さて。
何しろ「熱田神宮」、日本に数少ない「神宮」号を有する大神社です。
一筋縄ではまいりません。
それでも、いろいろと妄想してみよう、ということで。
↑こちらの本に載っていたある地図を、再現してみました。
現代の地図に、古代の海岸線を重ねてみたもの、だとお考えください。
水色部分が、当時の海です。
そこに、「氷上姉子神社」と「熱田神宮」の現在地をポイントしてみました。
◯こちら===>>>
「氷上姉子神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑前回の記事で、
「館の灯りは、海からの目印になったのではないか」
というのを紹介しました(実は、今回紹介した書籍からの引用です)。
今の「氷上姉子神社」は、海岸線からはかなり離れていますが。
かつて、まだ宮簀媛命の居館だった頃には、海岸線からわずかな距離だと分かると思います。だから、上のような表現がされているんですね。
そして、「熱田神宮」ですが、こちらも海のごく近くにありました。
また、
◯こちら===>>>
「萱津神社」 - べにーのGinger Booker Club
「萱津神社」(補) - べにーのGinger Booker Club
↑で紹介した「萱津神社」の凡その位置もポイントしてみました。
「阿波手の杜」と呼ばれた由来は、「伊吹山から戻ったミコトが、使いの物に宮簀媛命を呼びにやらせたが、媛命が来てみると既にミコトは旅立ったあとだった。それで、『不遇(あわで)の杜』と呼ぶようになった」ということでした。
こちらもやはり、海に近かったのですね。
恐らく、だからこそ、「塩漬け」にできたんだと思います。
製塩方法が確率していなかったとはいえ、山奥で塩を得るよりは、海岸の方が容易いでしょうから。
それにしても、この伝承も、「ヤマトタケル殺人事件(仮)」として考えると、怪しいですね。
例えば、ミコトが既に伊吹山で殺害されていたとしたら、こんなところで会えるはずがないわけで。
それを、敢えて「阿波手の杜」と言ってみたり、「自分たちは会えなかったから」といって「連理の榊」を植えてみたり。
アリバイ工作っぽい。
信じるか信じないかは……いえいえ、信じないでくださいね。
さて、「熱田神宮」が、海の近くに建てられた理由なんですが……。
わかりません。
勉強が足りないので。
だから、『不定期「熱田考」』というカテゴリーにしてみました。
そう考えると、神社仏閣巡りだけでなく、「熱田神宮」縁の史跡なんかも巡らないといけないですね。
あとは……図書館でもうちょっと勉強しようっと。