べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「須佐之男神社」&「尾頭橋神社」

11/22。

住吉神社」を後にしまして、スマートフォンの地図をぐねぐねしていると発見。

須佐之男神社」

残念ながら、ざっと検索しても公式っぽいHPはありませんでした。

 

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公園の一隅、という、いかにも街中の神社な雰囲気です。

だいぶ日が傾いていますね。

 

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見づらいですが、鳥居→蕃塀のコンビネーション。

 

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拝殿。

ざっくり囲いました、という感じです。

 

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「社史

本社は慶長年間堀川べりに熱田区住吉町住吉神社と共に、川の東西に奉鎮し其の西方はこれ乃ち此の神社にして川の守護神、疫病の防禦神、家内安全の御神として、海部郡津島町国幣小社津島神社より勧請したるものなりと口碑に残っている。

明治三十年頃に至りて移住者増加し崇敬者も多数になり明治末年頃より、大正、昭和の時代に至りて土地大いに発展し崇敬者とみに激増し古の広漠たる原野も一朝にして、八町区を有する市街となし崇敬者も殆ど九〇〇余戸に達し■■■■一の社村も無く故に自然に崇敬者守護神と仰ぎて御神威愈々崇高なるを見るに至れり、昭和十二年七月八熊土地整理組合より現境地内を購入続いて昭和十四年五月御本殿玉垣、御拝殿社務所を始め種々工作物を新築竣成し完成を見るに至も昭和二十年三月十九日戦災に依り社務所のみを残し他建造物を消失せしめたり、誠に遺憾であり崇敬者一同より再建の議起こり昭和二七年一月造営奉賛会を結成、御本殿、祭文殿、神饌所、及び渡殿、外三末社を新築昭和二七年十月七日御遷座式典を斎行、今日の威容を見るに至りしが、建築以来今日迄半世紀の歳月其の間昭和三六年の伊勢湾台風など風雪に耐え今日に至りしが御本殿、祭文殿、外三末社、屋根、痛み激しく銅板に依る全面葺き替え及び、御祭神鎮座奉る本陣内の風化も想像を越えるものであり全面修復、本殿玉垣、表参道、全面更新、此の修復事業は五十年振り平成の大修理と位置付け、柳川町町内会、八熊一丁目町内会、八熊通町内会、八熊東部町内会、八熊中部町内会、八熊三丁目町内会、氏子崇敬者の御寄進金に依り修復する。平成十二年九月二六日

六ケ町氏子崇敬者多数参列の基に盛大に御遷座式典を斎行する。(以下略)」

 

それほど古くないのに、文字がぺろぺろとはがれているのが残念……もっとちゃんとした業者を……。

 

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どうやら一番前は祭文殿だったようで、奥に拝殿、本殿が見えます。

 

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向かって右の末社

 

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「お塚社の由来

昔この地より南の田圃道に一つの塚あり

その中に夫婦神が祀ってあり農家の人々の

信仰篤く多くの人々に夫婦和合の幸福を

授けられた霊験灼然の神として崇拝されていました

ところが土地整理によってこの土地の人々が相談の上

ここに移しお塚社としてお祀りしたのであります。

先祖の旁々より数多く霊験奇瑞の話し伝へられている

この様に信仰者によって丁寧にお祀りしてあります」

 

夫婦和合といえば「聖天」様(歓喜天)ですが、路傍にということは「道祖神」だったのでしょう。

ステンレスでしょうか。

長持ちしそうです。

 

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こちらは「重軽石」。

もちろん、持ち上げませんでしたよ(重かったらいやじゃないですか)。

 

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公園の方にある慰霊碑。

 

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蕃塀の裏側。

神社名と、「木瓜」の神紋。

「津島神社」=「牛頭天王」系です。

 

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公園側(西側)の鳥居。

……あれ、三末社って書いてあったけど、どれのことだったんだろう。

何か見落としていたかな……。

 

そこから北の方に行きますと、尾頭橋神社」があります。

 

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民家の間に挟まれた小さな神社でした。

このあたりの地名は「尾頭橋(おとうばし)」ですので、鎮守の神様ということなんでしょうか。

うーん……地域史を調べればいいでしょうか。

 

さて……特に引用する文献もありません。

須佐之男神社」、「其の西方はこれ乃ち此の神社」ということで、当時は、前回紹介した「住吉神社」と堀川を挟んで向かい合っていたようです。

住吉神社」は水運を司る神として、「須佐之男神社」は疫病から身を守る神として。

住吉神社」の前の道は八熊通といいまして、それをずっと西に辿っていくと見事に「津島神社」に突き当たる……とよかったんですが、残念ながら途中で北上しなければいけません。

「疫病が西からやってくる」、という言葉が……どこかにあったような気がするんですが……日本の場合、何にしろ「西」からやってくるんですね、基本的に(北西、かもしれません)。

大陸から流れてくるものは、何も文物だけではなくて、恐らく疫病もやってきたことと思います。

蘇民将来伝説」なんていうのは、まさしくそんな感じじゃないでしょうか。

海流に乗ってくるのか、偏西風に乗ってくるのか。

西からやってくるものを防ぐために、堀川を渡さないように西側で、日本最強の防疫神である「牛頭天王」をお祀りしたんでしょう。

 

 

 

 

 

いやいや、単に「津島神社」から勧請したので、西側に置いただけ、のような気もします。

尾頭橋」という地名は、「源為朝」の子供という言い伝えのある「尾頭義次」に由来しているそうです。

 

○こちら===>>>

CiNii 論文 -  尾頭義次伝説の形成とその「記憶」--近世尾張の氏祖伝説

 

↑世の中にはこういう論文があるようなので、機会があったら読んでみたいものです。

「尾頭」、名古屋の人間なので普通に「おとう」と読んでいますが、かつては「おかしら」だったようです。

名字としては今ひとつな発音ですよね。

本当に盗賊やら山賊やらの「お頭」だった、という可能性はないものですしょうか。

 

名古屋はまだまだ廻るところがあります。

みなさんも、ご自分のまわりの神社仏閣を廻ってみてはいかがでしょう。

意外な、面白いことがわかるかもしれません。

わからないかもしれません。