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長野巡礼の旅から間をおかず、どこかに行きたい衝動だったもので、名古屋市のお隣日進市の「白山宮」に。
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地元の氏子の皆さんなのか、何やら集まりがあったようで、ちょっと行きづらい。
「祭神記
白山宮(御鎮座年不詳)
菊理姫命
伊弉冉命
明治四十一年藤枝より合祀
猿投社(大正十一年勧請)
大臼命
明治四十二年藤島より合祀
「白山」といったら、「菊理姫命」です。
「猿投社」の「大臼命」は、「日本武尊」の兄ですね。
「稲倉魂命」は、「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」のことだと思います。
「おいなりさん」のことです。
鳥居の柱に何やら福よかな方がいらっしゃいます。
階段を上っていくと、「祓戸大神」を祀った石碑が。
なぜお社でないのか……謎。
結構登ります。
そして、人の気配……やっぱり近づきにくいなぁ。
「郷社白山神社」の碑。
本殿での参拝ができなかったので、まず本殿右側に隣接する末社の「香良洲神社」から。
「白山宮「香良洲社」略記
祭神 稚日女命(婦人の守護神)
由緒
明治二十年頃、近隣の氏子崇敬者の中に婦人病に悩む人々が多くあり、病気快癒のため、香良洲神社(三重県津市)より御分霊を勧請し覆屋を造営、祭礼を盛大に斎行し、御神慮を和めたことにより、婦人の方々の病が和らいだと伝えられます。以後、遠近より参詣者が絶えず、崇敬される婦人の方々の厚い願いを以て大正七年、香良洲社崇敬講社(「御神楽崇敬講社」)が設置され、祭礼には何万人にも上る参詣者があったと、大正風土記に記載されている。今日では、出産の母子安全や、婦人病快癒を願う人々に広く崇敬され信仰を集めている。」
「香良洲神社」の総社はお隣三重県ですので、愛知県にはたくさん勧請されている、と思います。
こちらは「足王社」。
「白山宮「足王社」略記
祭神 足名椎神
由緒
昔、藤島町には飯田街道裏街道と呼ばれた街道があり、商人や旅人達が道中の足の安全を祈願する足名椎神をお祀りするほこらがあった。
時代の流れと共に街道を行き交う人々も少なくなり、街道隣接(藤島町大根)の山本邸に祀られていたものを終戦前夜に当宮に勧請したのが起源とされる。
平成十三年の境内整備バリアフリー事業に併せて社殿も新しくなり、なでると痛みがとれるという信仰を持つ「痛みとり石」も祀られている。」
おっと、諏訪で「足長神社」にお参りしたばかりなのに、ここにも「足の神様」が。
しかも「足王」です。
いいですねぇ……(何が?)。
御祭神に「稲田姫命」つまり「クシナタヒメ」が祀られているのも、父神である「足名椎神」がいらっしゃるからかと思います(「白山社」と「クシナタヒメ」はあまり関係ないと思いますから)。
↑の「荒脛神社」の項には、
「(略)また、岡山県阿哲郡大佐町の上刑部地方では、足の病を治す神様(荒神様か?)を、特に足王様と呼んでいる。社や祠があるわけではないが、杖に草鞋の片方を結びつけて、道端に立てておくと、誰かが必ず足王様に持って行き、供えてくれると信じられている。」
とあります。
岡山の民間信仰を愛知に持ってくるわけにも行きませんが、もともと「荒覇吐(あらはばき)」という神様は、「長髄彦」や「土蜘蛛」、「八束脛」といった、中央からすれば「まつろわぬ神」、手や足が長い(ように見える)人々のことではないかと考えられています。
出雲土着の神だった(はずの)「手名椎」「足名椎」も同じ系譜からきているのではないか、と考えるのも当然で。
ただし、「足名椎」みたいな神名が、そう簡単に伝わるものとも思えませんので、もともとは「道祖神」だったり、妖怪に近い「手長足長」だったり、岡山の「足王様」みたいな信仰に、誰かが近世「足名椎」という名前をつけたんじゃないでしょうか。
旅をする、というのは、現代でも命がけですから、旅路の安全を祈願する対象があるのは自然なことです。
「交通安全」という意味では、「道祖神」や「猿田彦」、「馬頭観音」がその役を担ったようですが、「足の安全」は「足王様」みたいな方が適任な気がします(呼びやすいし、覚えやすいし)。
廃れていったのは、いつからか人間が、「自分の足で旅をしなくなったから」なんですねぇ……多分。
それにしても、神社もバリアフリーですか……介護2025年問題が懸念される昨今ですから、氏子を保とうと思うとこういった手を打つ必要があるのかもしれません(※現実時間2015年3月ですが、京都「下鴨神社」が式年遷宮の資金不足から、敷地内にマンションを建てるとか……ああせちがらい……)。
「痛みとり石」。
本殿遠景。
「秋葉神社」と、小さい方は「山神社」。
幟の向こう側が「稲荷神社」です。
「白山宮記
(略)
由緒
創立年代は不詳なるも延喜以前に加賀(石川県)白山の御分霊を勧請したと伝えられ近郷無双の古社である。延長五年(927)本部岩崎の本居神に海部郡藤島神社を合祀して藤島藤枝蟹甲と順次氏子が増え五ヶ村の総氏神として人々の崇敬を集めている。
大永三年(1523)本郷城主(天文七年岩崎に移城)丹羽若狭守氏清が始めて祭祀を奉修し爾来、湯立、笹おどり、棒の手、馬の塔(献馬)の神事が氏子によって伝承され「白山の馬まつり」として親しまれた。
四季近郷集を著わした社家小塚甚太夫知隆が天保十二年(1842)猿投社を建立三州猿投神社の御分霊を奉鎮してから近郷十五ヶ村参加の警固祭が始まり小猿投祭(後に郷社祭とも呼ばれた)と呼ばれ盛況を極めたが現今は中絶している。
明治五年郷社に列格同四十年幣錦供進神社に指定された戦後宗教法人となり昭和四十二年より昭和の大造営に着工し御社殿の改築境内の整備等をすすめ御社頭の面目を一新した。
昭和四十四年5級社(旧県社)に昇格社号も「白山宮」となって広大無辺の御神徳は愈々いやちこなるものを拝する。
以上」
「棒の手、馬の塔」というのは、東尾張地区(守山区、名東区、瀬戸、尾張旭、長久手、日進辺り)に伝わる行事です。
○こちら===>>>
景行天皇社・富士社 - べにーのGinger Booker Club
「警固祭」というのも行われていますね。
さすが同じ地域。
拝殿。
拝殿向かって左手の「猿投社」。
急に雲が出たのであれですが、手水舎を撮影したかっただけなのです。
山道の階段をややくだったところに、「ゑびす社」「神明社」「秋葉社」「御嶽社」があります。
百度石など。
「稲荷神社」の前を通っていくと、小さな鳥居がありました。
そこを下っていくと、
「白山宮」のお隣にお寺がありました。
○こちら===>>>
なかなかみない、唐風の仁王門。
公式HPによれば、
「龍谷寺の鐘楼は、第二次世界大戦中に供出してしまい、長い間鐘楼のない時が続きました。
昭和60年に龍谷三十六世成田芳髄大和尚は、山容整備事業を発願し、その一環として鐘楼を整備し、山門を二層にして鐘楼門としました。」
とのことです。
通りで、不思議な形をしていると思いました。
本堂の写真は……撮ってないというか、中には入らなかったような気がします(境内の様子は公式HPで見られます)。
お寺は入りづらいんですよね……法要なんか行われていると特に、お邪魔するのが申し訳ないので。
「龍谷寺」と「白山宮」の間の道です。
「龍谷三十三観世音」。
三十三観音参りが一箇所でできてしまう、というまとめサイト的なあれです。
こちらは「開運七福大善神」。
十二支の像もあります。
これは……幟からして「如意輪観音堂」だったかな……。
「おびんずる様」じゃなさそうだ……。
こちらは「城東西国三十三観世音」と「日本西国坂東秩父百観音」でもあるようです。
もう、よくわかりません。
なかなかのワンダーランド。
「龍谷寺」の公式HPによれば、
「龍谷寺は、開基は、藤原則武と伝えられ、1520年ごろに、三州篠原永沢寺3世心月宋光大和尚が三州の城主・渡辺守綱の助力を得て、伽藍を整備し、開山されました。
現在38世に至るまで約500年にわたり、お釈迦さまの教えを受け継いでいます。
また當寺の36世は、曹洞宗管長として横浜市鶴見にある曹洞宗大本山総持寺の貫首を務めました。」
だそうです。
さて、「白山宮」に戻りまして。
こちら、何と境内に古墳があるそうなんですね。
「白山古墳(白山第一号墳)
直径約14メートルの円墳で、石組みで築かれた横穴式の石室は全長約7メートル、幅約2メートルで入口はラッパ状に開いており、そのまま墳丘の裾を根巻石がめぐる構造となっています。(使用されている石材は、市内岩崎町の御嶽山周辺に見られる変成岩に類似しています。)副葬品は金環、鉄刀、蓋のつまみ部分が誇張された装飾須恵器等が出土し、その須恵器の形態から築造は6世紀代と推定されます。昭和55年に発掘調査が行われ、石室はほとんど崩壊していたため周辺地域に分布する同時代の群集墳を参考に横穴式石室の一部が復元してあり、遺物は岩崎城歴史記念館において展示しています。」
私は古墳の知識が皆無なのでわかりませんが、位置的には、「白山宮」への階段の脇を右手に入っていったところにあります(公式HPに境内図があります/方角としては、南東かな)。
「白山宮」自体がこんもりした山の上にありますので、「ご神体」としての山の麓に古墳を築いた、ということなのでしょうか。
いずれにしろ、神社と古墳が近しい関係にある、ということがなんとなくわかる気がします。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑の292コマに「白山権現社」の記事があります(引用にあたって旧字を改めた箇所あり/判読不能文字は■で置き換える)。
「白山権現社
本郷村にあり。大永三年九月十日丹羽若狭守氏清、はじめて祭祀を修せしより今に退転なく、本郷・岩崎・藤島・藤枝四箇村の生土神として祭事をなせり。」
……図絵もなく、これだけです。
残念。
参拝したとき、ちょうど、
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映画「フルスロットル」が “スポーツの神様”白山宮と 強脚祈願キャンペーンを実施! - NEWS | ぴあ中部版WEB
↑のキャンペーン中でした。
「昨年事故により命を落としたポール・ウォーカーの最後の主演作「フルスロットル」が9月6日(土)に公開決定!
その公開に合わせて“スポーツの神社”の名前で親しまれている愛知県日進市の白山宮とのコラボキャンペーンが実施される。アクション映画と神社がコラボ?と思うかもしれないが、共通点は“強脚”。
壁をよじ登り、ビルからビルへと飛び移りながら突き進む主人公たちと、足腰の神様で有名な「足王社」がお祀りされている白山宮が、“強脚祈願”キャンペーンを行うことになったのだ。
(略)
かたや白山宮は、“スポーツの神様”として親しまれ、県内外からサッカー、箱根駅伝、トライアスロンなどの選手が、強脚祈願や病気平癒の為に参拝に訪れ、(財)日本サッカー協会公認・全日本代表エンブレム守(お守り)の扱いもあるという場所だ。
ダブルの効力を現す(かも!?)この機会に、ぜひとも訪れてみてほしい。」
期間中、『フルスロットル』にちなんだ、特別な御朱印がいただけたのですが。
ええ、私はもらっておりません。
理由は、特にないです。