(※20180515訂正※)
5/17。
週末にいつも神社仏閣巡りをするのは、さすがになかなかしんどいです。
近所なら、ちょっとした散歩をかねて行けるのですが。
近所だけになかなか行かない、というパターンも。
今回は、「山田天満宮」。
◯こちら===>>>
駐車場脇の鳥居。
「「社伝」によれば、尾張の二代藩主徳川光友が寛文十二年(1672)藩の学問祈願所並びに名古屋城鬼門の守護神として菅原道真公を祀り、社殿を創建したという。
光友は、貞享二年(1685)の熱田神宮造営をはじめとして、諸寺の建立、諸社の再興・修造を行うなど宗教を重んじた。
昭和58年、同区山田町四丁目地内にあった金神社(大将の宮)を合祀した。」
「厄災守護神「きもんさん」
当宮は、寛文十二年尾張藩主徳川光友が名古屋城より北東(鬼門)の<現在の名古屋市>玄関口として、一切の厄災を除く八方災難除け祈願宮としてもお祀りされ、「地相・家相・方位除け・鬼門封じ」とおして、極めて御神徳が厚い御社です。
尚、当宮では、一切の災難除け、鬼門封じの守護神として「きもんさん」を授与しております。
「きもんさん」はご自宅・店舗・会社等の表鬼門(北東角)裏鬼門(南西角)にお祀りください。」
鬼門封じ、といえば、京都や江戸ではもっぱら日枝神社系の負うところが大きかったと思うのですが。
あえて菅原道真公を持ち出してきたのは、日本最有名な怨霊であることと、
山田といいながらそれほど山じゃないから
かも知れませんね。
日枝神社系は、一応、山じゃないとね。
黒べこさん(?)。
手水舎。
鳥居、そして蕃塀。
よく考えてみると、確かに直接拝殿等を見られないですね。
畏怖。
そして、
怨霊返し
として機能しているのでしょう(高田崇史理論)。
何故、似た構図の写真が二枚あるのかは謎。
名古屋でも北区ははずれのほうで、ひっそりたたずむ感じです。
蕃塀後ろの参道は……あれ、まっすぐですね。
一瞬、
に見えました。
◯こちら===>>>
愛・地球博記念公園(モリコロパーク) | 公園で遊ぼう!愛・地球博跡地に開設された愛知県最大級の大型公園です
森に帰ってからついぞ見なくなったと思ったらこんなところに……。
いや、それよりは、木の下にある「筆塚」を写真に撮りたかったらしいです。
他の参拝者さんにまるかぶり。
またえらく天気がよかったので……。
こうして見ると、なかなか勇壮な拝殿です。
やや遠景。
天満宮なので、もちろん「牛」さんがいらっしゃいます。
この、提灯を下げているものは何という名前なんでしょうか。
ときどき見かけます。
鳥居じゃないですし。
本殿。
典型的な流造……だと思います。
「方向祈願牛」。
八方除けですから、中の牛さんと菅公はまわります。
同じ敷地内にある「金(こがね)神社」。
神社で戴いた由緒書によると、
「延享三年(1746)「庶民」の福徳円満、商売繁昌、金運招福、街道往来(現在の国道19号線)の御神徳と御加護を願って奉祀されました。
また、御神徳は金明神を信仰する人々が持っている財宝を金明神の御神水にて洗い清めると一切の不浄と禍事が取り除かれ、これによって神明の感応を得て、福徳福銭の御利益を授かると云われています。」
とのことです。
ご祭神は、
です。
「恵比須」「大黒」は福の神、「金山彦神」は冶金鍛冶の神、ですのでわかりますが、「岐神」って?
「くなどのかみ」あるいは「ふなどのかみ」と読みまして、記紀神話によれば、黄泉の国から逃げ帰るイザナギを追いかけてきた、黄泉醜女と化したイザナミ(あるいは、その体に生じた八雷神)を食い止めるために投げつけたものの一つ、「杖」が成った神とされています。
「杖」は、根のある木、ということで、イメージとしては、
雷が落ちる木
→人に落ちないので、結果助かる/でも本当は近くにいると超危ないんだけど
→神様〜
ではないかと思います。
避雷針みたいなものでしょうか。
「くなど」というのは、「来(る)な」ということで、塞の神(道祖神)にもなりまして。
つまり、「道の神」=街道往来の無事を祈る、というわけです。
また、銭だの金だのという神様が祀られ始める時代は、日本に貨幣経済が浸透しつつある頃、だと考えてもいいでしょう。
「金山彦神」は、金属製品の神から、「銭の神」になっちゃったのです。
おっと脱線。
というわけで、「銭洗い」の場。
そういえば、「小豆洗え〜」とか「足洗え〜」とか、そんな妖怪はいるのに(いるのか?)、
「銭を洗え〜」
という妖怪はいませんね。
ま、元々「銭を洗う」行為自体が、日常的ではなく呪術的だからなんでしょうけれども。
「金神社」の横にひっそりとあるのが、「御嶽神社」です。
由緒書きより、
「山田天満宮神域に御鎮座する御嶽神社は、悪い縁をたち切り、良い縁に結ばれると云われています。縁とは、恋愛に限らずいろいろなつながり、人生すべてにおける出来事を表します。
人が生まれながらにしてもっている、ご自身の定まった本命星(九星)の上に立って、願いが叶うようにお参り下さい。神様の御神徳により、ご自分の本命星(九星)がよりよい運気となり開運の道に導かれますでしょう。」
とのこと。
これか。
側にある「よりそい石」も縁に関するもので、撫でることができます。
「御嶽信仰」に「良縁結び・悪縁切り」の御神徳があったとは知りませんんでした(といっても、「御嶽信仰」の勉強はまだしていないので、よくわかってませんが)。
「こがね稲荷大明神」。
「クスノキの切り株から仏像が」出たのだそうです。
あえて置いたのか、置いておいたら忘れられて楠に取り込まれたのか。
いずれにしろなかなかな奇瑞ですが。
なんだよ「平成の竹取物語」って。
竹じゃないじゃん。
「近江の修験道場」でお祀りされていたのが、「修験者が生涯の修行の旅」に出ることになり、残される「童女神」をどうしようかと心配していたら、「夢枕に雷雲とともに老人が立ち(菅公?)」、東の方に人形供養で人の集まるところがある、と云われて遷した、と。
元の修験道場とやらを検索してみましたが、とりあえずはヒットせず。
社伝でも詳しく調べる必要があるかもです。
「八大龍神社」。
「八大龍神」自体は仏法の守護神なはずなんですが、社に祀られることが多い気がします。
「龍神」=「蛇神」=「水神」=「川神」=「雷神」……ですから、まぁいいんでしょうか。
確かに、あまり本尊としている寺、というのは聞きませんね。
がんばって天部くらいにはならないといけないというわけですか。
さて。
「山田天満宮」の方は、『尾張名所図会』に掲載されていないようで。
何故でしょ。
「金神社」の方は、
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会
↑の120コマにあります。
「上水野村の内、小金山にありて、今白山と称す。[延喜神名式]に金神社、[本国帳]に従三位金天神と見えたる官社にて、此神の鎮座ある故に、山も小金と呼び初めしなり。祭神は[旧事紀]の天孫本紀に見えたる天香語山命十五世の孫尾張金連なるべし。」
……ん?
今とはだいぶ違っているようですが……。
「天香語山命」というのは、「天香山命」のことで、確かに尾張氏の祖神です。
最近、新潟とこの地方がどうのこうの、という記事を書いたような……。
忘れました。
ちなみに、「名古屋三大天神」の一つであり(他は桜天満宮、上野天満宮)、「恋の三社巡り」の一つでもあるそうです(他は城山天満宮、高牟神社)。
何気に全部まわっていますな。
何も起こりませんが。