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神社仏閣ラブ(弛め)

「開山堂」(両大師)

8/4。

「上野東照宮」の参拝を終えて、次に向かうのは「開山堂」(両大師)

 

◯こちら===>>>


寛永寺の諸堂 | 東叡山 寛永寺 公式ホームページ

 

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この右の方に、

 

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門があります。

 

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字が小さい……(引用にあたって漢数字をあらためた箇所あり)。

 

「両大師略縁起

このお堂には、慈恵大師(良源大僧正)と慈眼大師天海大僧正)をお祭している

一 慈恵大師小史

慈恵大師(良源大僧正・912-985)は学徳行業が秀でて当時の仏教界に大師と肩を並べる僧はなく特にその学識は後世比叡山から輩出した鎌倉仏教の各祖師に強く影響したので比叡山中興の祖を称する 大師のすぐれた学識を示したものに仏教史上で有名な応和問答がある これは応和三年(963)に村上天皇法華経書写の供養のために宮中の清涼殿で開かれた法華論議(法華経討論会)で大師は奈良仏教の巨匠といわれた法蔵を論破した 法蔵は大師を評して釈尊の弟子の富楼那尊者のように雄弁家である とうてい自分の及ぶところではないと述べている これについて大師の弟子恵心僧都(942-1017)の著述によると大師の雄弁は仏教論理学に基礎を置く大師独特の新発明のもので論理学の本家であるなら仏教の学者がいっこうにお呼びもつかなかったものであるとのべてある しかもこの恵心僧都の書かかれた書物(四相遺略註釈)は当時の支那(中国)に送られて仏教論理学者をおどろかせたという伝説がある位である 大師はその優れた学徳によって村上・一条・円融の三天皇の特別な御帰依があって慈恵大師の諡号を賜わったが宮中に参内しては密教の霊験をしばしばあらわされたのである その霊験とは 天元四年(981)八月円融天皇が御病気になられたとき大師が参内すると忽ち平癒したとの伝記にあり また宮中で大師が護摩供を修すると大師が不動明王と同じ姿になったと伝えられる そのほか大師が疫病神を降伏して自ら夜叉の姿になったということから今日でもその御影像を写して厄除角大師と申して尊崇しおまつりしているのである そのほか大師の厄難清除・福願与時の御利益は数多く伝えられているが中でも大師の威力を現わしたことは天海大僧正が三代将軍家光公の靖によって世嗣安産を祈願するにあたって天海大僧正は民部法眼筆の慈恵大師御影像を寛永寺にまつって大師の霊験を祈祷したところその効験があって後に四代将軍となった家綱公が誕生したのである それより将軍家の信仰を得たばかりでなく江戸市民もこれを聞きつたえて子授け大師とよび信仰するようになった

永観三年(985)正月に入寂されたので元三大師と申して今日でも大師えの信仰は東叡山をその発祥地として広く関東一円に行われている」

 

富楼那尊者」(ふるなそんじゃ)は、仏陀十大弟子の一人で、「プールナ」のことです。

 

仏教経典の世界 総解説 (総解説シリーズ)

仏教経典の世界 総解説 (総解説シリーズ)

 

 

仏教系の本を探したら手元に↑しかないので、そこから引用しますと、

 

「弁舌がきわめて巧みであったため説法第一と称せられた。釈尊と生年月日を同じくすると伝えられる。ひとりヒマラヤ山中で修行を積むが、のち釈尊に帰依。晩年、釈尊の許しを得て西方の国へ伝道におもむき、多くの者を仏門に導く。当地で師に先立って逝去。」

 

とのことです。

仏教の深いところまで踏み込むのは大変なので……。

 

 

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「二 慈眼大師小史

天海大僧正(1535-1645)は寛永寺山東叡日光両輪王寺の開基であり、神儒仏の三教にわたってその神髄を会得された高僧である

大僧正は天正十八年(1590)徳川家康公と相識り江戸幕府が開かれるや仏教による平和政治を献言し治国平天下の祈願寺として、また源平以来の戦乱犠牲者の冥福を追善する東叡山寛永寺を勅許により寛永二年(1625)に創建して開基となった この寺名は天台宗伝教大師比叡山を開いて延暦寺を建て国家鎮護の道場とされたことにならわれたので関東の比叡山という意味である

また大僧正は将軍が江戸に住み政治の中心となったと同じく東叡山を宗教の中心地として永く太平の基礎と確立するため正保四年(1647)後水尾天皇第三皇子尊敬法親王(後の守澄と改名)を勅許によってお迎えして輪王寺門主と申しあげ、法親王天台宗管領して比叡東叡日光の三山を統轄せられることとした 戊辰の役(1868)は第十三世輪王寺宮公現法親王(後の北白川能久親王)のときである

これより先、大僧正は元和二年(1616)四月十七日の家康公の死にあい、遺命で葬儀の導師を勤めたが翌三年家康公に山王一実神道による東照大権現の神号を賜わり日光に東照宮を建てて奉祀した 日光山の今日あることは大僧正の偉業の一つである

その他大僧正の遺業として特筆されるものに織田信長公によって焼土となった比叡山諸堂宇の再興があり、また天海版といって珍重される大蔵経の開版がある なかでもこの上野に桜樹を吉野山から移植されたことや不忍池を蓮の名所としたことは吾人の忘れてはならないことである

大僧正は百八歳の長寿を保って寛永二十年(1643)十月二日東叡山で遷化されたのでその御遺徳を追慕して翌正保元年に慈眼堂が建てられ、また大僧正が生前とくに「われなきあとは慈恵大師の御影と共に天下をまもり万人に利益を授けん」と語られた因縁により慈恵大師を併せておまつりし日々不退に御供養することは変わらない 慶安元年(1648)後光明天皇から慈眼大師諡号を宣下された

大僧正作の左の歌にあやかりたいものである

気は長く つとめは堅く 色うすく 食はそうして 心ひろかれ

長命は 粗食 正直 白湯 陀羅尼 おりおりご下風あそばさるべし

誠心もって両大師の御前にぬかずかれ 無限の福徳を得られんことを

付記

いま社寺で行なわれているみくじは慈恵大師の創作をもととし前述のように慈眼大師が慈恵大師を尊信して夢中に得たものと御伝記にある」

 

というわけで、「開山堂」が別名「両大師」と呼ばれている由縁です。

慈眼大師」が「南光坊天海」で、「慈恵大師」はそれよりはるか昔の高僧です。

「元三大師」とも呼ばれますが、何より有名なのは、

 

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↑の「厄除角大師」でしょうか。

 

「〜厄除角大師縁起〜

両大師堂におまつりしている慈恵大師(第十八代天台座主良源大僧正)は、元三大師ともいわれ、厄除のお大師様として古来よりその霊験が謳われております。

平安の昔、京に疫病が流行った時の事。ある風雨が鳴り止まぬ夜、疫病神が慈恵大師の前に現れ「お前も罹らねばならぬ」と小指にとりつきました。大師はたちまち発熱しましたが少しも驚かず禅定に入って心を整え、おもむろに小指を弾きました。すると疫病神が転がり出て熱も下がりました。

早速大師はその時の姿を弟子に写させ、版木に彫り「お札」を刷らせました。そしてこのお札を家々の戸口に貼ると、その家の者は疫病に罹らず、また罹っていた者はすぐに快方に向ったのです。

このお札の大師のお姿は何と角の長い魔物のかたちをしておりました。以来このお札は角大師と呼ばれ、厄除大師として広く信仰を集めています。」

 

思想的には、蘇民将来伝説に近いものがあります。

強い「邪」には、同じように強い「邪」を以て抗する、という発想ですね。

一神教の元ではなかなかないでしょうが、アニミズム的な世界観ではよくある話です(キリスト教で近いものといえば、ガーゴイルでしょうか)。

見方を変えると、「予防接種」のようにも思えます。

というのはともかく、この「角大師」様の意匠が、何となく不思議で可愛らしいので、好きなんです。

ええ不謹慎。

 

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本堂。

 

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燈籠。

 

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阿弥陀堂

 

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「祈武運」の碑。

 

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ひっそりお地蔵様。

 

さて、

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 江戸名所図会. 第3

 

↑の129コマに「開山堂」の記事があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き換える)。

 

「開山堂 屏風坂の上にあり。開山慈眼大師の影堂なり。世俗慈眼堂といへり。毎年十二月二日、座主法親王御導師として御本坊より輦輿にてここにわたらせらる。一山の僧徒出仕、法華八講執行あり。」

 

この時期はまだ「両大師」ではなかったようです。

 

先ほども書きましたが、仏教に深く立ち入るのは難しいです。

知識がない、というだけなんですが(『仏教大辞典』とかがほしいです)。

何しろ、インド→大陸と経て到着しているので、文字としての情報量が膨大です。

経典、教義に関してはもちろんなんですが、歴史に関しても……。

さらっとした引用程度ならできても、歴史の上でいろいろと突っ込むことはできても。

仏教自体に突っ込もうと思うと……無理無理。

ですので、もっぱら私の仏教興味は、「キャラ先行」です。

天竜八部衆」とかね。

罰当たり?

 

 

相手は悟りを得た方ですから、そうそう怒ったりしないでしょう。

 

 

……「悟り」の意味さえ知らないのに、不謹慎なことを……。

 

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次回でひとまず、「上野恩賜公園」散策は終了です。