いです。
私も、小学5年の頃に曼荼羅に興味を持ったがために、中学2年の頃でしょうか、小さいギャラリーで行われていたインドの曼荼羅展に(親に)連れて行ってもらい、そこで買った本には男女和合で踊る仏像の数々が……という経験をしたことがあります(?)。
そりゃ、いくら地元でも、なかなか学校じゃ教えづらいわけです……。
この年まで知らなかったことも、頷けます。
上記ブログで紹介されている「ねむり弁天」の由来なども知りたいところです。
御朱印はなさっていないということでしたが、なかなかに異彩を放つワンダーランドでした。
街中にあって、喧騒と隔絶し、異なる世界を覗き見るような体験ができる、というのは他にはないと思います。
もちろん、敬虔な檀家さんもいらっしゃいますので、お参りされる際にはあくまで静かに、お願いいたします。
個人的には、日月の池、が印象的でした(大仏さまよりも?)。