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「復興地蔵尊」なるものが。
関東大震災の後に建立されたもので、このご加護のおかげで、この辺りは東京大空襲の被害をあまりうけなかったのではないか、と。
向って左のお地蔵様は、戦後に突如出現されたそうです。
自然災害は非常に身近にある国なのだ、ということをきちんと思い出さないといけないですね。
で、このお地蔵様にも関わったのが、「心城院」。
◯こちら===>>>
「湯島聖天」とも呼ばれているようです。
当然手水鉢には大根が。
「湯島聖天 天台宗心城院
当山はもと宝珠院弁財天と称され、湯島天満宮の境内にありました。湯島天満宮は菅原道真公を祭神としていますが、道真公はとくに聖天(大聖歓喜天)の信仰が篤く、ために「天満大自在天」ともいわれました。
ときに元禄七年(※1694)、湯島天神の別当職にあった天台宗喜見院三世の宥海上人が、道真公と因縁浅からざる大聖歓喜天を奉安し開かれたのが当山のはじめで、この本尊は比叡山から勧請した慈覚大師作と伝えられています。
以来当山は湯島の聖天さまとして熱心な信者の参詣があり、紀国屋文左衛門も当山に帰依された一人でありました。
享保のころ幕府の財政事情で、幕府が扶助してきた神社仏閣への支出を削減しようと富くじを発行しました。江戸では谷中感応寺、目黒滝泉寺とならび、湯島喜見院が公認で富くじが行なわれ、江戸の「三宮」といわれ、後に江戸各所で行なわれるようになりました。
当寺の喜見院は相当の境域があった様ですが、明治維新の神仏分離、廃物の嵐で応時の様相は一変し、寺名も心城院と改められ、今日に至っています。
当山は開基以来幾度となく発生した江戸の大火・大正大震災や空襲の戦災にも遭うことなくきましたが、堂宇は近年に改修されました。
さて当山は、江戸名水の一つ『柳の井戸』があることから柳井堂と称されこれについて徳川時代の文献には次のようにあります。
柳の井(江戸砂子 御府内備考)
この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪もはらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり。
この名水により大震災の時、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守ったため、当寺の東京市長から感謝状を受けました。
また境内の弁財天放生池は、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、いまも「亀の子寺」として親しまれ、三百年の昔から信仰の篤い参詣者が絶えません。」
「道真公はとくに聖天(大聖歓喜天)の信仰が篤く、ために「天満大自在天」ともいわれました。」なんて、初めて知りました(をい)。
ただ「大聖歓喜天」を信仰していたから「天満大自在天」になった、というつながりが今ひとつ。
普通に考えれば「大自在天」から引っ張ってきたんじゃないかな、と。
「大自在天」はシヴァ神で、「大聖歓喜天」の親ですから、何か関係はありそうですが。
勉強が足りないな……。
「谷中感応寺」「目黒滝泉寺」「が富くじの「三宮」と呼ばれていた、と。
多分、テストに出ます(何の?<江戸検定とか?)。
三つ集まったら、「さて、あと一つは何でしょう?」的なクイズがすぐにできそうですね。
「柳の井(江戸砂子 御府内備考)
この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪もはらはらほぐれ、垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけづると云う心にて、柳の井と名付けたり。」
↑『江戸砂子』から引用していただいて、ありがたい話です(調べるのが結構大変で……)。
「柳の井」はいいのですが、「湯島喜見院」の記事はなかったのでしょうか……。
「湯島天神境内に避難した多数の罹災者の唯一の水として生命を守った」……宗教(というか為政者ですか、「お上」ですね)は、ライフラインを抑えにいくものです。
例えば耕作地を抑えても、代替地があったらあまり効果がないので、「水源」を抑えにいくんですね。
あるいは、「鉱脈」なんかですが(他の場所では採掘できないので)。
全国に「杖立伝説」なんかがあります。
「◯◯大師が杖を立てた(独鈷を投げた)ら泉が沸いた(樹が立つ場合もあります)」的な奴です。
多分これは、「水源(井戸)」を仏教が抑えたことを寓意です。
抑えた、という言い方が悪いんですが、「開発」した、と。
多くは庶民に開放されるのでしょうが、いざというときには抑えられるようにしているんです。
もちろん、妄想ですが。
宗教の持つ、救民的な役割を考えれば、当たり前ではないかと(そういうときに頼りにならないと、信仰が薄れますから)。
さて、
◯こちら===>>>
や、
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 〔江戸切絵図〕. 本郷湯島絵図
↑で、江戸期の地図を見ることができます(どの年代のか、私では判断できませんが、後者は1800年代中期〜のようです)。
「湯島天神」を探してみたのですが、「不忍池」からやたら近いんですね。
これだけ近ければ、「寛永寺」の末寺が別当になるわな、という感じです。
そうか……文献だけでなく、古地図を見なければいけないのか……(ぶるぶる)。
『名所図会』をよく引用するのは、廃仏毀釈前の姿が知りたいだけだったりします。
「大聖歓喜天」をお祀りしたところには、
◯こちら===>>>
「袋町お聖天」 - べにーのGinger Booker Club
「待乳山聖天」(浅草名所七福神) - べにーのGinger Booker Club
↑と出かけております。
何となく、惹かれます(異形だからでしょうかね)。
ほとんど秘仏なので、拝観することは難しいんですが。
放生池には今も亀さんがいらっしゃいます。
「夫婦和合」の御利益があるお寺に「亀」というのも……。
「湯島天満宮」には何度か訪れているのに、こちらを参拝しようとは思わなかったのは何故なんでしょう……その頃はまだまだだった、ということで(何が?)。