11/22。
ぶらりと出かけてみたはいいけれど、行き先を考えていなかったので、とりあえず熱田方面へ。
自転車があればぐるぐる回れるのですが、出かけたのが昼に近かったので、そういえば、というところに行ってみることに。
「金山神社」です。
○こちら===>>>
名古屋には金山駅という、名古屋駅につぐ規模の駅があります(栄駅は名古屋の中心ではありますが、ターミナル駅というわけではないですから)。
地下鉄、名鉄、JRが乗り入れる大きな駅で、「アスナル金山」という、東京でいえば、そうですね……池袋のサンシャイン広場みたいなイベントの行われる複合商業施設があったりもします。
あと、ウィンズ(JRAの場外馬券売り場)があります。
市内在住なのですが、正直、名古屋駅や栄周辺に比べると、足を向けることの少ない場所です。
その金山駅も含まれる地名「金山」の元となった、と言われているのが「金山神社」です。
比較的大きな通りに面して標識が立っているのですが、存在感はあまりありません。
「銃砲刀剣類のお祓いを致します」。
いいですねぇ。
太字ですよ。
その隣に、標準フォントで「家内安全商売繁昌等の御祈祷も致します」、と書かれているのがまたいいです。
細い路地を抜けると、凛とした静けさの境内地。
「社記
当社は金山彦命を主神として金山姫命、石凝姥命、天目一筒命、天津眞浦命等鍛冶鋳造の祖神を奉祀する。
社地は熱田神宮修理の鍛冶職であった尾崎氏宅跡で実に尾張鍛冶の発祥地とするところである。
今より約六百年前の応永年間に尾崎善光が勧請して神社を創建した。
熱田神宮の境内社として年中両度の祭典には同神官の祢宜が奉仕した。
徳川末期に至って金物商の信仰が起り金属業界の有志が集って金栄升栄の二講を結び社殿の造営を勧進した。その後二講が合併して全盛講となり昭和三十一年迄神社の運営に奉仕せるも同年十一月発展的解消として広く金属業界の篤信者竝びに地元氏子に呼びかけて金山神社奉賛会を結成なし浄財を勧進して昭和三十三年十月現在の社務所を新築せり。
当社は金山町西金山町及び花町の氏神として多数の氏子崇敬者を有し名古屋市内外金属業者の厚い崇敬を集めている。
例祭は「ふいごまつり」の十一月八日である。」
「金山彦命を主神として金山姫命、石凝姥命、天目一筒命、天津眞浦命等鍛冶鋳造の祖神」とは、日本神話鍛冶冶金系の神様オールスターズですね。
拝殿と本殿。
内側の鳥居と拝殿の位置が近いので、妻入の拝殿屋根と鳥居の描く輪郭が面白い、と思います。
境内のイチョウ。
境内社の「金山龍神社」。
「金山神社」から西にいったところには、堀川という名古屋城から伊勢湾に流れる川(運河)があります。
掘削は江戸初期に行われていたということなので、それに関係した神社かもしれないです。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑の258コマに「金山社」の記事があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「金山社
一の鳥居の東にあり。祭神金山彦命・天目一命、熱田御修理職の鍛冶尾崎彦四郎の祖、代代ここに住みけるが、承和の頃、屋敷内に勧請せしに、応永年中大宮司の命により、中瀬町に移住せしかど、猶これを守りていささかなる社なしりを、近年名古屋の鍛冶又鉄物商買の者より修復を加へて、花麗なる社となれり。二季の神事、彼尾崎より御供米を献ず。此家古より一血道統して今も猶栄えり。又十一月八日には詣人群をなせり。社の南の畑中に大なる石あり。いつの頃よりか地蔵なりといひならはして、瘧を病むもの祈願するに、必しるしあり。又金山の南にゐもじと呼ぶ畑あり。按ずるにここも亦御修理の鋳物師の住みつらんが字に残りたるなるべし。」
「社記」に書かれていたこととあまり変わりませんね。
図絵もないので、どんな様子だったのかがわからず残念です。
我らがWikipediaには、
○こちら===>>>
↑もう少し詳しいことが書かれています。
「尾崎善光」という人は、どこから勧請したのでしょうね……地理的にはやはり、
○こちら===>>>
↑「南宮大社」、でしょうか。
↑という本では(p126)、
祭神は金山彦命「天目一命」古くは鉄山の杜と云って祠があった。熱田神宮修理鍛冶職尾崎彦四郎の祖先が承和年間(834)屋敷内に勧請したもので、応永年中(1394)大宮司の命によって、一時中瀬に移ったが、社はそのままとして御守りした。一時衰微していたが、近年鍛冶関係の信仰によって復活整備されつつある。」
とありました。
ターミナル駅にもなっている地名の由来にしては、賑わいも往時のようではなく少々寂しい気もしますが、地元の方が守っていかれればそれでよいのでしょう。
都会から隔絶された雰囲気は好ましかったです。