さて。
『QED 伊勢の曙光』でも取り上げられており、実際に参拝してみてあらためて「ん?」と思ったことがありました。
(12)何故、本殿正面に蕃塀が建てられているのか。
番号は、前回の記事で私が振ったものです(作中で、伊勢神宮の謎として並べられているものに通し番号を振りました)。
それに加えて、「正宮の周囲が五重(外宮は四重)もの玉垣で囲われている」ことに、結構な違和感を覚えます。
「ずいぶんがっつり固めたなぁ」
という印象。
古来、神宮がどのような姿だったかはよくわかっていません(図が残っていない)。
ちゃんとした文献にあたっていませんが、現代の社殿配置図を見ると、一番外側の板垣のそれぞれの門の前に、「蕃塀」が置かれています。
『伊勢神宮と天皇の謎』という本によれば、現代の社殿配置は、明治になって再構築された「古代」の様相だ、ということがわかります。
中世には、現代とは異なる社殿配置がされており、玉垣も何重だったのかがよくわかりません。
『伊勢参詣曼荼羅』や『伊勢参宮名所図会』、『伊勢両社宮図』といった中世から江戸期にかけて描かれた様々な図像が、これまた様々な本で見ることができるようです。
それらを見ても、何がどこまで正しいのやら。
◯こちら===>>>
「蕃塀」に関する検索をすると引っかかる上記HPでは、「『皇大神宮儀式帳』と『斗由気宮儀式帳』(という、両宮の神職によって提出された報告書)によると、内宮・外宮のどちらにも、蕃垣があった」と紹介されています。
◯こちら===>>>
http://www.isejingu.or.jp/naiku_1.html
↑は、「伊勢神宮」公式HPにある、「皇大神宮御垣内平面図」です。
「瑞垣南御門」と、「内玉垣南御門」の間に、「蕃垣御門」というものが描かれています。
その「蕃垣御門」を囲んでいる部分が恐らく「蕃垣」です(当たり前か)。
◯こちら===>>>
http://www.isejingu.or.jp/geku_1.html
↑は同じく「豊受大神宮御垣内平面図」。
「蕃垣御門」はあるのですが、その周囲を囲う「蕃垣」がありません。
『伊勢神宮と天皇の謎』の中では、明治時代に様式が復古された際に、「内宮と外宮に差を設けるように」したそうで、その一つが「蕃垣」の存在なのではないでしょうか。
◯こちら===>>>
http://www.isesyoyu.co.jp/jinguu/QA/
↑では、「伊勢神宮」の内宮と外宮の様式上の違いについてまとめられています。
ざっとまとめると、「元々は、内宮、外宮ともに「蕃垣」というものがあった。それがその後どうなったのかわからないが、明治に様式を古代に戻すという作業の中で、内宮と外宮に差を付けるために、「蕃垣」の有無が生じた。一方、「蕃塀」の有無についてはよくわからない」といったところでしょうか。
明治の復古の際の、社殿配置図案には、内宮・外宮ともに、四方の板垣門の前にはしっかりと「蕃塀」が描かれています(『伊勢神宮と天皇の謎』)。
ここから妄想なのですが、「蕃塀」の起源が「蕃垣」だったとして、それが何のために設けられたものなのか。
建築上必要なものとは思えないので、信仰上のものなのでしょう。
「高田崇史式怨霊の見分け方」によると、「参道が直角に曲っていると、怨霊が祀られている可能性が高い」というものがあります。
何故なのかというと、
「怨霊は直進しかできない」
という考え方があるからですね。
つまり、参道を直角に曲げることで、本殿からまっすぐに進み出た怨霊は、曲った道に反射して本殿に戻らざるを得ない。
これと似たような効果が、「蕃塀」にもあるのではないでしょうか。
本殿から出ていこうとする怨霊を、「蕃塀」で跳ね返して、本殿にお戻りいただく。
「蕃塀」は、「塞の神」なのですな。
何でそうなのか、といいますと、
これは、外宮の写真ですが、↑この、鳥居と「蕃塀」の距離を見てください。
左端に写っているのが「蕃塀」ですが、この左側は、すぐに「池」です。
どう考えたって、「参拝者が、直接正宮を見るのを防ぐため」ではないでしょう。
そんなことしようと思ったら、わざわざ「蕃塀」の裏に回らないといけません。
するとやはり、神宮に祀られているのは怨霊なのでしょうか。
あ、ちなみに、他の神社にある「蕃塀」はどんな具合かといいますと、
(高牟神社)
(津島神社)
(上野天満宮)
位置関係を考えていただきますとですね、大体が「鳥居をくぐった先」にあるんですね「蕃塀」。
で、「鳥居」→「蕃塀」→「拝殿・本殿」、と参拝者の移動に干渉するように建てられています。
外宮の「蕃塀」との位置関係とまるで違うことがわかります。
内宮の、「正宮」の正面の「蕃塀」も、その向こう側は「川」です。
ん?
待てよ?
ということは、本来の正しい参拝経路というのは、
「蕃塀」の前に出る→つまり、「川(池)」から上がる
というものなのではないでしょうか?
我々は、歩いて参拝するわけですが、ひょっとすると「水上を船で移動し、そして「蕃塀」の前に上陸する」のが正しいのかも……?
……わかんにゃい。
というわけで、謎を解いたようで解いたことにならなかった、妄想「蕃塀」編でした〜。