9/15。
相変わらず下調べせずに旅立つので、「増上寺」を満喫しきれず。
時間もないので、「増上寺」を後にして、お隣の「芝東照宮」へ。
◯こちら===>>>
「御由緒
慶長六年元旦御年六十歳の時、家臣に命じ之を彫刻せしむ 東京都重要文化財指定
御鎮座年月
永世国家を守護し国民の繁栄を祈願せんとの仰せにより元和三年三月に当地に奉安
祭日
例大祭 四月十七日(御逝去日)
月次祭 毎月一日 十七日
社殿
権現造り 昭和四十四年八月完成 鉄筋コンクリート
旧社殿は国宝なりしが戦災により焼失す
公孫樹
寛永十八年三代将軍家光公の手植
昭和五年文部省指定天然記念物
以上」
狛犬。
基部の彫刻が珍しいかと。
参道。
提灯にも当然、葵の御紋。
鉄筋コンクリートなのが残念です。
「芝東照宮鎮座由来記
(創祀沿革)当宮御祭神(御神体)は公の生前自ら駿府城に於いて祭儀をなされた寿像である 元和二年四月十七日公の薨去の際 公より「像を増上寺に鎮座させ永世国家を守護なさん」と仰せられ翌年三月 現在地に社殿(安国殿)が創建された 明治以降 神仏分離令により芝東照宮となった 旧社殿は権現造りで国宝になったが先の戦火で焼失し現社殿は昭和四十四年完成する 公の御神徳による東都を鎮護する代表的なお社です 徳川家康公の思想を御遺訓から学び取ると勤勉 慎重 堪忍 自責 簡素 倹約です 以って世の中の安寧 世界の平和を希求する厭離穢土欣求浄土の御旗に託しているのです
平成六年四月十七日
芝東照宮社務所」
「社殿(安国殿)が創建された」ということで、「増上寺」にある安国殿は戦後の再建ですが、本来の安国殿はこちらにあったわけですね。
しかし、「徳川家康公の思想を御遺訓から学び取ると勤勉 慎重 堪忍 自責 簡素 倹約です」だそうですが、「日光東照宮」や「上野東照宮」、「増上寺」の様子を見ると、「簡素、倹約」というのはあまり受け継がれなかったようで。
遺訓なんてそんなものかもしれませんが。
公孫樹。
昭和十一年の案内板が立っているのがなかなか珍しいかと。
さて。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 江戸名所図会. 巻1
↑の105コマに、旧安国殿の図絵が掲載されているのですが。
その後方、五重塔との間に、「丸山稲荷」というのがありまして。
で、どうやら、この「丸山(円山)」、古墳だったようです。
◯こちら===>>>
……だから下調べをしろと……こんな素敵スポットを見過ごしてしまうとは……。
また上京することもあるでしょうから、そのときの楽しみにとっておきましょうか。
それにしても、検索すると「増上寺」に関しては様々出てくるのですが、「芝東照宮」はあまりなく、国会図書館のライブラリでもせいぜい「昔は安国殿と言った」とか「国宝となった」程度。
「国宝になった」んだから、大きな写真くらい残っていてもいいはずなのに、ネットで検索できないのはどういうことなのか……。
写真撮る前に焼けちゃったんですかね……。
「増上寺」でも思いましたが、こちらの「芝東照宮」にも、非常に熱心に参拝されている方がいらっしゃり、檀家/氏子というのがまだまだしっかり残っているようで、何となくほっとしました。
誰かに「呪い」をかけている、という可能性もありますが。
9月の上京で回れたところは少なかったなぁ……とはいえ、次の目標(「東京十社」制覇)もできたことですし、上京したらぼちぼち巡るとしましょう。
(※御朱印はありません……いただけるんでしょうか?)。