べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「鳳凰山甚目寺」

11/9。

在所の近くで、小さい頃は帰省の度に通っていたのに、そういえば行ったことがなかったもので。

行ってきました、鳳凰山甚目寺

 

◯こちら===>>>

鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)愛知県あま市 公式ウェブサイト - 愛知県あま市甚目寺東門前24番地 電話 052-442-3076

 

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三重塔が目立ちます。

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仁王門前。

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黒ずんでしまったのが、逆に渋みを深めています。

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道の行き止まり、みたいなところにあるので、矢印が必要なのだと思います。

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仁王門には、やっぱり草鞋です。

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本堂。

最近修復したものなのか、朱塗りも鮮やか、です。

大きく開けた空間がありまして、厳かながら、何となく庶民的な身近さがあります。

公式HPによりますと、

 

「仏教が伝来した宣化3年(西暦538)よりわずか60年後の推古5年(597)のこと、伊勢甚目(はだめ)村の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江(現在の甚目寺の東南約200mあたり)で魚をとっていました。

その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。

これが甚目寺の始まりと言われています。法隆寺四天王寺に次ぐ我国有数の古刹です。」

 

とあります。

このように日本では、

 

仏像がよく網にかかります。

 

文化は漂流物、というメタファーか何かでしょうか(拝仏派と崇仏派の決着がついていない時代のこと、異国(からくに)の神の像なんて海に捨てちまえ、というのがわりと普通にあったためだと思いますが)。

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「釈迦堂」。

一緒にまつられているのが、「御狙様(おそそさま)」と呼ばれる神様。

中は写真に撮れませんが、女性型の神様です。

「女性の肌荒れ、赤ちゃんの痣の痣の平癒にご利益」があるらしいです。

「狙」という字は誤字だろうと思ったのですが、どうも正しいようです。

関西では、「おそそ」といえば女性器を指す言葉らしく、「狙」という字も書くのだそうです。

「狙」の意味は「ひそかにすきをうかがう」なので、つまり、女性のそういう場所が「ひそかにすきをうかがう」対象だった、という男性優位社会のありようが伺えますね、なんて知ったかぶりをしてみました(他には、「猿」の意味でもあるようです)。

女性の神様で、安産の神様でも夫婦円満、縁結びの神様でもない、というのは案外珍しく。

比較的新しい段階で、こういった信仰が成立したのではないかと思います。

が。

多分、ここには、「春をひさぐ女性達」がいたんだと思われます。

宗教施設ですから(偏見)。

そういった伝承が残っているのかどうなのか。

今度調べてみたいものです(きっともう、誰か調べていると思うので)。

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四国八十八ヶ所霊場」。

例のまとめサイト」的スポットです。

ミニチュアと言い切っているところに、開き直りの美学を感じます。

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「東門」。

銅葺なんですねぇ。

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案内図。

本堂から時計回りに廻っております。

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きました「十王堂」

あ〜、中が撮影したかったです。

名古屋のみなさん、津島といい甚目寺といい、近くに「十王堂」がありまっせ〜。

是非とも行っていただきたい。

そして、そのあとで『黄門☆じごく変』を読むと、味わいも格別です(なんで?)。

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で、十王様や奪衣婆を撮影するのは控えましたが、こんなものをこっそり。

 

審判の神様は、秤が大好きです。

 

エジプトのアヌビス神も、似たようなものを持ってますよね。

これで、罪の軽重だとか、魂の価値だとかを量るんだと思います。

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「六角堂」、地蔵堂ですね。

千体地蔵が安置されています。

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「不動堂」。

その奥に、

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お堂が二つ。

何のお堂だか……調べるのを忘れていました。

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「三重塔」。

なかには愛染明王が安置されているようです。

比較的新しいですね。

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お猫様。

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「弘法堂」。

……ぼろぼろになりつつある、という感じです。

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こちらは「明王堂」。

烏芻沙摩明王(東司の守護神)をお祀りしています。

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「本堂」のすぐ隣に、「弁財天」と「白山大権現」。

「弁財天」が社に祀られているところに、神仏習合の名残りを感じますな。

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裏から「三重塔」。

みえやしねぇ。

さて、「甚目寺」に隣接して、漆部神社(ぬりべじんじゃ)」があります。

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石造りの蕃塀は、なかなか珍しいかも、です。

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比較的新しい社殿です。

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で、正面ではない参道を戻っていくと、

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「日露戦役記念碑」ですって。

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八大神社」の石柱と、

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もっと戻ると「日吉社」の石柱と鳥居。

こちらは、「甚目寺」から直接通じて行けるわけです。

漆部神社」、延喜式内社とされており、由緒書によれば、

 

延喜式神名帳に国弊小社として載っている」

「鎌倉時代には、従三位として知られ、国司の幣帛を受けている」

南北朝以後は荒廃して、室町以降は八大明神社と称された」

維新の地、郷社の社格が与えられ、昭和32年に元の「漆部神社」に戻した」

 

とあります。

祭神は「三見宿祢命(みつみのすくねのみこと)」、漆部の祖先神です。

「部」がついていますので、職能集団でした。

漆を栽培・採取して、漆器を作る集団です。

先代旧事本紀』によれば、「三見宿祢命」は「漆部連の祖」とされ、「饒速日命」(尾張国の祖先である火明命)の五世孫のようです。

饒速日命」がこの辺りに勢力を持っていたようですので、多分それにくっついてきた集団が、自分の祖先を「饒速日命」だと言っちゃったんでしょう。

言ったもん勝ちです。

延喜式神名帳」に書かれた神社は、案外多いものですが、こんなところでお目にかかれるとは思いませんでした。

時代を経て、同定が難しい神社もあります。

しかし、ここまで明白な名前を残しているとなると、疑う必要はない、のかもしれません。

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さて、戻って「三重塔」三たび。

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「秋葉堂」。

「秋葉三尺大権現」を祀っています。

ここにも神仏習合の名残りがありますね。

秋葉神社」もいずれ行かなければ……。

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「法花院」。

石仏は……最初、馬頭観音かと思ったのですが、普通の観音様ですかな。

そして、境内を出まして、

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「大徳院」。

尾張霊場の札所、だそうです。

推古六年(598)の創建で、「恵比須大黒」像は源頼朝によって奉安されたそうです。

さらに、あの左甚五郎が、慶長十二年(1607)に参拝し、「恵比寿大黒」二天像を彫り、これが今の本尊なのだそうです。

 

すげぇな「甚目寺」……。

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撫で「恵比須大黒」。

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「本堂」。

立派な押し出しの建物です。

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願掛け「恵比寿大黒」。

ひもを結ぶんだったかな……。

他にも福神らしく、いろいろな開運グッズがありました。

「水えびす土大黒」というのが珍しいでしょうか。

あ、いえ、いただいていませんので、どんなものかわかりませんが。

 

尾張霊場===>>>

尾張三霊場

 

うーん、御朱印がいただけたのか……失敗したな……。

 

さて、「甚目寺」は「尾張四観音」の一つです。

他は、「笠寺観音」、「荒子観音」、「竜泉寺」。

遠くに行くのもいいですが、近場もせめていきたい、と思う日々です。

地元愛が強いわけではないですが、やはり身近なものを知っておきたいなぁ、と思いますもので。

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漆部神社」は、手書きではありませんでしたが、神紋が「陰陽」になっているのが、なかなか珍しいと思います。