11/16。
思いのほか天気がよかったので、一つ決意をして旅立ちました。
東名阪自動車道は渋滞がわかっていたので、四日市手前で降りて、下道で津辺りまで。
そこから伊勢自動車道に乗りまして、一旦伊勢で降りて、伊勢志摩スカイラインで鳥羽へ。
そこからさらに走りまして、到着したのは「伊雑宮(いざわのみや)」。
こちら===>>>
「伊雑宮は、皇大神宮の別宮のひとつであり、昔、大神の遥宮(とおのみや)」とも云われ、志摩の国の大社として有名である。
お田植まつりは磯部の人々の奉仕により毎年六月廿四日に行われていて、文化財として全国に名高い」
遷宮本番であるのに、何故か「神宮」はスルーしての「伊雑宮」。
休日の「神宮」は混んでいて、多分大変だろう、と思ったからでした。
「神宮」と同じく、唯一神明造のシンプルな本殿。
御祭神は、「天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)」。
もちろんといいますか、こちらでも遷宮が行われますので、このように御敷地があります。
幹線道路から引っ込んだ、ひっそりとした場所にたたずんでおられ、非常に静謐としておりました。
素敵スポット。
敷地自体も広くはありませんが、緑に囲まれ、「ああ、神社だ」と思わせる風景です。
蕃塀つきの……なんでしょうかこれ。
庫か。
社務所前のご神木。
駐車場の裏にある、御神田、と思われます。
神事である「御田植式」は、重要無形民俗文化財に指定されているそうで、細かい様子などはどこかで検索していただきたいのですが。
「香取神宮」、「住吉大社」と並ぶ三大御田植祭り、ということは、かなりの由緒あるものなのでしょう。
そしておそらく、収穫の祭り、ではなく田植えの祭り、というのがポイントですね。
収穫の祭りは「新嘗祭」です。
農家や田んぼが減少し、本来、穀霊を迎え入れるための重要な田植えのお祭りが失われながらも、その年の収穫には感謝する祭りは残っている。
そんなところに、日本の食糧事情の皮肉を感じたりします。
適当です。
参拝のしおりによれば、「神宮」を今の地にお定めになった「倭姫命(やまとひめのみこと)」が、「御贄地(おにえどころ)」を定めるため、あちこち巡っていると、「伊佐波登美命(いざわとみのみこと)」がやってきて、当宮を創建されたそうです。
「御贄地」というのは、「神宮」の御祭神に捧げる食物を採るところです。
もちろん、ここだけではありません(あちこちにあります)。
さて、変な感じがしますね。
「御贄地」に、「神宮」の御祭神である「天照坐皇大御神御魂」をお祀りする理由は何なのでしょう。
同じ神を祀っては、「御贄地」の「御贄地」たるアイデンティティがなくなる気がします。
本来は、「伊佐波登美命」に仮託された、在地の実力者がいたのではないでしょうか。
それが、「倭姫命」に代表される、王権勢力に支配された。
穀倉地帯を支配しようとするのは、権力者なら当然ですから。
で、パターン通りに怨念渦巻く土地となった当地に、強力な神をおいて封印する、と。
「伊佐波登美命」という神が、どの文献に出てくるのかまではわかりませんが。
他の伝承では、この地に「倭姫命」を案内したのは、どうやら「鮫(古語ならワニでしょうか)」だったようです。
「鮫」は、竜宮の使い、海の神の使いです。
穀物だけでなく、海の幸も豊かな土地、ということなのでしょう。
「伊佐波登美命」という名前、前半は読み方によっては「イザナミ」と読めてしまいます(何か意味があるのか)。
後半に「登美」という字が使われているのも、何やら意味があるのかも。
記紀神話で「登美」といったら、
ですから(独断)。
もっとも、この「登美」は地名か、「富」のことだとは思いますので、関係があるかないかはわかりません。
そんな妄想もできてしまう、古代史の素敵なところです。
さて、実は近くに、「佐美長神社(さみながじんじゃ)」という所管社があるのですが。
車で近くまで行ってみて、路駐できないようなところだったので断念しました……。
残念。
おまけ。
「伊雑宮」から鳥羽に戻る途中で、発見したので立ち寄った神社がありました。
「九鬼岩倉神社」。
こちら参照===>>>
「田城々跡
織田信長の水軍大将として勇名を馳せた九鬼嘉隆の祖父・泰隆が天文10年(1541)にこの城に拠り、伊勢国司北畠氏のために尽くし、二見七郷を与えられたという。
その以前は、田城左馬之助が築いたとも伝えられる。
天正10年(1582)に至り、九鬼嘉隆が兄浄隆の子澄隆を暗殺し、その後この城は廃せられたと云われる。
城跡には、澄隆の怨霊を鎮めるために九鬼惣領権現が祠られている」
戦国期の城跡は、山城のことが多いので、後に神社になりやすいんでしょうかね。
御祭神は、「九鬼弥五郎澄隆」、多分これが「九鬼惣領権現」で、他に「伊邪那美命」、「誉田別命」、「素戔嗚尊」。
少なくとも、八幡宮と天王社は兼ねていた時代があったようです。
祭事を観ても、そんな感じですね。
廟の修繕で寄付をした人の記念碑です。
メインは「九鬼さん」。
多分、この辺りにはまだいらっしゃるんでしょうねぇ、九鬼さん。
境内地遠景。
暖かい日だったせいか、氏子の方か、関係者の方に遭遇。
「名古屋から来た」というと、驚いていらっしゃいました。
いくら奇特な私でも、申し訳ないですが、こちらの神社のために来たわけではありませんので。
↑上のリンク先では、この神社にまつわる詳しいお話が書かれていますので、ご覧あれ〜。
それにしても、戦国時代の歴史は本当に全滅だな……九鬼水軍は聞きかじっていたけれども、九鬼嘉隆って誰なんだ?
実は、「伊射波神社(いざわじんじゃ)」という神社が、近くにありまして。
ナビを駆使してたどり着こうとしたんですが、残念ながら見つけられず……。
こちら===>>>
こちらには、「伊射波登美命」が祀られているようです。
うーん、いつかリベンジ。
ところで、デアゴスティーニから、『日本の神社』というシリーズが発売されています。
普段見ることのできない、鳥瞰で神社を見られます。
記事はおいておいて、写真が結構いいですので、気に入った神社の号は手に入れられてはいかがでしょう?
私?
ええ、定期購読することにしました。
日本の神社| DeAGOSTINI デアゴスティーニ・ジャパン
※ステマではありません。