べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

『景行天皇社』(再)

4/11。

定光寺」を後に、ふらふらしていたら長久手に来てしまったので、「景行天皇社」へ。

 

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景行天皇社・富士社 - べにーのGinger Booker Club

 

今日こそは、と思って授与所に行きましたが、開いておらず……残念。

 

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桜含みの写真は、

 

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「一服」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑に。

 

さて。

尾張名所図会』でも少しだけ、「景行天皇社」と近くの「富士社」が紹介されております(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑293コマです。

 

景行天皇社 長久手村にあり。今三社明神と称す。承応四年の創建。享禄三年及び弘治二年斎藤氏の人重修す。摂社明神社・白山社。此帝東国に行幸し給ひし故、此あたりにもさるべきよしありて祭り奉りしなるべkれど、今知れる人なし。」

 

「富士社 同村東北にあり。もと数祠ありしが、ことごとく廃して、今わづかに一社のみのこれり。其山を富士ケ根といひて、彼御陣営の跡なり。」

 

「此帝東国に行幸し給ひし故、」というのは『日本書紀』にありまして、

 

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

日本書紀〈2〉 (岩波文庫)

 

 

「五十三年の秋八月の丁卯の朔に、天皇、群卿に詔して曰はく、「朕愛みし子を顧ぶこと、何の日にか止まぬ。冀はくは、小碓王の平けし国を巡狩むと欲ふ」とのたまふ。」

 

そして八月のうちに伊勢に出かけてから、東海(うみつみち/東海道)に入っています。

十月には上総の国に到着し、十二月には戻って伊勢に入ります。

これらが事実だったのかはわかりませんが、「日本武尊」に関する説話は『常陸国風土記』にいくつか残り、そこに「景行天皇」が登場することもあるので、この時代に朝廷からの東征はあったのだと思われます。

「倭武天皇」と記されているのは、妄想によれば「大碓命」で、東国のかなりの部分を手中にしたのではないか、とさらに妄想されます。

 

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「内々神社」+「妙見寺」 - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(妄)その2 - べにーのGinger Booker Club

 

↑などで「宮簀媛による日本武尊殺人事件」を妄想している私です。

 今のところ、「日本武尊」は、「小碓命」と「大碓命」の活躍が合体している、と考えています。

東国に派遣されたのは「大碓命」だと妄想しているので、「景行天皇」の東行はもちろん、「日本武尊」の偲んで、ではなく。

大碓命」に降った東国を見聞して、自らの勢力下に置くためでしょう。

また、「小碓命」を殺した「宮簀媛」との何らかの密約を交わしに出かけたのかもしれません。

熱田神宮」に、「草薙剣」を留め置いたのも、このときに「景行天皇」から許しを得た、ということでいかがでしょう。

景行天皇」が東国に旅立つ二年前には、「日本武尊」が伊勢に預けた俘虜の蝦夷達が大騒ぎして大変だから、機内から周辺(播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波)に移した、という記事があります。

彼らは、自分たちが従う「大碓命」が殺されてしまったので、叛乱めいたことに及んだのではないか、と思います。

それが鎮圧されてしまう。

そして、佐伯氏の祖となったそうです。

佐伯氏は宮殿警護の役目を負ったそうで、勇猛な人たちだったのでしょう。

 

 

 

と、私の「日本武尊殺人事件」はまだまだ妄想してまいりますが。

ともかく今回は、桜を愛でつつの参拝でございました。

 

 

 

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※後日、5/24に参拝したときに、授与所が開いていたのでいただきました。

決まった日曜日にしか空いていないようで、その日もふらふらしておりましたが、いや無事にいただけてよかったよかった。