さて。
いただいたパンフレットによれば、
「貞享三年(1686)、高野山などで修行を重ねた天瑞圓照和尚が俗世から離れた八事の地に惹かれ、草庵を結んだのが始まり」とさてれおり。
「尾張徳川家二代目光友公の帰依を受け、尾張徳川家祈願所として、真言密教の道場として、諸堂の建立を許可され」たのが「貞享五年(1688)」。
「八事山遍照院興正律寺」の号を賜ったそうです。
思っていたよりも新しいですが、かつては「尾張高野」と言われたほどの大寺院です。
それがお家騒動とは……。
と思いましたが、天台宗も山門派と寺門派でお家騒動をやっておりますし。
組織にはお家騒動がつきものですから。
前世の悪業のせいですかねぇ……。
パンフレットには他にも、「興正寺の七不思議」が書かれています。
「姿見の阿伽井戸」……はっきり姿が映るときは元気なとき。
・年を取って目が悪くなると、見てなくなるだけかも。
「金属音のする九品仏」……石の仏様なのに叩くと金属音がする。
・最初に叩いて確かめたやつは罰当たり。
「宝塔の干支廻り」……自分が生まれた干支の上に腰掛けて祈願すると無病息災。
・写真を撮るのさえスルーした……。
「大日如来の御利益」……鎮座したことで、近隣に疫病が出なくなった。
「大日如来の乳首がない」……尾張二代藩主光友が、生母を弔うために建立したが、女性とわからなくするために乳首をなくした。
・女人禁制の東山に鎮座しているからでしょうか。
「潮の干満の石碑」……参道入り口横の石碑の底は熱田の海につながっているという言い伝えあり。石碑の裏の穴に手を入れると、水に触れる。
・一時、「ドデスカ!」(メーテレというテレビ朝日系在名放送局の、朝の情報番組)で、埋蔵金だのやっていた気がします。
「境内八町四面落雷無し」……創建以来、周辺には落雷がないそうです。
……微妙、というのが正直な感想です。
さて、日本の仏教史の勉強なんぞほったらかしの私ですが。
真言宗の宗派について、ざっと書き出してみたいと思います(かっこ内は本山)。
・真言宗智山派(智積院)
・真言宗山階派(勧修寺)
・真言宗泉湧寺派(泉湧寺)
……ね、多いでしょ?
もう何のことだか……。
wikipedeiaを見ていただければ、「別格本山」がまたあちこちにね……。
分派したのは近代以降(明治〜)が多いようです(ま、大抵の時代、寺院は国家の支配下にありましたからな)。
いずれ、もうちょっと、日本の仏教の勉強もしないとね……。
「仏教検定」とかが既にあるのでしょうか?
あったら、「神社検定」に比べれば、その難易度たるや……そもそもお経が覚えられませんから。